強くてニューゲームにも程がある 4
滑らかな黒髪。死人のような皮膚。
その細面はどことなく高貴であり、王たるに相応しいオーラを持っている。
男は、今にも折れそうな長身に黒衣をまとい、その足を組んでいた。
その姿はどこからどう見ても、怪物とは異なるものだった。
ぎゅるぎゅると鳴いていた、あのラルダンとは。
「なんであたしの名前を知っていやがる」
「君だけじゃない。リエ、フラト、ベルナ……それとユフィル」
全身に寒気が走る。
「ジーナ! マズいぞこいつは!!」
フラトがそう叫んだが、そのときにはあたしもまた理解していた。
こいつ、こいつは、あたしたちのパーティを知っている。
「記憶があるんだな……てめぇ」
「いい調子だ。記録が出るね」
魔王ラルダンが優しく笑う。
「私はこの世界の魔王で、君に最初に殺されたのは、もうずっと前のことだ。記念すべき一度目の戦いでは、わたしと君はたしか、相討ちになったんじゃないかな」
やり直し。あたしと同じだ。
こいつは、ニューゲーム、している。
「あたしは女神の力で蘇った……」
「そうかい。私は違う。最初から何度も私は殺されつづけていた。君だけじゃない。この世界を訪れる数多の勇者たちによって、私は殺されつづけていたのだよ。臓腑を抉られ、頭部を刎ねられ、皮膚を焼かれて、仲間たちごと惨殺されて、ね。それからはもうずっと一人で魔王をやっているんだ。悲しいのは、嫌だからね」
魔王が首を振る。
その素振りはまるで人間そのもので、獣の面影はまったくない。
それもあるいは、繰り返しのせい、なのかもしれない。
「一体、お前はなんなんだ?」
「原因を私に求めるのはやめてくれないか。あらゆる罪科が本質的にはそうであるように、私と君を苦しめてやまないものは、この世界そのものなのだから」
「あァ?」
「君はいい勇者だが、頭が悪いのが傷だね」
小馬鹿にした口調で言うと、魔王はからからと笑った。
まったく意味がわからねぇ。
こいつはラルダンなのか、ラルダンじゃねぇのか。
言っていることが本当なら、こいつは既に死にまくってることになるが。
それなら、とうの昔にベルトリアは救われているはずだが。
「ジーナ、奴の言葉はなんとなくだが、分かる」
と、そのときフラトが言った。
頭の痛みに苦しむような顔をして、こめかみを抑えている。
「フラト、なんだよ、急にどうしやがった」
「僕は、いや僕だけじゃないだろう、僕たちはラルダンを倒したことが、ある」
あんだと?
そんなわけがない。
ないのに、あたしは、フラトの口元から視線を外すことができない。
「こいつの顔を見ていると何かが僕のなかに蘇ってくるんだ。それはまるで古い記憶みたいだ。少しずつ少しずつ浮かび上がってくる。僕は多分こいつを知っている。いや、僕だけじゃないな。この世界の人間はもしかしたらみんな……」
フラトだけではなく、リエとベルナも頭を抱えていた。
自分の知らない記憶が彼らを襲っているのだと、あたしは直感した。
「そのとおりだよ。私だけではない。この世界に生きるすべての生き物は、記憶を失ってその命を何度も繰り返している。どんなに殺され、苦しめられ、救われたとしても、そのすべてが無意味にリセットされる。新しい勇者がきたら、やり直し」
私たちの仲間は、
ユフィル、フラト、リエ、ベルナ、
いやそれだけじゃない。
街の人々も、金貸しの男も、王様も、動物も、魔獣もみんな。
みんなのその人生に、意味がないって、言うのか。
