強くてニューゲームにも程がある 3



 最悪の状態のなかでも、素晴らしいことはひとつあった。


 なんと、あたしたちは仲間のうちの2人を、早々に見つけることができたのだ。夜の国に隣接する王国アレピオスで最大の都市、偉大なる金鷲ユシャトルティアペリウデス……だかなんだかいう長い名前のおっさんが治める街リギスでのことだ。


 そこに本拠地をおき、あたしたち魔王討伐隊は、その日、最初の遠征会議をおこなった。大きな街に不釣り合いのうす暗くて小さな宿屋だったが、あたしたちが最初に全員揃った場所もここだった。この場所であたしとユフィルは出会った。

 

 どかり、と扉が開いて、ベルナとフラトが部屋に入ってくる。

 リエはあたしの傍で、とぼけたような顔を歪ませていた。

 彼女はいまだに、ベルナのことを気に入ってはいなさそうだった。


 黒髪と黒ひげをたくわえるベルナの頭には厳めしい鉢がね。硬い表情とたたずまいに似合った、和風の鎧を着こんでいる。両腰にさがる長剣も、まるで日本刀のように湾曲していた。男の出身は西の果ての国だと聞いたことがあるから、もしかすると、そのあたりにも日本人の転生勇者なんかが来ていたのかもしれない。


 一方、それを訝しげに見るリエの背中には、やはり長大な魔法弓が担がれている。和風とまではいかないが、いわゆる西洋のボウではない。もっとエスニックでごちゃごちゃとした装飾のついた弓だ。彼女の飾り気のない無地の服装や、ストレートの緑髪とは微妙にマッチしていない。


「遅いよー! 時は金なりだって言ったじゃん? 超絶暇人系のあれこれなの?」


 弓ではなく、むしろ、服装が似合っていないんだろう。

 リエは、黙っていれば正統派の美人だったが、喋るとアホっぽい。

 そんな彼女の発言を律儀に拾う者は、今回も前回もいなかった。


「ユフィルという精霊術士はまだ見つからぬ」

「近くの街やダンジョンを当たってきたんだけどね」


 男たちが同時に言った。


「単純明快! 迷宮深層に潜っちゃってるんでしょ?」

「ギルドには遠征も潜行も登録されていない。私用だと思うよ」


 フラトの髪はこの一ヶ月伸び放題になっている。それをかき上げながら彼が言う。仕草にはどこか面倒くささや苛立ちというものが混じっていて、あたしはそれをすぐに感じ取った。だが、言葉を発する前に、ベルナが野太い声を響かせた。


「……ジーナ殿、その男がどういう輩だったのか、分かるか?」

「あんたみたいなカタブツとは真逆の、ド変態軟派野郎だよ」


 あたしが即座に言うと、男は顔をしかめる。


「某がカタブツだと?」

「てめぇら2人、揃いもそろって独り身だろうが」


 顔をしかめる男らの代わりに、リエがにんまりと笑う。この2回目では初めて見るものだったが、あたしはこいつのこんな表情を、前に何度も見たことがあった。


「ね、ね、ジーナさん、ジーナさん」

「あんだよ」

「ユフィルってー、もしかしてイケメンだったの?」

「まぁ顔は良かったぜ。男も女もイケる口だし」

「でもヘンタイなんだよね……?」


 不安げを装っているが、本当はひどく期待しているのが厄介なところだ。顔のいい男に目がない彼女は、新たな街に着くたびに一夜限りの恋人を作る。そのトラブルに巻き込まれて、あたしがどれだけ苦労したかを、このリエは知らない。


 それを責める気はないが、本性がバレていないふりをする彼女はすこし面白くて、あたしはついつい苛めたくなってしまう。いや、わざわざ苛めようなどと思わなくたって、普通に彼女のエピソードを明かしていくだけで十分かもしれない。


