◇ 09

 役場に着くと、シャルフは他の職員に声をかけることもなく受付側に入り、青葉には対面する椅子に座るよう促した。特に反発する理由も無いので一つの椅子を半分開けて座り、空いた場所にペルルを座らせる。シャルフは近くの引き出しから紙を取り出し、机の脇に寄せていたガラスペンとインクボトルを引き寄せた。


 元居た世界の紙比べると粗雑とはいえ、薄い紙を作る技術も、硝子の加工技術もある。識字率が低い事を考えると、口伝による技術継承なのだろうか? さらさらと紙に文字を連ねるシャルフの手元を見ながら、そんな事を考える。


「綺麗なペンですね」


 凝った細工が施されたガラスペンは、周囲の色を青紫に変えて輝いている。宝石のようだ、と思いながら感想を述べると、シャルフは視線を紙の上のまま、口を開く。


「リドゥ山脈産だ。あそこの精霊は大抵機嫌が良いから、良質なものが揃っている」

「……精霊の機嫌が良いと、良質なものが揃うんですか?」


 言っている意味が分からず聞き返すと、シャルフが顔を上げた。胡散臭いものを見たような顔だ。


「お前……本当にどこでどう育ったらそこまで世間知らずになれるんだ?」

「す、すみません……」


 紙と青葉の顔とを交互に視線を動かし、器用にも喋りながらペンを走らせる。


「どういう認識か知らんが、この世の物はほぼ全て精霊が気まぐれで作った物だ。俺たち人間はそれを拾い集めて、勝手に生活に組み込んでいる。精霊の中に人間に興味がある奴がいて、それらの機嫌が良い時は、人間の要望に沿ったものを作ってくれることがある」

「なるほど……だから精霊の機嫌が良いと、人間側が望む良い物が出来上がるんですね」

「そういうことだ。教会の色がついた窓も、作ったのは精霊。それを木枠にはめ込んで、形にしたのが人間」

「じゃあ、紙も?」

「ああそうだ。当たり前だろう」


 何を言っているんだか。と言いたげに、シャルフはため息交じりに肯定した。何となく気になって、皺ひとつない卸したてのようなシャルフの服を指さす。


「これも……?」

「布や糸はそうだな。縫いつくろったのは人間だ。この形は最近出来たものだったな。確か五年前ぐらいに、まだ三歳にもなってない子供が言い出したとか聞いたが」


 ここでユラが「ん?」と首を傾げた。考えるように指を顎にやり、視線が何かを探るようにあちこちに向けられるが、ユラの姿が見えないシャルフは、青葉の様子を観察しながら言葉を続ける。


「普段の服は嫌だとかって言って作り出して……まあ、最初は皆『奇妙な発想の子供』ぐらいに思っていたんだが、裁縫術師のガーネットが『動きやすい形だ』とか言って目を付けて、そこから一気に流行り出した」

「それ、転生者じゃないか?」


 ユラの一言に、思わず「なるほど」と頷いた。道理で青葉の服装と差異が少ないわけだ。ところどころにある三角形の中に蔦が絡まったような柄の模様は、元々この世界にあった伝統のデザインだろうか。


 ちゃんと人間に転生できた人もいたのだと分かり、少し希望が出た。


「その子供は今、どこにいるんですか?」


 王都の近くにいるなら、ユラの目的のついでに会えるかもしれない。聞き返せば、シャルフは淡々と言った。


「処刑された」

「は?」

「これも知らんのか? 有名だろ。急に『死人の蘇り』を示唆し出したもんだから、このままでは町どころか国全体に”黒い霧“が広がると危険視されて、そのまま……」


 希望は数秒で打ち砕かれた。多分、流行りの服を生み出した事で気が大きくなり、転生してきたことを口走ってしまったのだろう。もしかしたら、元の名前で呼んで欲しくて言い出したのかもしれないが、残念ながらこの世界では死者の名前は穢れに繋がる。シャルフに止められていなければ、青葉もどこかで誰かの批判を買っていたかもしれない。


