急降下逃亡戦

 

 

 ミスハとフレデリカ、そしてクロがようやく背に乗ったところで、飛竜は何かを乗者に伝えるように咆吼した。


「もう、追いついてきおったか……!」

 ミスハが呟く。それから間もなく、白霧の中から鷲頭に翼を持った馬――ヒッポグリフが宙を駆けながら姿を現した。二頭、三頭、次々とこちらを追ってくる。背にはそれぞれ騎士の姿が見えた。


「あれもラドミアの手下なのか?」

「……というよりは…………水大公の兵……だな。ラドミアを先行させつつ、手勢を動かしておったのだろう……」


 クロの問いに、ミスハは胸を押さえて苦しげにしながら答える。

 昨晩、そして今朝見た時よりも顔色が悪い。追っ手から逃れている内に、また瘴気が悪化したのかもしれない。


「飛竜の手綱を代わります、ミスハ様。抗瘴薬は後で必ず調合しますから、今は少しでも休んでいて下さい」

「うむ……すまん、な……」


 飛竜の背の上でフレデリカと位置を交代すると、ミスハはクロの懐にぐったりともたれかかった。


「しかし、どうしてミスハ様がこの飛竜に乗っているんです? この子ってたしか、アレサ姉様の乗竜ですよね」


「んむ……実はおぬしらが出立した後、アレサがこちらに顔を見せてな」

 クロの内側で深い息をしながら、ミスハが答える。


「何でも、弟子が前日に『天剣』を見たとか……それで恐らくは騎士団が近付いておるから、いざとなれば逃げる用意を整えておけと。はっきりとは言わなんだが、私の正体にも気付いておる様子だった」

「え⁉ 気付かれ……ッ⁉ ていうか……ええ⁉ て、『天剣』って、まさかあの、『天剣』のゼラルド様⁉ 北方騎士団の最高戦力じゃないですか! い、いや、まあ、半隠居したという話も聞きますけど……」


「あれ? あの爺さんそんなに有名人なのか。俺さっきも会ったけど」

「ええッ⁉ ちょ、ちょっとどういうことよ!」


 クロは簡単に、神承器アルテミスの使い手であるエルフの少女リーフと、その保護者でもしているような老騎士、ゼラルドについて話をした。

 まず昨日出会った時のこと。先ほど戦いになったが、仕留め損ねたこと。加えて、ミスハの生存を伝え、一度は互いに見逃す形になったことを説明する。


「……どうしてアンタは、そういう大事なことを……」


 フレデリカが深く嘆息した。


「ともかく……『天剣』がおるからには騎士団も近くにおる。となれば、いつ襲われるとも限らん。一旦自らの預かりとしたいと……アレサが申し出てきたのだ。いや、それでも実のところ、イェルと相談の上で一度は断ったのだが……何というか、ほら、アレサは……あの調子だろう?」

「つまり、押し切られたんですね……」

「うむ……。それで飛竜のそばで待機しておったのだ。本来ならイェルも乗って逃げる手筈だったのだが、襲ってきた敵の攻撃が思いのほか激しくてな。殿しんがりを任せざるを得なかった。あやつのことだから、今頃はどこかに逃げておると思うのだが……」


「まあ、あいつが負けるなんてイメージできないもんなァ。神承器をよそで誰かが使った感じも無かったし——ん?」


 その時、クロの異形の左眼が、赤い光の筋をその視界に一瞬捕らえた。暗い光の線を空中に残しながら、クロは背後に振り向く。

 赤い力の帯が、飛竜を追うヒッポグリフの馬上に連なるのが見えた。


「おい! 魔法が来るぞ」

「え⁉ く……ッ!」


 フレデリカが飛竜を急旋回させる。その尾っぽの先で、爆炎が上がった。飛竜が痛みに吼え、赤い光は再びヒッポグリフの上に乗る騎士へと集っていく。

 他にも青や、黄色や、クロの左眼には幾重にも混じり合う力の奔流が映し出される。


「まだまだ終わってないっぽいぞ。もしかしてあいつら、全員魔法使いか?」

「ミスハ様、しっかり掴まってて下さい! 飛ばします!」


 飛竜の頭が一瞬上に向かったかと思うと、勢い付けて一気に深く地面に向かう。翼を小さく折り畳んで、隼のような急降下が始まった。風圧が三人の頬を激しく叩く。


 追いすがる魔弾。弾ける雷。右や左で炸裂音が続く。その中で次々身体を捻りながら、飛竜は高速で落下するが如くに飛び落ちていく。


「……こちらからも、攻めねば……」


 ミスハが胸のペンダントを紫に光らせる。

 ——が、「……あぐぁッ⁉」ミスハの苦しむ声と共に、何かが破裂するような音が響いた。クロの左眼に映る紫光が辺りに散り、すぐに飛竜の加速に置いていかれた。


「ミスハ様ッ⁉」

「ん、ぶ……かはッ……」


 クロの懐が、ミスハの喀血で赤く染まった。


「おいおい、何やってんだ⁉ 魔法に失敗……したのか? ……駄目だやめとけ!」


 もう一度紫光を集めようとするミスハを、羽交い締めにして押さえる。そうこうしている間にも、緑や青やの光が辺りを包んでいく。


「まだまだ来てるぞ! 次は——風か⁉」


 飛竜の進行方向を先んじて、魔法の竜巻が発生した。目の前に現れた暴風。飛竜は反射的に一つ羽ばたいて向きを変え、すんでのところで竜巻を躱す。しかしその飛膜には、舞い散るつぶてによって無数の傷が付いた。傷の痛みに飛竜が金切り声を上げる。


