1.勘違いにご注意を!前編

 1


 ――港町ノーズアンミーヤ。


 ノーズアンミーヤは南側が海に接した港町であり、貿易の盛んな町でもある。

 港地区では数多の商船が港へと停泊しており、船乗り達は夕陽を背に、慌ただしく船から港へと荷物を運び出している。


 もうすぐ日が落ちるということもあり、町には多くの人々が行き交っていた。


 大通りには客達の楽しげな声で賑わう酒場ベアハウスがあり、日暮れ前だというのに四人の給仕達は右へ左へと動き回っている。


 奥にある大きなカウンターの中には、筋肉の鎧を着込んだ様な大男。

 店主であるこの大男が一人で調理をしていた。


 白いシャツにエプロン、短い髪に無精髭。

 一見すると怖そうに見えるが、町の皆から愛される心優しい男である。

 そんなマスターの元に集まる客達は、冒険者や商人、船乗りに役人と職も年齢層もバラバラではあるが、皆マスターの人柄と料理に惹かれてこの店に訪れていた。


 店内が賑わう中、入口の扉がゆっくりと開かれ一人の少女が入って来た。

 黒を基調としたドレスを纏い、衣服のいたるところに可愛らしいフリルで飾り、リース、リボンといった華やかな装飾で着飾っている。


 その少女の名はリリィ。

 ドレスとは対照的な透き通るような白い肌、細く長い手脚、赤茶色の胸元まで伸ばした艶やかな髪。

 そして何よりも美しく整った顔立ちに、大きく吸い込まれそうな魅力的な赤い瞳。


 リリィが店に入るだけで、賑わっていた店内は静まり、店にいる者達は目を奪われてしまった。

 皆一人の少女に見惚れ、魅了されていたのである。そこには男も女も、年齢も関係なく皆一様に目を奪われていた。


 日常における非日常。

 まさに此処にいる誰もが、体験した事がない感覚に襲われていた。

 カツリ、カツリとリリィがゆっくりと歩くだけで自然と目で追ってしまう。

 そして感情が昂ぶる。

 リリィの美貌に興奮した冒険者達はそれぞれ目を合わせ、頷きあった。

 冒険者達が声を掛けようと立ち上がろうとした瞬間、再び入口の扉が開かれ一人の男が入って来た。


 その男の容姿は一言でいうならば異様。

 店内の空気が変わる。

 男は早足で前にいるリリィに追いつき、何かぶつぶつ言いながら彼女の後ろを歩く。


 男の来店によってリリィに魅せられていた者達は、直ぐに現実に引き戻された。

 そして客達は、リリィの連れである男の容姿を見て、皆一斉に視線を逸らす。

 声を掛けようとした冒険者達は、浮いた腰を静かに椅子に戻した。


 その男は全身黒尽くめの衣服に、服の上からでも分かる程鍛えられた筋肉、長い金髪を無造作に後ろでまとめている。

 そしてリリィと同じく、紅い瞳に端正な顔立ちをしているが、何人か殺してるんじゃないの?と思うほどの鋭い眼つき。

 その姿に魔王を重ねる者もいた。

 その男の名はレイ、強面ではあるがリリィの優しい兄である。


 リリィは客達の視線など気にすることもなく、スカートを摘み、軽くスキップをしながら真っ直ぐにカウンターに足を運んでいく。


 カウンターに手を掛け、優雅に椅子に座り、マスターへと身体をむける。

 それからパチリと指を鳴らし、マスターを指差し「マスター、いつもの」と声を掛けた。

 そんな少女にマスターは少し呆れながらも笑顔を作り「お嬢ちゃん、ここに来るの初めてだろ?」と冷静に応えた。


「うふふ、そうなんです。バレちゃいましたね。

 一度言ってみたかったんです。でもおかげ様で夢が叶いました」

「あぁ、そうかい。そりゃ良かった、で何にする?」

「う〜ん、そうですねぇ。お肉とパンのセットと……あと甘い飲み物はありますか?」

「甘い飲み物か……だったらリムの実のジュースなんかどうだい?

