たったひとつの鈍いやり方 2


 

 勇者が足を止めたのは、街で一番整っている最上級の旅宿であった。誰かが賓客を招くときにはいつもこの店が使われる。一晩の宿代はオーステンの月給でも追いつかないほどであるが、勇者パーティはすでに、一週間はここに滞在していた。


「この宿はとても居心地がいい」


 大広間に置かれた豪奢なソファにどかりと腰かけると、勇者はかたわらに置かれていた葡萄酒の瓶を無造作に引っ掴んだ。この国では未成年の飲酒は推奨されていないのであるが、若い葡萄酒だけは例外である。彼はそれを机上に置いた。


「飲むか?」

「あんだと、一丁前な態度じゃねぇか小僧!」


 ライドが吼えるが、意に介した様子はない。

 勇者ハルトは、指を鳴らして給仕にグラスを持ってこさせた。


「まぁ座ってくれ。サニャのお父上だな?」

「おおお? おおお、おおお?」

「ちょっとライドさん、全然言葉になってないですよ!」

「お、お、落ち着けるか! 誰がお父上じゃボケ!」


 そう息巻いてライドが一歩踏み出す。

 が、その瞬間、どこからともなく現れた腕が男の肩を掴んだ。

 がっしりとした褐色の肌はきめ細かい。女だった。

 黄金色のさかまく髪をなびかせて、彼女は一瞬でここに現れたのだ。


「だ、誰だテメェは!」

「フィーラ」


 言葉少なにそう言い放ち、女はライドを睨みつけた。

 その一挙動で、ライドの身体からはふにゃふにゃと力が抜けた。

 本能で恐ろしさを感じ取って、戦う意思を失ったのだ。


「お前。あたしのハルトに、敵意を向けたのか?」

「獅子髪姫様! あの……パパは、ちょっと口が悪いだけなの」

「フィーラ、鎖骨とか折るなよ」


 勇者ハルトが素っ気ない声色でそう言った。

 サニャは、オーステンの後ろでひきつった笑みを浮かべている。

 黄金髪の女はフンと鼻を鳴らして、ライドから手を離した。


「ったく。ハルトはお人よしだな」

「さっきも言ったが、それがサニャの父親だ。乱暴はやめておけ」

「ふむ……そうか、この方がライド氏か。承知した。無礼を詫びよう」


 女はそう言って、さらりとライドに頭を下げた。

 これは驚くべきことだ。

 サウラの姫が単なる鍛冶屋に礼を示すなど。


「まぁ紹介は不要だろうが、こいつはサウラの騎士フィーラ=クレオンディーネ。俺のパーティの前衛で切り込み役だ。実は、こいつの剣を造ってもらうために、この街に来ているんだ。それでまぁ、情報集めのためにサニャから話を聞いていた」

「剣を……? それってまさか、ライドさんの腕を見込んでのことですか?」


 オーステンが信じられないとばかりに問うた。

 こくり、と女が頷く。


 宜しく頼む、と口の端をゆがめた彼女は、緻密な魔術式が刻まれた軽装の胸当てを装備していた。腰からさがる剣も、装飾と実用性のバランスがよい、それでいて品に溢れた素晴らしいものだ。正直、今のライドの剣が彼女に必要とは思えない。


「えと、誰かと間違ってません?」

「間違ってはいない。私のかつての愛剣にもクルーエルの名が打たれていたのだ。あれは執念のこもった歪みひとつない名剣だった。それに匹敵する代物が欲しい」


 熱のこもった目でフィーラがそう語った。

 それを聞いたライドはひどいしかめ面で返した。


「サウラ王国の七振りなら、確かに俺の仕事だ」

「では……」

「断る。お前らのために作る剣なんざ、ねぇ」


 ライドが言ったが、その手はわずかに震えている。青白い顔をしていた。

 勇者ハルトがそれを目ざとく見つけて、呆れたようにため息を吐いた。


「なんだ、その手は」

「うるせぇぞ、黙れ……」

「もしかしてあんたの手、もう使い物にならないのか?」

「ふざけたことをぬかすんじゃねぇ!」


 ライドが声を荒げるが、さっと隠した両手はやはり震えている。まるで剣を造ると考えただけで恐れが湧き上がるかのように、彼の手は仕事から逃げようとしていた。勇者ハルトは、眉根を寄せて、しげしげとライドの腕から肩、そして目を見た。


