◇ 05

 ぎこちなく声の主を探してみると、建物の影にその人物を見つける。墨で描いた椿柄の着物を着た女性が、木箱の上に座っている。ポニーテールにした黒髪の毛先が、うなじの辺りで揺れている。真っ赤な紅が引かれた唇が、笑みを浮かべている。


「ミヨコ……じゃ、ないな、お前」

「うん? ああ、まだミヨコに見えるのか。相変わらずだ」


 最後に会った記憶よりも若い姿に、本人ではないと見抜く。何よりも、彼女はそのような派手な口紅を使わない。


 こちらの視線にも悪びれず、そいつはミヨコの顔と声でケラケラと笑った。実物でこんな風に笑っているところは見たことが無い。


「何の用だ、“神様の物“」


 認識した人物にとっての神様として姿を現す、神様が作った“耳”の役割を持つ“魂無き物”。それが、今目の前にいるものの正体だ。これはどこにでもいるが、多くの者には認識できない。故にどこにもいないのと同義だが、残念なことに、苦手意識を持っているユラには何故か認識できてしまうのだ。


 本来、神様の物は世界で生きる者との接触が禁止されているのだが、これに関しては例外だ。ユラの目の前にいるそれは、他の“神様の物“にも認識されない特殊な作りなのだ。それが寂しいのか(そんな感情があるのかは謎だが)、認識した人物にやたらめったら話しかけてくる非常にはた迷惑な存在である。


「用と言うほどのものではないよ。ただ君が、神に問うたからボクを認識してしまっただけ。心当たりがあるだろう?」

「……」

「ボクの前でだんまりを決め込むつもりなら、図星を突かれて恥じる事を選択したと受け取ろうかな」


 そいつは相変わらず目を閉じたまま、五感を音のみに傾注していた。身じろぎどころか心音の一つも聞き逃しまいとする姿勢に、ミヨコ本人ではないと分かっていても体が強張る。


「守ると約束した相手を斬る事は、君にとっては難しい事だろう。それが例え、その場限りの口約束だったとしてもね。同時に君はこうも考えている。『アオバなら、事情を話せば納得して、死んでくれるだろう』ってね」


 赤い唇がにんまりと弧を描いた。


「だが、どうしてか気が進まない。仕事だけを生きがいにしてきた君は、戸惑う自分が理解できずにいる。それは何故か? 今のアオバという利用される側の立場に、君は覚えがあるからだ」

「……!」


 ──我々一族が在る限り、この地獄が続くなら……分かるだろう、ユラ。ごめんな。頼むから……。


 忘れようと押し込んでいた記憶の蓋がズレてしまった。慌てて元のように閉める。零れてしまった記憶を払い、これ以上記憶を再生させまいと、額に手を押し当て、首を振った。


 彼らと同じことをしているなどと、知りたくはなかった。


「ユラ。困った事に、あの少年は頼んだら本当に受け入れてしまいそうな子なんだ」


 お道化た様子でそいつは言う。肩をすくめ、半笑いを唇に浮かべる。正直、ミヨコの顔で本人がしそうにない動きをされると苛立つのだが、今はそれよりも、言われた事に思い当たる節しかなくて言葉が上手く出てこない。


「……生前から、そういう子なのか? どうせお前、あの子の事も見てたんだろう?」

「ボクを付きまといまがいの変質者か何かだと思ってる? まあ、見てたけど」


 自身の記憶から意識を逸らすように話題を変える。今はユラの事ではなく、アオバをどうするか、だ。


 ミヨコの姿をしたそれは、弾みをつけて木箱から降り、下駄の音を響かせる。つられてポニーテールが赤い日差しに照らされながら揺れた。


「普通の子だったよ。ああ、普通というのが何かと定義すると……」

「今はいい」

「そう? じゃあ話を戻そう。端的に言えば、少しお人好しの気がある一般的な人、かな。といっても、本当に“少し”だよ。迷子がいたら声をかける、落とし物をした人がいたら一緒に探す、宿題を忘れた子がいたら貸してあげる……みたいなね」


 想像がつく余話に頷く。アオバならやりそうだ。


「一貫して、己の命が脅かされない限りは、親切心を持って接する。ただ、今は……欠けてしまったが故に、不安定になっているのだろうね」

「欠けた?」

「そ。アオバがこの世界に連れてこられた時、一瞬転生しかけたんだよね、苔に」

「苔……」

「でも、苔だと対話は難しいだろうなと思って、ボクが手を加えたんだ」

「は?」


 突拍子もない展開に、思わず荒っぽく聞き返した。相変わらずケラケラと笑い、そいつは楽しそうに指先を合わせた。


「アオバが死ぬ直前に、彼の生前の記録を紐状に変換して、回収していたんだよ。これなら記憶のない状態での転生……つまり、正しい手続きを踏んで転生することになるからね。でも彼、転生する瞬間に『助けてほしい』ってボクの手を掴んだからさ」

「……掴んだから?」

「おっ! この子、ボクを認識できるんだやったー! お喋りしよー! と思って」


 頭が痛くなってきた。思わず眉間に皺が寄る。


「お前の娯楽のために巻き込んだのか?」

「いやこれも何かの縁だと思って」

「今更真面目な風に装うな」

「あはは。まあそれで、その回収していた記録を元に体を生前と似せて再構築してみたんだよね」

「……で、話せたのか?」

「全然ダメ。悲しいなぁ」


 助けてほしいと言っている人間を、何故こんな地獄のような場所に違法転生する手伝いをしているのだろうか。悪魔か。やっている事はラピエルより酷い気がする。


 しかしなるほど。アオバが転生者であるにも関わらず、生前と変わらない姿でこの世界に現れた理由が分かった。なんというか……。


(不憫だ……ラピエルに殺され、無理やりこの世界に転生させられかけた挙句、この愉快な饒舌魔の気まぐれで肉体の再構築までされていたとは……精神が不安定にもなる)