 ここら辺じゃ『真紅の瞳』って言われてて、ちょっとした名物なんだ。甘酸っぱくて美味いぞ」

「名物?!まぁ素敵ですわ!では、そちらでお願いします!」


 興奮気味のリリィは目の前で手を合わせ、紅い瞳を輝かせ笑みを浮かべる。

 その姿にマスターの口角も自然と上がる。


「それと肉は今日、ボア肉がオススメだ。それにするかい?」

「はい、それでお願いします」

「あいよ、兄ちゃんのほうはどうする?」

「同じ物でいい、あっ、肉は大盛りで頼む」

「肉大盛りな、ちょっと待ってな」


 カウンターの正面は厨房となっている。

 マスターは厨房へ向かうと二人に背を向け、使い込まれた包丁を手に調理を始めた。


 カウンターでリリィは地面に届かない足をリズミカルにバタつかせ、頰杖をつき満面の笑みで鼻歌を歌い始める。

 その隣で腕を組み料理が出来上がるのをじっと待つ仏頂面のレイ。

 強面ではあるが、心なしか楽しそうにも見える。


 調理場ではマスターが忙しなく動き回りフライパンに火を掛けボア肉を乗せる。

 ジュッジュ〜と小気味良い音がカウンターに響き、料理を待つ二人から「おぉ」と声が漏れてきた。


 フライパンの火を調節し、準備していたリムの実を絞り機に入れ、グラスを二つ用意し調理台へと置く。

 そして壁に掛けてある調理器具の中からアイスピックを取り出すとカウンターから「えっ」という声が聞こえてきた。


 振り返ると何故か二人は顔を青くし、まるで世界が今日で終わるかの様な表情をしている。

 嬉々として鼻歌を歌っていたリリィの変貌。

 マスターは眉を八の字にし困り顔で「どうした?お嬢ちゃん」と尋ねると、リリィは素早く両手で目を隠し、震えた声で「め、目ん玉をくり抜くのは、か、勘弁してください」と返してきた。

 マスターがその言葉を飲み込むには少々時間がかかった。


 マスターは少女の突然の行動に理解に苦しんだが、一先ずはこの状況を整理してみる事にした。

 え〜と、たしか……

 俺がアイスピックを持った時に、あの子の驚いた声が聞こえてきたんだよな?

 それで何故か分からんが、俺に目ん玉をくり抜かれると思っているみたいだ……

 ん〜、どういうことだ?

 だけど震えてる様子からすると、どうやら本気でそう思っているみたいなんだよな。

 そんであの子が頼んだのがラムの実のジュース、ついでに『真紅の瞳』の説明もしたな。

 ん?……待てよ?

『真紅の瞳』とあの子の『紅い瞳』

 それって、まさか……

 あの子が必死に目を隠しているのって……

 それにこのアイスピック……

 いやいやいや、無い無い!

 まさかそんな勘違い…………

 いや、あり得るのか?

 だけどあの子がそう勘違いしていると、これまでの行動は腑に落ちるな……

 いやぁ、本気かよ?

 しかし参ったなぁ……


 マスターは小さく溜息をつき、リリィに歩み寄り「お嬢ちゃん、勘違いしているようだけど、これはーー」とマスターが言いきる前にレイが身を乗り出し慌てて声をかぶせる。

「ま、待ってくれマスター!」とレイは言うと懐から紙の束を取り出し、マスターの目の前に置き、深々と頭を下げる。


「知らずに頼んだとはいえ、こちらが不勉強だった。

 今回はこれで勘弁して貰えないだろうか?」

「え、え〜と兄ちゃん、そいつは何だ?」

「これはそこらの魔石や宝石なんかより、ずっと価値のある物だ。

 これを売れば金貨百枚以上にはなるだろう。

 何せハル兄の『肩たたき券』だからな!」


 ドヤ顔で自信満々に話すレイの隣で、リリィは小さな指の隙間から紅い瞳を覗かせコクコクと頷いている。

 その様子を見てマスターは更に皺を深くする。

 八の字に変形した眉は、今にも繋がりそうな勢いだ。


「あー、そのー、なんだ。

 お嬢ちゃん達、勘違いしているみたいだけど、このアイスピックは氷を砕く時に使う調理道具だぞ。

 目ん玉くり抜いたりなんかしねえよ!

