転生パターン08 華井観月の場合。

たったひとつの鈍いやり方 1

  


「あのガキ……また来やがった」


 鍛冶屋の主人ライド=クルーエルはドスの効いた声で呟いた。


「ライドさん、そんなにピリピリしないで」

「馬鹿野郎ォ! これが落ち着いていられるか! あれを見ろ!」


 そう言って、ライドが指差した先には、一人の少年と少女がいた。 

 談笑する二人は、お互いを熱っぽい視線で見つめている。

 小春日和の天気も、子どもらを祝福するように優しい。


 ぎりぎりぎり。

 その一方で、鍛冶師は大人げなく歯ぎしりを響かせていた。


「ふざけた装備を見せつけやがってぇぇぇ……調子に乗ってやがるなぁぁぁ。ああいう奴はなぁ、女のこともアクセサリー程度にしか思ってねぇんだよぉぉぉおお!」


 少年の背中には長い剣。

 着こんだ鎧には、黒山羊の紋章。

 どちらも素晴らしい業物だ。 


 一番弟子オーステンは、やれやれと首を振った。


「いいじゃないすか、淡い恋心ってやつですよ」

「サニャの奴ぁ……なんであんなクソガキに惚れてやがるんだ……」


 ライドが悲しげに見つめるのは、少女の方である。

 長い茶髪を二つくくりにしていて、まだ幼さが残っている。

 その名は、サニャ=クルーエル。


 もちろん、鍛冶屋ライドの娘である。

 妻に先立たれた男の、ただ一人の愛娘だ。

 

 サニャは、きらきらとした表情で眼前の少年に微笑みを見せる。

 対する少年も、まるでガラスのような透明な笑みを浮かべた。

 そこには何の曇りもないが、なぜか、どこか冷たく見えた。


「ぐぬぬぬぬ」

「唸らないでくださいよ」

 

 オーステンが、柱にかじりつくライドを店内に引っ張っていく。この青年の奮闘の甲斐あって、なんとか男は、サニャの前から隠された。あぁオーステンを讃えよ。弟子の倍ほど大きいライドは、本当に本当に、しつこく抵抗したのであった。


「おおおぉぉぉ……サニャァァァ……」


 巨大な金床に突っ伏して、めそめそとライドが泣く。

 顔の下では、小さな丸太ほどもある腕が、ぶるぶると震えていた。

 無様にも程があるが、それが父親という生き物である。

 情けない、と言わんばかりにオーステンがため息を吐いた。


「ライドさん、鬼の手と言われるほどの貴方が、こんな泣き方……」

「ぅうおおおおおおおおぉぉぉぉ……」

「そんなに気に入らないんですか、勇者ハルトのことが」


 その名を口にした瞬間、殺気がぶわりと立ちのぼる。

 握りしめられた拳は血が出るほどに固く、力強い。力強すぎる。

 端的に言おう。オーステンは、ドン引きした。


「ハルトォぉぉぉおおおお!!!」


 その声が店の外に漏れる前に、オーステンは開かれていた窓を素早く閉めた。

 がるがると唸っている男は、まるで犬のように息を荒げている。

 自分にはこの親方の気持ちは分からないが、親というのはこういうものなのか。

 オーステンはそう思いながら、窓の外に見える少年を再び、眺めた。


「ありゃ異世界から来た勇者なんでしょう?」

「だぁからどうしたァ……」

「いや、勇者様なら、サニャちゃんの相手には申し分ないでしょう?」

「そんなわけないだろがッ!! あのガキときたら、そこらじゅうの女に笑顔振りまいて、たらし込んでるってな噂だ! なんでも、王都の伯爵令嬢だの姫騎士だのアールヴの弓士だのでハーレムを作ってるって話だ。とんでもねぇクソガキだぜ」


