策をここに一つ
「話題の賞金首を捕らえた。どこに引き渡せばいい?」
後ろ手に腕を縛られたクロは、そう言ったイェルに足蹴にされて、騎士たちの目の前に転がった。
地面との接吻を余儀なくされ、甘酸っぱいイチゴ味の代わりに口に入ってきた砂をぺっと吐き捨てる。そこで一人の騎士がこちらを覗き込んできた。
「……本物か?」
「もちろん。見ての通りに」
左眼の暗い光を示してイェルが言うと、騎士たちは互いに顔を見合わせて、何があったとやいやい小声で話し合い始める。遠征の目的が向こうからやって来たともなれば、浮き足立つのも無理はない。
すると騎士のうち一人が「しばし待て」とイェルに言い渡した。騎士は天幕へ入っていき、戻ってきた時には上官を連れていた。
誰かと言えば、もちろん。将軍補佐を任された老騎士、ゼラルドその人だ。
ゼラルドは転がるクロを見るや、ぶはっと息を吐き出し——口を隠して、くっくと笑いをこらえる。
「……何か?」
「いやなに、お気になさらず。それでこの男は、どうされたのですかな?」
「皇姫ミスハ様殺害の犯人を捕まえた。見ての通り、黒髪に黒い瞳。さらに左眼の辺りが黒煙に包まれている。疑いようがない」
「ふうむ、確かに……その通りのようですな」
相変わらずゼラルドが笑いをこらえている。おいおい、いくらなんでもウケすぎだ。そんなに笑われると周りの奴にもこっちの狙いがバレバレに——
「おりょ、クロさんじゃないですか。これは丁度いいところに……って、どうしたのですか、その恰好?」
そこにリーフが、豊満な胸と桃色がかったツーテールを揺らしながら、相変わらずのぽわぽわ具合でやってきた。
クロは慌てて目を逸らす。が、何しろ向こうは天然少女。「何です?」「およよ?」「もしもし、クロさん?」不思議そうな顔でこちらに近付いては名前を呼んでくる。
「リーフ殿のお知り合いですか?」
騎士の一人が尋ねた。
「ふえ? えーと……」
クロは小さく首を振って、そうじゃない、黙っていろと訴える。しかしクロの訴えにも少女の頭の上には疑問符が増えるばかりで、一切合切伝わっている様子がない。やっぱりこのゆるふわ女、どうしようもねえ。
「そう。知り合い。私はクロと言う」
状況を察して、イェルがどうにか誤魔化そうと試みた。いいぞ、うまい躱し方だ。
「おりょりょ? いやいやクロさんは——」
リーフがその機転を再び台無しにしかけたところで、ゼラルドが会話を遮った。
「ともかくクロさん、こちらへどうぞ。捕らえた犯人も、連れてきていただけますかな」
「ええ、よろしく」
「うえぇ⁉ 犯人⁉ え、どゆことなのです⁉ やっぱり違うのが違かったのですか⁉」
「……頼むから、お前はちょっと黙っててくれよ……」
クロは小声でリーフに言うと、ほとんど引きずられるようにして、騎士たちの簡易天幕に連れて行かれた。
◇
「……それで、ミスハ様はいつ頃おいでになるのかな」
天幕に入って早々、ゼラルドが切り出した。さすがと言うべきか、大体のところ察していたらしい。
クロは後ろ手に縛られたまま答える。
「あまり早いと怪しまれるかもしれないから、ちょっと遅めに来るよう言ってある」
「ふむ。それが賢明だ」
樽から水を——あるいは酒か——コップに汲んで、ゼラルドはぐいと一息に飲み干した。木製の丸椅子に腰掛けて、コップを卓に置く。軍事用の簡易な天幕というからどんなものかと思えば、存外快適そうな空間だった。
「しかし、これからどうする気だね? このままだと私は、君を捕らえて帝都に連れて行くことになるが」
「そこは大丈夫」疑問にはイェルが答えた。「彼と私が共謀して、騎士たちに騙し討ちを仕掛けたことにする。ゼラルド殿が席を外した隙に、二人でうまく暴れながら逃げ出す予定」
「ふうむ。それならどうにか、筋は通っている……かな? 手配書に一人共犯者が増えることにはなるが」
ゼラルドは顎に手を当てて、無精に生えてきている白混じりの髭をさする。少し悩んではいるようだが、気が進まないという雰囲気ではない。
「あのう、一体何がどうなっているのですか? クロさん、自分は犯人じゃないと言ってたではないですか。本当の本当は真犯人だったのです?」
完全に阿吽の呼吸、ツーと言えばカーで話す三人に、何一つ理解していないらしいリーフが口を挟んできた。
「いや、だからな……ていうかそこから説明すんの?」
「もちろん彼は、本当に犯人として捕まったわけではないのですよ、リーフ殿。しかし我ら帝国騎士としては、『皇姫ミスハの暗殺者』を捕らえれば、お役御免ですからな。彼らの狙いはそこにある」