 それにもう一つ言っておくと『真紅の瞳』って言うのはラムの実の事で、お嬢ちゃんの瞳の事じゃねえからな!」

「本当です?」

「あぁ、本当だとも。嘘なんか言わねぇよ!

 全部お嬢ちゃんの勘違いだよ。

 そもそもお客さんの目ん玉くり抜いて料理する店なんか、この国には無いから安心しな」

「はぁ〜、良かった。ハル兄様から他の街のこと、もっとよく聞いておけばよかったです!」

「あぁ、同感だな」

「へぇ、さっきも言ってたけど、そのハル兄さんって人はよっぽどすごい人なんだな」

「「ハル兄(様)はすごい人だ(です)」」


 それからマスターは調理が終わるまでの間、二人からハル兄の自慢話を延々聞かされるハメになり、調理が終わる頃には八の字に変形した眉はピクピクと痙攣をしていた。


 しかし料理が出されると二人はピタリと話を止め、初めての酒場料理に舌鼓をうち、あっと言う間にボア肉を平らげてしまう。

 だがリリィの皿にはピーマンが、レイの皿にはニンジンがそれぞれ残っていた。


 レイはリリィの残しているピーマンを横目に「ほら、食べないと大きくならないぞ!(胸が)」と雑に言い放ち、チラリとリリィの胸を見る。

 その言葉にリリィは唇を噛み「うぅ〜お兄様こそ食べないと良くなりませんよ!(頭が)」とトントンと自分の頭を差しながら応じる。


「そういえば、ハル兄様がいっておりました。おもてなしの心が大切だと。

 兄想いのやさしい妹は、兄の為にこちらをお兄様に差し上げます。存分にご賞味ください!」


 そう言いながらレイの皿へとピーマンを移すとレイは顔を僅かに歪める。

 ピーマンは食べれない事は無いがレイの嫌いな野菜の一つでもあるのだ。

 何がおもてなしだよ!とでも言いたげなレイの顔。

 豊麗線が深く刻み込まれ、人様の前ではあまり見せてはいけない様な表情になっている。


「ほぉ、では心優しい兄である俺からは、リリィにこれをあげよう!」


 と、お返しとばかりにレイの皿からニンジンをリリィの皿へと移す。

 リリィもまた食べれない事は無いが嫌いであり、レイ同様顔を歪め、鼻に皺を寄せ綺麗な顔が台無しであった。


 初めは穏やかに『おもてなし』をしていた二人だが徐々にエスカレートしていき、レイがピーマンをフォークで差しリリィの皿へ移そうと手を伸ばせば、リリィは右手のナイフで牽制。