「ユフィルは、スライムだのタコだのを使った魔獣プレイが好きなんだよ」

「げげげ。それはちょっとキツイかも。いくらイケメンでもそれは無理!!」

「リエ、あんたは3日で寝てたよ」

「ウソウソウソ!! そんなわけないじゃん!!」

「さっきの話は、あんたから聞いたんだっての」

「べぇ」


 リエは大げさに下唇を突き出す。

 カマトトぶっても、もう遅ぇ。


「ジーナさんこそ、そういう話はなかったわけ?」

「あたしにラブコメを求めんじゃねぇ。興味ねぇよ」


 マジで興味ねぇし、ユフィルともそんな仲じゃねぇよ。と思って、軽く睨みつけようとすると、同じことを思っていた男が机を軽く叩いた。皆の視線が集まる。


 フラトだ。


「話を戻すよ。この状態で、魔王は倒せるかい?」

「倒せねぇ。人数が足りてねぇ」

「4人いるじゃん」

「精霊術士は加護の力で魔人の力を封じられるんだよ、特別だ」


 前回の戦いでユフィルが死んだのは、まさにそのことを魔王ラルダンに見破られたからだ。あの魔獣は、自分の力が封じられていることに気付くやいなや、あたしを無視して、ユフィルを殺しやがった。ものの見事に。


 それを考えると、精霊術士抜きでパーティーを組んでも、ラルダンを追い詰めることは難しいだろう。あたしは今さらながら、自分の軽率な行動が、現実の流れを変えてしまったことを後悔した。なにもかも同じようにやっていればよかった。


「魔人を封じられるほどの術士なんて、その辺にいるの?」

「某の知るなかにはおらぬ」


 そう、ユフィルは特別だった。

 その彼がいなくなったこと、果たしてそれは偶然なのだろうか?

 かすかな違和感を覚えてはいたが、打てる手はそう多くない。


「結局あいつを見つけるしかねぇんだよな」

「ユフィルってのがいても、勝利確実! ってわけじゃないし良いんじゃない?」

「いや、あいつがいればゼッテー勝てる。あたしなら、この力があれば、」


 あたしはそう言いながら拳を打ち合わせようとして……やめた。

 そんな宙ぶらりんの包帯巻きを、リエが妙な顔で見つめていた。

 いや、彼女だけじゃない、ベルナもそうだった。


「それにしても、本当にお主のような娘が、本当に魔王を殺せるというのか?」


 ベルナが眉根を寄せながら問う。この男は最初に会った時もそうだった。

 疑いたがりで、自分の力にすごく自信を持っている。


「いかに恐るべき攻撃力をその腕に封じていると言われても、話だけではやはり信じられん。この手の疑義は5人が揃ってからにしようと思っていたが、ユフィルなるものが見つからぬのであれば、この辺りではっきりさせておきたいのだ」


 だが、ベルナは、一度その目で実力を見た者には、あっさりと従う。

 自分より強い者への敬意は、人一倍強くもっている男だった。


「ジーナの攻撃は捨て身のうえに尋常じゃない。簡単には試せないよ」

「いや、やってやるよ」


 フラトが目を丸くするが、あたしは気にせずにベルナの正面に立つ。

 そのむさ苦しい髪と厳めしい顔面を睨みつけて、口をすぼめる。


「む?」


 ベルナの眼が細まった。

 ふっ、とあたしは息を吹いた。


 突如として起こる大暴風。

 それがあたしたちのみならず、家具も滅茶苦茶に吹き飛ばした。

 散乱、暴乱、反動であたしは壁に背中を打ち付ける。

 幸いにも、ダメージはそれほどでもなかった。

 やっぱり思い切り息を吹きかける程度なら問題はない、か。


「ぐほぐほっ……これは、なんと」


 ベルナが腹に突っ込んだ椅子をどかしながら、咳き込んだ。

 頭の鉢がねは吹き飛んでいて、ついでに髪の毛も吹き飛んでいる。

 探してみれば、それは天井の梁に引っかかっていた。


「信じたか?」

「う、うむ」


 前回でも、ベルナの髪のことは知らなかったから、もしかしたら隠していたのかもしれない。そのことを少しだけ気の毒には思ったが、試してきたのはベルナの方なので過度な同情はしない。これで信じてくれるなら万事解決だ。


