◇ 03

 資料館ことカインの家を出て、青葉たちは最初の洞窟へと足を向けていた。オーディールたちを探してみたい、まだいるかもしれないから、というユラの要望により、そうすることが決まったのだ。昨日歩いた道を辿りながら、青葉は考え込む。


 カインたちを、放っておけない。


 目の前で困っている彼らを置いて行けば、途中で気になってしまうのは目に見えている。かといって、病気をどうにかできる知識など青葉にはない。


 隣を歩くペルルとはぐれないように繋いだ手が引かれる。一度通った道だからか、それとも考え事をしている内に青葉の歩みが遅くなっていたからか、青葉よりも先へ先へと小走り気味に白い頭が一歩前で揺れる。


「お金があれば……」


 薬代が浮けば、カインも少しは楽になるだろうか。フロワの病気も治って、出稼ぎに行っている彼の両親は戻ってくるだろうか。


「あったところで一年と持つまい」


 ユラの冷静な一言が返ってきた。ちらりと彼女を見れば、視線は進行方向だけを見ており、怒っている様子でもなかった。視線を感じたのか、ユラが顔をこちらに向ける。


「生まれてからずっと病気に犯されてきたのなら、今の病気が治ったところで、また別の病気になるだろう。医療が発達しているならともかく、都心の援助もままならないこの地域にそれは期待できん」

「でも」

「でもじゃない。私との約束は覚えているんだろうな? 一週間後には私たちはこの町を出るんだ。病気が治って、また別の病気になったら……今度も手を貸すのか? その時にはもう町にいないのに、どうやって? 最後まで面倒を看る事も出来ないのに、一時の夢を与えるのは残酷だ」


 子供に言い聞かせるように、ユラはゆっくりと言う。苛立つわけでもなく、自身の考えを淡々と、説明書を読み上げているだけのようなあの声で、青葉を窘めた。


「半端な希望なら、無い方がマシなんだ」


 薙刀の柄を握りしめ、ユラの鋭い視線が青葉から外される。


「……少なくとも、私はそう思う」


 彼女にも、そういう経験があるのだろうか。何か地雷を踏みぬいた気がして、反射的に謝罪の言葉が口をついた。


「……ごめんなさい」


 予想に反して小さな声になったがユラには聞こえたようで、「別にいい」と、少しだけばつが悪そうな声が返ってきた。


 それっきり、重い沈黙が流れた。ああ、間違えた。今きっと、ユラを傷つけた。そんなつもりじゃなかったのに。後悔した。瞬間、


 ひたり、と。嫌な気配が背中に近づいた。


「……」


 この気配は気のせいだ。振り返ったところで何もいない。ペタペタと何かが近づく足音も、幻聴だ。湿度が急激に上がったような生暖かい空気も、息苦しさも、全部嘘だ。だけど今にも背後にぴったりとくっついた何かが、首筋に触れそうな気がして、首を振る。


 何も想像するな。何も生み出すな。この力を与えたラピエルの、手の平の上で踊る事だけは許されない。


(これは後悔じゃない。間違えただけ。反省しているだけ)


 何度も何度も言い聞かせて、気配が消え去るのを待つ。目の前を小走りで歩むペルルの、乾いた足音だけに集中した。

 少しずつその呪縛じみた気配の足が止まり、置き去りにされていった。


***


 黙って歩いていると、洞窟の入り口が見えてきた。すぐにその近くに人がいるのが見える。内二人の男女は夫婦のようで(同じ柄の入れ墨を二の腕をいれていた)、洞窟に入ろうとしており、その二人を止めるようにしている男性は、昨日役場で見た人物だった。確か、シャルフだったか。


「どうしたんですか?」


 近寄って行くと、シャルフが顔をしかめる。夫婦の方は青葉を見て、おや、と声を漏らす。


「見ない顔だね、旅の人かい?」

「え、ええ、まあ」

「そうか、なら、この辺りで女の子を見なかったかな? 妻に良く似た子なんだけど……」


 言われて、疲労の色が濃い男性の隣に立つ女性に視線が行く。白髪混じりだが金髪だろうか。長い前髪の奥で、暗い色をした目が青葉を映した。背中を丸めているせいか、ただでさえ生気のない顔色が、余計に落ち込んで見えた。随分昔、行方不明の娘を探して(しかし周囲に取り合ってもらえず)一人でビラ配りをしている女性を見た事があったが、それに似ている。