「おいおい、今の大丈夫だったか⁉」

「いたわ! イェル!」


 未明の薄暗い街道を、複数の馬が駆けている。一頭には人が乗り、二頭を引き連れて走りながら、追いかけてくる敵の馬を魔法で追い払っている。


「相変わらず器用なやっちゃなー、あいつ」


 飛竜の苦しむ声がまた響く。


「この子はちょっときついみたい! イェルと合流しましょう! 飛び降りるわよ!」

「は⁉ ちょッ……この速度でかよ⁉」


 飛竜は落下のような速さを維持したまま、角度を変えて街道の地面スレスレを飛んでいく。全速力のはずのイェルの馬が、みるみる近付いてくる。おおよそ人が飛び出して耐えられる速さではない。


「でも行くしかないの! これ以上魔法を喰らうと、もうこの子は耐えられないわ! いい⁉ 絶対にミスハ様を護りなさいよ!」

「無茶言うな——って————うおわあああああッ!」


 フレデリカが合図をすると、飛竜が曲芸飛行のように空中を大きく一回転。乗っていた三人は手を離し、完全に空中へと投げ出された。

 クロはミスハを抱いたまま、馬の倍以上の速さでもって空を舞いながら、重力に引かれて地面に叩き付けられ——


 ——かけたところで、植物の網に大きく絡め取られた。


 クロたちの勢いに大きく伸びた網は、逆方向に引っ張られ、また絡まって反対に。ぐわん、ぐわんと何度か行ったり来たりする。その揺れがようやく収まってきたところで、近くに馬が足を止めた。


「……ふう。危ない危ない。さすがに今のは際どかった」


 イェルが左耳のピアスを輝かせながら、冷や汗の一つもなく声をかけてくる。


「た、助かった……今回ばかりは本気で死ぬかと思った」

「あっちは、敵?」


 イェルの問いに頷く。するとイェルは飛竜が飛び去っていくのを確認してから、追ってきたヒッポグリフたちに向けて魔法を放った。


「<銀嵐フォール>」


 無数の氷の刃を伴う、猛吹雪が追っ手たちに襲いかかった。追っ手たちはその吹雪の風と氷に身体を切り刻まれ——次々に地面に転がり落ちた。


「これで良し」

「……お前、相変わらずこえーな」


 ミスハを抱き抱えたまま、クロは馬に乗ったイェルのそばに近寄っていく。引き連れていた馬の中にはミスハの愛馬、レイチェルもいる。象牙色の毛並みをした彼女の背に、ミスハを乗せてやった。


 植物の網と格闘していたフレデリカが、ようやくどうにかこうにか這い出てきた。

 イェルがひょこひょことそこに近付いていく。


「で、蜜葉は採れたの?」

「ばっちり! まずは安全なところまで行かなきゃだけど、もうすぐにでも抗瘴薬を用意できるわ!」


 そう言ってフレデリカは腰に付けた籠をぽんぽんと叩いた。


「じゃあ、この場でできる?」

「え。いや、それはさすがに……まあ、道具があればできなくはないけど」

「そう。じゃあ作って」


 イェルはフレデリカの戸惑いも気にせずさらりと言って、ひょいひょいとすり鉢やら革袋を荷物から取り出しては放り投げていく。


「なあ、もうちょっと遠くに行った方がよかないか? ここじゃあ追っ手が間に合いそうだぞ」

「そっちはいくらでも私が片付ける。それより、問題はこの先の道。誰がやられるか分からないから、姫様の安全だけは先に確保しておかないと」


「……どういうことだ?」

「この先に、『天剣』のゼラルドたちの一派が道を塞いでるのを確認した。あの人は神承器こそ今は持っていないけど、それでも私よりはよっぽど強いから」


 また名前の出た、あの老騎士。確かに先ほども戦闘モードのクロを止めたのだから、かなりの実力はあるのだろう。しかし、イェル以上ときたか。


「……それって、どうにかなるのか? お前以上の戦力って現状俺たちの中にはいないよな」

「正直、分からない。でも、もし戦いになれば危険なのは間違いない。だからって別の道を使っても、追ってこないという保証もない。さっきの飛竜に乗っていけば『天剣』だけは避けられたかもしれないけど、もうそれもできないし」


 遠く、もう後ろ姿も見えなくなった飛竜を目で探しつつ、イェルが答える。


 となると、さて。どうしたものか。

 フレデリカが慌てて調合を始める横で、クロもしばし思索を巡らせた。


 昨日の様子に、先ほどの戦い。そして会話の内容と記憶を探っていく。たしかゼラルドは、ミスハが生きていると聞くと、ずいぶん驚いた様子だった。少なくともラドミアとの間に情報の共有はなされていないのだろう。


「……なあ、ゼラルドの他にもいくらか騎士がいるんだよな?」

「そう」

「そいつらってさ、臨戦態勢って感じ? すぐに襲ってくるかな」

「どうかな。とりあえず封鎖だけして足止めしてる様子。ゼラルドはさっき戻ってきたばかりで……変わった格好の女の子と話してた」


 リーフだ。あの何も知らないまま利用されていたエルフの少女。ゼラルドに付いてきていたのか。というよりは、共に元いた場所に戻った、と言った方が正確かもしれない。

 だとすれば。


「これなら、もしかすると戦わずに済むかもしれないぞ」

「……どういうこと?」


 クロは不敵に笑いながら答える。


「帝国騎士団は帝国騎士団であって、必ずしも水大公の配下じゃないってことさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る