 と、思ったが、


「メガネが粉々だ」

「あいたたた」


 トレードマークを打ち砕かれたフラトが唸っている。

 その下には、ひっくり返って下着が危ないことになっているリエがいた。

 なので結局のところ、これは万事解決どころか、ひどい災難だった。


「ラルダンはあたしが倒す。だから、諦めずにユフィルを探してくれ」


 あたしはそう言って頭を下げた。

 3人の仲間たちは、神妙な顔で頷いた。



「ユフィルの居場所が分かった」


 いつも真面目な顔のフラトが、より一層に真面目な顔でそう言ったのは、リギスに来てから7日が過ぎた昼下がりのことだった。ミートスパゲティに似た名物麺料理を食べていたあたしは、その言葉におもわず、フォークを振り回していた。


「マジか! どこで油売ってんだあいつ!」

「『夜の国』だ」

「……なにゆえ魔王の国に?」


 飛んできたミートソースを慎重に髪の毛から取りのぞきながら、ベルナが問う。


「故郷だったみたいだ。そこにいる家族を助けに行ったんだろうという話さ。その結果、魔王ラルダンに遭遇。パーティは壊滅して、ユフィルは消息不明になった」

「待って待って! 精霊術士が勝手に脱落しちゃったってこと?」

「残念だけど万全の体勢はもう整えられない」

「何ゆえに我らと会えなんだ? 1度目と何かが変じたというのか?」


 ベルナの問いはあたしにとっても謎だったが、その答えらしきものは何となく分かっている。何かが変わったとすれば、あたしの行動以外にはありえない。ほんの些細な、たとえば右足と左足のどっちを先に出すかなんてことでも一つの変化なのに、目的や行き先まで違えば、どれだけの違いが出るかなど、想像もできない。


「違いなんて言い出したらキリがねぇ。黄昏の洞窟も虹マムシの森もあたしたちはガン無視でここまで来た。ラルダンを倒すための装備集めも、ほとんどしなかった」

「その些細な変化が、ユフィルという男を死地へと向かわせたのだろうな」


 ユフィルが死んだかは分からない。

 だが、この街で彼と会うのは絶望的だろう。


「ふむ、となると、魔王討伐は不可能……ということであるか?」

「どうなんだい、ジーナ」

「かなり厳しい、のは確かだ。だがまぁ手がないわけじゃねぇ」

「代わりの精霊術士なら既に手配しているよ」

「二流でしょ? 絶対失敗確定だと思うな、わたし」


 そりゃそうだろう。だが方法がないわけじゃない。

 魔王が弱体化できないなら、あたしが強くなればいいだけなんだから。


「やるしかねぇよ」

「……そうだね」


 フラトはそう言いながら、あたしをじっと見つめていた。



 その晩、彼は、あたしを自室に引きずり込んだ。


「ちょ、なんだよてめぇ」

「話がある。すこしだけ時間が欲しい」


 この宿で2人きりで話せる場所は他にはない。それでも、同じ部屋にひっぱりこむってのはマナー違反だろ。思うところはかなりあるが、どこまで掴みかかっても大丈夫なのか分からないので、あたしはただ、フラトを睨みつけることにした。


 彼はやはり真面目な顔で、あたしの両肩を掴んでいた。

 それも、とても強い力で。


「ジーナ、なにか良くないことを考えているね」

「うるせぇ」


 表情は真剣そのものだ。

 前にもこんなことがあった。


 あれは、ステボロウの洞窟に潜った時のことだ。トラップが作動して、今にも崩れ落ちそうになった洞窟で、あたしは一人だけ残った。みんなが逃げる時間を稼ぐために、山の核に一発ぶち込みにいったのだ。正直それは、かなり死にかけた。


