◇ 10

 宿に戻ると、既にユアラの死亡が確定した事が広まっていた。「ディオルのところの娘はやっぱり駄目だったかぁ」「まあ、三か月も行方不明なら、そうだろうな……」という会話が、食堂前の廊下でされていたのを聞いて、身を縮ませる。『お前が見つけたせいで』と言われているような気がした。


 コツン、と、頭に何かが当たった。顔を上げると、ユラが薙刀の柄の部分で小突いたのだとすぐわかった。


「……気にしすぎだ」

「すみません……」


 周囲に不審がられないよう、小声で謝罪をした。ユラが食堂の中に入ったのを見て、小さくため息をつきながら追いかけて青葉も食堂に入り、水を貰って席についた。


 それからシャルフの進言を思い出し、食堂にいた客の女性に声をかけ、報酬の相場を聞いてみると、「まあ、そんなもんじゃないですかぁ?」という回答を貰った。


「証言だけじゃ、多くても四千ヘビンってところでしょ~」


 ピンクブロンドをツインテールにしたその女性は、紅茶か何かが入ったティーカップを両手で包み、こちらを観察するようにじろじろと見た。丸々としたその目は、淡い水色からピンク色のグラデーションがかかっており、秋の夕空のような色をしている。


「もぉっと欲しいなら、フラン・シュラの討伐ぐらいしないとですね~。確か八万ヘビンでしたか」


 彼女の視線が壁に投げられる。追って見ると、張り紙がされていた。読めないが、フラン・シュラの討伐に関するものなのだろう。ユラが近づいて、読み込んでいる。「ま、一般人にはオススメしませんけど」と付け足して、女性は、ふぅ、と小さなため息をついた。


「答えた代わりと言ったらなんですがぁ、ちょっと聞いてもいいですか~?」

「なんでしょうか」

「この辺りで金髪のぉ……んー、君よりちょっと背は高い感じの男の人見かけていませんかぁ?」


 金髪だけじゃ分からないな、というのが顔に出ていたのか、女性は情報を足す。


「髪はこう、後ろで一束にまとめていてぇ、品があって、あまりの麗しさにすれ違ったら三度見ぐらいじゃ足りない程の美しい人なんですけど~」

「絶対見かけてないですね」


 返した途端、「ちぇっ」と小さく呟いて、女性は「ならいいですぅ」とそっぽ向いた。


 そんな青葉たちのやり取りが聞こえていたのか、常連らしい人と店員が笑い声をあげる。


「そんな美形見たら、絶対忘れられねーよな」

「ああ。それとも、聖騎士様の目にはそう見えるだけかもしれねーが」


 言われた途端、ムッとした表情で女性が常連たちを睨みつけた。「おお、こわ」とわざとらしく怖がったフリをする男たちを、尚も睨んでいる。


(聖騎士って……シャルフさんが言ってたやつ? この女の人が?)


 つい、まじまじと女性を見る。座っているので分かりにくいが、背は百六十センチも無い小柄な部類に見える。服装も騎士というより、町中にいる女性が着ている服と変わらない(やや上質そうではある)。スタイルは良いが特別筋肉粒々というわけでもなければ、歳も青葉と同じぐらいで、クラスメイトの女子と大差ない雰囲気だ。騎士と聞いて思いつく印象と、随分違う。


「聖騎士さんなんですか?」


 火に油じゃないかと少し思ったが、興味本位で聞いてみると、「見たら分かるでしょぉ」と不貞腐れた表情で返された。


「しっかし、こんな子供にまでシャルフは容赦ねーな。もうちっとくれてやる人情ぐらい持ってねーのか」


 話を聞いていたのか、近くの椅子に座っていた男が、青葉が持つ布袋を下から持ち上げ、ジャラジャラと音を鳴らした。何が容赦ないのかすぐにはピンとこ無かったが、青葉の泣き跡を見てシャルフに泣かされたと考えたらしいと、しばらくしてから気づいた。が、すぐにカウンターにいた店員が笑いながら「あるわけないだろ、そんなもん」と返して会話が続いてしまった事で訂正する間を失ってしまう。