「ふん。酒か、それとも病気か?」

「……ふざけんじゃねぇ」

「パパ、それ本当なの?」

「これは俺の問題だ。サニャには関係ねぇことだ」

「まぁいいさ。作れないなら他を当たる」


 何のためらいもなく、勇者ハルトはそう言った。そう言ったので、オーステンはたちまち、その乾いた笑みを睨みつけていた。ガラスのような笑顔を見せていたこの勇者は、実際のところ、ただ心根の清い少年というわけではなさそうだった。


「勇者ハルト、でしたっけ」

「そうだ」

「お前さ、ライドさんのこと何も知らないだろ」

「人となりを知っていないと、仕事のキャンセルもできないのか?」


 その言葉で、青年の額に青筋が浮かんだ。オーステンは気性の荒いタイプではないが、その彼でも我慢のならない輩というのはいるもので、また、我慢のならない侮辱というものもあるものだった。素晴らしいことに勇者ハルトはその両方ともに当てはまっている珍しい人物で、それゆえにオーステンは拳を握りしめた。


 一触即発というそのとき、

 おどおどとした女性の声が二人の間に割って入った。


「や、やめてくださいです」


 小さな手がハルトの袖を掴んでいた。


「やれやれ」

「あなたが二人目の一目惚れ……」

「う、うるさいです」


 伏し目がちに彼女が言った。


 ぼさぼさの髪は薄い赤毛でオレンジに近い。身長は低めで、子猫のように小柄な人物である。が、しかし、内包する魔力の重みは、とても常人とは見えなかった。よく見ると、女の指にはリオライエン伯爵家を表す赤水晶の指輪が輝いていた。


「ハ、ハルト、ああいう言い方はあんまりよくないです……よ?」

「ララは優しいな」

「もしかして、あなたがララ=リオライエン様なんですか?」


 頬を引きつらせながらオーステンが問う。

 ララという女は、頬を赤らめながら顔を手で覆った。


「さ、様なんてやめてください。た、ただの魔法士なのです」


 なるほど確かに、ララ=リオライエンの容姿はいわゆる貴族令嬢らしさをあまり備えてはいなかった。艶のない髪、皺のあるローブ、そして土まみれのブーツ。装飾品は指輪くらいのもので、そのあたりの酒場で潰れていても違和感はない。


 が、ララがこのような姿をしている理由に、オーステンは心当たりがあった。噂によれば、彼女は一目惚れをしたのだというが、リオライエン家は非常な名家である。となれば、追手が掛かっていてもおかしくはない。彼女は、実家の者たちから姿を隠すために、あえてこのような身なりをしているのではないだろうか。


 目を細めて見つめると、彼女、あるいは少女は、ぺこりと頭を下げた。


「お、オーステンさん。ライドさん。ハルトの無礼を謝ります。ごめんなさいです」

「あんたに謝ってもらおうとは思わねぇ! そのいけ好かないガキに……!」

「う、うるさいです!」


 少女が叫ぶ。

 意外に大きな声に、ライドがたじろいだ。

 そのあいだにララの身の内で、魔力が渦を巻いた。

 まずい、そう思ったとき指先が振られた。


「ハ、ハルトの悪口は、わ、わ、わたしが、傷つくので、やめてくださいです!」


 そう言うが早いか、火球がライドの鼻先に現れる。


「うおぉっ! なんだいきなり!!」

「ハ、ハルトを馬鹿にするなら殺します、です」

「ララ。怖いことを言うな」

「う、うふふ。ただの、冗談なのです」


 冗談とは思えない眼をらんらんと輝かせながら、ララが笑う。火球は一瞬で消えたが、ライドの額には嫌な汗が浮かんでいた。オーステンも同様だ。気弱な少女かと思ったが、どうもそうではないらしい。何かのタガが外れている。


 いや、彼女だけではないのか?