 なんとか戻ってきたとき、こんな顔でフラトは怒った。

 それを、あたしは思い出して、あのときと同じことを言った。


「やらなきゃ死ぬ。だったら何をしても一緒だろうが」

「弱体化させなければ、殺せないかもしれない、ここは慎重に、」

「分かってる。だからお前が、あたしに強化魔法をかけろ」

「なんだって? そんなことを考えてたのか?」


 フラトが怒った顔のままで片眉をあげる。


「このステータスに、更に魔法をかければ、きっと魔王も殺せるだろ」

「君の呪いの問題がある」

「そんなもん気合で乗り切ってやるよ」


 そう言うと、ふざけるな、と言わんばかりの勢いで、フラトはあたしの胸倉を掴んだ。こいつがどうしてそんなことに怒るのか、あたしにはよく分からなかった。魔王を殺すためには死ぬしかないと、そう言ったのはフラトだったはずなのだ。

 

 それがどうして、こんな顔をしてやがるんだ。

 惑いを隠さずに首を傾げると、フラトはぼそりと言った。


「……前も、そうやって死んだんじゃないのか」

「違うに決まってんだろ」

「大きな力を長く維持することはできない、君はきっと無茶をしたな」

「お前がしたなら、あたしだってするし、誰でも同じことをする」


 あたしにとってはそれが当たり前のことだった。


 こっちの世界が本当の世界じゃなかった、からじゃなく、あたしは自分がどんな世界にいても、やるべきことのために無茶をするだろうと分かっていた。実際、6年前、いきなり死んで異世界に来たときも、案外とすんなり受け入れられた。


 やるべきことは、正しいことはどんな場所でも変わらないのだと、知っていた。

 それが、あたしに武術を教えた父親の口癖だったから。


 などと誇らしく思っていると、フラトは消沈した顔で肩から手を離した。

 そのまま、ぼろぼろのベッドに腰かけて、長いため息を吐く。


「……夢を、見たんだ」

「夢?」

「僕たちが一緒に、すごく長いあいだ、一緒に冒険する夢だ。魔王を倒して、君だけが死ぬ夢だ。あの魔王の気配もジーナが死ぬ瞬間の全ても、とても鮮明だった」


 そうなることはあたしにもあった。

 いわゆるPTSDという奴だったりもした。

 戦いに挑むこと、戦いを考えることは、疲れを伴うことなんだ。


「考えすぎだ。四六時中考えてるからそうなるんだ」

「そうかもね。だって僕は、前の僕たちがどんな風だったのかを知らない。でもなぜか、なにか言葉にできない違和感があるんだ。最初は君が死ぬことなんて世界が救われるためにはなんでもいいことだと思っていたのに、今では、少し違うんだ。君の無茶で救われる世界なんて、そんなものが良いものだとは、思えないんだよ」


 そういうフラトの眼には驚いたことに涙すら浮かんでいる。

 おいおい、魔王を倒すためなら命を惜しくねぇ、って言ってたこともあっただろ。

 いや、このフラトはそんなことは言ってなかったか。

 つか、あたしの命がかかってるだけの話で何をそんなに悩んでやがる。


 もしかしてあれか?

 あたしを心配するフリして、自分のことが心配なだけか?


