◇ 04

「どうするのかと思ったが、洞窟に入れるよう上手く交渉できて何よりだ」

「いや、そういうつもりは無かったんですけど……」


 ユラと小声でやり取りをするが、洞窟内では声が反響してしまい、シャルフがじろりと睨んだのを感じ取り、青葉は口をつぐんだ。洞窟でオーディールを探す以外は割とどうでもよさそうなユラは、ほとんど後ろを気にせず歩みを進めていく。そちらの歩調に合わせつつも、青葉はフラン・シュラがどこかにいるかもとそちらも気にして周囲を見て見るが、それらしい泥は見つからない。


 なんとなくちらりとペルルを見る。ペルルが今の形になった時、岩の隙間から多くのフラン・シュラが集まってきていたが、まさかこの洞窟にいたフラン・シュラ全部じゃないだろうな、という疑問を持ったからだが、


(いや、元々奥地にしかいないかもしれないし……)


 無い無い。と首を振って、その仮説を否定しておく。

 今はそれよりも、先ほどの夫婦の娘を探さなくては。


「……何もいないな」


 小さな声が後ろからし、振り返った。少し離れたところで、壁の亀裂を指でなぞり、できた隙間をじっと睨みつけているシャルフが見え、足を止める。


「前に来た時は、大量のフラン・シュラが棲みついていた」

「前っていつぐらいですか?」

「半年前だ。また増え始めたから、巣穴でもあるんじゃないかと、青年団と協力して探し当てたのがここだった」


 壁の観察を止めて、シャルフが歩き出すのを見て青葉もまたユラを追うように歩き出す。


「いつの間に、いなくなってたんだか」


 亀裂から視線をこちらに向け、シャルフは鋭い視線を青葉に投げる。


「で? もう片言で言葉が分からんフリはいいのか?」

「あー……あはは。ちょっとズルして、分かるようになったと言いますか……」

「……本当に詐欺師か何かか?」


 そう思われるのも不思議ではない。昨日まで異界の言語で話していた青葉が、急に流暢に話すようになったのだから、カインを騙そうと演技をしていたと思うのはしょうがない。


「や、別に騙そうとかってわけでは……ああ、いや、いいじゃないですか、僕の事は」


疑いの目がより深くなったので、引きつった笑顔で誤魔化し、話題を変える。


「そ、それより、このままフラン・シュラが見つからず調査が終わったら、洞窟に出入りできるようになりますか?」


 なんで? と言いたげにシャルフがわずかに首をかしげるような動きをした。何か変な事を言っただろうかと、青葉は言葉を続ける。


「この辺りは、オーディール信仰があるって、本で読んだので……この洞窟でお祈りとか、していたのかと思ってたんですが」

「ああ、昔はな」

「なら、フラン・シュラがいないって分かれば、また……」

「なんでそうなる」

「え、ダメですか?」


 脅威が去れば、また信仰の場になるだろうと思っていただけに、素直にそう返した。シャルフの表情が引きつったように見える。


「居もしない何かに頼るのは、もう御免だ」


 青葉を追い越し、シャルフが先にあの開けた場所へと足を踏み入れた。遅れてたどり着き、周辺を見渡す。昨日と変わりはない。


「昔は確かに、オーディール信仰はあった。この辺りは農耕が盛んだからな。オーディールが土を良くしてくれると信じて、畑をやってる奴は毎日祈りに来てたよ。実際、作物はよく取れたし、精霊たちが暴れて山が崩れるなんてことも無かった」


 言いながら、シャルフは丸く削り取られた壁の前にしゃがみ込む。昨日はあまり観察できず気づかなかったが、砂だらけの小さな器が乱雑に置かれている。左右に細い筒状の陶器が(倒れたり割れてしまっているが)置かれており、神棚に近い形状だ。


「だが、俺たちが信じる神様なんていなかった。人食いの怪物が倒されて、世界中が荒れに荒れた。夜は訪れなくなった。どんなに祈ったって、オーディールは土を良くしてはくれなかったし、フラン・シュラが現れてからは人が死んで行くばかりだ」


 几帳面な性格なのだろうか。シャルフは陶器をおそらく元の位置へと直していく。


「祈って何になる。頼って、縋ったところで、誰が助けてくれる」

「……」

「お前が騙そうとしたカインはな、まだ神様はどこかにいると信じている」


 シャルフはふっと息を吐きながら笑った。馬鹿にした様子でもなく、何かを思い出すように言う。


「滅多に帰って来ない両親の代わりに、一人で家と妹を守らなくてはならないカインにとって、神様は唯一縋れる存在だ。だから、お前みたいな胡散臭い余所者に良いように騙される」