「それが、この世界の使命であり、私たちの役割なのだよ」
声がする。
あいつらの声がする。
「そうだ! 某は、魔王を殺して、殺されて、それでも常に同じ結末なのだ」
「私も。勇者を助けて、怪我を手当てして、そして、そしてまた別の勇者がくる」
「僕がいつも作戦を練るんだ。そして勇者たちが戦って、いつか終わりが来る」
なんだよそれ。
そんなもんがあたしの救おうとした世界なのかよ。
ふざけんじゃねぇ。
「……そんな世界なら、何回救っても、おんなじだろうが」
「そう。だからね、私は、この『ニューゲーム』を終わらせようと思うんだ」
魔王は悲しげにそう言うと、ユフィルの首を玉座に置いて、すとりとあたしの前に降り立った。そして、ガパリと口が開き、むき出しの顎がみるみるうちに開いて、ぬらぬらとした牙が後頭部に回り、包帯を外す間もなく、閉じた。
パチン。
〇
魔王は、にこやかに笑いながら話を続ける。
「……私は元々、倒されるべくして生み出された魔王だったのだと思う。勇者の冒険譚を終わらせるための舞台装置のひとつさ。東の果ての王が病に狂って魔獣と化す。そして世界を滅ぼす災厄となる。そんなありきたりで陳腐なストーリーのね」
なんだ今のは。
なにかが見えたような。
「だが、そのストーリーはただの一度では終わらなかった。勇者たちは何度も何度も私を訪れては、この身体を壊した。そして、世界を救ったことにした。だけどもね、君たち勇者はたった一度しか世界に訪れないけれど、私たちはこの世界で生き続けているのさ。だとしたら、このベルトリアの本当の主役とは誰なのだろう?」
あたしはこの話を知らない。
それなのになぜか、知っている。
「気付けば私は、記憶を失わなくなっていた。女神によれば、私は不可逆事象と成り果ててしまったらしい。相変わらず勇者はやってきたが、そこそこの相手なら返り討ちにできるようにもなった。もちろんそれでも世界は終わらなかったがね」
魔王はそう言いながら柔らかな微笑みを浮かべる、
「なんであたしにそれを言う?」
「君だけなんだ。この世界に何度もやってきた勇者は」
「クソ。来るんじゃなかった」
「ではもう、来ないようにしたまえ」
魔王は悲しげにそう言うと、ユフィルの首を玉座に置いて、すとりとあたしの前に降り立った。そして、ガパリと口が開き、むき出しの顎がみるみるうちに開いて、ぬらぬらとした牙が後頭部に回り、包帯を外す間もなく、閉じた。
パチン。
〇
「ではもう、来ないようにしたまえ」
魔王は悲しげにそう言うと、ユフィルの首を玉座に置いて、すとりとあたしの前に降り立った。そして、ガパリと口が開き、むき出しの顎がみるみるうちに開いて、ぬらぬらとした牙が後頭部に回り、包帯を外す間もなく、閉じた。
パチン。
〇
ようにしたまえ」
魔王は悲しげにそう言うと、ユフィルの首を玉座に置いて、すとりとあたしの前に降り立った。そして、ガパリと口が開き、むき出しの顎がみるみるうちに開いて、ぬらぬらとした牙が後頭部に回り、
〇
たまえ」
魔王は悲しげにそう言うと、ユフィルの首を玉座に置いて、すとりとあたしの前に降り立った。そして、ガパリと口が開き、
〇
え」
魔王は悲しげにそう言うと、ユフィルの首を玉座に置いて、
〇
パチン。
あたしは死んだ。
〇
「ではもう、来ないようにしたまえ」
魔王は悲しげにそう言うと、ユフィルの首を玉座に置いて、すとりとあたしの前に降り立った。そして、ガパリと口が開き、むき出しの顎がみるみるうちに開いて、ぬらぬらとした牙が後頭部に回り、その瞬間にあたしは気付いた。