「な、なるほどぉ。……えーと。…………えっ? つまり?」
「……後から来るミスハたちを素通りさせるために、犯人が既に捕まったことにしたいんだよ。この遠征の本当の目的を知らない騎士たちは、俺が捕まればもう街道を封鎖する理由がなくなる。……で、合ってるよな? それが目的なんだけど」
「うむ、その通り。名目上はクロ殿を捕らえるための遠征ですからな。犯人を捕らえた後ならば、誰を通したからと言って、我らが責められる謂われはないわけです」
「ほえー……な、なるほどぉ……」
これはまだ分かっていないと見える。が、これ以上の説明は底なしの泥沼にはまり込みそうな予感しかしない。リーフはもう無視して、クロはゼラルドに会話の矛先を向ける。
「正直ちょっとした賭けだったんだけど、あんたが協力的で助かったよ。ゼラルドさん。あんたがミスハを殺す方に付いてたら、俺ら一網打尽だったからな」
ゼラルドは客人用のコップに水を汲みながら、小さく笑みを浮かべた。
「皇姫様の出自については、私も思うところはある。しかし私は根っからの軍人なものでね。政のあれこれに、さしたる興味はないのだよ。……もちろん、もし上官命令として『皇姫ミスハを殺せ』とあったなら、躊躇なく手を下すがね」
「じゃあ、あんたに本当の目的を隠そうとした、水大公にでも感謝しとくか」
「はは、それがよろしい」
クロとゼラルドは、皮肉を交わして軽く笑い合う。
そうこうしている内に、天幕の外から声がした。
「ゼラルド将軍! この道を通りたいという女たちが来ているのですが、いかが致しましょう? 一応、もう封鎖する理由はないですが……」
「来たかな?」
ゼラルドが小声でクロとイェルに確認をとってくる。こちらもこくりと頷いた。
「……問題ない。すでに犯人は捕らえたのだ。通して構わんだろう」
「かしこまりました!」
騎士が去って行く足音が聞こえた。
「私もちょっと見てくる」
イェルも天幕を後にする。それからしばらく、三人で顔を見合わせた。
とりあえずこれで一つ、問題は解決したか。次は上手いことイェルと二人、逃げおおせられるかだが……果たして。
「おっと、そうそう。忘れるところであった。リーフ殿は一つ伝えねばならんことがあるのでは?」
「ほえ? ……あ! そーでしたそーでした!」
ゼラルドが声をかけると、リーフが跳ね上がるように反応する。
「あのあの、実はですねクロさん。ミスハ様がエルフじゃないとか色々お話あったのですけど……考えに考えたすえ、わたしとしてはやはりみなさんのお手伝いをしたく——」
その時、馬のいななく声が響いた。
「——いいから逃がすなッ! あれを追うんだッ!」
外の騎士たちに命令する声が聞こえる。女の声。しかも聞き覚えがある。これは——ラドミアだ。
一つ舌打ちをして、後ろ手の縄を解き、クロは天幕を飛び出した。
目の前に映るのは猛吹雪。すでにイェルの魔法が発動していた。
「皆の者、怖じ気づくな! 狙うべきはそちらの馬だ! ただちにあの二人を捕らえよ!」
二頭の馬が猛吹雪の中、騎士たちの合間を縫って疾走していた。乗っているのはそれぞれミスハとフレデリカ。ラドミアがますます声を荒げる。
イェルが魔法を発動させながらそれを追う。右手を掲げると、氷柱が辺りに降り注いだ。だが騎士たちはそれらを見事に躱しながら、留めた軍用馬の元へ駆けていく。
「やばいやばい、やっべーぞこいつは!」
二人の乗った馬が騎士たちの囲みを越える。しかし騎士らも各々馬に乗り込んで、追撃を開始していた。何人かはイェルが魔法で馬から落とす。
「おっとォ!」
イェルに斬りかかろうとしたラドミアの剣を、クロは異形の右足で蹴り弾いた。
混戦に次ぐ混戦。
「妙な場所から出てくるのね。黒煙の怪物」
「あんたもさっさと神承器使ってくんねーかな。片足だけで剣とやり合うのは、ド素人の俺にはきっついんだけど」
「言って聞くほど、私が馬鹿だと思うのかしら?」
「思わねーけ……っどッ!」
言葉を交わしてすぐ、クロは身体を捻って回し蹴り。容易く後ろに躱されて、しばしの距離が開いた。
イェルと背中合わせになって、クロは囲む騎士たちを見回す。
「どうする? 二手に分かれるか」
「少なくとも追っ手はなんとかしないと。二人を逃がすのが私たちの仕事」
しかし周囲には数人の騎士とラドミア。簡単には追いかけさせてくれそうにない。