 口ぎたなくライドが罵る。噂とはいえ、単なる妄想ではない。

 その話は主に、吟遊詩人エルマンの流布にもとづいている。


 王都から流れてきた男は、勇者ハルトの武勇伝を語りに語り、

 それはまるで、無限に水の湧くかめのごとくに語り、

 貴重な金をそこらに投げ捨てるように、惜しげもなく語った。


 いわくその足は千里を駆け抜け、

 いわくその腕は巨岩を砕き、

 いわくその魂は聖女を羞恥させるほどに高潔で、

 いわくその名は、前代の勇者スーリアをも凌ぐ。


 その結果、女どもはホの字になり、男どもは目つきを悪くしたが、いちばんに厄介なのは、一人娘の男親という連中であった。彼らはみな、勇者ハルトを殺さんばかりに唸り散らし、その影が見えるやいなや、愛娘に部屋から出るなと言いつけた。


 おおかたはそれで事なきを得たのであったが、世の多分に漏れず、愛娘との関係がすこぶる悪いという家庭もあるのであって、悲しいことにクルーエル家はその典型である。それ故に、サニャ=クルーエルは男の言いつけを無視するのであった。

 

「あんな男に騙されてはならん! 絶対に!」

「そんな物言いをされるからサニャちゃんに嫌われるんですよ」 

「おぅっ……。だが男とは、狼なのだ。あの子はそれをまだ知らないのだ……」


 男が、思いつめた表情で嗚咽を漏らす。


 なにを隠そうこのライド=クルーエル、若い頃はかなりブイブイ言わせていた。

 泣かせた女は数知れず、殴った男はもっとずっと多い。

 つまるところ、ヤンチャ、をしていた類の人間だ。


 そういう男は、これまた多分に漏れず、はっとした瞬間に並々ならぬ恋に落ちてしまうもので、そしてまた多分に漏れず、女の子どもを授かって苦しむものである。このクルーエル、人の親となってようやく、かつての己のクズさに直面していた。

 

 ただ一人を愛さず、

 力に任せて傲慢に振舞い、

 ふらふらとそこら中に愛を振りまく。


 そんな、命を惜しまぬ男ども。

 それらすべて、愛娘サニャの敵であり、

 それすなわち己の敵である。

 

「勇者なんてのぁ、クズどもの筆頭! すべての女の敵なんだよぉぉ!!」

「よ、酔っぱらってるんですか。飲んでもないのに。こりゃサニャちゃんが……」

「うぅ、オーステン……サニャをちゃん付けで呼んでいいのは女だけだぞォ……」

「は、はぁ……」


 唸る魔獣のような低い声に、オーステンは辛うじてうなずく。

 内心では、もう仕事をやめたいと思っているが、おくびにも出さない。

 この中年オヤジをどうしてやろうか、と思ったそのとき、


「馬鹿ライド! また幼子のようなことをしておるな!」


 扉が開いて、老婆がしゃきしゃきと声を張り上げた。


「アングラムのババぁ! うちの家庭のことに首突っ込むんじゃねぇ!」

「何を言うか! わしの占いにお前がサニャを泣かせるのが見えたわ!」

「馬鹿言うな! うれし涙に決まってんだろうが!」


 唾を飛ばしあう二人は、まさに犬猿の仲。 

 出会うたびに、ありとあらゆることで喧嘩をしている。


「……わしの孫を苦しめるならライドといえど容赦はせん」


 なぜならば、

 老婆、フェルマ=アングラムは少女サニャの祖母であった。 


「よぼバァが無理すんじゃねぇ、あの頃とは身体が違ぇんだぜ」

「ひょひょ、たかが十年でわしの魔法が衰えるかい」

「なら試してみるか。この『鬼の手』ライドを倒せるかどうか」

「構わんよ? わしもたまには運動をせんとなぁ」


 老婆から鋭く緻密な、まるで針のような魔力が伸びる。

 そのあまりの冷たさに、オーステンはまたしても、ドン引きした。


 そも、二人の争いはライドの妻サリアが死んだすぐあとに遡る。

 サニャの親権を巡り、フェルマとライドは本気の戦いを繰り広げた。

 その際に生まれた大穴は、今では街の観光名所となっている。

 俗に、アホの穴、と呼ばれるそれである。

 

