いつか勇者の前日譚 2
25年が経った。人間族の領土は大きく減少した。
もはや父も母も生きてはいない。
ほんのわずかな生き残りだけで持ちこたえている状況だ。
魔王の軍勢は最終侵攻の準備を整えており、そう遠くないうちにこの世界から人間は消える。魔王は国を作ったり、人々を奴隷にするわけではない。やつらが通ったあとにはやはり、何も残らないのだ。だとすれば世界が滅びるだけだ。
だが俺にとってそれは、もはやどうでもいいことだった。
「あんたまた教会に行くのかい」
「あぁ」
「神様に祈ってるひまがあるなら剣でも振っとけよ!」
「やめとけ、あいつはノースキルのアレンだぞ」
「あぁあいつが。そりゃ悪かったね、勇者さんよぉ」
相変わらず俺はノースキルで、誰の役にも立っていない。
食糧管理、撤退作戦、人口管理、そうした業務ばかりが上手くなった。
世間には俺のおかげで救われたという奴もいれば、俺みたいな無能のせいで負けたと罵ってくるやつもいる。それに反論するのももう疲れた。別に世界が滅んでもなんとも思わないのだ。リンチされて死んでもたぶん心は動かない。
ひとつだけ、リナの言葉だけが俺を生かしていた。
もしも俺が死ねば、あいつの帰ってくる場所はなくなってしまう。
リナの手紙を読むたびに、どうして俺はあいつと一緒に戦えなかったのかということばかりが頭をよぎる。どうして俺にはスキルがなかったのか。どうして俺は剣を振るえなかったのか。それなのにどうして俺は、勇者と呼ばれたのか。
だから俺は教会に来た。
今もう一度、女神にその真意を問いただすために。
もちろん答えはないが、女神はたしかにどこかにいる。
問い続ければ、いつか必ず届くと思った。
「偉大なる女神フロールよ、この俺の問いにお答えいただきたい」
返事はない。
「貴方はかつて、俺を勇者だと呼んだ。勇者アレンと」
やはり返事はない。
「だがスキルもなく秀でた才もない俺が、なぜ勇者なのです」
それにも返事はない。
教会に通って、もう10日目になっていた。
これ以上は無意味かもしれない。
女神の言葉は、単なる気まぐれだったのかもしれない。
あるいは、もう女神はこの世界を見放したのかもしれない。
俺は、なかば諦めながら言った。
「俺が勇者だというのなら、それに相応しい力をください」
だがそのとき、教会の女神像が、今の今まで単なる石造の灰色だったものが、突然に神々しい光を放ちはじめ、みるみるうちに肉を持つ女性へと変わった。
「……私を世界に降ろすとは……素晴らしい力です」
女が、いや、女神が言った。
美しい姿、美しい声、美しい瞳だった。
それはこの世のものではないと、すぐに分かるほどに。
女神が俺に、優しく微笑みかける。
だが、その目は俺を見ていなかった。
どこか遠く、彼方を見ていた。
「女神さま……」
「アレン……お久しぶりですね」
「あの、適性検査以来です」
そう言うと女神は、ほんの少しだけ不思議そうな顔をした。
「ノー。何を言っているのですか? この姿で会うのは、狭間以来でしょう」
「はざま……?」
なんだ、この女神はなにを言っている?