「……でも、服は流行ったんですね」

「実際、動きやすかったし、ガーネットが作り出すと、他の裁縫術師も模造品を次々と作り出すからな」


 そのガーネットという人は、いわゆるファッションデザイナーのような存在なのだろうか。名前から赤い宝石を思い浮かべたが、この世界でも同じ意味を持つとは思えなかった。


 ペンが最後の一文を書き終え、シャルフは紙とペンをこちらに差し出し、「署名」と一言だけ言うと、下部の空白部分を指で叩いた。


「えっと……」


 困ったようにユラを見るが、彼女もどうやって伝えようかと一瞬悩み、すぐに首を振った。ペンを受け取って固まった青葉を見て、シャルフが顔をしかめる。


「まさかと思うが、名前が書けないのか?」

「すみません……」

「読めないにしても、名前ぐらいは書けるだろ。本当にどこで育ったんだ。ああもう、貸せ」


 ペンを奪い取り、シャルフがペン先にインクを付ける。それから顔を上げ、「名前は?」と尋ねてくる。


「黒野……あ、逆か。アオバ=クロノです」


 言い直した事で訝し気な顔をされてしまったが、言及せずにシャルフはさらさらとペンを走らせた。書き終わった文字を見て、ペンを元の場所に戻しながらシャルフは首をかしげる。


「クロノか……この国じゃ聞かん姓だ。出身はどこだ?」

「……」

「……おい、お前。不法入国じゃないだろうな」


 他の職員に聞こえないよう声を潜め、シャルフは言う。矢継ぎ早に「身分証明になる物は? 入国審査書は? 難民認可証は? オルフェ制度に関する書類も何も持ってないのか?」と問われ、うろたえる。


「ご、ごめんなさい、何も……」

「孤児ですら何らかの身分証明できる物を持っているのに、か?」

「本当にごめんなさい……」


 謝罪すればシャルフは顔を引きつらせ、青葉の隣で身長が足りずに足をぶらぶらとさせているペルルを指さした。「こいつもか?」と言いたげな目に、青葉は身を縮こませながら頷いた。


「…………どこから来たんだ? 国境沿いの関所は、そう簡単に入り込めるようなところじゃないだろう」

「えーっと……その……気づいたら、ここにいたというか……」

「あ?」

「すみません」


 威圧され、すぐに謝罪した。このまま不法入国者として投獄されたらどうしよう、と思う青葉の隣でユラが「いざとなったらこいつを斬って逃げるか」と物騒な提案をしてきたので、一応拒否の為に首を横に振っておいた。


 シャルフの呆れが込められた大げさで長い溜息が聞こえ、おそるおそる顔色を窺う。


「聞かなかったことにしてやる」

「……え」

「俺はお前にこの国の人間だと騙されて、報酬を渡した。そういうことにしといてやる」


 キョトンとする青葉を他所に、シャルフは書類に何かの判子を押し、後ろの籠に入れた。小さな布袋を持って戻って来ると、それを青葉の前に置いた。金属同士が擦れ合う音が聞こえた。


「報酬」

「あ、はい」


 受け取るとほぼ同時に、ユラが耳打ちをする。


「アオバ。地図が無いか聞いてくれないか」


 言われて、役所ならあるかも、と思い頷いた。


「あの、地図って……ありますか」


 おそるおそる聞いてみると、シャルフは机の引き出しを開け、二種類の紙を引っ張り出した。


「これがこの近辺の地図。こっちが世界地図。必要なのはどっちだ?」

「ええと……両方、あるといい……のかな……」

「ああ」


 ユラに確認を取っている間に、シャルフは事務的に会計を進めていく。領収書だろうか、同じ文字を書いた小さな紙きれを二枚並べて、判子を押したのが見えた。


「買い方はさすがに知って……」

「……」

「……そんな気はしていた」


 青葉の無言の答えを聞き、シャルフは布袋からいくつか白い石のようなものを取り出し、後ろの棚に置いてあった天秤の片方の皿の上に置いた。もう片方に金属で出来た輪のようなものを置き、ちょうど平行になるよう調節し、余った白い石を布袋に戻した。


 二枚の地図を目の前の机に置き、また座り直した。


「報酬は三千ヘビン。使ったのは百ヘビン。残りは二千九百だ。相場が分からんなら、宿屋で誰かに聞いておけ」

「あ、ありがとうございます」

「礼なんて言うな。俺はお前を馬鹿にしている」


 あまりにも正直な発言に、思わず苦笑を浮かべた。

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