たったひとつの鈍いやり方 11



 レイエルが首を落としたその瞬間です。

 ハルトの内側に巣くっていた黒蛇がぞろぞろとあふれ出しました。

 切り離されたはずの首は、いまだに蛇で繋がっています。


 レイエル、

 いや、アイナ=レシュカの依り代である大賢者レイエルは、

 いまや絶大なる神性を有して立っていました。


 神を帯びた女が、蛇どもを斬り飛ばそうと振りかぶります。


 しかしその腕は半ばでぴたりと、止まりました。その剣を止めたのは、老女。怜悧が溢れて取りつく島もありませんが、レイエルはかすかに睨みました。その目にフェルマですら杖を震わせます。それでも泥の鎖は、女を自由にはしませんでした。


「邪魔をしないでいただきたいのだけどね」


 レイエルがぼそりと言うと、老女は頷きました。


「もちろんじゃ。竜を殺すお主を止める気はない。だが、腑に落ちないことがあるのじゃ。お前は、それだけの力を持っていながら、どうして使わなかったのだ?」

「使えなかっただけじゃないかな」


 女が冷たく吐き捨てます。

 それを、老女は確信めいた声で断じました。


「否。お主は最初から、竜となり果てた勇者を切り捨てるためにおったのじゃろ。いわば勇者の安全装置。スーリアのパーティにも、お前の仲間が、おったのか?」


 小さく舌打ちをして、レイエルは泥の鎖の一本を引きちぎりました。

 が、鎖は二本目、三本目と溢れだして、無数にも絡みついていきます。

 レイエルは、諦めたようにため息を吐きました。


「そこまで分かっているならば離して欲しいのだけどね」

「わしの娘の死の遠因がお主らにあるのなら、容赦はせんつもりじゃ」

 

 怒気がフェルマから溢れて、オーステンはようやく彼女の意思を知りました。フェルマ=アングラムがレイエルを止めたのは、ひとえにサリアのためなのです。青年と同じく、それに気づいたライドが進み出て、その槌を構え直します。いまや、老女は杖の先をまっすぐにレイエルに向けて、魔力をそこへと集めていました。


「勇者について隠していることを、すべて教えてもらうぞ」


 フェルマが啖呵を切ります。


 が、そのときです。

 彼女の眼球がぐるりとひっくり返りました。

 白目を剥いた老女は、そのまま雪のなかに膝をついていました。


 なにが、起きたのか。

 いや魔女を昏倒させられるものなど同格の魔女しかおりません。


「――『眠れ、フェルマ=アングラム』」


 現れたのはエラミスタでした。


「……ッ!」


 直後にライドが崩れ落ちます。


 彼女の一言で、誰もが眠りに落ちました。ふと気がつけば、サニャ=クルーエルも、その意識を失っていました。崩れ落ちたままでも、フェルマは辛うじて指を動かしますが、それ以上には何もできません。すぐにエラミスタが駆け寄りました。


「レイエル、これは何だ?」

「考えているとおりだよ。ハルトの理想化が解けてしまったんだ。それで私は規定どおりに彼の抹殺を試みたのだけど、それを妨害された。そんな状況だ。エラミスタ、これは世界の危機を進行させる危険な状態だよ。早急に君の呪唱を、頼みたいね」