「あんだてめぇ、ビビってんのか?」

「違う!」


 フラトの顔が真っ赤になった。

 図星、じゃない。怒っている、のでもない。

 自分の困惑を、恥じているような顔だ。


「僕が言いたいのは……君は世界を救うための道具じゃないってことだ。確かに命を投げうってでも魔王を倒すのは、悪いことじゃないとも思う。だけど、そのために何でもするなんて君の考え方は、なぜだろう、悲しすぎるように感じるんだ」


 あたしは、はぁーとため息を吐いた。

 前世にもこういう奴はいたような気がする。

 大義のために命を張る、ってのができないタイプ。

 あたしには理解できない優等生タイプだ。


「フラト、てめぇはそんなに甘っちょろい奴じゃなかっただろーがよ」

「前の僕と勝手に比べてかい? 今の僕は、こんな奴なんだよ」

「でもよぉ、どうせ死んじまうなら無茶してもいいだろうが」

「それも悩んでいる。どうやら僕は君をあまり、死なせたくないらしいから」


 前回、そんなことをこの偏屈メガネに言われたことはない。

 ないので、あたしは返答に困る。


「は?」

「君にすべてを背負わせるのは嫌だと思っている」


 なんだこいつ。あたしに惚れてんのか?


「そうか。好きなのか、あたしのことが」

「ド直球だな! 違うよ! そんなわけないだろ!?」


 トマトみたいな顔で否定してくる。

 どこまで信じていいかは分からないが、まぁ違うらしい。


「んじゃぁ、なんなんだよ」

「君が死ぬのをもう見たくない」

「見たことねぇだろ」

「ない!……ないはずだ。ジーナさんとはあの魔道具屋ではじめて会った。それからまだ2週間も経ってない。ほとんど初対面みたいなもんだから、こんな気持ちになるのはわけが分からない。このことを考えると、気がヘンになってくる!!」


 あたしも気がヘンになりそうだ。

 どういう思いをぶつけられているのかが分からない。

 好きだの嫌いだのの方が、まだ理解しやすい。


「なぁ恋だろ? 恋に落ちるのには半日もかかんねぇって言うぜ?」

「はぁ、じゃあもうそれでいい、いいですよ」


 諦めたようにフラトが言って、あたしは悩んだ末にその身体を抱き寄せた。

 いや、別になにかしようってんじゃない。

 ただ単に、疲れてるやつがいるなら普通にあたしはこうする。

 まぁフラトなら、もう少し、撫でてやりたいくらいの気持ちはあるが。


「なぁ、無理はすんなよ」

「……ジーナ」


 あたしが涙で濡れた眼鏡を取ってやろうとしたとき、扉の外で足音がした。

 クソ。この足音はリエのやつだ。めんどくさいから今来るんじゃねぇ。


 どかん、と力任せに蹴り飛ばしたような勢いで扉が開く。

 あたしとフラトはすばやく、身体を離した。


「取り込み中のとこ、ごめんね? ちょっと大変なことになったっぽくて!」

 

 珍しく焦った表情だった。

 その後ろには、意外なことにベルナの面もある。

 リエとは同じく、彼の眉間にも皺が寄っている。


「ベルナ、何があった?」

「危急の事態だ。魔王ラルダンがこの国に現れた」

「あ?」

「魔王は、王都を襲撃し、城の者を皆殺しにした」

「クソ野郎」

「……そして今は、城の大広間で待っている」


 王都の城の大広間。夜の国の荒廃した宮殿ではない。

 それは、あまりにも1度目とは結び付かない。

 あたしは理解が追いつかないながらも、問いかける。


「なにを待っているんだ?」

「勇者を」


 クソ。どうなってんだ。

 魔王がこっちに来るなんて。

 行く手間は省けたが、謎は深まるばかりだった。


「意味がわかんねぇ。んなことは前にはなかった」

「明らかにイレギュラーということだね」


 フラトが浮かない顔で言った。

 

「どうするの? 敵は目前、いかない道理はありゃしない! だけど、」

「行く。行かねぇと次は、王都の人間が皆殺しになる」


 選択肢はあるようでない。

 あたしたちにできるのは、策を練ることだけ。

 だがその策も、ユフィルがいない今、穴だらけだった。



 王都には3日でついた。

 城を目前にして、あたしたちは休息を取ることにした。

 はっきり言ってムードは最悪最低だ。

 ロクな準備もできず、仲間も揃っていない。


 勝てるわけがない。

 誰もそう言わなかったが、誰もがそう思っていた。


 王都の一番高い宿に泊まり、一番うまい酒と飯を食べた。たぶん美味かったのだとは思うが、大して味はしなかったような気もする。やはり、良いものは余裕のあるときに食べないと駄目なんだ。1度目に食べたときは、もっとイケてたから。