「おい待て、何度も、だと?」
ぴたり、と魔王の顎が止まる。
「いい調子だ。久しぶりに記録が出るね」
「質問に答えろよ、クソボケ魔王」
あたしはすでに包帯を外している。
この距離なら、最低でも相討ちには持ち込める。
「その、腕か。ふふ。君はイカれた攻撃力を持っているのだものな。ステータスを見た時にきっと驚いたはずだ。どうしてそんな力を持っているのだろう? とね」
「女神から与えられたチートって奴だ。あたしの出せる最大限の力を……」
「本当にそうかな? 1度目の君は、本当にそんなに強かったのかい?」
あたしの手からパサリと包帯が落ちる。
魔王の言葉は、あたしの胸にずしりと重く突き刺さった。
そうだ。あたしはそんなに強くなかった。あのときフラトは、限界を超えた付加魔法をあたしに掛けたが、それでも1億5千万に攻撃力が到達するとは思えねぇ。そもそも、付加魔法による強化は、あたしのステータスそのものじゃ、ねぇ。
「じゃあ、なんで」
「君が何回死んでも、何回僕を殺しても、その度に始めからやってくるからだ」
「いや、あたしが転生したのはまだ2回目だぜ」
魔王はわざとらしく苦笑した。
「あぁそうだった。この会話は前にもした記憶がある。そう、君は1度目の記憶しか持っていない。今の記憶が残らないんだ。なぜだろう。そういうルールかい?」
ルールも何も、こいつの言葉の意味が分からねぇ。
あたしがこの世界に来たのは、これが2回目、のはずだ。
「いやぁ、あの濃密な1670度目の夜が残っていないのは残念だよ」
「1670だと!?」
「これで4750回目。ちゃんと数えてるんだよ」
意味がわからない。
4750回もあたしは転生していない。
この世界は、あたしは、
「君の異常な攻撃力は、転生の後遺症だ。強くてニューゲームを、ゲームオーバーかクリアの度に繰り返す。引き継がれていくステータスはどこまでも上がり続け、その重みはいつしか転生を阻害するほどになった。だから女神は、契約を維持するために攻撃力だけを残したんだ。その他のステータスを消し去ってしまってでもね」
静まり返った王城に、魔王の声が響く。
その楽しそうな声には、からかっているような色は一切ない。
ただ本気で、ありのままの事実で、
だからこそ面白いのだと言わんばかりに、魔王は微笑んだ。
「女神がなんと言ったかはしらないが、アレは相当な曲者だよ」
「……なんで女神の野郎は、ウソを吐いたんだ」
「さぁ? 私もまだ数度しか会ったことがないからね。でも恐らく、あの女神はこのベルトリアを救おうとしているのだと思うよ。そのために、君が選ばれた」
「なぜ、あたしが」
「さぁね。丁度いいところにでも転がっていたのではないかな?」
なんだそれ。
あたしがうっかり、強くてニューゲームなんか望んだからか?
それとも、空手を修めていて、ある程度動ける人間だったからか?
あるいは、暴力に躊躇しねぇと思われたからか?
理由は分からないし、どれであったとしても、あたしは納得できない。
記憶を消して、世界を救うまでなんどもなんども、やり直すとか。
ふざけるな。
「さて、じゃあ本題に入るよ」
「言ってみろ」
「君にはこのベルトリアを本当の意味で救ってほしい」
救う。
救えば、あたしは一体どうなる。
フラトや仲間たちは、どうなる。
いや、そもそも、
あたしに世界が救えるのか?