 フィーラと言い、ララと言い、勇者のことになると見境がなくなるのか?

 オーステンは気味の悪いものを感じ取って、ぶるりと身震いした。


「そういえば、自己紹介がまだ済んでなかったな」


 妙な沈黙を打ち破るがごとく、勇者ハルトは赤毛の彼女を指差した。


「こいつはララ。伯爵家の娘で、火炎の振るい手だ。元々はこの国の魔法士隊に所属していた筋金入りの魔法狂いだが、『うっかり』命を助けたらなぜかついてきてしまった。実家はカンカンだが、本人は気にしてない。なにせ粗雑なやつだからな」

「そ、粗雑じゃありません……。い、色々考えるのが苦手なだけ、なのです」


 そう言うと、彼女はたたたと走ってソファの後ろに隠れた。背から顔の半分だけを出してちろちろと覗き込むさまは、可愛らしいというよりも偏執的だ。脇に立つサニャは、先からずっと、「ですぅってなによ?」と呟きながら首を傾げている。


 示し合わせたわけではないが、ライドとオーステンはコメントを控えた。

 勇者は意にも介さず、壁にもたれた女を指差した。


「それから、そいつがエラミスタ。エラでいい。東の森の旧いアールヴだ」


 名指しされた女は、感情のこもっていない眼でオーステンたちを、

 いや、それよりもはるか遠くのどこかを見つめるように、目を細めた。


 その白髪は短く刈り込まれており、人種ゆえの中性的な顔立ちのために、とても女性には見えなかった。また、背中に背負った弓も、アールヴの女が使うとは思えないほどに大きい。それはまるで、竜でも退治するかのような武具であった。


「エラ、なにか言うことはあるか」

「詞がないとは言わぬ」


 ハルトが問うと、女はようやく視線をオーステンらに留めた。


「寵愛されし者ハルト、我らには星々に予告された定めがあった。このような砂粒どもと戯れている閑などない。そこな少女を路に引連れるというのであらば、明にせよ。それが大神の御心に適っていることを。若草の時は無限ではないのだから」


 女の口から、歌うように言葉が漏れる。

 ろうろうと響いたそれは、オーステンの脳内に意味として浸みこんだ。

 同じ言葉を、何十回も聞かされたような違和感に、彼は思わず声を出す。


「今のは……?」

「歌言だ。こいつらの言葉はそれ自体が魔術だからな」

「とても力のある声だった。子守歌を歌ったら凄そうな感じだ」

「ちょっとオーステン兄さん、やめてよ」


 呆れたふうなサニャの言葉に、勇者ハルトがくすりと笑う。

 オーステンは、はじめてこの少年の子どもらしくあどけない顔を見たと思った。


「気に入ってもらえてよかった。俺たちは、あともう一人の仲間を入れた五人で旅をしている。目的は世界の危機を食い止めること。地底からあふれ出す『黒蛇』の討伐と、その原因である瘴気の根絶だ。聖教会はすべてを解決するため、俺を異世界から呼び、すべてを託した。俺は勇者ハルト。この世の、救い手みたいなもんだ」


 なるほどそうか、とオーステンはしぶしぶと頷いた。

 確かに、『黒蛇』と瘴気によるアリュオランの危機は、誰もが知るところだ。

 そしてそれを討ち祓うべく呼び出された勇者のことも。


 だが、面と向かってそう言われると、何とも言えない気分になった。

 