 ほとんど無言のままで、各々の部屋に戻る。

 だだっぴろい自室で、フラトは策を練るだろう。

 ベルナは瞑想を行っているだろう。


 そしてあたしは、リエに包帯を替えてもらっていた。


「明日のことは考えねぇつもりだった」

「こんな日に辛気臭い話しないでよ」

「この前フラトと喋ってて、ちょっと思ったことがあるんだよ」

「なに? 戦いが終わったら結婚でもするの?」


 興味津々というような笑みはどこか猫っぽい。

 こいつが、あたしとフラトをくっつけることに執心なのは前からだ。

 だが、今は恋バナをしたいって感じの気分じゃない。

 

「そうじゃねぇ。リエさ、魔王と戦うの、やめとけって話」

「はぁー? なにそれ、ビビっちゃってるわけ?」

「いくらなんでも勝ち目が薄い。一人でなんとかやってみるつもりだ」


 今回の魔王ラルダンは行動が違いすぎる。

 あの、獣のような奴とはどこかが違うような気がする。

 それにユフィルもいなければ装備も甘い。

 正直、誰も死なずに勝てるとは、思えなかった。


 あたしが考え込んでいると、リエは呆れた顔であたしの頭を叩いた。


「バカなの? ジーナ死んだら誰も魔王に勝てないだけじゃん!」

「あ、そうか」

「わたしはジーナが死んでも、この世界で生きていかなきゃいけないんだからね。孤軍奮闘なんてそれこそ意味ないから。暗くなるより必勝祈願! でいこ?」


 なるほど。あたしがそうであるのと同じことだ。命を賭けて、一縷の望みにかけるか、それともだらだら死ぬか。その二択なら、あたしも確かに前者を選ぶ。過度に、リエやフラトの命を気にするのはヘンかもしれない。ベルナはともかく。


 なんにせよ、結局、あたしの考えもこの世界に本当に生きている彼らのそれには、及ばないのだろう。あたしはどこまで行っても異世界人で、はみ出し者だ。この世界でも、あの世界でも、あたしは本当には、その世界に馴染んでいないのだ。


 包帯を巻き終えたリエが、慰めるようにあたしの肩を叩く。


「てかこの後さ、夜街に行かない? 折角、来たんだし」

「……いや、行かねぇよ。ひとりで行け」


 ありがたい誘いなのは分かったが、夜街は興味がない。

 大体、魔王が来ているのに夜街の連中が営業しているとも思えない。

 あいつらはこの街の誰よりも早く、逃げているはずだ。


「ふーん、てっきり寂しいのかと思ったんだけど?」


 リエが残念そうに指を絡めながらあたしの顔を覗き込んでくる。

 なんだ、悲しそうな顔しやがって。


「男に埋めてもらうような穴はいらねぇ」

「うっわヘンタイ」

「じゃねぇよ。心の穴くらい誰にでも……」

「あるよね」


 その声が、とても静かだったから、あたしは思わず彼女を見た。

 間違いじゃない。珍しく物憂げな表情でリエがそう言ったのだと分かった。

 今までに一度だって、こいつのこんな顔は見たことがなかった。


「なんだよ、どうかしたのかよ」

「なんだろね、ジーナと会ってから変な感じなんだよね」

「おいおい、なんなんだよ」

「いやそういうのじゃなくて!」


 そういうのを否定しているわけじゃないと弁解しようとするが、リエの顔は本当のほんとに顰められていて、ふざけている様子はない。かといって、照れている様子も怒っている様子もない。そこにあるのは、フラトと同じ、困惑の色だ。