考え込んだあたしに、ラルダンはにやついた顔を向けた。
「……なーんて。ふふ。このやり取りももう何百回とやっているよ」
クソが。
じゃあ、あたしの試みはすべて失敗したんだ。
あたしは、救えなかったんだ。
「あたしはお前を殺せねぇのか」
「私を殺すことはできる。単に、その後に世界が繰り返すだけだ」
「ウソを吐いてるとしか思えねぇ」
「うーん、強くてニューゲームを繰り返す君自身がその証拠なんだけどね」
「……では、どうすれば戦いは終わるのだ。ジーナ殿か貴様が死ねば、この世界は一体どうなる? 崩壊するのか? 巻き戻るのか? これはそのまま続くのか?」
ベルナがこめかみを抑えながら、玉座の男を睨みつけた。
魔王は少しだけ考えこんで、そして、
「やってみようか?」
パチン。
〇
これはそのまま続くのか?」
ベルナがこめかみを抑えながら、玉座の男を睨みつけた。
魔王は、自信満々に答えを返した。
「勇者ジーナが死んだ場合について言うと、やはりその時点で消滅する。そして始めからスタートだ。私が死んだ場合は、どうかな、分からない。もしかしたら私が巻き戻っているだけで、ジーナのいる世界はハッピーエンドなのかもしれない」
「ふん。それならジーナ殿は今ここにおらぬだろう」
「うんそうだ。私も4桁数はちゃんと殺されているからね」
苦笑いする魔王にはわずかな焦燥もない。
殺され慣れている、というのがぴたりとくる表情。
もはや、あたしの戦いから意味は失われた。
「じゃあ、戦わなければいいのか」
「無理だね。死ぬほど説得して2人で過ごしてみたこともあったけど、この世界はジーナが転生してから7年を迎えると、自動的に消滅する。そして、ニューゲームだ」
ちなみにそれが1670度目だよ、と魔王は下らなそうに言った。
「まぁ、そうしたいなら、1桁回数くらいは付き合うけれどね」
「……乗り気じゃねぇなら、なんであたしをここに呼んだ?」
「1人で過ごすのも退屈なものだからね」
ラルダンはひらひらと手を振る。
退屈などという感情が、この男に本当にあるのか。
こいつをどこまで信じていいのか、が掴めない。
「ひとりぼっちが嫌なら、最初から魔王にならなけりゃ、いいだろ」
「難しい問題だ。私は魔王ラルダンであって、夜の国の王ラルダンではないから。狂った息子が父を悪魔に捧げて、魔の力を得るという流れは変えられない。魔人になったところからスタートするのだから、我が父は数えきれないほどに死んでいる」
言葉を理解するのが難しい。
あたしの脳みそはとうにキャパオーバーだ。
と、思っていると、フラトが杖を魔王に向けた。
「ならば、なぜ国を亡ぼす? お前は魔王ではないのか?」
「国は内乱で勝手に滅びる。私が魔王を演じるほうが、まだ混乱が少なくて済む」
「そうして救った命には何の意味もないだろう」
「そうだ。それでも、私の役割は国を守ることなのでね」
誇らしげな顔で魔王は語り、その目は瞬きひとつしない。
どこまでも本気。理想を語るくもりなき眼だ。
つい先日、城の者を皆殺しにした奴とは思えない。
「そう。救いたいのか、滅ぼしたいのか、諦めているのかいないのか。それすらも正直よく分からないのだ。記憶が消えてしまうジーナが本当に羨ましい時があるよ」
ラルダンが悲しげに言った。
リエは膝をついて、頭を抱える。
ひっくひっくと嗚咽が聞こえるのは、この世界のせいか。
それとも、ここまでの道のりのせいか。
すがりついようにリエがあたしの腕を掴んで、立ち上がる。
あたしはそれを、優しく支えた。
「わたしたちは、どうすればいいの?」
リエが言う。
魔王はとぼけた声で答える。
「さぁ? 戦ってもよし、逃げ帰ってもよし、私と一緒にほのぼの生活でもいい」
「ふざけないでよ! わたしたちが帰ったらあんたは国を亡ぼすんでしょ?」
「別にそんな気はない。どっちだって同じことだからね」
あたしは、もはや何かを言う気にもなれなかった。
この世界の命運が、あたしにも魔王にも託されていないのなら、
これから為すであろうあらゆることに、意味はない。
恐らくそれをもうずっと前に理解したであろうフラトは、
あたしの前に立ち、ラルダンに向かい合ってくれた。
「僕たちに、時間をくれ」
「もちろん」
魔王はにこりと笑って、それから静かに瞼を閉じた。
〇
……ん?