 ちなみにその戦いの勝者は、もちろんサニャだった。

 

「お二人とも落ち着いてください、サニャちゃんが悲しみますよ」

「若造が、わしの孫をちゃん呼びするとは不逞の輩じゃの」

「……いやいや、冷静になってください」


 一瞬ぶち切れそうになった気持ちを抑えて、オーステンは説く。


「フェルマ付呪士様はライドさんの怒りの理由をご存じなのですか?」

「そんなもの知りたくもないわ。どうせ下らん理由じゃろ」

「……では、またもや勘違いで大穴をあけるおつもりなのですか?」


 確かに下らん理由であるとは言わざるをえなかったが、たとえ下らんそれであるにしても、一度はそれを知ろうと試みねば、議論の土俵にも上がれぬのが道理。オーステンは、なんとかこの場を収める糸口をみつけたのであった。


 意外にも、老婆はひどいしかめ面をしながらも魔力を消した。


「ちぃ! まったくなんなんじゃ、ほれ、言ってみぃ」

「ライドさんは勇者を警戒しているのです。彼がサニャ……さんに近づく狼だと」

「ひゃっひゃひゃひゃ!!」


 オーステンが言うやいなや、フェルマは大声で笑った。

 あまりに笑いすぎていて、背骨が折れるかと思われるほどだった。

 老婆は、けたけたと頬を歪めながら、ライドのことを指差す。


「流石はライドじゃ。ひどい取り越し苦労じゃのう」

「んだぁ! なにがおかしいんだ、バァさん!」

「あの子は聖教会で信仰を認められた、勇者じゃぞ? 狼なわけがあるか!」

「信仰だァ? じゃあ吟遊詩人の噂はどうなるってんだ」

「大嘘に決まってるさね。あの連中は本当のことなんて語りゃしないよ」


 がるがるる、と歯を剥き出しにしてライドは机を叩く。

 鍛冶道具が崩れ落ちるが、彼は気にも留めない。

 実際のところ、それらの道具の大半はもう埃を被っていた。

 ライドはここ数年間、一度も武具を打っていなかった。


「無職の父親がバカな噂を信じているなんて、サニャが可哀そうだねぇ」

「俺は、あの子のためを思って言っているだけだ」

「証拠はあんのかい? 勇者が女たらしだっていう証拠が!」


 そんなものないだろう、とフェルマが勝ち誇ったように言う。

 しかし、ライドは暗いまなざしで老婆を見つめ返したのであった。


「なら俺が暴いてやる。あのガキが本当はクズだってなぁ」

「なにをするつもりなんじゃか」

「奴を尾行して、証拠を押さえるんだよ。化けの皮を剥がしてやる!!」


 そうライドが声を張り上げ、オーステンは深いため息を吐いた。


 これは、ついに来たのかもしれない。

 彼の内ポケットには辞表が入っていた。

 それをいよいよ、出す時がきたのかもしれない。


「……ライドさん、その、」

「オーステン!! お前も手伝えっ!!」


 おずおずと声をあげたオーステンを男が怒鳴りつける。

 誰がやるか、と思った瞬間にライドは青年の耳に口を寄せた。


「いや、その、なんですか!」


 ひげが当たってくすぐったいし、気持ち悪い。

 すぐにやめて下さいと言おうとしたとき、親バカ野郎は囁いた。


「勇者ハルトの悪行を見つけるたびに臨時ボーナスをやる」

「え」

「一つにつき、1万レルク」

「え」

「そしてサニャがハルトを嫌いになった暁には……」

「暁にはっ……?」


 ぱん、とライドはその両手を打ち合わせた。

 思わずオーステンは伸ばしていた首を引っ込める。


「お前に鍛冶師クルーエル家の秘伝を授ける」


