あたたかな胸の中で
飛竜とユーリィを送ってから宿小屋に戻ると、日はすでに沈んでいた。
部屋の中は真っ暗闇かと思いきや、ぼんやりとした光に満ちている。光の源は瓶入りになった植物の実のようなもので、テーブルの上に置かれていた。堅そうな実は内側からうっすらと透けて発光し、部屋の中を幻想的な灯りで照らしていた。
「何だこれ」
「霊樹の果実だ。落ちて数日はこうして光るそうだが、なかなか良いものだろう」
答えたのはミスハだった。今はベッドから小柄な上半身を持ち上げている。まだ火照った様子はあるが、だいぶ顔色も良くなっているようだった。
「あのスープは効果あったみたいだな」
「うむ。あれからフレデリカも色々と走り回ってくれてな。他にもいくつか薬を飲んだのだ。おかげで今はこの通り、一息つけるまでに回復することができた。引き替えにフレデリカの方が、私よりよほど疲れ果てて眠っておるよ」
見てみるとミスハのベッドに倒れかかるように上半身を投げ出して、フレデリカが座ったまま寝息を立てていた。鎧は外しているが旅装束のままで、ミスハがかけたのか背中に毛布を被せてある。
そしてまたイェルがいないのだが、置いておこう。
この調子なら少しくらい尋ねても平気だろうか。クロは隣のベッドに座って、話を切り出した。
「聞いたか? 例の布告の話」
「うむ。フレデリカからな。あんまり動揺しておるものだから、当事者のこっちが妙に冷静になってしまったよ」
そう言ってミスハは苦笑した。
ゼグニア帝国全土に布告された皇姫ミスハの死。間違いなく水大公の計略だろう。
しかし光大公が葬送式典に出向いていることからも分かるように、これからは帝国の全てがこの虚報を真実として動いていくことになる。
目の前の幼い少女は、今や名も知られぬ一個の人となり、クロたちは皇姫ミスハを殺めた大罪人として、表立って追われる立場となった。
この旅の行く先に、だいぶ暗雲が立ちこめてきたわけだ。
「で、どうするんだ? 死んだことにされた本人としては」
「やることは変わらんよ。帝都に向かう」
迷いのないミスハの言に、しかしとクロは疑義を差し挟む。
「行ったとしてどうするつもりだよ。本人である証明なんて、お前の場合はしようがないんだろ。一応、えーと……母親の紋章を継いだことになってるんだっけ?」
ミスハは火照った顔でこくりと頷いた。
このあたりの事情は若干複雑、かつ判然としないのだが——とにかくミスハは第一皇妃の娘ながらに皇帝の娘にあらず。皇帝の紋章とも第一皇妃の紋章とも異なる、正体不明の父親から受け継いだ、瘴気を放つ紋章を宿している。
その上で対外的には、第一皇妃の紋章を継いだハイエルフ族ということになっていた。皇帝以外の子を産んだとは発表できない帝国の、苦肉の策といったところか。
おかげで昼間のリーフのように、ミスハを第一皇妃の正当後継者、エルフたちの次代の女王として見ていた者も存在するのだが——そこは置いておこう。
ともかく。そこに則っていくのなら、ミスハが自らを本人と証明するには、見た目も紋章も母親と同じハイエルフのものでなければならない。
しかし現実はこの通り、瘴気に苦しむごく普通の少女でしかないのだ。
「ミスハが自分を死んだはずの皇姫ミスハだと言うためには、初めから皇帝と第一皇妃、どちらの紋章も受け継いでなかったことを告白しなくちゃならない。でもそうなると、皇帝の子で無いことが明るみに出る」
クロの言葉に、ミスハは相槌を打っていく。
「皇帝の子以外に継承権なんてないから、他の人間と立場は同列、どころか現実は鼻つまみ者だよな。ゼグニアの貴族どころか、誰とも知れない父親の子なわけだから。つまり——詰みだ。お前は皇帝の座を継承できない。だろ?」
その結論を、ミスハは否定しなかった。
「だが、それでも——」
少し俯き加減で口を開く。
「それでも私は、帝都に行きたいのだ。そしてできれば、陛下と二人で話がしたい。なぜ私をこれまで生かしておいたのか。なぜ自らの子でないことを隠していたのか。母上と陛下、そして私の実の父親の間には、一体どんなことがあったのか……直接会って、直に話を聞きたいのだ」
ミスハはクロの顔を見て、躊躇いがちに続ける。
「……少し、わがままが過ぎるだろうか?」
「ああ。酷いわがままだな。しかもあまりに無茶無謀だ。俺らは一体どれだけの危ない橋を渡ることになるやら」
霊樹の果実の灯りが二人を照らす。
ミスハの白い肌に映る灯りが、不安げな色に揺れている。
「でもま、いいんじゃねえの。ようやくお前も、本音を言えるようになったってことだ。フレデリカにイェル……あと一応俺も、やれるだけのことはしてやるよ」
ぽんとミスハの頭を叩いて、くすんだ銀髪をくしゃくしゃ撫でてやる。ミスハは髪の毛を気にしながらも、少しだけ嬉しそうに笑っていた。
「——さて、じゃあ俺は明日も早いし、さっさと晩飯でも食って寝ちまうか。飯ってなんかある?」
「テーブルにフレデリカの作った食事が置いてある。本人曰く豪快な肉料理、だそうだが……」
テーブルを覗いてみると、ミスハが言葉を濁らせた意味はすぐに理解できた。そこにあったのは炭火焼き——ではなく、炭。すなわち、炭と化した肉であった何か。おおよそ食事のために存在する物体ではなかった。
「……よそで食べてきていい?」
「いや、その必要はない。もうすぐ——」
宿小屋の扉が開き、イェルが入ってきた。抱えた荷物はパンや食材だ。
そしてなぜかイェルの肩に手をかけて、フレデリカの姉にして光大公の娘、アレサも入ってきた。
「おぉ~ぅ、クロっちじゃーん。こんなとこで何してんのぉ~」
貴様こそ何をやっている。こんなところと思うなら来るんじゃない。というかどうしてこいつを連れてきた、イェル。今までミスハに会わせないようにしていた苦労が水の泡だぞ!