 ですが、短髪のアールヴは首を横に振ります。


「お前の歌が通じなかったのだろう? ではもう完全にあの勇者は資格を失ったということだ。レイエル、これはお前の失敗だ。いよいよ、もう後はなくなったぞ」


 苦い顔をする彼女の顔は、よく見れば、今のレイエルと少し似ていました。

 いやレイエルではありません。エラミスタも『彼女』と似ていたのです。

 その、青年のまなざしに気付いたらしく、女は眉根を寄せました。


「――おやおや、オーステン=エリオット、お前には対人呪唱が効かないのか」


 不思議そうに彼女が言います。

 それに、どこか嬉しそうに答えたのはレイエルでした。


「彼はアイナ=レシュカの熱狂的なリスナーさ」

「なるほど、耐性がついているのだな」


 その名前が出たことに、もはや驚きはありません。

 オーステンはちゃんと感づいていたからです。

 眼前の女、レイエルの今の姿が、まさに歌姫の生き写しであるということに。


 もちろん細部は違いました。

 ですが、それ以上に、まとう雰囲気が同じなのです。


「あなたが、歌姫アイナ=レシュカなんですか」

「ある意味ではそうなんだけど、正確には違う」


 レイエルは泥の鎖を弄りながら答えました。

 首を傾げる青年に、今度はエラミスタが答えます。 


「坊主よ。その女は、『神降ろし』なのだ。理想の勇者にして理想の対竜兵器、すなわち、『アイドル』であるところのアイナ=レシュカの地上顕現体。竜を倒すための依代。アールヴと勇者の血を引くという設定のハイアールヴの、その適格者」


 理解は追いつきません。

 ですがそれでも、重要な事実だけは分かりました。

 彼女が、彼女こそが、恋い焦がれた女性なのです。


 剣が振るわれて、女を縛る泥が破砕されます。

 そして、悲しげに彼女は笑います。


「歌はあんまり上手くないんだけどね」

「そんなわけ、ないでしょう、」

「声はともかく呪力はダメなのさ」

「故に、音外れによる呪力の不足は、我が補っている」

「そう。歌姫のささやかな秘密というものさ」


 そう言いながら、ついにレイエルは、黒蛇へと剣先を向けました。

 その蛇が斬られれば、あるいはハルトも――死ぬのかもしれません。

 青年は、それが愚かな行いだと知りながら、だけども。叫びました。


「待ってください!」

「待たない」


 女が即答します。


「本当に方法はないんですか」

「ない。あったとしても、やろうとは思わない」

「――なんでだよ」


 思わず、そんな言葉がこぼれていました。


 青年はレイエルが間違っているとは思っていません。

 竜を殺すことは、まさにハルト自身の使命だったからです。


 ですが、こうなることを分かっていればもっと出来ることは、あったはずなのです。ハルトだって竜にならずに、済んでいたかもしれないのです。そう思うと、彼女を責めずにはいられません。愚かしくも別のやり方を、願わずにはいられません。


「貴女が最初からその力を使っていれば、ハルトだって、もっと」

「たわけるな。あの少年とて、ここで黒蛇に呑まれなければ、勇者の資格を失わなければ、真の勇者となり得たのだ。己の責まで、他人に負わせるというのか?」


 エラミスタが不快そうに鼻を鳴らしました。


 それも正しいでしょう。ハルト自身に弱さがなかったとは言えません。

 しかし、記憶のない彼に、芯を持たない彼にどんな強さを求められましょうか。

 彼が真の勇者となるために必要なものは、最初から奪われていたです。


 それは誰に? この世界に来るときに、女神がそうしたのでしょうか?

 いや、そうではないとオーステンは勘付いていました。

 ハルトが錯乱しながらも叫んだ言葉には、その鍵が確かにありましたから。 


 もしも己が考えていることが正しいとすれば、それは心底から邪悪でした。

 そんなことは信じたくもありません。ありませんが、

 もしかすると、勇者ハルトの心を奪ったのは彼女らなのかもしれないのです。


 だからオーステンは言いました。

 ほんの一縷の望みをかけて願いました。

 レイエルに、アイナ=レシュカに願って、そして問いました。


「貴女には分かってたはずです。ハルトが壊れる可能性だって、きっと分かっていたんでしょう。それなら貴女には、ハルトを支えて、共に世界を救う可能性もあったはずなんです。――僕が知っている人なら、きっとそう言うだろうと、思います」


 レイエルは嗤いません。

 ただ、悲しそうに瞳を閉じました。

 

「私は言わない。君が知っているアイドルとしてのアイナは私じゃないからね。あれは学院が巧妙に演出を施した200%の偶像。だからこそ君は惹かれて、人々は熱狂するんだ。本当の私はそんなことは言わない。私は救うべき相手を間違えない」