 にかっ、とライドが笑った。

 それは邪悪な商談が成立した瞬間だった。



 オーステン=エリオットは19歳。

 鍛冶師ライドの見習いとなったのは7歳のときだ。


 その頃はまだ、ライドの妻サリアが生きており、

 ぐうたら無職男の親方も、素晴らしい剣を打っていた。

 その腕を見込んで、王都からも依頼が来るほどだった。


 しかし、サリア=クルーエルが死に、サニャが己に心を閉ざすようになったある日から、ライドはまったく剣を打てなくなった。かつての燃えるような眼は酒に濁り、ハンマーを持つ手は常に震えて、まともな場所に落ちない。


 オーステンは彼を恨みながらも、ライド鍛冶店を潰さないために、見習いの身で武具を打つことになった。仕事はもっぱら打ち直しや修理であって、新たな武器を作ることなど滅多にない。偶に作っても、19歳の青年の作品を買う客はいない。


 だがそれでも、夢は諦めきれないものだ。

 格安で並べた自身の新作を見ながら、彼はため息をついた。


「またダメかな」

「オーステン兄さん、また造ったんだ!」


 肩を落とす青年に声をかけたのは、まだ幼い少女であった。

 歳のほどは14を過ぎたばかりで手足は相応に細い。

 その手が、オーステンの造った長剣をゆっくりと持ち上げた。


「うん。モノはいい。鋼に波もないし、重心も狂ってない」


 真剣な眼で剣を見る少女は、そう言って口元に笑みを浮かべた。

 

「サニャちゃん。悪いけど、また頼んでもいいかい」

「酒場のアホどもに売りつけてくる」

「助かるよ。僕がやっても売れないから」

「ライドのせいで売れないんだし、オスにぃは悪くないよ」


 サニャは苦笑いでそう言いながら、鞘にしまった剣に布を巻く。

 手慣れた動きで、ものの数秒で高級品のような包みができあがる。

 幼いころから仕事を見てきたサニャには、簡単なことだった。

 

「それじゃあね」


 少女は、両手に剣を抱えると、足早に去っていく。

 共通語を話せるあの子は、冒険者にウケがいい。

 商品をもたせれば、市場で売るよりもずっと高く売ってくれた。

 オーステンはその頼もしさと、己の情けなさに苦笑する。


 そのとき、店の中からひげもじゃのライドが現れた。


「おい! サニャはどこに行ったんだ?」

「酒場ですよ。剣を売りにいきました」

「なにィ! 俺も行く。あそこには勇者も出入りしているはずだからな」


 娘の邪魔をするな……と言いかけたが、先般の商談を思い出す。

 残念ながら、自分がこの親方に逆らうことはできない。


 しかし、である。酒場で問題を起こされても困るのだ。

 出禁にでもなれば、剣を高く売る場所がなくなってしまう。

 おっさんとの約束を取るか、それとも生活を取るか。

 悩ましい天秤はどっちつかずでとどまった。


「……じゃあ、僕も行きます」


 こうして、オーステンはライドに同行することにしたが、サニャの行く酒場は街の反対側にあって、隠れて尾行するにはやや遠い。2人は真夏の日にもかかわらず、目深な帽子と分厚いコートを羽織って、遠巻きに少女を追いかけることにした。 


「オーステン、お前は噂を知っているか」


 ライドがふぅふぅと息を切らしながら問う。


「まぁ、耳に入れる程度には」


 流石はあの老婆の孫であり、ライドの娘だ。

 青年は、思っていた以上に素早い少女の駆け足を追いながら、なんとか答えた。

 気を抜けば、容易く撒かれてしまいそうだった。

 

「なんでも、詩人によれば、あの勇者ハルトには4人の姫が付いているという」

「4人の姫ですか? それはまた贅沢なことで」

「1人はアールヴ、深緑のエラミスタ。族長の娘で若草弓の持ち主だと」

「ほう。彼らが娘を仕わすなんてことがあるんですね」

「ひとめ惚れだそうだ」


 一目で惚れた、か。そう聞いてオーステンは眉根を寄せた。勇者である少年は確かに凛々しい顔立ちだったが、絶世の美男子かと言われるとそうではない。まだ幼い少年に森の精が惚れこんでしまうというのは、どうにも嘘くさい話であった。


「もう1人は灰笛のララ。リオライエン伯爵の令嬢で火炎術の才に恵まれている」

「へぇ。あの堅物のリオライエン家が娘を預けるなんて珍しいですね」

「……これもひとめ惚れだそうだ」

「へぇ」

 

 うんんんん? 

 

 平静を保って歩きながらも、その心中では首を捻っていた。伯爵家の令嬢といえば、確か王都でも有名な気位の高い女性のはずだ。そんな方が、それはもちろん勇者であるとはいえども、まだ年端もいかない子どもに惚れこむものだろうか。


「3人目は獅子髪のフィーラ。隣国サウラの姫で類稀なる剣の達人であると聞く」

「あの、隣国の姫がどうしてまた勇者のお供になっているんでしょう」

「……」

「ひとめ惚れですか」


 ライドは無言だ。

 頬をひくひくさせたままで何も言わない。


「まぁその、勇者がモテモテなのは分かりました」


 ため息を吐きながらオーステンは言う。なるほど、この噂を聞くかぎりでは、確かに勇者ハルトはろくでもない。美女かどうかはともかくとして、姫と呼ばれるような人々を3人も篭絡するとはもはや単なる子どもではなく、魔性の少年だ。


 ライドが聞きつけた噂のなかには、おそらくもっと生々しいものもあっただろうから、この男が娘の身を案じるようになったのも、当然と言えなくもないだろう。もっとも、見た目が悪いわけでもないのに、今まで女性と付き合ったことがない苦労人オーステンからしてみれば、警戒心よりも羨ましさのほうがわずかに勝る。


「で、最後の一人はどんな女性なのです」


 知りたいような、知りたくないような。

 そんな興味本位で青年は尋ねたが、ライドは意外にもしかめ面を返した。 


「……それがな、あの詩人もそれだけは知らんと言っていたのだ」


 オーステンは、それを聞いて首を傾げた。


「ではどうして4人の姫がいると分かるんです?」

「もう一人の女性は常にフードを被っていて顔がみえんのだと」


 なるほど。オーステンは勘付いた。


 顔の見えない従者の正体というのは、身元を隠したい貴人か、とんでもない美女だと決まっているものだ。中には、主との入れ替わりを隠すためにベールをまとう者もいるかもしれないが、そんな事態は物語のなかでしか聞いたことがない。


「怪しいですね。姿を隠すなんて、どれほどの人物なんでしょうか」

「かなりの大物ではあろうな」


 その瞬間、オーステンに天啓降りる。


「もしかして傾国の歌姫アイナ=レシュカ嬢では?!」


 はてさてアイナ=レシュカとは、オーステン=エリオットが12歳の頃より恋い焦がれる王都歌劇団の看板娘であり、不老というふれこみのハイアールヴである。なんでも数年以上前から歳をとらず、歌唱力も衰えを見せていないとかなんとか。


 先ほど苦労人と紹介したが、オーステンに彼女ができない理由の3割は、彼がこのアイナ=レシュカのガチ恋勢だということに起因している。寝ても覚めてもアイナの姿を拝み、その声に耳を傾けたオーステン。祈りを捧げつづけたオーステン!


 すなわちド級のファンであるオーステン。

 彼にとって、この天啓は死刑宣告にも等しかった。


「そんな、なんということだ……!」

「王都のアイドルか。許せん。なんとも許せん奴だ、勇者ハルト!」

「許せません! あのとっぽいガキが! とっちめてやりますよ!」


 火を噴く竜のようにオーステンが唸り、ライドが太陽を食む狼のように唸る。


 二人はこのように憤ったが、実のところ、アイナ=レシュカというアイドルは王立魔法学園によって作り出された幻像であり、その実体を有していない。彼女は、至高のアイドルを生み出そうとした聖教会が造った、非常に高度な幻惑魔法の固まりなのである――が、それは魔法学院でもほとんど知る者のいない秘密であった。


「して、アイナ様がどうして勇者のもとに?」

「オーステン。もう分かってるんだろう」

「沸々と怒りが湧いてきました。どっかで吐き出さないと」

「構わん!! 俺もいつもやっていることだ!!」


 ライドが自信たっぷりに首を縦に振った。

 オーステンは、すぅーと息を吸い込んでそのまま叫んだ。


「アイナ様がアイツにひとめ惚れするわけねぇだろー!!」


 ねぇだろぉー……ねぇだろぉー……ねぇだろぉー……

 その声で、遠くにいたサニャが振り返る。

 ライドの鋭い目と、猫のようなまんまる目がぴたりと合った。


「あ、マズイ!これマズいぞ!」

「クソ!!ライドさんは隠れてください!!」

「待ちなさい! そこの二人!!」


 バタバタとコートを翻す二人の男。どうしようもなく鈍足である。

 そうこうしている内に、サニャ=クルーエルはその父親の耳をつねりあげていた。

 オーステンは、帽子を胸に抱いて、公開処刑をそっと覗く。


「あいでっ、いでっ、でっ」

「ねぇパパ? あたしを尾け回すのこれで何回目なの?」

「違うんだサニャ、パパはね、お前が心配で」

「あたしもパパが心配。それに付き合わされるオーステン兄さんも心配」

「だてっ! サニャがヘンな男をつるんでるって聞いたからっ!」


 テンパリ具合の気持ち悪さに、オーステンはそっと目を伏せた。

 どう考えても、いい歳をしたおっさんとは思えない。

 これがあの鬼の手というならば、世の中の二つ名などどれも眉唾だ。


「はぁぁぁぁ」


 深くため息を吐いた少女は、父親の身体をオーステンに押し付けた。


「こんな人の言うことなんか聞かなくてもいいから」

「まぁその、ライドさんは勇者とサニャちゃんの仲を心配しているんだよ」

「どうして?」

「……だって勇者には色んな噂があるんだろう?」


 オーステンがそう尋ねると、サニャは鼻を鳴らした。


「もしかしてパパったら、あんな下らない噂話を信じてたわけ? ハルトくんが日替わりで乳繰り合ってるとか、物陰でいちゃついてるとか? 馬鹿じゃないの?」


 その噂によって憤激していた青年は、口を真一文字に閉じて、そっぽを向いた。

 この少女の口撃に晒されるのは、ライド=クルーエルだけでよいのだ。


「大体さ、そんなに気になるなら自分の目で確かめりゃいいじゃん」

「サニャちゃん、それってどういう、」

「だぁかぁらぁ! 会わせたげるって言ってんの!」


 イラついた様子で少女は眉間に皺を寄せた。

 息巻いているところは少しだけライドに似ているな、と青年は思う。


「もちろん、ハルトくんとそのパーティメンバーさんにね」


 そのようにサニャが言うが早いか、ライド=クルーエルは憤怒の形相で立ち上がった。真っ赤に腫れた耳は非常に滑稽だが、見ようによっては、激しい怒りに染まっているように見えなくもない。ライドは、鼻息を荒くして、少女に詰め寄った。