 青葉が何か言う前に、シャルフが口を開く。


「もう三か月も前の話だ。この辺りはフラン・シュラも多い。無事でいる可能性なんてどこにも──」

「うるさい! 人でなしのお前に俺たちの気持ちが分かるもんか!」


 突然、男性は激昂してシャルフに掴みかかった。


「もうここだけなんだ! ここらで探してないのは、ここぐらいだ! あの子はここにいる!」

「……ここはフラン・シュラの巣窟だと報告が上がっている。聖騎士以外の立ち入りは役場から禁止されている」


 しかしあくまでも、シャルフは冷静に彼らを窘めた。だが、男性の勢いは止まらない。


「聖騎士だって!? そんなの、いつ来るんだ!? 王都の周りばっかり固めて、俺たち田舎者の事は捨てたくせに!」

「しかし、規則だ」

「規則規則って、そんなにそれを守るのが大事かよ! 神様はもういねえんだ! そんなもん守ったって、意味ねえんだよ! 誰も助けてくれねえなら、俺が自分で何とかするしかねえだろ! 邪魔するな!!」


 男が拳を振り上げた。妻と呼ばれた女性は止めず、少しだけ困ったような顔でそれを見つめている。慌てて青葉は二人の間に割って入った。


「待ってください!」


 力任せに二人を引きはがし、シャルフを背に男を振り返った瞬間、目の前に拳が見え、とっさに顔を庇った。ちょうど昨日フラン・シュラに触れてただれていた手に当たり、じん、とした痛みに堪え切れず「いっ……」と声を漏らした。


「ぼ、暴力は、だめです……」


 冷や汗が伝う。声が震えてしまって、仲裁したのに情けない。しかしその情けない姿が逆に相手を冷静にさせたようで、男は荒い息を吐きながら、やり場のなくなった拳を下した。


「女の子、でしたよね。服装とかは、覚えてますか?」

「服……? 服は、どうだったかな……」

「じゃあ、何か目立つ持ち物とか」


 目を合わせながら、ゆっくりと質問をする。なるべく相手の記憶を探らせるように誘導する。そうすることで喧嘩腰だった男は、少しずつ目の前の怒りから意識が逸れていく。


「……この子」


 ぽつりと、女性が口を開き、ペルルを指さした。ユラの隣で大人しくしていたペルルは、指された指をじっと見つめている。


「この子によく似たお人形を、いつも持ってたわ」

「ああ……そうだ、そうだった。誕生日に貰ってから、ずっと持ち歩いていた。白磁の人形だ。えらく気に入ったみたいで……」

「壊したら危ないって言っても、全然聞かなくて……」


 男性も頷く。二人が言い切ったのを見て、青葉も頷いた。


「分かりました。じゃあ、僕が探してきます」

「!」


 言い切った途端、ぎょっとした顔で、シャルフが「待て」と止めに入った。眉間に皺を寄せ、険しい表情が更に険しくなっている。


「聞いていなかったのか。ここは立ち入り禁止だ」

「それは役場の人たちが、町の人たちを守るために決めた事ですよね?」

「町民でなければ守らなくても良いという話ではない。聖騎士でもない子供が入るのは危険だ」

「大丈夫です。仮にフラン・シュラがいたとしても、詐欺師の僕が溶けたって、誰も困りませんよ」


 シャルフが若干怯んだ。いつだったか父が言っていた『相手が一瞬でも怯んだのなら、そこが突破口だよ』という言葉を思い出し、畳みかける。


「町の誰かが犠牲になるよりも、どこの誰かも分からない僕の方がいいでしょう?」

「……」


 シャルフが口をきつく結んだ。もう一声か。次の台詞を編もうとしたその瞬間、シャルフは「分かった」と一言そう言って、道を譲った。


「その代わり、俺もついて行く」

「え、いいんですか?」


 危ないんじゃないか、という意味を込めて言うと伝わったようで、シャルフは冷たい視線をこちらに寄越した。


「お前はフラン・シュラを消せるんだろう?」

「それを詐欺師と一蹴したのはそちらでは……」


 頬をかいてそう返し、怪訝な面持ちの夫婦に向き直る。


「じゃあ、行ってきます。ペルルもここで……」


 ペルルも待たせた方がいいと思ったのだが、彼女は青葉の隣に並び立つと、昨日と同じように手を握ってきた。それから、何か言ったかとでも言いたげにこちらを見上げてくる。


「……危ないかもしれないよ?」

「アオバよりペルルの方が、この洞窟には詳しいかもしれんぞ」


 小さくそう呟いたユラは、既に洞窟の入り口に向かっていた。ペルルもそれを追いかけようと、青葉の手をぐいぐいと引っ張る。それに従って、青葉が歩き始めると、シャルフも数歩離れてついて来た。

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