第七話

 セントラルは相変わらず賑やかで、どこか落ち着かない街だった。

 石畳の大通りには大小様々な大きさの馬車が往き交い、その間を縫うようにして小さな蒸気自動車スチーマーが駆け抜けて行く。街行く人々は足早で、中には走っている人すらいた。街に溢れた多くの人は明るい表情だったが、中には苛立たしげにしている人もいる。

(たまに遊びに来るにはいい街だが、やはり住む場所ではないな)

 馬車のキャビンの窓から外の様子を眺めながらダベンポートは思う。

 上流階級の連中は何を好き好んでこんな騒がしい場所で社交に勤しんでいるんだか。


 ダベンポートは前の小窓から御者に指示して馬車を駅前広場の王立芸術劇場の前に停めさせると、先に馬車から降りてアンジェラ女史が下車するのを手伝った。

 恭しく片手を添え、丁寧にエスコートする。

「よっこらせっと」

 アンジェラ女史は馬車の横に降り立つと、「んっ」と声を漏らしながら一回背中を大きく伸ばした。

「久しぶりに来たけど相変わらず騒がしい街だねえ、セントラルは」

「そうですね」

 ダベンポートが頷く。

「なぜ、このような場所で社交が行われるのか理解に苦しみますな」

「まあ、貴族連中はデカいタウンハウスを構えているからね」

 アンジェラ女史は言った。

「きっと、屋敷の中に居れば街の喧騒も気にならないんだろうさ」

 ダベンポートは馬車の扉を叩いて御者を王立芸術劇場の駐車場に向かわせると、アンジェラ女史に肘を差し出した。

「大丈夫ですか先生? 歩けますか? 少し休みますか?」

 少し腰が痛そうにしているアンジェラ女史を気遣って訊ねる。

「バカにするでないよ、ダベンポート」

 アンジェラ女史は目を怒らせた。

 だが、それでも嬉しそうにダベンポートの肘を掴む。

「早くエリーゼ・レシュリスカヤに話してやろうじゃないか。きっと驚くよ」

「では……」

 ダベンポートはアンジェラ女史が転ばないように細心の注意を払いつつ、ゆっくりと王立芸術劇場の大きな石造りの階段を登っていった。

…………


 事前にエリーゼが話を通してくれたらしく、ダベンポート達はすんなりとリハーサル中の舞台に行くことが出来た。

 瓦斯ガス灯が明るく照らす舞台の上では今も数人の若いバレリーナ達が練習用のレオタードを来てリハーサルに励んでいる。

 ダベンポートとアンジェラ女史はその場に佇むと、しばらく若いバレリーナ達が踊っている姿を暗い観客席から見つめた。

「それにしても先生」

 軽快な音を立てて舞台を跳ぶバレリーナの姿に目を細めているアンジェラ女史にダベンポートは訊ねた。

「確かに、馬車の中でエリーゼに関する先生の仮説を聞いて納得はしました。しかし、本当にそんなことがあり得るんでしょうか?」

「ん? 『跳び過ぎ』の事かい?」

 アンジェラ女史はダベンポートの方を振り向いた。

「はい」

「おそらくね」

 アンジェラ女史は頷いた。

「あんたの測定じゃあ、エリーゼは毎回数パーセントの誤差もなく跳んでいるんだろう? そんなのもはや人間の所業じゃないよ。エリーゼはバレエの神に愛された化け物なんだ」

「化け物……」

 なんかひどい言われようだ。

「恐らく、エリーゼは踏み切った飛距離を変えられるんだ。それであの身体能力だ。自分が思ったよりも跳んでいると判ったら、きっと彼女は無意識のうちに早めに着地してしまうんだよ。ただ、例のトウシューズを履いていると今度は着地の方も感覚が狂うんだろうねえ。私の仮説は多分、正しいよ」


 どうやら舞台に今いるのは若手のバレリーナだけのようだった。エリーゼの姿は舞台に見えない。

「……エリーゼはいないようですね。控え室に行きましょう」

 二人は再び舞台へとくだる緩やかな階段を降り始めた。

 エリーゼの控え室の場所はもう判っている。暗がりでアンジェラ女史がつまづかないように気をつけながら、ダベンポートはアンジェラ女史を舞台裏の楽屋に案内した。

 華やかな舞台とは打って変わった雑然とした舞台裏。

「まあ! ダベンポート様!」

 エリーゼの控え室をノックすると、すぐに中からエリーゼが現れた。

「ご連絡を頂いてお待ちしておりました」

 部屋から優雅に歩み出たエリーゼも練習用の黒いレオタード姿だ。バレエでは足首が見えたらはしたないなどとは言っていられないのだろう。

「それであの、ダベンポート様、そちらの方は?」

 アンジェラ女史を見てエリーゼが少し不思議そうにする。

「ああ、エリーゼさん、こちらの方は魔法院の北の皇国関係の専門家ですよ」

 とダベンポートは説明した。

「これ! ダベンポート!」

 正式な手続きを踏まないダベンポートの紹介にアンジェラ女史が怒りの声を上げる。

 しまった。ついに来た。

 思わず首を竦める。

「ミストレス・エリーゼ・レシュリスカヤ、こちらは王立魔法院の北部文化研究主任教授のマリア・アンジェラ先生です。アンジェラ先生、こちらがミストレス・エリーゼ・レシュリスカヤ、王立芸術劇場のエトワールです」

 慌ててダベンポートは正式な紹介を繰り返した。

 そんなダベンポートとアンジェラ女史の様子にエリーゼがクスッと笑う。エリーゼは音もなく一歩前に歩み出ると、

「アンジェラ先生。お目にかかれて光栄です。エリーゼ・レシュリスカヤです」

 と上品に右手を差し出した。

「ミストレス・レシュリスカヤ、私こそお会いできて光栄ですよ。さすがは王立芸術劇場のエトワール、噂通りの美貌とすごいオーラだ」

 とアンジェラ女史がその手を握りながら笑顔を見せる。

「アンジェラ先生、こちらにどうぞ。座り心地の良い椅子もありますから」

 エリーゼは笑顔でアンジェラ女史を控え室の中に招き入れた。

…………


 エリーゼに案内されて控え室の椅子に落ち着くと、アンジェラ女史は

「ほれダベンポート、早くお渡しして?」

 と早速ダベンポートを促した。

「はい」

 ダベンポートが頷く。

「エリーゼさん、調べは終わりました。このトウシューズはお返しします」

 そう言いながらトウシューズの入ったピンク色の袋をエリーゼに手渡す。

「わざわざありがとうございます」

 エリーゼは長い指の両手でトウシューズを受け取った。

「でも、お返し頂くためだけにご足労頂かなくてもよかったのですよ? 舞台が終わったらこちらから伺うつもりでした」

 袋から出したトウシューズを大切そうに傍らに仕舞いながら、少し戸惑ったようにエリーゼが言う。それに、なぜアンジェラ女史がいるのかと訝しんでもいる様子だ。

「いえ、そうではないのです」

 ダベンポートは首を横に振った。

「あなたの不調の原因、今日はそれのご説明に参りました」

「え?」

 エリーゼが目を丸くする。

「もう、判ったのですか? 今までどのお医者様にも判らなかったのに?」

「はい、判りました」

 ダベンポートは頷いた。

「そのトウシューズ、より正確にはそのトウシューズの意匠がエリーゼさんの不調の原因です。それをこれからご説明差し上げます」

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