 顔を伏せてレイエルはため息を吐きます。

 愚かしさを笑うのではなく、ただただ己を嘆くような息。

 いろいろなものを捨ててきた人間のその声で、彼女は呟いていました。


「私だってハルトの破滅など見たくはなかった。けれど、仕方ないじゃないか。そんな世界なんだよここは。竜によっていつか滅びるだろう世界なんだよ。そうならないために、できることをして何が悪い。誰かを犠牲にしてでも私は世界を、救うよ」


 それはよどみない言葉と、よどみない一撃でした。


 ズダン。

 振り落とされた剣が黒蛇を斬り、そしてハルトの首がついに転がります。

 どす黒い竜の血が溢れだし、凍り付くことなく流れていきます。

 おびただしく流れ出して、辺り一面を血に染めていきます。


 そうして死にました。

 少年も、死にました。

 竜となる前に処理されて、死んだのです。


「竜、だとしても、貴女は人を殺したんだ」

「オーステン。私の話を聞いてから判断してくれたまえよ」


 もはやレイエルに笑みはありません。彼女は氷のかたまりのうえにどかりと腰を下ろすと、眠りについている者の処理をエラミスタに頼んで、そしてオーステンを近くに呼びつけました。どういうわけか、彼女は青年に話をしたいようでした。


 他の誰でもない。

 オーステン=エリオット、彼自身と。


「まずはハルトについてだ。君はどこまで何を認識している?」


 女は、首を落とした遺体を指差してから会話を始めました。

 オーステンは己の推測をもはや隠せません。

 不信感を拭い去るどころか、現実のかたちとするために口を開きます。


「レイエルさん。ハルトから心を奪ったのは貴女たちなんじゃないですか?」

「大外れとは言わないよ」


 わずかに女の首が傾いて、肯定の意を示します。

 それはつまり、罪の告白。

 秘密を抱えていたことの自白でした。


「『理想化処理』と貴女は言った。それで、心を奪って、」

「そうだ。理想化処理。人間を理想的な状態に変えてしまうためのメソッドさ」

「それではまるで洗脳じゃないですか」


 レイエルはよくできましたとばかりに、両手をぱんぱんと叩きました。

 手指から、フェルマの泥がぱらぱらと乾いて落ちます。

 女は、特に嬉しくも悲しくもなさそうに、かたちのいい唇を開きました。 


「それじゃあ、君の考察を聞こうか」

「たとえば、こんな話はどうですか。ごくごく稀に、この世界にやってくる転生勇者という連中の話です。そいつらは特別な技能と能力で、世界を救ってしまう。だけれど……それで世界が救われたあとに、めんどくさい問題が起きてしまうとしたら。」


 なんだと思いますか、と問いかけます。

 

「――子ども、だね?」


 レイエルが答えました。

 オーステンがふぅ、と息を吐きます。


「そうです。異世界からやってきた転生勇者というのはその多くが男で、年齢は15~25歳くらいまでの範囲に収まると聞いたことがあります。こうなると当然、配偶者の問題が出てくるはず。強大な力を持つ勇者の子どもなんて、絶対に政争の道具になってしまうでしょう。それで200年前になにかが有ったんじゃないですか?」