「葬儀後回しにして仕事してる奴だぞ」

「ああ、あれはなぁ、本当にヒデェ話だよな」

「……どなたか亡くなられたんですか?」


 つい聞いて、すぐにしまったと思い口を押えた。死者の名前がダメなら、話もダメかと思ったのだが、「大丈夫」と言いたげに店員の一人が手をヒラヒラとさせた。


「シャルフの奥さんの事だよ。すぐ隣の店の、看板娘でな。町の若い連中は皆狙ってたんじゃないかってぐらい人気だったんだよ」


 もう張り紙は読み飽きたのか、壁にもたれるようにして室内を見ていたユラが「意外だな。そういうのに興味ない奴かと思った」と感想を溢した。


「めちゃくちゃ優しい、いい子でさ。金も無いのに勉強してる変人にも気を使って、声かけてたりもして。そしたら、さすがのシャルフも絆されるってもんよ」

「男の人、そぉいうの好きそうですよねぇ」


 若干馬鹿にした言い方で、ツインテールの女性が口を挟む。誰か怒りだすかとも思ったが、周囲は「優しい子は好きに決まってんだろー」と気にした様子もなく笑って返していた。


「あの子もあいつのどこが良かったんだか、とんとん拍子で結婚してさー。もう、町の男の恨み買いまくりよ」


 ──遂行できもしない事に取り組んでも、指さされて笑い者にされても、引っかかる馬鹿がいるんだから。


 シャルフの妻はきっと、シャルフが勉強に取り組む姿を『希望』だと言って応援してくれていたのだろう。彼も大事な人を失っていて、だからあの夫妻の感情を先読みして、守るために嘘を吐こうとしていた。


(やっぱり、もう一回ちゃんと謝っといた方がいいかな……)


 彼のやり方を否定したのは、良くなかった。せめて説得するなりしてからやるべきだった。反省する青葉を気にも留めず、男たちは思い出したように恨み言を吐く。


「なんだかんだ言って、仲良さそうだったのにな。まさか未だに葬儀もやらねえんだから、仮面夫婦っていう奴だったんかねぇ?」

「いーや。シャルフが人でなしなだけだね。フラン・シュラに溶かされて変わり果てちまったあの子を、自分の妻だって認められねえんだろ」


 男たちの会話を聞きながら、女性はティーカップの中身を飲み切り、席を立った。それからちらりと青葉に視線をやり、「これ以上聞いても実のある話は無いですよぉ?」と言いながら勘定を済ませた。宿泊客ではなく、人探しの情報収集に立ち寄っただけらしい。よく見れば、左腰にレイピアのような細い剣を携帯していた。騎士というのも嘘ではなさそうだ。


「まあ、人の陰口聞いていても気分も良くないな。私たちも戻るか」

「ですね……ペルル、行こう」


 いつの間にか近くの椅子に座っていたペルルを立たせ、背中越しにシャルフの恨み言を聞きながら食堂を出る。


 不意に、背後が黒く霞んだような気がして振り返った。


「どうした?」

「あ、いえ……」


 変わらない風景に、首をかしげる。気のせいだろうと考え直し、今度こそ食堂を後にした。


***


 部屋に着き、ベッドの淵に座る。頭に浮かぶのは、不安気なカインの顔と、土気色の肌をした病弱な妹のフロワ、そして青葉のせいで希望を失ってしまった夫妻だった。


 思考を切り替えようと、地図を広げる。青葉に出来る事は無いのだ。これ以上首を突っ込んでいたら、ユラとの約束も守れない。


 近辺が描かれた地図を見るに、一度山を越えるか、森を抜けないと他の町には行けそうにないことが分かる。世界地図の方では、中心部にある地域を囲うようにして四つの国があるのが分かった。


「僕らがいるのはどの国なんでしょう?」

「確か……シャニア王国だ。四つの国の中で一番広い領土で、他国を主導する力がある」


 ここ。とユラが指さしたのは、地図の左上。確かに一番広い。


「ってことは……この中心部分の空間が、前に言っていた保護区、ですか?」

「ああ」

「……これ、世界地図ですよね?」

「ん? うん」

「国、四つしかないんですが……」


 指摘するまでもなく、地図に書かれているのは四つの国だけだった。そういえば聖書にも四つの国の建国について書かれているとユラが翻訳してくれたが、まさかこれだけなのだろうか? 困惑する青葉を他所に、ユラが地図の下部を指さした。


「ここに、お皿みたいな線が描いてあるだろう?」

「はい」


 ユラが言う通り、下部には湾曲した線が、四国を支えるように描かれている。その下に書いてある文字をなぞり、ユラは翻訳した。


「ここから先は、精霊の世界」

「……」


 ここでも精霊の話が出てくるのか。自分の中にある常識が壊れておかしくなっていくのを感じながら、おそるおそる聞いてみる。


「もしかしてなんですけど、世界のほとんどが精霊のものっていうのは……」

「ああ、人間が住めるのはここだけ、って意味だろうな。多分」


 ユラの答えを聞いて、もう愕然とするしかなかった。


 この世界は、あまりにも小さかった。

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