目で訴えると、イェルはさっと視線を逸らす。そして再び横目にこちらを見て、小さく何度か首を振る。どうやらかなり絡まれて困っているらしい。
二人が目配せで語り合ううちに、アレサがぶはぁ~と息を吐いた。だいぶアルコールが含まれていそうな息だった。
「酔っ払いに捕まったか……おいこらアレサ、ユーリィはどうした。あの真面目っ子がこの状態を放っておくとは思えんぞ」
「あの子はもー寝ちゃいましたー。明日の朝早いんだってさ~」
それはこっちも同じである。
「そんなわけでお目付なしで呑み放題! いえい! クロっちも呑もうぜぇ~。てゆーかここ女の子ばっかじゃん、そこの君、ここの君! どーもはじめましてこんばんは。あれ、前に会ったことあるっけ? あはははは」
クロとイェルが頭を抱えた。ミスハは呆気にとられている。フレデリカは——まだ寝ている⁉ こんな状況でよく眠れるな。姉の妄動には慣れきっているということか?
ともかく、ミスハにもこれ以上負担はかけられない。この面倒くさい絡み酒を早々に処理せねば。こうなったら……致し方ない。
「イェル、ここ頼んだ」
クロはイェルの肩に引っかけられていたアレサをつまみ上げると、
「ちょっとこいつ、潰してくるわ」
一つ宣言して、クロはアレサを引きずりながら宿小屋を出て行った。
◇
そして、一刻ほど過ぎた後。
「え⁉ もう戻ってきた⁉」
宿小屋で最初にクロを迎えたのは、目を覚ましていたフレデリカの驚きの声だった。
げえっぷと一つ息を吐き出して、クロはテーブルの前に置かれた椅子に座り込む。イェルが用意したらしいポタージュスープとパンが置いてあったので、さっそく食べ始める。
「あいつ最初からだいぶ酔ってたからな。呑み勝負挑んで適当に潰してきた」
「そ、それにしても早いっていうか……」
「全く酔っているように見えんな。本当に酒を飲んできたのか?」
フレデリカとミスハが疑いの目を向けてくる。クロはパンを囓りながら答えた。
「ごもっともだけど、普通に飲んできたよ。十杯以上はいったかな。腹がたぷたぷで軽く気持ち悪い」
フレデリカが呆れたような顔をする。
「……信じられないザルなのね」
そこにイェルが口を挟んだ。
「というより、酔わない。でしょ?」
「まーな」
指摘を肯定する。相変わらず、クロ本人よりもクロのことをよく知っている奴だ。
「薄々そうじゃないかと思ってたんだが、お前も気付いてたんだな」
「一つの可能性としては、あり得る。アルコールも一種の毒物だから」
「ああなるほど、そういうことなのか。面白い身体だよなあ」
これまでに何度か食事の時に、酒を飲む機会があった。しかしそのいずれも、クロには一切、酒気というものすら感じ取れなかったのだ。
初めは安物を掴まされたのだと思っていたが、何度か繰り返すうちにおかしいのはこちらだと分かってきた。今回はそれを利用させてもらった形だ。
「ともかくこれで、ようやくゆっくりできる。あ、これ食べていいんだよな?」
三人揃ってこくりと頷いたところで、クロは安心してポタージュを啜った。
◇
まだ光を放つ霊樹の果実は布を被されて、宿小屋の中は薄暗くなっていた。月の光と薄ぼんやりとした霊樹の輝きが重なって、街にはいくつもうっすらとした影が形作られている。
そんな夜更けに、クロはぱちりと目を覚ました。
全く酔わないとはいえ、飲めば飲んだだけ水分は身体に溜まっている。定期的に出しておかねば、朝になって情けない下半身を晒すことになりかねない。
ちょいと共同の便所まで行って用を足し、またたく霊樹を眺めながらまた宿小屋に戻る。辺りには霧が出始めていた。この調子なら、明日の採集は上手くいきそうだ。
他の三人を起こさないよう静かに戻ってくると、部屋ではミスハが身体を持ち上げて夜空を見ていた。
「悪い、起こしたか?」
ふるふると首を振った。
「そうか。大丈夫か?」
そっとミスハのおでこに手を当てて、熱を測ってみる。まだ少し熱いような気がする。
「あ、ちゃんと手は洗ったからな。あの汲み上げた水を流す仕掛け? あれ面白いな」
言いながら、クロはのそのそと布団に戻る。そう、布団である。ベッドではない。床に厚めの毛布を重ねたもので、ベッドの数が一つ足りないための緊急措置的な簡易布団だ。
