◇ 02

 昼食を宿の食堂で済ませ、ユラに案内されるがままたどり着いた建物の前で、青葉は「うーん」と小さくうなった。


 町の入り口から洞窟に向かう途中にあったそれは、酷く雑な造りで、なおかつ相当ガタがきている。薄い木で出来た壁は大きな穴が開いており、壁としての役割を放棄している。


 近くにある看板も雨風に曝され、書かれている文字も掠れてしまっている。


「これでよく、資料館だって分かりましたね……」

「かろうじて読めるのと、少しだけ中を覗かせてもらった」


 不法侵入だと言いたいところだが、これだけ大きな穴が開いていては中に入らずとも屋内の様子は分かってしまうだろう。


「自分で本が開けたらよかったんだが。悪いな」

「いえ。あ、そうだ」


 ふと、耳飾りに触れる。


「あの能力を使えば、言葉の翻訳の付与とか、できるんじゃないでしょうか。国際会議とかであるじゃないですか、そういうの」

「自動翻訳の事か?」

「それです。いつまでもユラさんに頼むのも悪いと思って」

「なら、貴方の言葉も翻訳しないと、会話できないんじゃない?」

「あ、そっか」


 自分だけ分かっても意味がないのか。じゃあどうしようか、と悩んで、ふとユラの言動を思い出す。彼女はこの世界の言葉も、青葉がいた世界の言葉も、他のどこかの言葉も話せていた。確か、言語の経路を合わせているとかなんとか……。


(ラジオの周波を合わせるような感じかな……?)


 その想像が合っているのかどうか分からないが、耳飾りに触れながら念じてみる。この世界の周波に合うように、空想のつまみをゆっくりと合わせる。胸の辺りが淡く光り、それが収まってから恐る恐るユラに話しかけてみる。


「ど、どうでしょう? 変わりました?」

「××」

「え?」


 ユラが「ちょっと待て」と言いたげに手の平をこちらに見せた。昨日、洞窟でも見た動作だ。


「うん。ちゃんと話せている」

「本当ですか! よかった」

「文字はどうだ?」

「えっと……」


 掠れた看板を見る。不可解な記号だということしか分からない。


「文字はダメですね……こっちは地道に覚えます」

「では、書物の方は私に任せて」


 ちらりとペルルを見る。彼女にも翻訳を付けた方がいいかと思ったが、一から物事を覚えている節があるので、変に翻訳したりする必要はないだろう。多分。


「じゃあ、行きましょうか」


 薄い木の扉を叩く。扉としては頼りない音が鳴り、奥からバタバタと足音が響いた。


「はい。今日は休みで……」


 扉を開けながら顔を出したのは、昨日青葉を教会まで連れて行き、フラン・シュラの討伐を依頼してきた青年、カインだった。言葉の途中で彼も青葉に気づき、「あっ」と驚いた表情になる。


「御使い様!?」

「そ、それやめて……?」

「え、あれ、どうしてここに!」


 慌ててカインは猫背気味だった背筋を伸ばし、寝ぐせが付いた頭をがしがしとかいた。慌てた様子で扉を大きく開け、「どうぞ、どうぞ!」と入るよう促されたので、「おじゃましまーす……」と控えめな声量と共に、ペルルの手を引きながら室内へと踏み込む。


「あの、ええと、すみません、水ぐらいしか出せないんだけど……」

「気にしないで。資料館って書いてあったから、見に来ただけなんだ」

「あ、なるほど。本ならこっち……あれ? すげえ話せるようになってる?」


 そういえば昨日までは片言だったんだよな、と思い返し、曖昧に笑って誤魔化した。しかしそれがよくなかったのか、カインは「御使い様ともなると、言葉もすぐ獲得できるんすね」と思わぬ方向に飛躍してしまった。


「い、いや、そういうわけじゃなくて……あと、御使い様じゃなくて、アオバって呼んでほしいな。カインが思っているような人じゃなくて、普通の人間だから」

「御使い様がそう言うなら!」


 昨日の内に自動翻訳を思いついておけば、誤解されることもなかった気がする。もう少し考える癖をつけておこうと心に決めた。


 家に入るとすぐに本棚が見えた。展示するように、いくつかの本が閉じた状態で台の上に置かれている。室内から見ても、建物の状態は非常に悪く、あまり書物を保管するのに適しているようには見えず、文字が必要ない生活をしていれば書物の扱いも雑なのだろうか、という感想を抱く。


「もしかして今日って休館日とかだった?」


 ユラが指し示した本を手に取り、開きながらカインに話しかける。扉を開けた時、休みだと言っていた気がしたので、無理をさせたのではないかと思ったのだ。


「ああ、こっちじゃなくて、墓守の方。こっちは町の人が勝手に見て回るから、特に休みとかは無いんだ」

「そっか。墓守もしてるの?」

「ああ。奥に細い道があるの、見える?」


 時々ページを捲りながら、カインが指した窓から奥を見る。長年に渡って人が通ったような道が見える。


「あそこから、教会の墓地までぐるっと周れるんだ。うちは昔から墓守やってたからさ」

「近道なんだ」

「いや、回り道」


 すぐにカインから訂正された。


「死体触った状態で、町を通ると精霊たちが怒るから。墓地の途中に洗い場があるんだ。だからこう、町を避けて通るような通路を昔作ったんだって」

「へぇ……」


 昨日カインが教会のフラン・シュラを退治してほしがっていたのは、仕事場に直結しているから、というのもあったのだろう。すぐ近くに物を溶かすフラン・シュラの巣窟がある職場など、いつ襲われるか気が気じゃなかったはずだ。


(それにしても、精霊が怒るってなんだろ……?)


