◇ 08

 少しだけ日暮れに近づきかかっている空を仰いだ。まだ目元がちょっとだけ火照っている。喉の奥に残った熱い息を吐いた。


「今更遅いが、あまり他所の事情に首を突っ込みすぎるな」


 隣でそう言ったユラは、青葉ではなく洞窟の方に視線を向けていた。眉をひそめ、何かを目で追っている。


「他人の事情を我が事のように考えるのは美点かもしれない。ただ、入れ込みすぎているように思う」

「ごめんなさい……」

「自覚があるなら、自重する気兼ねを見せてほしいんだが……生前からそうなのか?」

「い、いえ……どうなんでしょう? そこまで誰かに入れ込むってことは無かったと思いますけど……」


 生前は、どちらかといえば学業が優先だった。小中高と受験をさせて貰うぐらいには両親も気合を入れていたし、それに応えようと青葉も必死だった。


 他の事で言えば、迷子や落とし物をした人……などの困っている誰かの手伝いこそあったが、人の生死に関する事に接する機会は無かったし、犯罪に巻き込まれそうな不穏な気配を感じ取れば、深追いはしなかった。言われて見れば、生前の行動に比べ、ズレのようなものを感じる。


「……一度死んだことで、何らかのタガが外れてしまったのかもしれないな。すぐに突っ走らず、できれば一拍置いて、僅かでもいいから考えて行動をしてほしい」

「頑張ります……」


 ユラの切実な声色を聞いて反省する。それを聞いて少し安堵したのか、彼女は数歩前を歩き、ついてこない青葉を振り返った。


「行かないのか?」

「あ、その……シャルフさんに、ちゃんと謝罪してないので……」

「律儀な……」


 言ってる間にシャルフが出て来た。後ろ手で扉を閉め、青葉と顔を合わせると、ため息交じりに歩き始める。それから一度止まって、青葉を振り返った。


「おい」

「は、はい」

「ちょっと役場まで来い。洞窟のフラン・シュラの報告に、お前の証言を使ってやる」

「わ……分かりました」


 ペルルと手を繋ぎ(手当てをした上からとはいえさすがにちょっと痛かったが気にしない事にした)、シャルフの後を追いかける。


「あの……ごめんなさい。シャルフさんの忠告を、結局無視してしまいました」


 彼の背中に向かってそう声をかけると、不機嫌そうな声色が返ってきた。


「別に。それと、ロレイヤもディオルも、お前の事を責めてはいなかった」

「え……」

「お前が出た後、冷静になったんだろう。子供相手に大人げなかったと、反省していた」

「僕が……僕の我儘で、傷つけてしまったんです。大人げなくなんてありません。逆に気を使わせてしまって……」


 はあ、と。大きなため息が聞こえた。シャルフが振り返り、額に指を突き付けてくる。


「互いに気を使い合うのは勝手にしろ。俺を挟むな」

「ご、ごめんなさい」


 御尤ごもっともな意見だった。


(でも、やるな、とは言わないんだ)


 彼なりの優しさなのだろう。気が済むまで当人同士でやっていろ、と、放り投げてはいるが、強制はしない。トラブルになれば、そういう仕事だからと、仲裁に入ってくれそうな雰囲気すらあった。


 現に今も、『少し言い過ぎたか』と言いたげに、ややバツの悪そうな顔でこちらの顔色を窺っていた。気を使ってばかりなのは、シャルフの方だった。


 嫌われても、暴言を吐かれても我慢して守っていた。青葉はそれを壊してしまったのに、青葉を責めない。それが少し、居心地が悪いとすら感じてしまった。彼が暗い感情を内に隠している事は、すぐに感じ取れた。それが青葉を責めて、詰って、蹴り飛ばして、それで晴れるなら、そうしてもらっても構わないのに……。


 そこまで考えて、その異常さに気づく。


(やっぱり何か変だな……前は暴力沙汰に巻き込まれたくないって、思ってたはずなのに……)