 再構築なんて軽々しく言うが、赤子として生まれ育つという生物の流れを完全に無視したということは、アオバがこの世界で存在し続けられるか否かは、“世界の意思”にかかっているということだ。“世界の意思”がアオバを生命と認めないだけで、あっという間に生物の枠組みから弾かれてしまう。要は、なのだ。もしも自分が同じ目に遭ったらと思うと、ぞっとする。そもそもの話として、違法転生を従来の転生に変えられるなら、他の転生者にもやるべきで……。


「ああそれで、再構築の時に、一本だけ、何かの記録がラピエルに千切られちゃって。アオバはその千切られた記録の部分が欠如しているせいで、生前とは違う行動をしてしまいがちみたい」


 あまりにも悠長な物言いに、黙って聞いていた文句が爆発した。


「何他人事みたいに言っているんだ!! 根本的にお前が余計な事をしたせいじゃないか!」

「いやぁ、ラピエルは元々、アオバが持っていたその記録が欲しかったんだろう。すごい的確にその一本だけ持って行ったからね。記録を回収してるってバレた時、物凄く威嚇されたもん」


 かみ合っているんだかそうでないんだか分からない会話を、あっはっは、と楽しそうに笑って誤魔化され、苛立たしさから舌打ちをする。


「そのラピエルが持って行った記録を取り返せば、アオバは生前の“人より少し親切な少年”に戻るんだな?」

「そうさ。まあ、君がアオバを処分するなら、取り返さなくたっていいものだけどね?」

「っ!」


 にやつき、茶化しながらもこいつは急所を言葉で抉った。


「知らせずに奪う事は正しい事か。無知に真実を語る事は正しい事か」


 ミヨコの姿をした神様の物が動くたびに、カラン、カラン、と下駄の音が響く。


「君がこの仕事に就くと決まった日、ボクは言ったはずだよ。『君は、君が思う“正しさ”を探し続けなくてはならない』と。『そうでなければ、君はただの化け物に成り果てる』とも」

「それは……」

「尤も、君が『化け物を討つ為の化け物』になりたいというのなら止めはしないよ。事実、ミヨコはそれを選び、結果として君のような子を救った。だが、同時に多くの犠牲も生んだ」


 赤い夕陽に、彼女の姿が滲み、輪郭がぼやけていく。認識するのが難しくなってきたようだ。時間が無いと気づいたのか、彼女は遠くを見つめた。


「仕事の為に人格を隠すのは、効率的だろう。一々私情を挟んでいては、埒が明かないものね? だけど考えてごらんよ。隠し場所をいつまでも、覚えていられるという保証はどこにもないよ」


 着物の袖から覗く細い指を顎に当て「忘れちゃっても知らないよ?」と神様の物は付け足し、微笑ましそうに目を細めた瞬間だった。


 建物ががたがたと揺れ始めた。足の裏に振動が伝わり、持っていた薙刀が震える。慌てて周囲を見渡す。


「な、なんだ!?」

「ふふ。これもアオバの優しさの成果だろうね」

「はぁ!?」

「アオバなら役所の前だよ。口約束を守りたいなら急ぐといい」


 風にかき消されるように、彼女はゆらりと消えた。言いたいことだけ言って帰って行ったのだ。


「クソっ! だから神様側の物は嫌いなんだ!」


 こっちの事情はどうでもいい、能天気で他人事。死は別れや悲しみといった後ろ向きの意味ではなく、自分たちの下に帰って来る、帰省か何かだと思っている。そもそも寿命が無い彼らにとって、死や成長は単なる記録にすぎない。根本的にかみ合うわけがないのだ。


 ぐにゃりと地面が歪む。石と石の間や、建物の影に元からあった隙間が広がり、粘着性のある泥が這い出てくる。這うと同時に、地面に溶けた跡が広がる。


「フラン・シュラ!? どこから出て来たんだ!?」


 霊体であるユラは見えていないのか、フラン・シュラは一斉に町へと入っていく。


「あ~っ! もう! なんなんだ!」


 がしがしと頭をかいて、薙刀を大きく振るう。触れた切先から、フラン・シュラの中にある命がいくつか外に飛び出た。だが、生き残ってしまった命たちを連れて、フラン・シュラは町へと移動を続ける。


(威力が落ちた武器では時間がかかる……! アオバの音叉で消した方が早い!)


 神様の物が残した言葉に従い、役所に向かって走り出す。フラン・シュラをすり抜けながら、地面を蹴った。


 走りながら思う。今、実体化できたら、この量のフラン・シュラぐらい一瞬で片付けられるのに。だが、確実に実体化するとなれば、アオバに相当な数の情報を話す必要がある。利用したら処分することになる。


 きっと、アオバは分かってくれる。


 ──分かるだろう、ユラ。


 ──我々が生きる限り、何度でもこの地獄は繰り返される。


 でもそれは……。


 ──我々は、絶えねばならない。頼む、分かってくれ。


 それは、


 ──さあ、共に死のう、ユラ。


 かつてユラが拒絶した事と、何が違うのだろうか。

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