「おやおや、転生前のことをまだ思い出していないのですか。どうやらあなたは自分のことをまったく理解できていなかったようですね」
そう言うと女神は、口が裂けるほどに口の端を上げた。
その笑みの邪悪さもさることながら、俺は、転生前という言葉に混乱していた。
転生。それはつまり、俺に前世があったということだ。
そして今の姿に生まれ変わる前に、俺はこの女神に会っていたのだという。
「女神さま、転生とは何のことですか」
「本当に思い出せないのですか?」
「これっぽっちも……俺はかつて、誰だったんですか」
「阿山。それが貴方の名前でしょう。死後、私から特別な力を受け取り、アレンとして、このエルデニオンに転生した勇者。それさえもう思い出せませんか?」
女神がそう言った瞬間、俺は狭間でのすべてを思い出していた。
狭間と呼ばれる白い部屋、今と変わらぬ姿の女神、与えられた力。
そして、この世界で為すべきこと。
そうだ、俺は阿山亮平。
この世界を救いにきた転生勇者だったのだ。
〇
俺はかつて日本という国で生きていて、ある日トラックに轢かれた。
そして、気が付けば白い部屋で女神と相対していたのだ。
女神は俺に言った。
「世界を救え」と。
だが、世界を救うと口で言っても、実際に救うのはとても難しい。
たった一人の人間にできることは知れている。
だから女神は俺に、世界を救うためのちからを与えた。
いわゆるチートだ。
だが、チートといっても万能の力じゃない。あくまでも女神との契約なのだから、できないことはある。たとえばゼロからエネルギーを持ってきたり、他人を無条件に洗脳したり、言葉だけで世界を滅ぼしたり、そういう、いちじるしくバランスを崩してしまうようなことは許されない。と、そう女神は俺に言った。
実際その匙加減は女神次第なので、口がうまい奴なら丸め込めるのかもしれないが、阿山としての俺は残念ながらそうではなかった。
「あなたに与えられた力を覚えていますか」女神が言った。
その瞬間、俺は、胸を槍でつらぬかれたかのように悶えた。
見えない誰かに責められているような苦しみ。
ああ、なんということだ。
俺の、俺の力は、
「……本気で努力を続ければ、どんな天才だって超えられる力」
ちゃんと覚えていた。
その言葉は、俺の口からこぼれ出た。
「イエス。具体的には7日間です。7日間ひとつのことに本気で向き合い続ければ、その優れた才能を発揮できるようになります。もっと長く続ければ、その分野の達人すら、簡単に追い越すことができるようになるでしょう、勇者アレン」
馬鹿な。それが本当なら俺は、いままでどれだけの月日を無駄にした。
本気で俺が望めば、なんだってできたというのなら。
俺は気付いた。もしやこの女神が現れたのも、祈り続けたからなのか。
「あなたが俺の呼びかけに応えたのも、そのせいか」
「イエス。今のあなたは国一番の巫女に匹敵する祈りの才を持っています」
「じゃあ俺がもしも、剣を振り続ければ……たとえスキルがなくとも……」
「イエス。あなたは国一番の剣士をも凌駕する英雄になっていました」
だが俺はあのとき剣を取らなかった。
手紙が届いたあとも、振るいつづければ最強になれる剣を無視した。
スキルがないと言い訳をして、俺はその道を諦めたのだ。
一度も、本気で向き合うことなく。
「今までの人生でまったく気付かなかったのですか?転生前のあなたは、7日間程度なら本気で向き合えると信じていましたね。そして一度その力に気付けば、すぐに使いこなせるようになると、そう言って、チカラの代償に記憶を封じた」
「あんた……こうなるのが分かってて、俺にチカラを与えたな!」
「イエス。しかし、思い通りにならないとすぐに逆切れとは勇者失格ですね」
忌々しい女神だと俺は思った。
だが、確かに悪いのはこいつじゃない。
俺だ。
チカラを使いこなせなかった俺、
すぐに諦めた俺、
リナを助けたいと願ったはずなのに逃げ続けた俺、
そして今、駄々をこねている俺だ。
「さて、アレン。ではそろそろお別れの時間です」
「待て!記憶が代償だと言ったな、この会話の記憶はどうなる」
「消えますよもちろん。それが代償。それが契約のルールです。自分で気づくまで、あなたはノースキルの最弱勇者であり続けるのですよ」
「そんなのはダメだ。俺に世界を救わせてくれ……」
俺は必死で頼んだ。
リナだけじゃない。
無数の人々が愛したこの世界を、俺なら、救えるかもしれない。
記憶さえあれば、チカラのことさえわかれば。
「頼む……俺に、俺にこの世界を救わせてくれ!いや救わせてください!お願いします女神さま、その後なら俺の命と引き換えてもいい、だから、頼む、たのむ」
「ノー。自分の力で救ってください」
そういうと女神は唐突に消えた。
〇
風が髪を揺らした。