 共存しているということは、実在しているのだろうが、いまいちピンとこない。


「アオバ、次はこれを頼む」


 ユラに声をかけられ、我に返る。今は青葉個人の疑問はどうでもいい。またも指し示された別の本を取り、同じようにページを捲る。横からペルルが覗き込むのを見て、カインは微笑ましそうに目を細めた。


「その子は? 御使……えと、アオバの妹?」

「えーと……まあ、近いような感じ。なんていうか、ちょっと記憶喪失中というか……」

「大変すね……」

「カインは、家族とかどうして、」


 しみじみ言うカインに尋ねようとして、奥からカタン、と音がしたので、ついそちらを見た。建てつけの悪そうな扉が開き、ほっそりとした女の子が壁を支えに立っていた。肌は青白いを通り越して土気色になっており、今にも倒れそうなほど細い手足はほとんど骨と皮しかない。大きすぎてぶかぶかのシャツから覗く胸元は、骨が浮かび上がっている。


 少女は何か言おうと乾いた唇を開き、すぐにせき込んでうずくまってしまった。


「わ、大丈夫!?」

「だ、大丈夫!」


 駆け寄ろうとした青葉を、カインが制した。それから慌てて少女を抱きかかえると、奥の部屋へと連れて行く。しばらくしてカインが部屋から顔を覗かせる。


「ごめん、本は好きに読んでていいから」


 それだけ言って、カインは再び引っ込んだ。薄い壁越しに聞こえる声は、カインのものしか聞こえない。


「なんで起きてきたんだよ、じっとしてないと治んないぞ。……うん……それは、ごめんな。兄ちゃんが悪かった。分かったから寝てろってば」


 ページを捲る手が止まり、視線は奥の部屋へと続く半開きの扉の方に向かってしまう。影が落ちて様子が分からない部屋で会話する二人を思い描き、大丈夫だろうかと心配する。


「アオバ」


 ユラに声をかけられて、慌てて向き直る。


「な、なんでしょう?」

「手が止まっている」

「……すみません」


 注意されて反省し、ページを捲る動きを再開する。一冊読み終えると、ユラは「なるほど」と頷いた。


「この辺りはオーディール信仰があったらしい。洞窟に広い空間があっただろう? ちょうど私と出会った辺り。あの辺りが信仰の場だったのかもしれんな。ここに書いてあるんだが」


 ユラが一文を指さす。


「”貪り喰らう怪物“と恐れられる対象であり、”大地を司る精霊“としても祀られている、とある。豊作祈願のために信仰していたんだろう。”黒い霧“を晴らし、平穏をもたらす精霊、とも書いて……この黒い霧ってなんだ……?」


 言いながら気づいたのか、ユラが首をかしげる。その後も何か一人でぶつぶつ呟いていたが、先ほどの二人が気になって、青葉の耳にはほとんど入ってこなかった。そうこうしている内に、カインが戻ってきた。少し顔色が悪い。


「カイン、大丈夫?」

「ああ、大丈夫」

「その……さっきの、妹さん?」


 迷ったものの、おずおずと聞く。少しだけ押し黙ったカインは、小さく頷いた。


「うん。昔から、体弱くて。今に始まったことじゃないんだけどさ、薬が手放せなくて……両親も外で稼ぎに出てるんだけど、ほとんどその薬代で消えちゃってさー……」


 力なく笑って、カインは後頭部をかいた。壊れかけの棚にもたれ、うつむきがちに言う。


「だから……ってわけでもないんだけど……ずっと神様にお祈りしてて。昔は教会まで行ってたんだけど、もう立つのもやっとで……」


 ぽつぽつと語り、カインは視線だけを持ち上げて青葉を見た。縋るような目は、青葉と変わらない歳の青年にしてはやつれている。


「アオバは……」


 何か言おうとして口を開き、不安そうな青葉を見つめて思いとどまったのか、カインは一度口をつぐんだ。


「いや、ごめん。なんでもない。……いつか良くなったら、また教会に行けるようにフラン・シュラをどうにかしたかったんだ。アオバが来てくれて、良かった」


 空元気に、彼は笑った。


 本当は、病気を治せるかどうか、聞きたかったのかもしれない。妹は本当に良くなるのか、それとももう余命が決まっているのか。だが、青葉が何も言わない事で、察したのだろう。


 青葉に病気は治せない。


「……良くなるといいね」


 何も言えないのも辛くて、言葉を選ぶ。


「妹さん、名前なんて言うの?」

「フロワ」

「なら、フロワが良くなるように、僕もお祈りするよ」


 間違っていないだろうか。この言葉はカインを傷つけていないだろうか。心配しながらカインを見やれば、彼は何とも言えない表情でほほ笑んだ。

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