 青年は、最初の勇者が来たのがそれくらいだと聞いたことがありました。

 おそらく、その代の勇者は世界を救い、そして混乱させたのでしょう。

 そして、その後の人々が二度と、勇者を自由にしない、と誓ったのでしょう。

 オーステンはそうに違いない、と思いました。


「だから貴方たち、中枢の魔法使いや君主たちは、勇者の理想化を試みたんです」


 理想。それはアイデアルな存在のこと。

 プラトニックなラブにもよく似た、穢れなき人間像。

 しかしながら、それは人工的で歪な、そういう造形でもあります。

 少なくとも、ハルトを見るかぎりにおいては。


 ええ、


 筋は通ります。

 通るような気が致します


 ですが、奇妙な違和感がありました。

 それを言葉にできないまま、オーステンは問いかけました。


「きっと貴方たちは、愛情を感じる機能を制限したんでしょう?」

「筋は通るね。おおむね君は正しい、のかもしれない」


 レイエルは考え込むような表情をしました。

 青年は否定も肯定も得られないことにいら立ちながら、更に問い詰めます。


「だからハルトが貴方たちに手を出さなかったのは、」

「確かに、手を出したいなんて思う欲を持っていないからだね」

「都合のわるいセリフを聞き逃すのも、」

「うん。いらない言葉にはロックがかかっているからだろうね」


 しらじらしく、レイエルはそう言います。


「……そうか、じゃあやっぱり、貴方達がハルトを苦しめて、利用した」


 義憤です。ゆえにオーステンは拳を握りしめます。

 殴りかかってレイエルに勝てるとは思えないが、邪悪は許せませんでした。

 青年は、アイナである彼女を、激しく睨みつけました。


 睨みつけて、そして、


「ふふ」


 そして、女は空しげな顔で呟きました。


「――とはいえそれは、表向きの話だ」

「?」

「君の推理の一部は、正しいけどね、基本的には大間違いだ」


 青年の推理を、あっさりと彼女は否定しました。

     

 表向き。

 秘匿された話に表も裏もありません。

 ないだろうに、レイエルはそう言ったのです。


「真実はそうじゃない。もっと残酷でくだらないものなんだ。オーステン」


 レイエルは呆れかえったように告げます。


「転生勇者がすごい力を持つと云うなら、そんな奴を好きに弄れると思うかい。本当の勇者を、私たちが好き勝手にできると思うかい。そんなものは、夢物語さ。私たちは確かに強いけれど、世界の埒外からくる勇者なんて、制御できようもないよ」


 青年は嫌な汗が背中を流れていることに気付いていました。

 違和感は、青年のなかでも、ようやく形に、言葉になっていたのです。

 そして同じ言葉が、女の口からもこぼれ出ました。


「本当に勇者の子種が欲されるというのなら、生殖能力を奪う研究をするのではなくて、平等にその子孫をだけさ。性欲がない相手から子種を取る方法だって、ある。そう思うと、君の説明はまるで、こじつけだね」

「それじゃあ、勇者は、どうして、」


 どうして、人間性を失っていたのか。

 眼前の女はあっさりとその秘密を、口にします。


「それは、彼らが実はからだ」

「勇者じゃ、ない? じゃあ、一体、なんなんです?」


 言葉が頭から流れていきます。

 レイエルの告白は、それほどに奇妙なもので、

 だけどもその理解は、まったくの埒外のものではありません。


「彼らは、異世界からやってきた転生勇者じゃない。単なる『神降ろし』だよ」


 女はそう言って、その身にまとうアイナ=レシュカというアイドルを解きます。

 神々しい光が消え失せて、いつものレイエルが現れました。

 それはどこまでも単なる人間で、勇者でもなければ神でもありませんでした。


「オーステン。どこにも勇者なんていないんだ。この世界に転生勇者なんていないんだよ。信じてくれ。それは全部もう何もかも、私とおなじく、うそっぱちなんだ」


 そう、彼女は言いました。

 女の瞳にはいささかの曇りもなく、語る言葉はすべてが真実でした。

 その手が青年の腕を掴んだとき、彼女が言おうとしたその言葉も。

 おそらくはきっと真実でした。


「勇者というのは、この地上の人間が知恵を絞って生み出した神様さ」

「神様」

「そう、人間たちが欲しいと願った存在そのもの。私たちの欲望の成り果てさ」


 成り果て。


「200年前の聖教会の仕業だよ。彼らは竜を倒すために、人工的に英雄を作ることを考えたそうだ。随分と古いことだから記録などないのだけど、その着想となったのは『サウラの神降ろし』だったらしい。人間を竜とするのが黒蛇の呪いならば、人間を神にしてしまうのが神降ろしの呪い――いや、至高の奇跡、だった」


 奇跡。


「そもそも、神様とはなにかという話だね。ラズ=サウラは元々、サウラ王国の建国に手を貸した精霊の名だった。そしてこれを更にさかのぼると、サウラ建国王が初期に同盟を組んでいた勇猛果敢な部族の名が出てくるんだけども、建国から数年で、ラズという部族は皆殺しにされている。そのときにきっと英雄譚も歪められたんだろう。消えた彼らの功績は、ラズ=サウラという霊のしわざとなったのさ」