 リリィは手に持つナイフでピーマンを器用に外し、ピーマンがフォークから抜けた瞬間にぺちりとナイフでピーマンを叩きレイの皿へと叩き戻す。


 リリィはおまけにどうぞ、とばかりに左手に持つフォークにニンジンを乗せ、クイッと手首を返しレイの皿へと投げつける。

 ニンジンはまるで元からレイの皿へ居たかの様に、ストンと皿へ収まり腰をおとす。


 レイは眉間に皺を寄せ「くっ、忌々しい橙色の悪魔め!」とニンジンを睨む。

 呪詛の様に吐き捨てられた言葉と同時にふわりと風が舞い上がる。


 リリィの長く艶やかな髪が後ろへなびき、レイの綺麗な金髪はバタバタと左右に揺れる。


 二人の手元では高速で『おもてなし』が繰り広げられ、ヴォォという風の音と共にカウンターから風が舞い上がる。

 風の発生源だ。

『おもてなし』は肉眼で視認でき無いほど速く、幾重にも手の残像が残っていた。

 時折聴こえる「キィン」というナイフとフォークが奏でる剣戟ならぬナイフ戟、フォーク戟の音がその激しさを物語る。


 その音に何事かとガヤガヤと客達が集まりだし、二人の異常な『おもてなし』に見入ってしまう。

 そして客達からは時折「おぉ」という感嘆の声が上がりだす。


 二人の皿の上ではニンジンとピーマンがまるで瞬間移動でもしているかの様に見えた。

 ニンジンが皿の上から消えれば、突然ピーマンが現れ、そのピーマンもすぐ様消えていく……


 カウンターでそんな攻防が繰り広げられているとは思いもしないマスターは、額に汗をにじませ調理をしていた。

 だがナイフ戟、フォーク戟の音に客達の拍手もあればさすがにマスターも気づき、二人の元に足を進め『おもてなし』を目にする。

 なんでこんな事になっているんだ?とでも言いたげな顔は、次第に安定の困り顔に変化していく。


 マスターは二人の言い争いに耳を傾けた。


「ロイおじさまがニンジンを食べないと髪に良くないと言っておりました!

 きっとお兄様も近いうちに、ロイおじさまみたいになってしまいます!」

「ふんっ、そんな話聞いた事無いぞリリィ!」

「いえお兄様、これは真実なのです。

 実はロイおじさまは大のニンジン嫌い。

 そして若くして『髪』に見放された男、あのアルブド様も実は大のニンジン嫌いだったのです」

「なん、だと……あの『髪』に……見放された男も、だと……」


 レイは手を止め、がくりとこうべを垂れる。


 レイは唇はプルプルと揺らし、顔を蒼白に染めていった。

 その悲痛に苦しむ表情は見るに耐えなかった。

 レイは同情という形で、周囲に集まる人達を取り込んでいく。

 それは不思議と何故か皆、髪が薄い男達だった。


 そして……

 レイが項垂れているその隙に、リリィは大嫌いなピーマンをしれっとレイの皿に飛ばしていた。


 レイの目に生気のないことを見たリリィ。


 ここが勝機とばかりにキラリと紅い瞳を光らせ「それに……ハル兄様が言っておりました」と言うとーー胸に手を当て、ほんの少し恥ずかしそうにーー続けて「ハル兄様は『ミルクを飲んでしっかりと睡眠をとれば胸は大きくなる!リリィの胸は希望の塊なんだよ』と言ってくれたのです」と希望に満ちた表情でレイに話すと「そうか……ハル兄が言うなら……そうなんだろうな」と遠くを見つめながらレイは力無く応えた。


 二人の争いがどうにか収まりそうだったので、マスターの八の字に変形した眉も定位置に戻った。

 だが、あまりに落ち込んだレイの姿に、マスターは居た堪れない気持ちで満たされていた。


「まぁ、その、なんだ、兄ちゃん。

『神』はニンジンが嫌いな位じゃ見捨てたりなんかしねぇと思うぞ?」

「何?本当か?マスター!『髪』はニンジンが嫌いでも見捨てたりはしないんだな?」


 レイが目を見開き、身を乗り出しながらマスターに言い寄る。

 その表情は一変し、まるで希望の光でも見ているかのように目を輝かせ、殺し屋の様な強面は、期待あふれる少年の様な顔付きに変わっていた。

 そのあまりの迫力に圧されたマスターは小さく「あぁ」としか言えなかった。


 此処にいる客達の誰もが思った。

「その『神』じゃねえよマスター!」と……

 いつもなら訂正していただろう。

 だが皆一様にレイの落ち込む姿を目にし、同情してしまったのだ。

 言えるはずがない。

 少なからずマスターの勘違いが、レイに立ち直るキッカケを作った。

 それに此処にいる大人達は皆知っている。

 言わないことも優しさの一つであるということを。

 客達は優しい眼差しで、素直に喜ぶレイの姿を見つめていた。

 ほんの一瞬。

 ほんの一瞬ではあるが、その場に優しさ溢れる温かな空気に包まれていた。

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