 言葉の棘が真正面から刺さるのを感じた。シャルフは立ち上がり、面倒くさそうに首をさすった。


「もうあいつらに関わらないでやってくれ。御使いなんて、軽々しく名乗るな」


 そう言って、何事も無かったようにシャルフは周囲を見渡した。「あの夫婦の娘も、フラン・シュラもいなかったな」とぼやき、彼は出口へと踵を返す。


 返す言葉が見つからず、青葉はただシャルフの背中を見つめた。青葉にとって神様は、存在が不確かで、だからこそ縋れる何かでしかない。しかし、この世界の人々にとっては、神様は確かに存在したもので、だがそれは偽りで、打倒され、縋れるものを失ったのだ。


 昨日通った隙間の向こうからユラが戻ってきて、首を横に振った。オーディールは見つからなかったらしい。


 静かにため息をつく。収穫無し。せめて手掛かりの一つでも見つけたかったのに。


 緩んだ手からペルルが離れ、ユラに駆け寄った──瞬間、嫌な事に気づき、顔を上げた。昨日、青葉たちが通った、更に奥へと通じる隙間の前にペルルが立っているのが目に入る。一見、何の変哲もない隙間だ。身をかがめて通るのがやっとの、大人であれば見逃してしまう程の細い道。しかし。


 子供なら普通に通れてしまう。


(待て、待てよ。あの人たち、なんて言っていた? 確か、人形……)


──この子によく似たお人形を、いつも持ってたわ。


 ペルルになったフラン・シュラは、何を取り込んでこの形になった?


(足元にあった、人形……)


 何故、あんなところに人形があったのか。子供が冒険心から、この洞窟に入ったとしたら? 隙間を見つけて、奥へと行き、大量のフラン・シュラに囲まれてしまったとしたら……。


「……あ」


 声を聞き、シャルフがこちらを見た。


 記憶と想像が、繋がって行く。あの時、青葉がフラン・シュラは人間なのだと確信した理由になった、頭以外は溶けてしまった子供。あれが転生者ではなく、フラン・シュラに襲われただけの、この世界の人間だとしたら。


 妻によく似ている子だと、男は言っていた。白髪交じりの金髪に、生気のない暗い影を落とした目の色は、溶けて、取り込まれていった子供と同じ色だった。


「おい、どうした」


 シャルフの呼びかけを無視し、隙間に近づき、奥を覗き込む。光る苔の青白い灯りで、ぼんやりと道が見える。昨日と同じように屈み、肩を擦りながら通る。


「お、おい、待て。どこに……」


 彼の声が遠くなっていく。隙間を通り抜けると、昨日と変わらない一本道が続いている。後ろからついて来ていたペルルが、青葉を追い越して奥へと歩む。その姿が、嫌な想像を掻き立てる。


 ブロンドを揺らして、少女は奥へと向かったのではないか。お気に入りの人形を手に、子供らしい冒険心で、最深部に何かあるのではないかと期待に胸を膨らませて、軽やかな足取りで……。


 真っ白な長い髪が、歩調に合わせてゆらゆらと揺れるのを追いかける。真っ白なスカートの裾が向き直る動作と共にふわりと広がり、目の前で止まった。


 いつの間にか最深部に来ていたらしく、ペルルが『行き止まりだよ』とでも言いたげに青葉を見上げている。


「ね、ペルル。ここにあったお人形、覚えてる?」


 目線を合わせる為に屈み、問いかける。


 ペルルは何も言わない。理解できない言葉を投げかけられ、不思議そうに青葉と目を合わせている。


「君たちが取り込んだ人形だよ。ここにあったよね?」


 もう一度、今度は彼女の両肩を掴み、ゆっくりと問う。


 それでも何も言わないペルルに焦れて、首を振り、最後には項垂れて、返答を期待できないまま口にする。


「君たちの中に、あの人形の持ち主はいる?」


 返事など無い。顔を上げれば、何の感情の色も浮かべていない、真珠のような目が静かに瞬いていた。


「……せめて、あの人形だけでも、返してあげられないかな」


 だって、ここに確かにあったのだ。ペルルがこの姿になる前に、溶かしてしまった白磁の人形を、確かにこの目で見た。娘のものなら、あの夫婦に返すべきだ。娘に関するものなら何でもいい。きっとあの二人はそれを望んでいる。


 だが、その言い分をペルルが理解できるかというと、話は別だった。現に今も、彼女は青葉を見つめ返すばかりでうんともすんとも言わなかった。


「アオバ。早く戻れ。シャルフが苛立っている」


 少し離れたところから、ユラが声をかけてきた。腕を組み、指で肘の辺りを叩いているのは、外で待つシャルフの真似だろうか。


「すみません、すぐ──」


 立ち上がろうと膝に手をついて態勢を変えた時だった。


 前かがみになった青葉の胸元に、ペルルが手を伸ばし、音叉に触れた。その瞬間、あの細く高い音が響き渡った。

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