もちろん不満はあるのだが、これはこれでなぜか懐かしい感じがして、先ほどまでは心地よい眠りを味わえてしまったのが少し悔しい。
「クロ」
毛布を被ってまたおやすみ、というところで、ミスハが呼びつけてきた。
クロは仕方なしに近付いて、ミスハの横に座り込む。
「どうかしたか?」
「ん……えーと、だな……」
「一緒に寝て欲しいのか」
冗談を言ったところで、ミスハの顔がかあっと赤くなった。あれ? まさか図星だったのか。
「ええ? いや、お前……もう一人で寝られないって年齢でもないだろ?」
「し、しかしだな、ほれ。今夜はこの通りベッドが足りとらんわけだし……クロが可哀想ではないかなあと」
「それはまあ、自分でも思わなくはないけど……」
申し出はありがたくもあるが、クロの不安は朝のことである。
ミスハと同衾なんぞしていたところをフレデリカに見られたら、果たしてどこを何回刺されるか分かったものではない。後から治癒魔法を受けたところで痛いものは痛いのだ。あと「どうしてわたしじゃなくこいつなんですか!」なんて、若干の嫉妬もされそうだ。
「い、嫌なら無理にとは言わんぞ。その……男女の間違いがあってもいかんしな……」
指をくるくる落ち着かない様子で、ミスハはクロと目を合わせない。
こっちよりも余程意識しているようだが、本当に大丈夫なのか。逆に襲われそうな予感すらしてくるぞ。
「……まあいいや。二人の方がお前も暖まるだろ。一応まだまだ病人だからな」
何だか色々面倒になって、クロはミスハのベッドに入り込む。
ミスハは顔を赤くしながら、慌てた様子でクロの寝るスペースを作った。そこにクロが横になって、二人は顔を見合わせるような態勢に。
「えと、その……こういう場合、だな……つまり……」
ミスハは何か言い訳を考えようとして、しかし何も思いつかなかったらしい。こうなれば、ええいままよとクロの胸に顔を押し込めて、思い切りくっついてきた。
「はいはい、暖かい暖かい」
手を回して背中を軽く擦ってやると、さらにぎゅうと身体を押し付けてくる。クロの首の辺りに額をすりすりとやって、とても気分が良さそうだ。
「ちょっとくっつきすぎじゃないのか。寝にくいんだけど」
「あ、だ、ダメだったか? その……私は、人と一緒に寝るのは初めてで……」
ミスハが慌てて顔を上げた。
ああ、そういえば。ミスハは兄弟姉妹もなし、父もなし。母親も長く臥せっているんだったか。初めての家族計画。ならば少しくらいのわがままは聞いてやるか。
「……いや、いいよ。お前が寝るまで抱いといてやる」
頭をこちらに引き寄せて、よしよしと撫でる。すると「んむぅ……」と子供扱いに不満げな声が内側から聞こえた。
それからしばらく、クロがミスハを包むような形で抱きしめていた。
伝わる体温が暖かい。時折態勢を動かすと身体がぶつかって足や腕が絡まりそうになる。互いに気を遣いつつも、ミスハはクロから離れようとはしなかった。
「……私は、幸せ者だな」
しばらくしてから、少し眠りにとろけたような声で、ミスハが呟いた。
「フレデリカは……私のために走り回ってくれるし……イェルも色々と気にかけてくれて……。クロにもこうして、優しくされて……なんだか最近、ずっと胸がふわふわするのだ」
クロに聞かせているのか、それともただの独り言——あるいは寝言なのだろうか。
「もう一生、こんな気持ちとは無縁だと思っていたのに……なんだかここのところ、幸せが……溢れて仕方ない……今のままが……みんなと一緒が、ずっと続けばどんなに…………」
最後の方は舌足らずになっていき、そのままミスハは寝息を立て始めた。
クロはやれやれと、また一度ミスハの髪を撫でる。
そしてこちらも、聞こえるかどうかの独り言を呟いた。
「俺からすりゃ、このくらいで何言ってんだか、だよ。全く。お前にはこの先、今なんて比べものにならないくらいの幸せに、ありついてもらう予定なんだからな」
そう言って目を閉じると、クロも深い眠りの底に沈んでいった。
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