 よどみなく語るレイエルの話の、半分以上は理解できないものでした。

 だが、それが空恐ろしいものであることは、青年にも、感じられました。

 彼女が滔々と語りだすそれらは、勇者や神の実在を揺るがす話なのです。


 レイエルは、懐から取り出した眼鏡をかけました。


「まぁその、神々とは単なる人間にすぎなかったわけだ。雷神の正体が人間だったとするならば、神話の正体が英雄譚だったとするならば、その事実に気付いた人間がいたとするならば、人間の物語が、神の物語にならないはずは、ないんだよね」


 つまり、フィーラ=クレオンディーネが用いた竜殺しの英雄、竜殺しの神の力。雷神ラズ=サウラによる神の地上顕現。その神秘を、おそらく、誰かが解体したのだと。その力に働いている法則を、かつて、誰かが看破してしまったのだと。


 神などいない。

 それはすべて人間の手のうちにある、と。


 レイエルはそう、オーステンに告げていました。


「再現できる奇跡なら、同じような方法で勇者も降ろしてしまえばいい。いや、むしろ、伝承ごとその存在を造ってしまえばいい。そんな考えで、教会と傭兵団は複数人の偉業をまとめあげた存在を編み出した。そしてそれを、適格者に降ろさせたんだ」


 そう言ってレイエルは氷のうえに座り込みます。


 髪がくくられました。

 彼女の姿はいつもどおりに戻っていて、

 もはや、ただの大賢者でしかありません。


「ハルト、いや、ハルティア=ラングもそんな適格者のひとりだった」


 レイエルは、とても遠い目をしていました。





 彼の出自がどこかはよく知らない。

 表向きには異世界人だと聞かされていたけど、それは大嘘だろうからね。


 私の予想では、彼はこの凍った街の出身なんじゃないかな。

 あの時の混乱とどさくさに紛れて、生き残った子どもを集めたんだろう。

 それから、学院が勇者に仕立てあげたのかもしれない。

 一人じゃなくて何人も集めて、至高の勇者を作ろうとしたんだろうね。


 あぁ、


 これは何もハルトくんがはじめてだというわけではないよ。

 スーリアもそうだし、これまでの勇者たちはみんなそうだった。

 みんな、学院によって造られた勇者だったんだから。


 だけども、その勇者化には大きな問題があった。勇者というのは女神由来の聖なる力を降ろして、疑似的に神性を得ること――らしいんだけど、どういうわけかその適格性というのはふとした拍子に失われてしまう、そんな類のものだったんだよ。


 勇者の不安定さ。 

 これは非常にマズイ話だった。


 なにしろ、勇者たちが使う浄化というのは、本当に黒蛇を消し去っているわけじゃなくて、聖なる力というイメージで、呪いを抑え込んでいるだけの代物なんだ。

 

 追い払ったり苦しめるだけさ。

 呪いを消し去るような圧倒的な力などありはしない。


 君だって、ハルトを治す時に黒い煙を見ただろう?

 あんな風に、浄化によって瘴気を追い払っている、ただそれだけなのさ。


 だから、多量の瘴気を取り込んだ勇者の場合、その身にため込んだ呪いがすべて力と変わってしまう。そのままに竜となってしまう。そんじゃそこらの英雄どもとは比べ物にならない瘴気の許容量を持つがゆえに、その決壊も、爆発的なものになる


 ――というわけだ。

 まぁ、勇者の竜がもれなく強大な怪物となる由縁が、それだね。


 彼らが持つ黒爪については、よく知らないよ。

 だけども、あれもたぶん、ため込んだ呪いが生み出す副産物なのだろう。

 魂を侵食して存在を変質させる、黒蛇の呪いそのもののような爪だ。


 それを加工して生まれる竜魂剣に、勇者の高潔な魂が籠っている、というのは、だからまぁ、非常に嘘くさい話だね。神性が宿っているなんてライドは言っていたけど、残念ながらそんな素晴らしく美しいものは、あの中には、少しもないと思うよ。


