◇ 04

 若干ペルルを引っ張るようにして走った。周囲よりも少し手の込んだレンガ造りの建物が見え、速度を落とす。丁度その建物から、シャルフが出て来たところだった。


「シャルフさん!」

「! な……なんだ、そんなに慌てて」


 青葉の声を聞いて、シャルフがこちらを見た。困惑した表情を浮かべるシャルフの前で止まり、肩で息をしながら膝に手をついた。運動不足を内心呪いつつ、なんとか呼吸を落ち着ける。


「教会の……フラン・シュラの討伐、なんですけど……っ」

「……あれは、証拠が無いと言ったはずだ」

「な、なら、一緒に、教会を見てくれませんか……! もうあの場に、フラン・シュラはいません。元の、信仰の場に、戻ってます!」


 僅かにシャルフが動揺した。拳を握り、彼は眉根を寄せた。


「どうした。証言の報酬を貰って、討伐の報奨金が惜しくなったか?」

「そうじゃない、けど……お金が必要なのは、本当です」


 正直に言うと、シャルフは鼻を鳴らし、蔑んだ目で青葉を睨んだ。


「やはり金に困った孤児か何かか。断る。あれは町の財産だ。お前のような乞食にくれてやる慈善活動の金じゃない」


 違う。青葉自身の為のお金じゃない。でもここでフロワの話題を出しても、同情を誘っているようにしか聞こえないだろうと思い、まごついた。勢いよく首を横に振り、「違うんです。そうじゃなくて」と、言葉を紡ぐ。


「ど、どうしたら、信じてくれますか?」

「さあな。要件はそれだけか? だったら失礼する」


 シャルフが背を向け、歩き出す。何とかして引き留め無いと。首元にかけられた音叉に、指で触れる。これを見せて何になる? 教会に無理やり連れて行けたとしても、洞窟と同じように証言の報酬として少額を貰えるのが精々だ。それでは薬代には全く手が届かない。


 立ち尽くし、思考だけがぐるぐると回る。他に何ができる? 見捨てて、忘れるのがいいのかもしれないが、そんなのは嫌だ。


 不意に、後ろから服の裾が引っ張られた。


「ペルル……」

「あおばー」


 舌足らずな声で、ペルルが青葉を呼び、片手で『ちょっと来て』という手ぶりをする。どうしたの、と視線を合わせようと屈むと、彼女は表情を変えずに口を開いた。


「おいでー、する?」

「へ?」


 何が? きょとんとしたその時、地鳴りが響き出した。


***


「……やっと見つけた」


 はぁ、とため息をついて、ユラはぼやく。食堂の窓から見えた『それ』を追いかけたものの、すぐに見失ってしまい、結局うろうろしてしまった。


 『それ』は、あの夫婦──娘をずっと探していたロレイヤとディオルの家の前にいた。今にも転びそうなよたついた動きで、一歩、また一歩と、ゆっくりと彼らの家に近づいて行く。


 『それ』は潰れた影のような姿をしていた。


 最初は草の茂みのように見えたが、近づいて観察してみると、長い髪の女が寝転がった影を、そのまま立たせているような不自然な姿だった。足や腕があらぬ方向に折れており、少し不気味だ。


(洞窟近辺で気配はあったが……。いかんな。霊体の状態だと、気配を探る事すら意識しないと出来んとは)


 薙刀をいつでも動かせるように構え、少しずつ近づく。影はよたよたとしながら、家の壁に沿って動き、窓の前で止まった。両手をつき、窓から部屋の中を窺っているように見える。


(……? これだけ形を得ておいて、人を襲わない……?)