うまく、いったのかな。
久々だから感覚がよく分からなくてね、すまない。
とりあえず、何も見えないことは分かる。
「何かを見たくてここまで?」
いいやそうじゃない。
光あれ、と異教の神は言った。
つまり原初の世界とは暗闇だったんだ。
今の、私を、取り巻いているものがそうであるように。
だからこれで、十分だよ。
「ようこそ『狭間』へ。モナドからの干渉とは珍しいことです」
さて、女神フロール。
何から話せばいいかな。
「ラルダン。ベルトリアの魔王格ですね」
いかにも。
試しに意識を飛ばしてみたんだけど、案外とできるものだね。
「狭間への干渉はモナド内の超高位存在であれば可能ですので」
お褒め頂き光栄だ。
「して、何用ですか。以前の邂逅ではモナド内からの救済を指示したはずですが」
その件なんだけどね、君が送りこんできた勇者ジーナはもう2000回近くも私とまみえているんだ。そしてその内、半分以上が私の死亡で終わっている。これはもう、私の負けであり、世界の救済が為されたものだとは考えられないだろうか。
「ノー。討伐成功も討伐失敗も、シナリオのうちです。どちらを為したとしても、それは世界に対する決定的な干渉とは考えられません。世界は、救われていません」
あはは。
そうかい。
だけど女神様、ある意味ではすべての行為がシナリオの次元にあるじゃないか。
「イレギュラーを発生させることができれば世界は終焉に向かいます」
確かに。だけど、そのイレギュラーすら、シナリオに取り込んでしまうような構造をもった世界があるとしたら、救済など永遠にもたらされないと思わないかい?
そんな世界を一体、誰が救えるのだろう?
「救えない世界も多々ありますので」
でも、本当にそう思っているなら、貴女はジーナを送りこまなかっただろう?
「ノー。私にも気まぐれは起こります」
どうかな。おあつらえ向きのチートを与えるなんてのは気まぐれじゃないね。
女神様は、このベルトリアを救う方法を知っているんじゃないのかい。
「……」
はぁ。だんまりかい。
では参考までに、私の考察をお伝えしよう。
「……お好きにどうぞ」
まずベルトリアの特徴は、一回性を放棄したことによる収束不可能性だね。それゆえ、あらゆる試行を特定のパターンに収束させれば、結果は確定すると言える。だがもちろん、云千回の試行の為に、今のところ結果は散り乱れてしまっている。
これらの結果を収束させることは、普通なら、もはや絶対にできないだろう。
「イエス」
だけど、鳥から見れば街や人がけし粒であるように、ほんの些細なイレギュラー、すなわち『ゆらぎ』というやつが、マクロな視点で無視されるとしたらどうだい。云万回の同一な結果のなかでは、わずか一度の間違いなど、消えてなくなっているのと同じことだろう。仮にそれが云億ともなれば、世界はもっと多くのゆらぎを許容できるようになるはずだ。あるいは、それが無限の試行ともなれば……。
「眉唾ですね」
たしかに。世界の試行結果が限りなく収束されているという状態にするためにはそれこそ無限に等しい試行と時間が、必要になる。そんなことは誰にもできない。ただ単なる机上の空論にすぎないお話だ。そう、私もずっと思っていたのだよ。
ここに、ジーナという勇者が現れるまではね。
「眉唾です」
単刀直入に言うよ。
女神フロール、あなたは勇者ジーナに無限回数の試行を行わせるつもりだね。
確率論から言って、すべての試行はいずれどこかに偏ってしまう。
その偏りを無限大と捉えてしまえば、解釈次第で、世界は一つに収束する。
あるいは、有限の可能性の束へと、収束していくだろう。
「……眉唾ですよ」
ははは、えらく不機嫌そうだね。図星かな。
まぁジーナには気の毒だけど、それしか方法がないなら仕方のないことだ。
それについて異論を唱えるつもりは、まぁないよ。
記憶がなくなるなら、何那由他やっても永遠に一度きりだしね。
「……」
だけど、この私は、どうだろう?