俺は目じりの皺をなぞりながら、眼前に広がる大地を見渡す。
軍勢はついに俺の目前にまで迫っていた。
砦の下には数十万の大軍。
対する人間軍はわずかに5000。
負け戦だ。
「おいアレン、そんなとこで眺めてたらあぶねぇぜ」
「俺がここで落ちて死んだところで結末は変わらない」
「けっ、つまんねぇ男だな」
気さくに話しかけてくる男は、この調子だが、人間のなかでもっとも優れた剣士の一人だった。類稀な剣スキルを持ち、たった一振りで数十の魔物を切り捨てる。
だがその彼をもってしても多勢に無勢。
俺たちはここまで、数えきれない仲間を失ってきた。
「結末は勝利だぜ。お前の作戦なら奴らに勝てる見込みはあるんだろう?」
「ない。これは負け戦だ」
それを聞いて、剣士が胡乱げな目を俺に向けてくる。
俺は、唇にうすく笑みを浮かべて、言葉をつづけた。
「だが敗北戦じゃない。撤退戦だ。俺たちが時間を稼いでる間に生き残った人々を船で逃がせればいい。たった一つでも希望が残ればそれで、勝ちだ」
俺はあれから参謀としての能力を本気で磨いた。古今東西の軍事を学び、少数で多数の敵をどう扱えばいいかを研究した。幸いなことに俺には軍事の才能があった。そのせいか、俺たちはあれから五年ものあいだ生き残ることができた。
剣士が俺の背を強く叩く。
「馬鹿言ってんじゃねぇ。希望はたくさんあるほうがいいに決まってる」
「そうだな。ひとつでも多く、残したい」
海のむこうには、まだ人間の世界が残っているという。
それが残る世界の半分。まだ俺たちは負けてはいないのだ。
魔物の話が海の向こうに伝われば、もしかすると世界を救えるかもしれない。
世界を救えるやつが、もしかしたらいるかもしれない。
俺たちはそんなかすかな願いを込めて、この戦いに挑むことにした。
「上手くいくことを祈ろう」
「けっ。祈ってる暇があるなら、一秒でも身体を休ませるぜ」
剣士はそう言って豪快に笑う。
俺もつられて笑った。
やはり、一緒に笑えるやつがいるのはいい。
「あのときの祈りとやらは結局、通じたのか?」
「いいや。やはり女神には会えなかった」
「だろうな。でもお前はあれから変わったぜ」
「それなら少しだけ嬉しい」
俺は素直にそう答えた。
なにかが変わったとするなら、それはリナのおかげだ。
あのとき、女神がついに現れなかったことで、俺はひどく混乱してしまった。女神にとって、この世界は無価値なのか。女神にとって、この俺は勇者ではなかったのか。すべての問いを放り投げて、女神という存在は姿を消してしまった。
きっと俺たちは女神さまに諦められたのだ。
あるいは、見捨てられたのだ。
だが、そう考えたとき、俺はふと思い出した。
たとえ自分が無力だと分かっていても、諦めなかったやつがいたことを。
誰も助けてくれない状況でも、誰かを守ろうとしたやつがいたことを。
あのときリナは、自分が愛する世界を救うために全力を尽くした。恐怖や絶望や無力感さえ、彼女の思いを曇らせることはできなかった。きっともう女神が見限っていた世界で、それでもあいつは、あいつらは、諦めなかったのだ。
ああ。
神様でさえ匙を投げるのに、それでも諦めない者をなんと呼べばいいだろう。
俺は知っている。俺たちはそういうやつらを、勇者と呼ぶのだ。
そして俺はそのあり方にずっと、憧れてきたのだ。
たとえ神に見放されようとも、戦う力がどこにもなくとも、たった一人になってしまっても、その思いが曇らなければ負けはしない。奪われはしない。終わりはしない。諦めないかぎり。愛するものの居場所を守るために戦うかぎり。
その覚悟を持つことができれば、俺もきっと勇者だ。
最弱で、剣さえ今は握れなくとも。
〇
「来やがるぞ」
魔物の雄たけびが半島に響き渡った。
はるか遠くまでどこまでもが黒く埋め尽くされている。
旅立った船もどこまで逃げられるかは分からない。
だがそれでも、諦めるつもりはなかった。
力がないなど戯言。
神に見捨てられたなど戯言。
だから世界が救えないなど、戯言だ。
「お前に頼みがある」
「なんだ改まって。やっぱり戦の前に女が欲しくなったか?」
「違う。この戦いに生き残ってからの話だ」
「なんだ?剣でも教えろってんじゃねぇだろうな?」
剣士が冗談めかして笑う。
正面からは、黒の軍勢が波のように押し寄せてくる。
くだらない冗談など言っている場合ではない。
だというのに。
俺は笑った。
「いや。実はそう言おうとしたところだ」
そう言いながら、右手の剣を強く握りしめた。
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転生パターン02 阿山亮平の場合。
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