 ユラが知っている『それ』は、形を得た瞬間から人を襲うようになる。力をつけ、強大になり、やがてはラピエルのように(厳密に言えばラピエルはこれらとは少し違うものだが)世界を破滅に導くようになる。だからこそ、ユラやその同業者たちはこれらを討伐する。だが、今目の前にいる『それ』は家の外から中を覗いているだけだった。


(知性が宿るには成熟しきっていない……)


 『それ』が成長するには、餌が必要だ。人間が出す、強い感情。それが餌だ。前向きだろうが後ろ向きだろうが、過ぎた感情は『それ』らの餌になる。そう例えば、昼間の食堂に蔓延していた妬み嫉み。この世界では、それらは“黒い霧”となって知覚できる。


(聖書やオーディールの説明にあった“黒い霧”……あれがこいつらの餌の、この世界での名前。食堂に溢れた、シャルフに対する不満が“黒い霧”になり、こいつの餌になったとしても……知性を得るにはまだ足りない)


 つまり、これは今、知性を持って部屋の様子を窺っているわけではなく、生まれ持った特性としてこんな行動を取っているのだ。後ろから窓を覗くと、机に突っ伏すようにして泣いているロレイヤと、壁を見つめ続けるディオルがそれぞれ椅子に座っているのが見えた。


(こいつの特性はなんだ……? 一体どんな『感情』から生まれたんだ? まるで、この二人を──心配しているような……)


 家の中に入るわけでもなく、こっそりと見守る姿が、何となくアオバと被って見えた。彼もなんというか、目の前に心配事があると、策も考えずに首を突っ込む節があり、その結果、他に出来る事が無くなると、どうしたらいいか分からず遠巻きに心配しながら見つめるのだ。


 だから今、『それ』がアオバに見えた。


(……あの子が喋っていた言語……昔、ミヨコに連れられた世界のものだったな)


 昨日の事を振り返り、過去に同業者が案内してくれた世界を思い出す。不完全な状態の今、手元に資料が無いので記憶頼りになるが……。


(確か……“後悔が形を得やすい世界”)


 文字通り、後悔が『それ』になりやすい傾向にある世界だ。


(じゃあこれ……アオバの後悔が形を得たもの?)


 どうにも、そんな気がする。宿に戻っても、彼はロレイヤたちを気にしていた。周囲を気にしすぎる彼なら、些細な事で後悔していてもおかしくはない。


(今は無害そうだが、いつ本格的に人を襲うようになるか分からん。悪いけど、ここで……)


 薙刀を構える。刃と柄の接合部が僅かに音を立てると、『それ』はこちらを振り返った。あらぬ方向に曲がった腕をこちらに向けて伸ばし、近づいてくる。


「×××、×××」


 何か喋った。ほとんど自動的に言語経路が合わせられ、何度も何度もその言葉を繰り返す『それ』の言葉を翻訳した。


 その言葉を聞き遂げる前に、薙刀を素早く構え、『それ』を真っ二つに切り裂いた。崩れ落ちると同時に塵になり、風に煽られて消えて行く。


(……どうでもいい事だ。仕事に関係のない情報は、不要だ)


 薙刀を持ち替え、踵を返し、宿に向かって歩き出しながら、言い聞かせる。仕事が終われば、この世界から離れるのだから、事務的であるべきだ。


(これがアオバや他の転生者たちが原因で生まれたとして……何を窮する事がある。転生者を見つけ次第殺せば解決する話じゃないか)


 それが一番手っ取り早い。フラン・シュラはアオバに任せて、他の転生者を見つけ次第ユラが殺せばいい。アオバは嫌がるだろうが、見つからないようにやればいい。


(アオバとのことだって……)


 アオバとの関係も、協力拠点に向かうまで利用するだけのつもりだったじゃないか。あの『想像した物を作る』という規格外の能力も、利用価値は十分だ。あれならばユラの実体化も可能だろう。そのためには多くの機密事項を話す必要があるが……。


(使うだけ使って、処分すればいい)


 アオバはきっと驚くだろう。だが最後にはきっと、納得して死んでくれるはずだ。


 足が止まる。それでいいのか、と良心が問いかければ、最初からそのつもりだったはずだと、事前に用意した答えを叩きつける。それで納得するはずが、迷いが生まれていた。


 カラン、と。軽やかな音が一つ、響いた。いつのまにか俯いてた顔を上げ、


「それが君の思う正しさなのかい、ユラ」


 聞き覚えのある、おっとりとした声に背筋が凍った。

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