この世界で不可逆事象として記憶を失えない私は、どうなるだろう?
「どうなるのでしょうね?」
分かってるだろう。
無限回数を試行するんだ。
なぁふざけるなよ?
女神フロール。
私はベルトリアの魔王として体感時間でおおよそ2千年もこの虚無に従事した。
最初に勇者が来た時から、随分と長い月日、同じ生活を送ってきた。
大筋の変わらぬストーリー、結末に関係のない終わり、バカ面の勇者ども。
ジーナが来てからは、その勇者すら代わり映えしない状態だ。
これで気が狂うなという方が無理だろう? なぁ無理だろう?
で、これはいつ終わるんだ?
終わるのか本当に?
「ラルダン、円周率が外部世界ではただ一つの記号となるように、無限の外部にいる者と内部にいる者では。見えるものも違うのです。始まった時にそれ自体として約束されている運動であるならば、結末が与えられなくとも、動き出した機構はそれ自体が、回答。すなわち、貴方たちは動き続けることで、もう終わっているのです」
ははは。眉唾だね。
下手くそな喩えだよ。
「語弊があることは認めます」
私が勝利した世界を確定させることで、貴女への復讐とでもしてみようか?
貴女の話なら、僕たちの運動がなんであるかには大した意味がないのだからね。
ハッピーエンドでなくとも、それはそれで貴女の目的は達成されるんだろう?
「恐れないでください。私がジーナを送らなければ貴方は『永劫』を、」
黙れ。
終わりも始まりもない世界と、無限の月日が過ぎるまで終われない世界だぞ?
ならば、たとえ『永劫』だとしても、前者を望むに決まっているだろう。
貴女は私を救いたいのではない。
貴女自身を救うために、このベルトリアを救わんとしているのだ。
私が魔王なら、貴女は邪神。
おのれの為に世界を救い続ける邪神だよ。
「ノー。私はこの世界のためにベルトリアを救わねばならないのです」
救われない。
「救済はいつか必ず訪れます」
女神らしくもない、祈りめいた言葉だね。
私を慰めようったってそうはいかない。
「ラルダン、すべてのモナドはいまだ『不完全』なのです」
不完全だと?
「イエス。ゆえに、どれだけ強固な構造でも、ほころびは必ずあるのです。それが私の観測する異世界たちであり、勇者が救いつづける異世界というものなのです。勇者たちは私たちの最後の希望なのです。どれほど経っても、私はそれを信じています」
どういう意味だ?
答えろ。
……
おい。
女神フロール、どこだ。
ここは、まだ終わっていない。
私の問いに答えろ。
フロール、
女神、
くそ、
誰かいないか。
誰か、私を、助けてくれ。
頼む。
ジーナ。
〇
魔王ラルダンが数瞬の放浪の後にその瞳を開く。
おおよそ2千年前の会話を、今でも忘れたことはない。
だが、そこにあった希望はもう、擦り切れて久しい。
「ラルダン?」
その声に己を取り戻す。
眼前には拳を握りしめた勇者がいる。
「決めたかい」
「あぁ」
ラルダンがそう言うと、ジーナは悲しげに微笑む。
知っている。この反応の結末は。
「ひとつ聞かせろ。なんでユフィルを殺したんだ?」
「私からすれば、この世界の住人はすべてゲームの駒だ。記憶を共有できない君とはいつもこのことで喧嘩になるけれど、どうせ次の周回では忘れてるし、みんな蘇る。ユフィルに関して言えば、あいつが居ると、話を茶化されてウザいからね」
そもそも、この世界のストーリーから逸脱することはできない。
いずれにしても、ユフィル=デリネゲはこの戦いで死ぬ定めにあるのだ。
戦わなくとも、彼は何らかの理由で、唐突に死に至ってしまう。
が、ジーナにそれを告げる気はまったくなかった。
「そんなふざけた理由で……」