 もちろんオーステンのみならず、ライド=クルーエルにも分かっていた。この少年が、数々の瘴気に侵された魔物を討伐し、邪竜と化した英雄たちを浄化し、聖教会の奇跡を国の人々にしらしめた人物であることは、紛れもない事実だと、ちゃんと分かっていた。ただ、あまりにもその口調に迷いがなさすぎて、面食らったのだ。


「信じられないなら構わない」

「いや、そういうわけじゃないですけど、僕よりも年下なので驚いてしまって」

「人間の格を決めるのは歳月じゃない、乗り越えてきたもののすべてだ」


 ハルトが意味深に言う。

 すると、深緑のエラが待ち構えていたように歌いはじめた。


「旧き英雄レインディアが吐啼竜と成り果てた夜。ハルトはまだ若芽となったばかりであった。塩の荒野で仲間は遺言もなく地に伏し、土を泳ぐレインディアは未だ棘をくゆらせている。いまや勇者は孤独であった。だがそれでも、汝の手には震える剣があった。彼は大地に耳を押し当て、その揺れ動きを信じて、長き黒剣を、」

「エラ。ありがとう。だが今はまだ歌わなくてもいい」


 アールヴの女は、不服そうに小さく唸った。

 すると、勇者ハルトが彼女の頭をぽんぽんと叩いた。


「頭ぽんぽんだ」


 小さくサニャが漏らす。


「エラ、機嫌をなおせ」

「まったく、仕方ないな」


 エラミスタが頬を赤らめてそう言った。

 フィーラとララが、恨みがましい目で彼女を見ている。

 ずるい、とは言わないが、そう思っている表情だ。


「マジかよ……」


 オーステンは思った。

 こいつら、かなり面倒くさそうだ、と。

 事実、勇者パーティとはかなり面倒な存在であった。 

 が、それを知る者は首都でもそう多くはない。


 勇者ハルトは、ひとしきり女を撫でると、ようやくライドらに顔を向けた。


「さて、話の腰を折って悪かったな」

「あ、ぁあ、いや、全然いいですけど」

「エラは悪い奴じゃない」

「は、はい。それはもう、」


 言いたいのはそういうことではない。


「エラも、フィーラも、ララも、みんな英雄なんだ」

「それはもちろん、そうだと思います」

「みんな、癖は多少ある。でもそのことに間違いはない」


 そう、面倒くさいが、それでも彼らが勇者だという事実は変わらないのである。多くの人々と土地を救い、竜となった英雄を解き放ってきた。多くの人々に夢を与えてきた存在であるのも事実なのだ。実際、サニャなどは目を輝かせている。


 やめとけ!という思いを抱えながら横を見れば、意外なことにライドは眉根を寄せて、何かを真剣に考えこんでいた。昔のことを思い出しているのかもしれない。と思ったが、ライドなので、そんな真面目なことではないかもしれない。