と、その時。囲みのど真ん中を馬が走り抜けた。乗っていたのは——
「お二人は任せてくだ——っすわわぃ!」
神承器の大弓を背中にかけた、エルフの少女リーフだった。乗った暴れ馬は兵士たちの間を走り抜けて、二人を追った騎士の後ろをさらに付いていく。
「……あのエルフは、誰?」
「手伝ってくれるんだってよ。ミスハの母親とのよしみでな」
「成る程」
左眼が捉えた敵の動き。素早く右を指し示すと、飛びかかろうとしていた騎士の身体をイェルの魔弾が弾き飛ばした。
「いいね」
「でもまだ危険」
イェルは植物の蔦を魔法で操り、転がる騎士の一人から剣を拾い上げる。そしてクロに渡してきた。
「俺、役に立てるかねえ?」剣を手にしながら呟く。
「神承器使いは私じゃどうしようもないから、いるだけでも意味はある」
「さよで」
騎士たちが簡易な編隊を組んで斬り込んできた。
「<
魔法によって生まれた飛礫の壁が、いくつもの剣を同時に受け止める。だが騎士たちは驚くこともなく散開し、隙間を狙って斬り込んでくる。
それを左眼で見極めたクロがどうにか蹴り飛ばし、剣で押し返す。中々悪くないコンビネーションだ。
騎士の数は決して多くない。ミスハとフレデリカの二人を追ったのが三、四。残ったのも同様。
これだけなら何とかできそうだが、何しろこちらにはラドミアと——
「彼らがここにいる理由について、深く追求はしないけれど……。分かっているわね、ゼラルド将軍補佐? ここでこの二人を仕留めておけば、今後がかなり楽になるのよ」
「……殺しを知らぬ者と、力を隠したままの者、斬るにはどちらも気が進まないところですが。将軍殿のご命令とあらば」
——件の『天剣』が、いる。
ゼラルドは腰の剣を引き抜いて、ゆったりと構えた。無駄のない力の配分、身体の内部に伝わる赤や黄色の光の流れは速く淀みなく。改めて相対し、左眼に映る姿を確認して初めて理解できる。
————強い。
刹那。光が瞬いた。
突撃してくる⁉ とっさに右足を蹴り上げる。——が、外れ。ゼラルドは急旋回して横へ回り込んでいた。氷の刃が舞い踊る。イェルの魔法。が、砕かれる。飛び退いたクロを追って、鋭い一太刀。
「うぉぅッ!」
ギリギリ剣で受け止めたものの、そのままくるりと剣が回され、絡め取るように弾き飛ばされる。これが一瞬の出来事。
そこにイェルが無詠唱に魔弾を数発。しかしゼラルドは足音もほとんど無しにそれらを全て躱してみせた。「<
舞い散る氷の破片。そして生まれたイェルの死角と、一瞬の隙。
「危ねッ——」
——から刹那に斬り込んできた、イェルを両断しようとした剣を、クロは両腕と身体半分を犠牲にして受け止める。
「クロ!」
「痛ッ——たく、ねえ!」
力ずくでゼラルドの剣を跳ね返す。傷口から黒煙が舞い散った。
「ふむ。リーフ殿が神承器を使いましたかな?」
「らしいな。……けど、すぐに解除されて……くそ……駄目だ。早過ぎ……」
傷が治りきる前に、神承器の気配が消えてしまった。腹と腕から赤黒い血が流れ落ちる。
しかし神承器が使われたとなれば、ミスハとフレデリカを追った騎士もいくらかは倒されたはずだ。このままいけば彼女らは逃げ切れるだろう。
とはいえ、こちら側の状況は最悪。ゼラルドが目の前で剣を構え直し——
「くぅおらァッ!」
その前に、クロが力の残滓を振り絞り放った衝撃波。
だがそれよりも更に先んじて、ゼラルドの剣がクロの脇腹を深く斬り裂いていた。
血が、腹の奥から溢れてくる。口から垂れた血が、ぽたり。落ちた先には既に血だまりが広がっていた。身体から力が抜けて膝をつき、動きが止まる。
「さらば」
やはりこうなるか。二人が逃げおおせたのは合格点だが、それ以上は望むべくもない。どうやら今度こそ、死んだかな。
「と、言いたいところだが……」
今まさにクロのトドメを刺そうとしていたゼラルドが、言葉を止めて天を仰ぎ見る。
頭上から翼の羽ばたく音が聞こえた。
「そこまでです、皆の者! 我が名はエレアノーラ。エレアノーラ・ヴィンセント・ヘリオス! このフェリウスの地を統べる公爵の名を以て、そなたら騎士団に停戦を命じます!」
飛竜に乗った、煌びやかな金髪をした女性。光大公エレアノーラ。
昨日の朝に見たこの世のものとは思えない美貌が、空の上からクロとイェルを、ゼラルドと騎士たちを、そして苦虫を噛み潰すラドミアを、静かに見下ろしていた。
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