「なんて言うのかな、気持ち悪いっていうか」

「……それは悪かったな?」

「あ、ジーナがじゃないよ? なんか頭のなかが変な感じ」


 遠くを見るような眼で彼女は言う。

 ゆっくりとベッドに寝そべり、リエは目を閉じた。


「まるで前にもこんなことが有ったみたいに感じるの」

「こんなことだと?」

「ジーナの包帯を替えたこと」


 前のときも。

 心臓がすこしだけ跳ねる。

 あった。確かにあった。


「ねぇよ、んなこと」

「わたしね、一緒にいればいるほど、このみんなで過ごした時間がほんの2週間だなんて思えなくなるの。もっとずっと長い時間、それこそ何百年も一緒にいてたみたいに思ってて。ジーナを知ってる記憶が、わたしたちにも、すこし残ってるのかも」


 あたしは答えない。

 そんなことがないとは言い切れなかった。


「わたし昨日、不思議な夢を見たんだよね」


 リエがすっとぼけたような声で、そう言った。

 答えない。答えられない。

 言いようのない感情が湧き上がってくるから。

 怖さと嬉しさがないまぜになって、すごく、嫌な気持ちだ。


「リエ……」


 返事はなかった。

 そのうちに彼女から、規則正しい寝息が聞こえてきた。


「ただの……夢だ」


 あたしはそう呟いて、そして朝がくる。



「ジーナ、準備はできたよ」


 フラトが杖の最終点検をしながらそう言う。傍らでは、リギスで雇った希少な精霊術士が震えていて、ベルナは厳めしい顔で、最後の瞑想を黙々としていた。そしてリエは、なにかが心にひっかかっている、そんな態度で、あたしたちを見ていた。


「顔色が悪いよ、ジーナ」

「寝不足だ。昨日はあんまり寝られなかった」


 朝になる直前にすこしだけ仮眠をとった。

 そのときに、ひどく嫌な夢を見たのだ。

 強すぎる敵に、負けてしまう夢を。

 

 夢に影響されるなんて、リエやフラトのことを笑えない。


「たかが夢じゃなかったのかい」

「ラルダンをぶっ殺す夢なら良かったんだけどな」

「うん。それは夢じゃなく、現実にしよう」


 あたしは腕を眺めて、それからゆっくりと包帯を撫でた。

 ここまで来られたのは本当に奇跡的なことだ。

 蚊の一匹でも反射的に叩こうものなら、街ごと吹き飛んでいただろう。


 戦いが始まれば、ようやくこの腕に出番がくる。

 そのときは、思う存分に拳を振るってやろう。


「ベルナ、開けろ」


 魔王城、いや、東の果ての夜の国トーリアの、かつての王城の扉が開く。

 巨大な門は、ベルナの馬鹿力でやすやすと開いた。

 一度目のときは、たしかあたしが開けたんだっけな。

 

 そのとき、ベルナがあたしを化け物扱いしたことを思い出して笑みが漏れる。漏れるが、同時に、彼に、何かの夢を見たことがあるかと聞こうとしてやめたことがあったのを思い出した。あたしはそれを聞いたのか、聞かなかったのか。


 結局、あのときはどうしたのだったか。それはいつだったのか。

 表情が強張っていることに気付いたのだろう、ベルナが声をかけてくれた。


「ジーナ殿、ひどく禍々しい魔力の気配だ」

「だな。これは間違いなくラルダンだ。奴はこの中にいる」


 まぁいい。わからねぇことは考えても仕方ない。

 フラトが全員に目配せをする。あたしも視線を返す。

 彼の杖が緑色に光り、一瞬でみなに障壁魔法がかかった。


「精霊術を最初に使いたいから、オバルは真ん中、前はベルナが守れ。右と左は僕とリエで受け持つ。とにかくジーナを絶対にやられないようにしてくれ、リエ!」

「……超絶理解だって! ジーナはあたしが絶対に守るから安心しててね!」


 ワンテンポ遅れてリエが言う。いつもの笑みはほんの少し硬い。

 昨日のことのせいかと思ったが、よく見れば、みんな表情が硬かった。

 考えてもみたら当然だ。これから、魔王に挑むのだから。

 

 大広間をしばらく歩けば、その奥に、巨大な玉座が見えた。

 だれかが座っている。だが、魔王ではないように見える。

 怪物ではなく人間だろうか。すくなくとも大きくはない。


 と思ったとき、玉座から魔力が放たれた。

 びりびりと城が揺れて、ばさばさとコウモリが飛んでいく。

 信じられないほどの力が溢れ出ている。

 

「ようこそ、新たなるベルトリアへ」


 広間の奥から声がした。身体は動かない。

 みんなが魔力を諸に浴びて、膝をつく。

 ラルダンの圧は凄まじいものだ。

 まともな人間なら一瞬で昏倒してしまうだろう。


「こやつが魔王ラルダン……なんという凄絶なる魔力なのだ」


 ベルナがそう言いながら立ち上がる。リエも、フラトも立ち上がる。流石だ。その身にかけた身体強化と精神強化が働いているのだろうが、魔法があるとはいえ、人間に耐えられる魔力ではない。身体でも精神でもなく、普通なら心がもたない。


「ひっ、ひぃいぃぃぃ!!」

「オバル!!」


 たとえば、飛び入りで参加した、精霊術士オバルのような奴ならば。


「耐えてくれ! 頼む!」

「ぼっ、ぼくには無理ですぅ! すみません!!」


 彼はそう叫びながら、脱兎のごとく逃げ出した。

 責めることはできない。だが、これで状況は完全に崩れた。

 精霊術士なしで魔王を倒すのは、絶対に無理だろう。


「嘘でしょ! あいつ……逃げやがった!」

「リエ、ベルナ、撤退も視野に入れる! 退路を確保してくれ!」

「ジーナ、とりあえず動かないと。指示を頼む」

「なにか、手を打たなければ」


 リエとベルナが慌ただしく動き、城の出口で何かが潰れた音がする。

 フラトは必至で、なにかを話しかけていて、

 そう、そうだ、フラトはあたしになにかと話しかけていて、


 その瞬間に、あたしは自分が現実感を失っていたことを知る。

 なんでだ。さっきからなにか引っかかっている。

 なにか違和感がある。なにか変な感じがする。

 

 そうだ。声だ。

 あたしの知るかぎり、ラルダンが喋ったことは、ない。


「……おかしい。なにかおかしい!!」

「ジーナ!?」


 あたしは、即座に走り出す。

 目指すは魔王、その玉座。

 すぐに辿りつき、敵の姿をこの目で捉える。

 高い玉座に座っている、まるで王様のような奴の姿を。


 じっくりと見て、あたしは確信した。

 追いついたフラトが、困惑しきった顔であたしに声をかけた。


「ジーナ、一体どうしたんだ!!」

「ちげぇんだよ」

「なにが?」

「こいつじゃねぇ。ラルダンはこんなやつじゃなかった」


 声が震える。武者震いではない。

 よく分からないものへの、言いようのない恐怖だ。

 

「クソが……」

「久しぶりだね。待ち望んだ再会だ」


 嬉しそうに、玉座の魔王は、その手を突き出す。

 あの、ラルダンの岩のような肌ではない。

 傷一つなく滑らかな、肌色のやわらかそうな右手が、

 ユフィルの生首を、掴んでいた。


「ようこそ、勇者ジーナ」


 いまやあたしには分かっていた。

 こいつは、ただ勇者を待っていたのではない。

 このあたしを、待っていたのだ。


「……ラルダン」


 そして気持ちの悪いことに、あたしも、こいつを知っていた。

 まさに、今朝見たばかりの夢で、こいつに負けたのだ。

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