 それで、それでだ。


 そんな恐るべき竜となり果てる可能性のある勇者を、学院はそのまま使い続けるわけにはいかなかった。勇者という武器は、制御可能なものでなければならない。適格性を失って、ある日突然に竜となるようなびっくり箱じゃ、そりゃダメだよ。


 そうして行われるようになったのが、理想化処理だ。


 これはとても簡単な代物さ。

 さっき君が言ったのと同じく、人間としての機能にロックをかけるんだ。

 ただし、世継ぎを増やさないためじゃなく、適格性を失わせないためにね。


 アールヴの呪唱で植え付けられる暗示は、主に二つ。

 

 一、勇者としての使命の全うを最優先とすること。

 一、己の心を激しく揺るがすような事象を無意識化で遮断すること。


 完璧だろう? 

 これ以上ないやり方だろう?


 こうして、ハルトくんのような情熱的でいけすかない勇者が誕生するわけだ。


 感情と外界刺激を鈍麻させられて、己の使命への疑問を抱くことのない戦士。

 悲しみも苦しみも喜びも、ごく微弱にしか感じることができないのっぺらぼう。


 そうだね。

 つまり、勇者という存在は、究極のニブチンなんだよ。 


 え?

 

 じゃあ私は何なのかって?

 

 そうだな。難しいところだけど、おおむねはエラミスタの説明どおりだ。

 私は優れた神性を持つ人間と、アールヴの間に生まれたハーフでね。

 いわゆるハーフアールヴという存在だ。


 だけども、私は勇者でもある。


 私が勇者になったのは2歳の頃のことだった。アールヴの父に教え込まれてね、私はすぐに聖剣を発現したんだ。母によれば、私は、適格者であるということだった。それから、『お前たちは女神の武器なのだ』と教わって、私は戦い続けた。


 長い間、各地で人知れず黒蛇を倒していたけど、勇者とは呼ばれなかった。その頃はスーリアの前代の前代の勇者だったんだけど、『神降ろし』の力を最大化するためには、やはり伝承どおりに、勇者は異世界から来たる、とする必要があったのさ。


 はぁ。


 三〇年で六人ほどの勇者を見てきた。

 大半が子どもで、成人を迎える前に竜に殺されることが大半だったかな。

 時間的な限界によって、蘇生が間に合わないこともたくさんあったよ。


 私はいつからか大賢者として、そうした勇者のサポートにも回るようになった。

 竜化する前に始末したり、ちゃんと竜化を食い止めたりしたこともあったよ。


 そして、そのうちに限界が来た。

 その限界のひとつが、スーリア=アルメールの発狂だった。


 それまでにも勇者が竜となることは、そりゃもうあったんだ。理想化処理というやり方は正直に言って、失敗する場合のほうがはるかに多くてね。ちゃんと死ねたり、あるいは往生できた勇者のほうが、歴代のなかでは少ないくらいなんだよ。


 だからそんな危険な力は、もう使わないほうが良かったんだろうけど、魔竜を始末できる英雄なんて、勇者以外にはラズ=サウラくらいしかいない。生半可な英雄では瘴気に侵されて竜を増やすだけだからね。リスクを承知で、使うしかなかった。


 だけど、スーリアの虐殺は規模が違った。

 違いすぎた。


 彼は非常に長きに渡って、戦っていた勇者だった。

 ハルトと同じように幼い頃から戦い続けて、そして死んだ。

 だから、その身に巣くっていた黒蛇は、とても浄化できる量じゃなかった。


 そうだね。

 彼が結果的に殺した人々は、あの街を見れば分かるように、六桁近くになる。 

 

 この所為で魔法学院は、勇者以外の武器を生み出すことを考え始めた。

 あるいは、その萌芽はもうずっと前から、学院のなかにあったのかもしれない。


 理想化された英雄を生み出すという、それ。

 すなわち、アイデアルな存在としての勇者を再度作り出す、という思惑。

 黒蛇に抗しえない勇者ではない、完全無欠な勇者を語る、という計画。


 学院はそれを、こう呼んでいる。


「プロデュース」


 レイエルがそう言いました。




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