「オーステン、だったか?」


 と、勇者ハルトが青年へと視線を向けた。


「なかなか良い剣を造ると聞いた。ライドの代わりに仕立ててくれないか」

「えぇ!? 僕なんかの剣でいいんですか?」


 ハルトは、二三、頭を振って冷たい笑みを浮かべた。


「俺はすぐに剣を壊す。だから、稀代の名剣である必要はない」

「複雑な気分ですが、それなら幾つか造ります」

「支払いはあとで俺の仲間がする。とりあえず五本用意してくれ」


 五本ならば、なんとか売れ残りがある。

 オーステンは心のなかでガッツポーズをした。

 こいつ、キモい勇者だなぁと思ってたけど、客としては最高の奴だ。

 サニャが惚れる気持ちも分かるかもしれない。


「ライドさんもお礼言ってください」

「ふん。オーステンなんぞの未熟な剣で満足するとはな」

「何も造れないものの戯言だな。聞くに値しないな」


 冷ややかな声でハルトが言った。

 歯ぎしりを立てながらライドが睨むが、勇者は目も合わさない。

 合わさずに、大きく鼻を鳴らして、嘲笑の意を示した。


「フィーラ、ライドの剣は不要だ。悪いが諦めてくれ」

「……承知した。しかし、力ある剣なしでは『黒蛇』どもは斬れないぞ」

「俺が何とかする」

「だが勇者の力は万能ではない!現に、西方諸国での遠征で、」

「俺はスーリアとは違う。俺を信じろ、フィーラ」


 そう言い切る少年の瞳は、黒々と輝いて力強い。オーステンは彼がどこから来たのかを知らないが、これが異世界人だとするならば、彼らはみな、これほど幼くても使命というものに真摯に向き合えるのかもしれない。どこか滑稽さを感じはするものの、己には真似できない生き方だ。正面切って、馬鹿にする気にはなれない。


 獅子髪フィーラは、ライドを一瞥して、それから勇者に向き直った。


「……その少女はどうする」

「サニャ次第だ」


 そう言って、

 少年は冷えたまなざしで少女を見つめた。

 視線が合わさり、瞳がわずかに揺れる。


「ハルトくん」


 少女がか細い声で言った。


 いったい何事だ、とばかりに、ライドはぶるりと身を震わせた。

 妻のみならず、娘までも奪われてしまう、そんな予感がしたのだろうか。

 彼は思わず立ち上がっていた。


「サニャをどうするつもりだ?」

「冒険に連れていく約束をした。サニャは冒険をしたいと言っていた」

「なんだとクソ勇者! お前なんぞに任せられるわけがあるか!」


 しかしハルトは無言のままで、サニャを見つめるだけ。

 少女は、決心に満ち溢れた目で少年を見つめ返した。


「おい、おい、サニャ、何してる、」

「ハルトくん。あの話は、本当なんだよね?」

「本当だ。俺についてくれば、必ず……」


 サニャが足を一歩進める。

 勇者との距離は、もう驚くほどに近い。


「やめろ」


 ライドが手を伸ばす、しかしそれは届かない。


 ああ、なんたることか。

 男の愛娘サニャは、少年の手を握っていた。 

 ライドは目が覚めたように息を飲んで、少女の肩を掴んだ。 

 少女は、眉根を寄せて唸った。


「パパ、やめて」

「まさか行かねぇだろ!? サニャ!!」

「どうしてそれをパパに決められないといけないの?」

「あんなボケガキのとこになんか、行かせるか!」


 力任せにライドが引っ張る。

 サニャが痛みに顔をしかめて、そしてその腕を思い切り払った。

 父親の手が離れた。気持ちがいいくらい、綺麗に離れた。

 少女は、呆然とするライドを悲しげに見つめた。


「……いつもそうやって頭ごなしで、怒鳴るよね」

「怒鳴ってなんかない、俺は、」

「ママが死んだときも、あたしなんか見もしないで、みんなに怒鳴り散らしてさ、工房の人たちもオーステン兄さん以外出て行っちゃって、剣も作らなくなって」


 なるほど、それは間違いではない。

 しかしそこには重要な情報が欠如している。

 だがそれをサニャは知らず、そしてライドも伝えられない。

 伝達されない思いは、すれ違ったまま、呪いとなる。


「サニャ、違う、俺は」

「違くない。お祖母ちゃんとも喧嘩して、オーステン兄さんのことも殴って、しまいに剣も作れなくなって、お酒ばっかり飲むようになって、それなのに私のことを愛してるみたいなフリをする。ハルトのことを何も知らないくせに嫌って、怒鳴って、」


 ライドが小さく舌打ちをした。それは失策だったが、男に策を考える余裕などなかった。少女の反抗はこれまでも度々あったが、この手を払いのけられたことはなかったからだ。拒絶されたその経験が、まさにライドのトラウマを刺激していた。