 ユラが言う通り、死んでしまった事で少しおかしくなってしまったのだろうか。彼女の忠告を守った方がよさそうだ。


 シャルフに歩幅を合わせて歩いていると、教会が見えて来た。葬式や埋葬はどうするのだろう、と純粋な疑問を持ち、声をかける。


「葬儀って、いつですか?」

「今日の内にやる」

「……早いんですね」

「こんなものだろう、普通」


夫婦が納得しているとはいえ、遺品を見つけたその日の内とは……。


「そうなんですか……ユアラちゃんってどんなお子さん──」


 言葉の途中で、シャルフの手が青葉の顔を掴むようにして口を塞いだ。歩みが止まり、おそらく前を見ていなかったであろうペルルが背中にぶつかった。急な攻撃に驚く青葉に対し、シャルフは信じられないものを見る目で青葉を睨みつけた。


 ざわざわと、妙な気配が立った。風に揺られた木々の音でもなければ、周囲の人間が青葉たちのやり取りに目を止めたわけでもない。そもそも、先ほどから人通りは少ない。


 にもかかわらず、大勢の視線が一斉に青葉に集まったような、そんな気配がしたのだ。


「お前……っ! 何を考えているんだ、死人の名を口に出すなんて……!」

「え……」


 シャルフが周囲に視線をやる。じっと青葉を見つめていた気配が、少しずつ離れていく。やがてざわついた気配が完全に消えると、シャルフは口を押えていた手で青葉の肩を押し、周囲を気にした声量で詰め寄った。


「何、なんだ、本気で馬鹿なのか? それとも、本当に世間知らずなだけか? どこで隔離されて育ったんだ、お前!」


 口ぶりから察するに、この世界の常識らしい。

 思わず戦闘態勢になっていたユラが、ふいに、気づいたように表情を変えた。


「そうか、だから……あの夫婦が娘の死を認めていると言いきれたのか」


 視線だけで理由を問えば、ユラは武器を下げて告げる。


「あの夫婦、娘を探してほしいと言ったのに、娘の名前は言わなかった。普通、人を探す時は名前を教えるはずだ。名を呼びながら探せば、反応するかもしれないからな。だが、言わなかった。死者の名を口にしてはならない、という常識があるなら、道理だ」


 ユラの言葉を聞いている内に、思い出す。確かに教えてはくれなかったし、妻の方が娘の名を口にしたのも、遺品をみてつい、という雰囲気だった。


「ご、ごめんなさい、無知でした」


 素直に謝罪すれば、シャルフの表情が引きつった。


「その……本当に、よく知らなくて」

「……死人の名は、“黒い霧”を呼ぶ。精霊は“黒い霧”を苦手としているから……“黒い霧”の発生源となる人間を攻撃することがある。特に、町の中に棲みついている精霊は、棲家を荒らされるのを嫌って、攻撃的になりやすい」


 さっきの視線は、町にいる精霊たちらしい。本当に実在するのかと、未だに現実感が無かった青葉にも、彼らは問答無用でこの世界のルールを突き付ける。


「どうやら……今のは“黒い霧”を呼ばなかったらしいな。今回は見逃してもらえたが……次もそうだと思うなよ」

「はい……」

「……死人の名を呼んでいいのは、精霊が認めている墓守だけだ。今後は気を付けろ」


 律儀にもそう教えてくれて、再び歩き出したシャルフを、数歩遅れて追いかける。


(やっちゃったなぁ……まさか亡くなった人の名前がタブーなんて……)


 元居た世界では考えられない常識に打ちひしがれ、黙々と歩くシャルフの背中を見ているのも気まずくて視線を外にやる。


 教会の前までやって来ると、相変わらず扉の前に置かれた花に目が行く。誰が置いているのだろう。フラン・シュラはもういないことは、見たら分かる事のはずだが、やはり廃墟同然となった教会内に踏み込もうとする人はいない、ということだろうか。


 両開きのはずの、半分はどこかへ消えてしまった扉から、見える中の様子は、昨夜と変わらない。壊れかけた椅子に、崩れかかった壁。それから、祭壇の前で黒い星形のシミが出来た薄い赤の絨毯。ステンドグラスに描かれている、紅色の蕾の帽子を被り俯いている小人が、カラフルな光となって床に映し出されている。


「誰かいたか」


 ふいに声がかかって、そちらを見る。数歩先で足を止めたシャルフが、眉根を寄せて青葉を見ていた。


「いえ、何も」

「……そうか」


 短い応答の後、再び歩き出すシャルフを、黙って追いかけた。

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