夜明け前の出立

 

 

 まだ朝陽など登るはずもない未明の時刻。

 クロは裂帛の気合いをもって見事に体内時計のアラームを鳴らし、フレデリカよりも早く目覚めることに成功した。グッと力強いガッツポーズをしてから、ミスハを起こさないようにベッドから静かに、かつすばやく這い出ていく。

 続けて長い金髪を枕に広げて眠る、フレデリカの幸せそうな寝顔をはたいて起こした。あとは二人で、昨日のうちにほとんど済ませていた準備を手早く完了させた。


 外に出ると、薄暗い空と深く立ちこめる霧がクロたちを出迎える。期待通りの天候。蜜葉はきっと手に入るだろう。


 クロは腰に付けた小さな蓋付きの編み籠を、最後にもう一度確認した。弁当箱にもならないくらいのサイズだが、蜜葉は一度に少量しか採れないので、これでも大きすぎるくらい——とのことだ。

 同様の籠を付けたフレデリカは、クロの横でまだ覚醒しきっていない自らの頬を叩き、気合いを入れ直していた。


「それじゃあイェル、ミスハ様のこと頼むわね」


 見送りに立ってくれたイェルは、相変わらず代わり映えしない無表情で「お任せ」と一言。クロもこいつなら大丈夫と信頼こそしているが、これって、本当に会話ができているのだろうか? イェルは立ったまま寝ているかのように、ほとんど動かない。


 ともかく、イェルと別れて宿小屋を出た二人は、この街に入った時とは別の出入り口、霊樹への道に繋がる門に向かった。

 深い霧でかなり視界は制限され、並んだ家は三軒目より先はもう見えない。朝よりも早い夜明け前の街は死んだように静かで、霧の先には無間の白い世界だけが広がっているような錯覚を覚えた。


「朝の訓練をしないと、何だか落ち着かないわね」


 白銀の鎧に身を包んだフレデリカはどこかそわそわと、腰に提げたこちらも白銀色をした剣の柄を触りながら歩いていた。


「ユーリィが待ち合わせ場所にいなかったら、来るまでやってりゃいいよ。見ないでおいてやるからさ」

「う……。あ、あの朝の一件はお願いだからもう忘れてよ」


 変な弱味を握られたとばかり、フレデリカは少し顔を赤らめていた。


 ミスハが倒れて以来——こう言っては何だが——フレデリカは水を得た魚のごとく生き生きとしている。先日不安を漏らしていたのが嘘のような姿、姉君の心配もどこ吹く風だ。しかし、どこか空元気にも見えなくはない。

 あるいはあの朝に伝えた「強さにも色々ある」という言葉が通じたというのなら、クロも冥利に尽きるのだろうが……。


 ともあれ、意気軒昂なのは悪いことではあるまい。できれば気勢が落ちないうちに出発——したかったのだが、門の前に到着しても、まだユーリィは姿を見せていなかった。


「なんか意外だな、本当にまだ来てないなんて。待ち合わせよりずっと早い時間に来てそうなタイプだと思ったんだけど」

「アレサ姉様の相手に手間取ってるんでしょ。よくあることよ」


 なるほど、実に納得のいく説明だ。昨夜はクロが酒で潰してしまったので、今頃はひどい二日酔い。あるいはどこぞで眠りこけているのを、捜索している最中かもしれない。


「じゃ、クロのお言葉通りに、軽くだけでも訓練しようかな。あんたも身体くらいは動かしといた方がいいわよ」

「そうだな。昨日見かけた山賊が、今日も出るかもしれないし」


 フレデリカの意見に頷いて、ちゃーんちゃーちゃらーん。口で言いながら、クロは記憶にあった体操を始めた。さして重い運動でもないのだが、何しろブーツに隠れた異形の右足だけパワーがまるで違うものだから、どうにもやりづらい。特にぴょんぴょん跳ねるあたりでは、みるみる身体がズレていく。


 そんなクロを横目に見つつ、フレデリカは剣を振るっていた。

 まずは大きく素振りを繰り返し、少しずつ型を試していく。剣の動きは滑らかで、相変わらず見事なものだ。


「剣が光ってるのは、紋章器を使ってるってことだよな」


 一連の体操を終えて軽いストレッチに入ったクロが尋ねる。


 フレデリカは、「そうね」白く輝く剣を振りながら、「やっぱり女の騎士だと」合間合間に言葉を挟み込むように、「紋章器を積極的に使っていかないと」答えていく。

「きついわね!」

 そして締めに鋭い突きを放った。


「その言い方だと、男の方が戦いじゃ有利みたいに聞こえるな」

「うーん、まあ体力だけで言えば、一応そうなるのかな……でも個人差の方が大きいし、貯められるマナの量に男女差はないみたいだから」


「——それでもやっぱり、女性は騎士より魔導士を目指す人の方が多いですよ」


 横から話に参加してきたのは、少し寝癖の残った橙髪の少女——ユーリィだった。今日も変わらず、紋様の入った魔導服を着ている。そして腰にはクロたちと同じ編み籠を付けていた。


「おっ、来たか。おはよーさん」

「はい。おはようございます。だいぶ遅れてしまったみたいですね。すみません。アレサ様のお世話に少し手間取りまして」

「やっぱりな」

 クロが小さく笑う。

「おはよう、ユーリィ。今日はよろしくね」


 ユーリィは剣を手にしたままのフレデリカをじいっと見つめてから、

「……はい。フレデリカ様もよろしくお願いします」

 固い表情で答えた。


「……?」

 一瞬、フレデリカが不可解そうな顔をするが、ユーリィはすぐに顔を背けて口を開く。


「では、早速行きましょうか。霧で視界が悪いですから、あまり離れないように気を付けましょう」

「わかったわ」

「へいよー」


 それぞれ返事をして、三人は霊樹の下へと向かう山道を歩き出した。

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