「違う……お前はまだ子どもだから、何も分からねぇだけなんだよ」

「子どもはパパだよ。私のこと何も知らないくせに、甘えてこないでよ!」

「甘えだと!? 俺が!?」

「そうだよ。気付いてないの!?」

「俺が、お前に……?」


 ライドが青ざめる。

 それを見て、オーステンの胸が痛んだ。


 この人がこうなったのは、サニャの愛し方を間違えたのは、ぜんぶ、サリア=クルーエルがあまりに唐突に死んでしまったからだ。そのことについて、ライド=クルーエルただ一人だけが責められるのは、あまりにも可哀そうだと思えた。


 責は、彼だけではない。

 自分たちにもあるのだ。


 そう思い、オーステンはサニャとライドのあいだに立った。


「サニャ、行くなら行くといい」

「オーステン兄さん……」

「でも、危ないと思ったら帰ってこい。あと、あんまりマセたことはするな」

「オーステンッ! なにを言ってやがるんだッ!!」


 ライドが青年に掴みかかろうとする

 その腕を止めたのはハルトだった。


「拳の下ろし時だろ。娘に嫌われてまで、自分を守っていたいのか?」

「……うるせぇ」

 

 そうして男は、膝から崩れ落ちた。


「ふむ。卑小な愚物にも助言をくれてやるとは、優しい男だ」

「そ、そうなのです。も、もう潮時なのです」

「ララ、あんたは黙ってなよ」

「フィ、フィーラこそ黙ってろ、なのです」


 勇者パーティの面々が思い思いに口を開くが、ライドの耳には届かない。


 男の身体から力が抜けていく。

 少女は、その脇をとおって、ハルトの傍に立った。

 ライドがぽつりと言葉を漏らす。


「……行くな」

「行かないよ。でも、ずっと一緒には居られないし」


 そう、少女が言って、離れていく。

 宿屋の床がきしむ音が響き、すこしずつ遠のいていく。

 オーステンの目の前で、家族が別れ、

 そして、己の師匠は歯をがちがちと鳴らしながら膝をついている。


 あぁ、なんということだ、と彼は思った。

 まさか今日がこんな日になってしまうなんて。


 己の愛する家族が、こんなところで、こんなきっかけで、バラバラになってしまうというのか。いや、確かに自分はサニャを引きとめなかった。だが、引きとめたとて、それで誰が幸せになっただろう。たぶんきっと、いずれ少女は旅に出たのだ。


 そう思い込むこともできた。

 できたが、ひっかかるのはやはり勇者パーティのことである。


 親子喧嘩は健全な関係であるだろうが、そこに勇者ハルトとそのハーレムが絡んでくると話は変わってくる。あの連中と一緒にいることが、サニャにとって本当に素晴らしいことなのか。自分はもしかして、判断を間違えたんじゃないのか。


 金にうるさいクズのようだが、このままではクルーエルの秘伝どころか、おこずかいの一つも手に入らない。サニャがいなくなれば、ライドはやる気をなくし、工房をたたんでしまう可能性さえもある。これはもしかしなくても、大失敗だろう。


 思考がぐるぐると絡まり、妙な後悔の念が頭をもたげてきたそのとき、

 オーステンの眼前で、己の師匠が、その顔を上げていた。


 いつもの、落ち着きのない眼球ではなく、据わった瞳。

 男は、ゆっくりと立ち上がり、静かに、息を吐く。


「待て。勇者ども」


 ライドが言った。

 ハルトが足を止めて、振り返る。

 無感情な眼に、すこしだけ嬉色が混じる。


「ライド=クルーエル。あんたにもう用はないんだが?」


 すると男は静かに、獅子髪姫フィーラを指した。

 指先はぴたりと、女の腰の空帯に向いていた。


「剣を……作ってやる」

「その手で作れるのか?」


 あざ笑うかのように勇者が言う。

 だがその目は、刃のように鋭く細められており、


「どの手のことだ」


 そう言って握られたライドの手は、もはや些かも震えてなどいなかった。



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