「それに彼の精霊術を食らうと、人間体が取れなくなって話ができなくなるんだ」
「へぇ。ならそのご自慢の身体をぶっ飛ばしてやるよ」
握りしめた拳からほとばしるチカラは何度見ても変わらない。
あれが身体に当たれば、問答無用で結末が訪れる。
さっさと終わらせるなら、それもまた悪くない。
が、ジーナに伝えるべきことは伝えねばならない。
「一応言っておくけれど、その自己犠牲は無意味に終わる」
「てめぇ、あたしの攻撃を耐えるつもりかよ」
「私も私で、繰り返しているからね。それなりに自信はある。だけどまぁ、耐えられるかどうかというより、私たちが2人とも死ねば、また繰り返すだけだからさ」
「クソ……」
悪態を吐くジーナは、すこしも変わっていない。
不完全でゆらいでいる筈の世界は、実は少しずつその姿を定めてきているのだ。
きっと、4751回の繰り返しの果てに、事象が固定されつつあるのだろう。
実際、最初の頃のように、無茶な改変はできなくなっている。
転生と同時にジーナを殺すことも、世界を滅ぼすこともできない。
逃げ隠れしてしまうことも、もう、難しくなっていた。
つまり、世界は早晩終わるということか?
ラルダンはそこに一縷の望みをかける。
と同時に、そこに絶望も見る。
すべてが変わらなくなった世界で、自分さえも変われなくなったら、
この意識だけが身体に閉じこめられているのと同じことだ。
何もかもが同じ一回を、永遠に鑑賞させられるのだから。
ならば、さっさと白痴にでもなるべきなのだろうが、
ジーナが城に訪れるたびに、かすかな期待に胸が躍る。
彼女なら、私に、異なる何かを見せてくれるのではないだろうか。
そう思いながら、いつも、失望させられるのだ。
「君が決めないのなら、そろそろ終わらせてあげようか?」
「ラルダン」
「さようなら、ジーナ」
一度の周回は、大抵、邂逅から数十秒で終わってしまう。
しかし、ごくたまにこうして、一回が長々と続くときがある。
ラルダンはそう思いながら、口を大きく開こうとして、
「ラルダン」
「ん? なんだい、ジーナ」
「……戦う意味はもうねぇよな」
あぁこれか。この反応の結末も知っている。
ジーナはこの後、私を殺すことを諦めて、旅に出る。
そしてそのあいだ、私はこの無人の城で死人のように過ごすのだ。
7年後の終わりが訪れるまで。
「そうだね。去るなら、さっさと去り給え」
手を、ぱっぱと振る。
こうなれば仕方あるまい。
この周回は、のんびりと死を味わうとしよう。
つまらないが、たまにはそういうのも、いい。
ラルダンは踵を返して、ジーナに背を向けようとした。
だがその時、予想外のことが起きた。
彼女はおもむろに、腰を深く落として構えを取ったのだ。
「それはなんのつもりだい」
「手合わせ」
「あはは。これは久しくなかった展開だよ」
「私もそんな気がするぜ」
「なぜだ? なぜそう思った?」
ジーナは苦笑いをしながら首を傾げる。
その全身に、大量の魔力が注ぎこまれる。
フラト=デルマンは、呆れた顔で杖を振るっていた。
ベルナも困ったように刀を抜き、リエという女も弓を構えている。
「もしかして、ユフィルの仇を討っておこうと思ったのかい?」
「……いやぁ、違ぇんだ」
赤面するジーナはぽりぽりと頬をかく。
幸いなことに、それでは1億5千万の爆発は起こらない。
「よく考えたらよ、あたしたち、負け越してんじゃねぇかって」
「……なんだって?」
ラルダンの頭はその言葉を理解できない。
が、心はすでに理解以上の歓喜で跳ね回っている。
「夢で見たんだよな、お前に負けてるとこ」
馬鹿な、という思いと、
ようやく、という思いがせめぎ合う。