「俺は! 会わんぞ!!」

「やだこれ本気で怒ってんの? ウソでしょ?」


 呆れた声がするが、それでへこたれるライドではない。

 今の彼は完全なる怒りモードに入っていて、受けるダメージはゼロだった。

 ちなみにこれが夜になると、深酒と相まってダウナーモードになる。


「俺は、あんな、クソガキに、会う、気は、ない!」

「ハルトくんのこと何にも知らないくせに」


 サニャは必至の顔で、勇者のことを擁護する。

 こうなるとオーステンもライドの味方をしづらい。


「一度くらい会ってあげてもいいんじゃないですか」

「オーステン! この裏切り者! アイドルはもういいのか!」

「いやだってよく考えたらアイナ様がファンを裏切るわけないというか」

「お前のことなんか知ってるわけないだろうが!」


 その瞬間、ぷつんっと何かがキレる音がした。

 オーステンは無我夢中で地団太を踏み、手近な壁を殴りつける。


「無職師匠!! 今なんて言いました!?」

「なんだとこのバカ弟子! 本当の愛も知らんくせに!」

「ライドさん、それは聞き捨てなりませんね! アイナ様は裏切りませんよ!?」

「このスカポンタン! 弱みを握られりゃ誰だってぬるぉぐぁッ!」


 ドガッ。


 鈍い音がして、下を見ると、サニャの足がライドの股間にめり込んでいた。

 わなわなわなと震える少女の拳。それは、次はオーステンに向いている。


「あのねぇ、ここ、あたしの友だちもいっぱい住んでるの」

「いや、その別に何にも恥ずかしいことはないというか」

「ふざけんな! 家族のこんなとこ、死んでも見られたくないから!!」


 その顔は真っ赤に茹で上がっている。

 敵味方の見境も、もはやなさそうな……そんな……、

 小さな拳が伸びる。


 オーステンは咄嗟に反応ができず、思わず目を閉じた。


「!!!」

「危ないぞ、サニャ」


 パシィ。

 何かを受け止めたような音がした。


 どうしてであろうか。

 オーステンは、不意に嫌な予感に駆られた。

 クソ。これはあれか。あれなのか。

 もしかして、これが勇者というやつなのか。 


 目を開くと、ライドの眼前で止まった少女の拳。

 それを掴みとめているのは、真っ白な細腕。

 忌々しいほどに真っ白な、細腕だった。


「えぇと、俺に会いたがってるんだよな?」


 そして、いじわるな黒猫のような声がする。

 対するライドの喉からは、掠れた唸り声が漏れた。

 潰れたガマガエルのような声であった。


「ぐぐぐぅぅぅぅぅう」

「えーと、会いたいというか、君を探してたというか」

「なるほどな。サニャには世話になっている」


 何と言うべきか、やはりと言うべきか。

 そこには、退屈そうな顔をした黒鎧の少年が立っていて。


「勇者ハルトだ。よろしく」


 サニャが、やけにキラキラと輝く目で少年を見ている。


 まったく。

 こういうタイミングで登場するのが憎らしいよな。

 と、オーステンは思った。


「お前がぁ! 勇者かぁ!」

「何の用件だ、と言いたいところだが……察しはついている」

 

 冷ややかな声。まるで子どもとは思えない。

 勇者ハルトは、黒髪をがしがしとかいて、虚空を見つめた。

 なにを考えているのかは分からないが、なにか考えていそうな顔をしている。

 そういう顔を常に保っておけることもまた、勇者の条件である。


「立ち話もしんどいし、場所を変えよう」 


 ハルトがそう言った。

 確かに、勇者と話すのに立ち話というのも格好がつかない。

 オーステンは酒場の情報を出そうとしたが、サニャに止められた。

 見ると、勇者ハルトは無言のまま、既に歩き出している。


「あいつどこへ?」

「宿屋じゃないかな。良かったね。お姉さんたちにも会えるよ」

「ぐぐぐぐう……あいつ、噂通りのスカし野郎じゃねぇか」


 ライドが唸るのもまぁ無理はない。

 が、無言でスタスタと歩き出せるのも、また勇者の条件なのである。

 オーステンはモヤつく思いを抱えながらも、彼についていった。

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