第四話

 ダベンポートがエリーゼのトウシューズの意匠に妙に拘るのには理由があった。

 ダベンポートは魔法院の双眼鏡でエリーゼのトウシューズを見たときに一目でその意匠が魔法陣である事を見抜いていた。魔法陣ならダベンポートの領域だ。それも謎は難しい方が解き甲斐がある。

 魔法の靴か。面白いじゃないか。

 馬車が魔法院の門をくぐった時、時計の針はすでに十二時近くになっていた。

 今日の夜のお茶は諦めよう。それよりはリリィを寝かさないと。

「リリィ、今日の夜のお茶はお休みにしよう。リリィはもう休みなさい」

 玄関口でコートを脱ぎながらダベンポートはリリィに言った。

「でも、よろしいのですか? お茶ならすぐに淹れられます」

 ダベンポートのコートにブラシをかけながらリリィが小首を傾げる。

「ああ。リリィはそれよりもその写真の飾り場所を探しておいで。今度額縁を買ってきてあげよう」

「ありがとうございます、旦那様」

 リリィは胸にエリーゼのブロマイドを抱くと自分の寝室へと上がっていった。

「さて、靴だ靴」

 ダベンポートは景気良く両手を擦り合わせると、深夜にも関わらず意気揚々と書斎へと向かった。


 エリーゼのトウシューズは小さかった。元々トウシューズは小さいものだが、それにしても足が小さい。これでよく立てるものだと感心しながら、トウシューズを目の前に置く。

 見た感じ、北の皇国の魔法陣だ。魔法陣がひし形なところがあの国の魔法陣の特徴だ。

 だが、全く読めない。

「これは、数字の3、かな? なんで✳︎アスタリスクが入っているんだろう?」

 ダメだ。これの解読は明日誰かに魔法院でお願いしよう。

 ダベンポートは早々に解読を諦めるとトウシューズを横に退けた。代わりに本棚から分厚いノートを取り出す。

 読めなくなる前に紙片に殴り書きしてきたステージのマークの位置やエリーゼの跳躍距離をノートに清書しないといけない。

「ふーん、正確なものだなあ」

 ダベンポートは感心して数字の羅列を眺めた。

 エリーゼは毎回、同じ距離を正確に跳躍出来るようだった。ジャンプの種類によって距離は違ったが、同じ種類のジャンプの跳躍距離は常に全く同一だ。

「……だとすると」

 ダベンポートは簡単な三角測量の要領でステージのマークの距離を測ってみた。

 エリーゼはマークとマークの間をどうやら正確に九十五パーセントの距離で跳んでいるようだ。

「……つまり、エリーゼはリハーサルのと比較して精密に九十五パーセントの距離を本番では跳んでいるわけだ」

 人間技ではないな、とダベンポートは感心するよりも少し呆れた。

 これだけの精度、機械でも出せるかどうか……

 だが、これはダベンポートにとっては問題だった。

 ダベンポートはエリーゼのジャンプの精度が何らかの理由で狂っていると仮定していた。だが、この仮定は捨てざるを得ない。

「うーん……」

 ふと、ダベンポートはエリーゼのトウシューズの意匠が気になってトウシューズを掴み上げた。魔法陣ならばどこかにエレメントがあるはず……

「……あった、これか」

 それは小さな光る宝石だった。魔法陣の頂点に埋め込まれている。

「ダイヤ、か?」

 ダイヤ? ますます訳が判らない。

 石炭やダイヤなどの炭素系の鉱物は一般的にはエネルギー解放のために使われる。ならばこの魔法陣が起動したらエネルギーは放出されるはずで、距離感が狂う理由が判らない。

「リハーサルで魔法陣を使って、本番では使わないのか?」

 そんな訳があるか。大切な本番だ。そもそも誰が起動しているんだ?

「うーん、判らん」

 ダベンポートは難しい顔をして、だがとても楽しそうにまた何事かをノートに書きつけ始めた。

…………


(結局のところ、旦那様は謎解きがお好き、それも大好きなんだわ)

 今日はなんとなく少し旦那様の事を理解できた気がする。少しドキドキして、リリィは布団の中で手を胸の上に乗せた。

 隣ではキキが丸くなって眠っている。キキは寝入る時はいつも隣にいるが、どうしてだか朝になると足元の布団の上に移動していた。お布団の中だと暑くなってしまうのかも知れない。

 トウシューズを受け取った時のダベンポートの表情は本当に嬉しそうだった。まるで子供がおもちゃをもらったみたい。

 下の書斎から時折小さな物音がする。椅子が動く音、重い本をデスクの上に乗せる音。どうやらまだダベンポートは書斎で何事か研究に熱中しているらしい。

 使用済みのトウシューズを貸してくれなんて言われたら、普通は誰でもとても嫌がるだろう。だが、どうやらダベンポートはそういう事には気が回らないようだ。

(優しい方だからエリーゼさんを助けようとしているのかと思っていたけど、違うのかも)

 ダベンポートは世間では『人の心の持ち合わせが足りない魔法捜査官』などと陰口を叩かれているらしい。

 でもそれは違う、とリリィは思う。

(旦那様はきっと、目的のためには手段を選ばないんだわ。今はきっとエリーゼさんが跳べない原因を突き止める事に取り憑かれてる……)

 ダベンポートはリリィにはとても優しい。今日も暖かい帽子を頂いてしまった。エリーゼさんの帽子の色違い。だが、黒い帽子はリリィの蜂蜜色の髪の毛にとても良く似合った。

 帽子は今はエリーゼのサイン入りブロマイドと一緒に鏡の前に飾られている。

 今日はいい一日だった。

 バレエも観たし、旦那様と一緒に外で食事もできた。

「おやすみなさい、旦那様」

 なんとなく声に出して言うと、リリィは布団の中で目を瞑った。

…………


 翌朝、ダベンポートは寝坊した。

 結局空が白み始めるまで調べ物をしていたのだ。

「おはよう、リリィ。少し寝坊してしまった」

 室内履きをパタパタと鳴らしながらダベンポートが二階の寝室から降りてくる。

「おはようございます、旦那様。朝食の準備はもう整ってます」

「ああ、ありがとう。ところでリリィ」

 ダベンポートは手にしていたトウシューズをリリィに差し出した。

「このトウシューズが丁度入る袋か何かは持っていないかね?」

「少々お待ちください。探してきます」

 リリィは急いで自分の寝室に戻ると『何かのために』色々なものをしまっている箱からピンク色の小さな袋を取り出した。なぜこんな物を持っているのか今では忘れてしまったが、小さなトウシューズを入れるには丁度いいだろう。

「これでいかがでしょう?」

 リリィはダベンポートに袋に納めたトウシューズを差し出した。ちゃんと袋の口はリボンのように結ばれている。

「ああ、丁度いい。今日はアンジェラ女史に会うんでね。あの方は全てに於いてちゃんとしていないと怒る方だから。それよりもこのトウシューズは絶対に汚さないようにしないと。エリーゼにあとでサインを貰ってこのトウシューズもコレクションの一部にしてしまおう」

 ダベンポートはニンマリと笑うと、リリィにウインクをして見せた。

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