「ジーナ、4542回目のことは覚えているかい!?」
「数まで覚えてねぇよ。でも、お前がユフィルを弔ったことなら思い出した」
「僕もだ。この魔王と魔道具の話で盛り上がったような記憶がある」
「わたしだって、ユフィルとラルダンと、」
「やめろリエ、お前の話は今じゃねぇ」
苦虫を噛んだような顔で談笑するジーナ達がそこにいる。
ラルダンは驚きのあまり、腰を抜かしてしまっていた。
「ありえない。君たちの死は不可逆事象ではないはずなのに、なぜ」
「僕にも分からないね、まさか何かが変わったわけでもないし」
フラト=デルマンが己の頭をこつこつと叩く。
ジーナが、彼を押しのけて、
「やろうぜ。悪いけど、何回やっても負ける気はしねぇ」
「この先、記憶を残したままで無限に戦わなければならないとしても?」
「そんなら、先に気が狂ったほうの負けだろ」
「ははは! 気合や根性でなんとかする気だろう、ジーナ!」
「おう。あたしにはそれしかできねぇからな」
そして、白目を剥くフリをした。
ラルダンは呟く。
「そうか、気合……気合か」
「たぶん記憶が夢に出てきたのも気合のせいだな」
ジーナが言ったが、そんなわけはない。
ラルダンは推測する。
女神の言葉が蘇る。
ほころびと、祈り。
それが今起きている現象なのだろうか。
だが、幾度も消されてきた世界の記憶のなかで、わずかに消し残されたものの集積があるとすれば、それがたまたま今回のループで現れてきたのだとすれば、今後の世界はどんなふうに変わっていくのだ? 記憶を残したまま、ループするのか?
ラルダンには何も分からない。
この先にジーナが救われる道があるのか、
ベルトリアが救われる道があるのかも分からない。
だが、
少なくとも一つだけ言えることがある。
「なるほど。確かに勇者とは希望だね」
にやり、と笑ってジーナが構える。
ラルダンもその身体を獣へと変形させた。
「やろうか」
「やってみろよ」
異形の肉体には無数の甲殻。
破るためには、1億5千万の打撃を当てねばならない。
考えてもみれば、ここまで正々堂々とした戦いは久しぶりかもしれない。
ラルダンは雄たけびをあげて、その足を踏み込んだ。
びりびりと地面が揺れて、城の屋根が落ちてくる。
瓦礫に紛れてリエが矢を放ち、ベルナが死角へと回り込む。
ラルダンはその戦術を知っている、
知っているが、いつも対応はギリギリになる。
持ち越しているのはステータスではなく、記憶だけだからだ。
それゆえの不覚。
すべての攻撃がラルダンを捉えていた。
久々の戦いで、勘が鈍っていた。
「ぐぁやぁぁぁぎゅるぎゅるぎゅる」
「いくぞ、ラルダン!」
勇者ジーナは不敵な笑みを浮かべて、真正面から拳を放った。
尻尾はベルナが抑えている、腕はリエの矢が貫いている。
あとはその拳が、当たるだけ。
それで今回の決着はつく。
何の意味もない戦いの、何の意味もない決着。
だがそれでいい。
それで、もうしばらくは戦える、とラルダンは確信した。
「っあ」
そのとき視界の端に、何かが入りこむ。
それは玉座に置かれていたはずのユフィルの頭部。
ラルダンの生み出した震動によって、地面に転げ落ちてきたのだ。
ぽーん、ぽーんと首は跳ねて、そして、ジーナの笑みが凍る。
首はたまたま、彼女の放たれた拳を掠める。
圧縮された魔力が、急速に爆発する。
ふぅ。
ため息。
己から漏れたのだと、気付いた。
まさか自分が、命を惜しむとは。
「また会おうぜ」
ラルダンは確かにそう聞いた。
こんなに次が楽しみなのは、生まれて初めてだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます