不確かな真理の執行者 2
「……さぁ、答えろ」
チート能力で瞬殺されるかもしれない。
そう思いながらも、俺は、なぜか笑みを浮かべていた。
「榎戸ヒイチさん。あなたは私を出し抜きにきたのですか?」
「おいおい。質問にはそっちが答える番だろ」
俺はそう言って鼻で笑う。
「イエス。では私の答えのあとに教えてください」
「構わんぜ」
まぁ焦る必要もない。
能力の縛りでお互いにウソは吐けないのだ。
ゆっくりと腹を割って語ればいい。
「あなたが尋ねた堂島翔一は、あなたの居た時間軸で3年前に死亡し、この狭間の世界に送られてきました。わたしは彼を、ドルマータという異世界に転生させ、そしていくつかの助言と力を与えました。彼は勇者ドランとして、現地の時間軸で50年あまり生存し、70歳程度で肺炎によって死亡しました」
認めたくはない言葉だった。
だがそれが真実だというのも、どうしようもなく分かった。
翔一は死んだ。異世界に骨を埋めた。
くそ。
こうなりゃ女神から情報を搾り取らないと気が済まない。
さっさとあいつの質問に答えて、それから二つ目だ。
「お答えどうも。女神さん、あんたへの回答はもちろんイエスだ。お前のような存在がいることを予想して対策を練った。それが功を奏して、この状況が生まれた」
「意味が分かりませんね。転生経験でもあるんですか?」
さぁてどうかな。
まだ心は読めてるのか?
悪いが簡単には教えてやらんぜ。
「俺の、二つ目の質問だ。弟を殺したのはお前か?」
「イエス。直接的には転生トラックを操る勇者ベインですが、彼はわたしの下僕ですのでその責はわたしにもあります。ただし内面的には、堂島翔一は自らトラックに飛び込んだため、自殺です。その原因は家庭内環境にあると推察されます」
やはり、そうか。
勘付いてはいたが、あらためて言われると息が止まるほど苦しくなった。家庭内環境、俺と親父と、母と。3人で翔一を苦しめた結果、あいつは自殺したのだ。
それが分かったところで、救うべき相手はもう死んでいる。
復讐って柄でもねぇし、正直、こっから先の手は、ない。
「あとはあんたの目的をはっきりさせてやるくらいか」
「お楽しみにしていただくとして、次はわたしの質問に答えてください。あなたは、どうやってこの狭間の存在と転生システムに気付いたのですか?」
えらく真面目な質問だ。
女神なんてチートの権化みたいなやつなんだから、問答無用でぶっ殺してくるかと思ってたし、質問なんてしなくても心を読んでくるかと思っていたが……。
まぁいい。
知りたいなら教えてやるさ。
「俺が最初に不思議だったのは、翔一を轢いたトラックが捕まらなかったことだ。中型のトラックとはいえ、人間ひとりにぶつかっておいて、警察から逃げおおせられるとは思わない。そこで本庁の友人に捜査資料を調べてもらった」
こう見えても友人は多い方だ。
特に、お国に顔が利くやつはそこそこ多い。
「すぐに事情は分かった。これがW案件と呼ばれているものだってな」
「W案件?」
女神が面白そうに首を傾げる。
「ワームホールのダブリュー。W案件とは、2019年から日本だけで発生している迷宮入りの交通事故56件を指す通称だ。その特徴は、わずか数十メートルだけを異常な速度で走行する同一型の……しかし該当する車種の存在しないトラックによるひき逃げ。特筆すべきは、監視カメラまで洗っても、そのトラックを見た者が誰もいない点だな。痕跡から考えるに、それは、空間上のある点から突如として出現し、そして消失している。まるでワームホールを通り抜けるように」
そして、少数の人間を轢き殺していく。
通り魔のような災厄だ。
「粗雑でなおかつ残虐で荒っぽい仕事。幼稚園児でももっとマシに運転できるぞ」
「はぁ。人間にはそう見えますか」
女神は俺の言葉に片眉をあげて微笑む。
「魔法陣で召喚するより効率がいいんですよ、転生トラックは」
「殺意が湧くワードだなそれは。ラノベときたらどいつもこいつも判を押したようにトラックで転生させやがる。ミームってやつなのは分かるけどさ……」
いくらなんでもオリジナリティーが棄却されすぎだ。
俺がモノローグで省きたくなるくらいには、描写に違いがない。
どう考えてもあれは紙とタイプの無駄遣いだな。
「転生モノはお嫌いですか?」
「あぁ。W案件を追ううちに、それがライトノベルだのWEB小説だのによく出てくる小道具に似たものだと分かった。だったら、そのあとに起こることも類似しているかもしれない。そう思って読み漁ったんだよ、何冊も何作も飽きるほどな」
んで、現代知識チートとテンプレとハーレムは、もう読まなくてもいいことが分かった。いやー、これはあくまでも俺個人の感想だが、主人公に都合がよすぎる世界ってのは箱庭みが強くなる。それは俺の目的には合致しないってわけ。
なにせ、本当の異世界転生では物語なんてないんだろうから。
そうだろ?
「なるほど。予習、ご苦労さまでした」
「でもまぁそのおかげで俺は、転生と呼ばれるものに翔一が巻き込まれた可能性に気付けた。それからはトラックの出現条件と周期の研究だ。条件はすぐに分かった。トラックは、誰もいない、カメラも録音機もないところにしか出現しない」
「イエス。わたしの検索に引っかかるとはそういうことです」
「問題は周期だったが、これは少しだけズルい技を使わしてもらった」
「ほう。転生のタイミングに法則性はありませんが?」
女神が口元に手をあてて、小馬鹿にしたように笑う。
そのとおり。周期なんてものはない。
だが、確実に選ばれる方法は、あるんだよ。
「女神、お前が今まで殺した人々には、ひとつの癖があった」
「癖……ですか」
「ひとり言、モノローグだよ」
女神は目を細める。おそらく今までに転生させた人々のことを思い出しているのだろう。そのなかには翔一もいるに違いない。あいつもひとりごとが多かった。頭が固くて、真面目で、すべて言語化せずにはいられない、そんなタイプだった。
「ひとりごとなど条件づけたことはありませんが……」
「そうか?考えてみれば納得できるぜ?」
なぜモノローグが必要なのか。
その理由は、俺にはひとつだけしか思い浮かばなかった。
「一人称での語り。女神、あんたが求める勇者には、典型的なWEB小説やラノベの文体が必須なんじゃないか。小説が、視点人物というひとりのキャラクターを必要とするように、あんたが救おうとする異世界にも、たぶん一人称が必要なんだよ」
この、頭のなかでのトーク。
テレパスじゃねぇや、女神だけに読める心の言葉。
そういうものが転生するための条件なんだ。
「心のなかで異世界を解体できる素質を持つ者、ラノベ文体の主人公たちと同じ、いわば実況能力とでもいうべきものを持っていなければ、転生トラックは現れない。逆手にとれば、実況能力を高めていれば、いつか出会える可能性も高くなるはずだ。俺はそれから、心の中での世界の言語化を意識的に行うようになった」
他には、転生女神相手の交渉やら現代知識やらなんやらも習得しておいた。
聖書を踏まえて、簡単な格闘術をやったりなんかもした。
俺の言葉を聞いた女神は、納得いかないとばかりに首を傾げる。
「馬鹿馬鹿しいですね。ひとり言なんて誰だってするものですが」
「いやぁー、人気もカメラもないところで、自分の心を覗くやつはそういないみたいだぜ。チャレンジからわずか一年でトラックに轢かれた俺が、その証明だな」
女神はぎろりと俺を睨んだ。
「オーケー。嘘を吐いていないというのが癪ですね」
「まぁちょっと夢見がちでひとり言の多い人間が好まれてるのは間違いない。あとはそうだな、異世界で役に立ちそうな技能だの知識だのがあればなお良いし、世間的には凡人とみなされてる奴の方が良いし、そう、主人公だ。主人公ってのは誰もが感情移入できるように平平凡凡な一般人でなきゃいけないってわけ」
女神の額に指先を突き付けている俺が一般人かと言われると微妙なところだが、少なくともそう見えるようなムーヴをしなきゃならないってのは本当だ。大げさに叫んだり、すぐにエロい話につなげたり、能天気さをかもし出したり、とかな。
「ふぅむ。そこまで意識したことはありませんでしたが、確かにわたしはそういった基準で転生者を選んでいたのかもしれませんね。大変見事な想像力です」
「そりゃどうも」
まぁ女神の存在を仮定するなんて想像力以外の何物でもない。ましてやその架空の存在を相手に対処法を考えるなんて正気じゃない。今から考えれば、我ながらどうかしてたと思う。モノローグを作りこむなんてのも、狂人の所業だ。
だがそのお陰で、女神は油断してくれた。
「あなたの表層思考は完璧に偽装されていました」
「深層心理まで読める神じゃなくて助かったよ」
「ド凡人かと思っていたんですが、流石はあの勇者ドランの兄ですね」
お前が何を知っている、と言いたいところだが、50年生きたというのが本当なら、俺よりもこの女神のほうがはるかに長い付き合いになるのだ。胸糞悪い。
「さぁこれで十分だろう。じゃあ次はあんたの目的を聞かせてもらおうか」
「目的……目的ですか」
「当てどなく勇者を探してるだけってことはないだろ?」
「わたしはただ、世界を救いたいだけですよ」
救済。
俺に放った言葉と同じだ。
「世界?それはドルマータとやらのことか?」
「ノー。偏在するあまたの
「モナド……ライプニッツの記号論理学か」
「イエス。といっても最も近しい概念として援用したにすぎませんが」
モナドに近しい概念ってなんなんだよ、と思いながら俺は問いかける。
「救済はどのようにして行われる?」
「モナドは可能性を孕んだ種です。しかしその開花のためには受容体であるストーリーラインに、強力なリガンド、すなわち勇者を迎え入れる必要があります。勇者が適合した場合、モナドは自己の羅列を参照して終末を迎えます。その終末が最善のパターンとして定められたものであった場合、モナドは収束します。通常ならばこの状態が、救済です。我々はこの運動を『編綴』と呼んでいます」
ライプニッツの単子論に、リガンドやらレセプター。
どうやら女神というやつはかなりの現代知識を持っているらしい。モナド論なんてその辺の日本人でも知らない奴の方が多いだろうに。これはあらゆる知識に対してそうなのか、それとも偏りがあるのか。判断するには材料が足りない。
「衒学じみた話だが、一言でいえば、異世界を閉じたいってところだな」
「ノー。『編綴』による基底世界の更新ですね」
まるでSFみたいな話になってきた。この女神、ファンタジー世界の住人じゃないのか。現代ファンタジーには確かに複雑怪奇な設定のものもあったような気がするが、アールヴみたいな見た目でごりごりの衒学趣味とはちょっと気味が悪い。まるでファンタジーに偽装した人工知能を相手にしているような気分だぞ。
俺は核心に迫るため、質問をさらに重ねる。
「で、基底世界ってなんだ?」
「おっとっと。すこしお待ちください」
女神がまたしても小首を傾げた。
あぁ何が言いたいかは分かってる。
質問の回数だろう?
「イエス。それは、6つめの質問ではないですか?」
「だからなんだ。俺が提示した制限は『人一人から引き出せる真実は5つだけ』であって、人間じゃないあんたには適用されない。さぁどんどん答えろ」
ということだ。残念だったな。
「チッ」舌打ち。
まったく、感情むきだしの女神様だぜ。
苛立った顔で女神は俺に視線をやる。
「簡単に言えば、基底世界とはわたしとあなたがいる、この狭間のことです」
「よく分からないな。この狭間で、何を更新する?」
「それが基底世界です」女神は短く答えた。
ダメだ。埒が明かない。
攻め手をすこし変えてみるか。
「じゃあ、あんたが一番に欲しているものはなんだ」
「勇者」
「それは、どんな勇者だ?」
「はじまりの勇者」
くそ。口数がどんどん少なくなっている。
女神はどうやら守りに入ったらしい。
俺が女神からかすめ取った力は、ただ単に真実を引き出す力であって、俺の知りたい情報を好きなように手にできる力じゃない。答えが真実に触れてさえいれば、どんなに短い答えでも、それで開示は終わったことになる。
分かっちゃいたが、こうも露骨にやってくるとはな。
「さっきから答えになってないぜ。はじまりの勇者ってなんなんだ?」
「この世界の主人公。世界をけん引する者」
「抽象的すぎる。固有名称はないのか」
ぴたり。
女神の口が閉じた。
「フロール」
五秒ほど思案したのち、
彼女はようやくそう言った。
なんだ。なぜ止まった。
ただ、フロールという名を口にしたくなかっただけか?
死ぬほど嫌いか、あるいは憎んでいるか……。
と、その瞬間、女神の顔から笑みが消えた。
「ヒイチさん、そろそろ潮時でしょうか?」
もしかして地雷だったか。
声色がやけに冷えている。
ぞくりとして、俺は反射的に身体を引いた。
引いてしまった、まずい、これは。
「あ、」
身体が動かない。
指先は、虚空を指している。
「女神、最後の質問だ」
「人差し指が離れていますよ。もう答える理由はありません」
「ならもう一度デコピンすればいいだけだ」
「できません。あなたの身体を停止しました」
嘘ではないらしい。
俺の身体は完全に支配下にあるようだ。
いや、ミスったな。
まさか普通にビビっちまうなんて。
「ノー。あなたのミスではなく、わたしの仕様なのです」
「それは……どうしようもなさそうだな」
「イエス。こんな結末は望んでいませんでしたか?」
「別にだな。まぁ弟の消息も知れたし、あんたの目的もなんとなくは分かった。これ以上に望むことは何もないね。まさか神様に復讐できるとは思っちゃいないし」
それは本心だ。
こういう異世界存在の殺し方だけは、いくら考えても思いつかない。
せめて目的が分かれば、とは思ったが、ちょっと解決はできそうにない。
手詰まり。これ以上はない。
「オーケー。それがあなたにとっての編綴なのですね」
「イエス。もう満足した」
「栄華や名誉や安寧ではなく、己の知識欲や自尊心を満たすことでもなく、ただひとりの肉親を、その消息を知ることだけがあなたの物語なのですか」
「ある程度の地位になると、そういうのは満たされちゃうんだよ」
「現世の成功者ですね。勇者ドランがあなたから逃げたのが良く分かります」
「そ。だから追いかけてきたんだよ」
それを聞いて、女神が、なぜか嬉しそうに微笑んだ。
「はぁ。あなたのような人との会話はすこし、懐かしい気持ちになります」
「そう思ってもらえるなら何よりだな」
「ですか。さて、それではあなたを終わらせましょう」
終わり。
それが意味することはもう分かっている。
「勇者エスタ、あなたを異世界に転生させます」
「転生とはどういうものだ?」
「……ノー。もう答えられません。さようなら」
女神は、俺の質問に答えずに左指を鳴らした。
空中に小さなブラックホールのような穴が生まれる。
そこから漂うなんとも言えない匂いは、たぶん腐臭だ。
「これはまた、なんとも厳しそうな世界だな」
「廃棄世界ラースターシュ、長くは生きられません」
「能力は残しておいてくれるのか?」
「存在量過多ですが、この世界であれば容量の問題は生じません」
女神が能力を取り上げなかったのは、俺に触れたくないからだとは分かっていた。だがそれでも、彼女の言葉に優しさを感じた。なんとなくだが、もしも女神が本気を出せば、俺なんて一撃で殺せるんじゃないかって気がするんだよな。
「色々とありがとな」
「オーケー。心残りがないなら光栄です」
無表情のままで女神が言う。穴の引力はまったく変わらないままだ。
身体がずるずると穴に引き寄せられていく。
向こう側の世界には、臓物のような赤と黄ばんだ灰色が広がっている。
その至るところに、奇妙でおぞましい怪物が闊歩していた。
「デコピンでなんとかやってみるかな」
「あなたがこの世界を救うことを、期待しています」
「嘘つけ」
ずるり。
足が半歩出た。
一歩、片脚が落ちる。
二歩、両脚が落ちる。
俺は落ちている。
真下には、湖みたいなものがあった。
とりあえず即死はないようで安心だ。
「ようこそ、異世界へ」
頭上から女神の声が響いた。
俺は、静かに笑った。
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転生パターン05 榎戸飛一の場合。
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