飛竜の食事
「すみません、手伝ってもらっちゃって」
大して申し訳なさそうでもなく言ったのは、眩しい晴天の日差しに似合う橙髪に、紋様の刻まれた魔導服を着た少女。ユーリィだった。
クロはその横で、布を被せた籠をよっこらほいさと何度も持ち上げ直しながら運んでいた。
今歩いている道はトランメニルの街外れに向けて続いている。整えられた街路樹が、日差しを瞬かせながら揺れていた。
「それはいいんだけどさ、何なのこれ。けっこう……いや、かなり重いんだけど」
昼食を終えてアレサと別れる際に、クロはユーリィから荷物運びの手伝いを頼まれた。ミスハたちと旅して以来、クロにとっては荷物持ちなど、もはやこれが生業というべきほどに慣れたものである。軽い気持ちで引き受けたのだが、結果として思った以上の重労働を課せられていた。
「ほんのり腐った臭いがするのです。服に臭いが付きそうですね」
どうしてかさっきから付いてきている、エルフの少女が口を挟む。桃色がかった髪を揺らし、長い耳をぴょこぴょこさせながら楽しげに歩いている。
先ほどの容疑は晴れたというのに、こいつは何故に付いてくるのだろう。手配書に名指しされた張本人であるクロとしては、もうあまりお近づきになりたくないのだが。あ、でも神承器を使うなら殺したい。
「これはご飯なんですよ。人が食べられない骨とかの残飯が中心ですけど、それだけじゃかわいそうだから一応お肉も入れて」
「これを? 食うの? 誰が?」
「それは——ああ、見えてきましたね」
馬や虎などはるかに超える巨体に、トカゲの頭。今は翼を折り畳んだ腕の先を地面に降ろして、四つん這いになっている。感情の読めない爬虫類の瞳でこちらの姿を見つけると、喉を震わせて唸り声を上げた。杭で刺さった鎖に繋がれているが、あれでちゃんと留められているのだろうか。
「おー、飛竜さんです。かわいいですねー」
「でしょう? かわいいですよねー」
「悪いけど、そのセンスは俺には分からんわ」
駆け寄ったエルフの少女が、さっそく飛竜の鼻の横あたりを撫でている。飛竜の身体を覆う鱗など、触っても気持ち良くはなさそうだが、本人はいたって楽しそうだ。
すると飛竜は舌をべろんと出して、少女の顔を顎から額まで一舐めに舐めた。
「うわあ、ぬるぬるです」
「気を付けないと食べられちゃいますよ。かなりお腹を空かせてますから」
冗談ともつかない口調で笑えない話をするユーリィを横目に、クロはようやく抱えていた籠を地面に降ろした。
ふうーと息をつく。と、頭上に大きな影がかかった。大きく開かれた飛竜の口だ。一本一本がナイフのように鋭く巨大に立ち並ぶ牙、喉の奥には細かい皺が見える。ふうむ、これを震わせて唸り声を上げるのだろうか。
「——ってアブねッ!」
とっさに飛び退くと、クロがいた位置に飛竜が喰らいついた。そのまま木編みの籠ごと、もしゃもしゃと咀嚼し始める。
「おいおいおい! もうちょっとまともに調教しろよ! 本気で危ねえぞこいつ!」
「この子はかなり大人しい方ですよ。何しろ次期光大公様の乗竜なんですから」
「アレサの竜だったか……」
あの女、今度会ったら嫌味の一つも言ってやる。……むしろ笑われそうな気もするが。
飛竜の意識が食事に向いたところで、ようやくクロにもまじまじと竜の姿を眺める余裕ができた。
ちょうどコウモリのように腕と翼が一体化していて、分厚い飛膜の翼の先にはかぎ爪の指が付いている。巨躯を支える大腿は太く、地面を走るにも苦労はしないだろう。
竜——という単語。それ自体はちらほら聞いていたが、クロは密かに比喩か何かかもしれないと疑っていた。なにしろクロの足りない記憶からすれば、竜といったらお伽噺の世界にしかいないはずの生き物なのだ。
確かに魔物のような生物がいるのだから、竜くらい居てもおかしくはない。それでもこうして目の前で動いているのを見ると少なからぬ驚きがある。
この怪獣が機械仕掛けにはない繊細な動きで、器用に食事をとっているのがまた、どこか小気味良い奇妙さだ。
「本当にこれが空を飛ぶのか?」
一通り飛竜の肉体を見渡した印象として、クロの目にはこの翼で飛ぶにはいささか重量オーバーに見えたのだ。
しかしユーリィは当然ながら、はい飛べますよと頷いてみせる。
「人を乗せても余裕ですよ。わたしの故郷では飛竜を乗りこなして初めて一人前なんです。まあ、個人的に飼うのはかなり裕福でないと難しいですけど」
「およ。ではユーリィさんの故郷はここよりもっと北の方ですか? 飛竜はもう少し寒い地方の生き物だった気がするのです」
「ええ、その通りですよ。コルフットという地方で、冬にはかなり雪が深くなるんです。あなた——えっと、お名前は——」
「おおう、名乗り損ねてましたね。わたしはリーフというのです。リーフ・レフテンヴァイス・アルテミスです」
相変わらず、どいつもこいつも名前が長い。
ただ、覚えなくてはならない名前が最初の一語だけだというのは、クロも理解してきた。そして最後が受け継いだ神承器、かつ紋章痕の名前なのもお決まりだ。つまりこのゆるふわエルフは、アルテミスの紋章痕を宿したリーフちゃんということになる。
「レフテンヴァイスは王家の森を守る者という意味です。由緒正しき女王様に仕える家系なのですよー」
「へー」クロは興味なげに言って、「でも王家は守り切れてなかったわけだよな」
「うぐぅふ!」
クロの急所を撃ち抜いた発言に、リーフは胸に矢でも刺さったように悶えた。さらに頭を抱えて「ぬおぉぉ」と飛竜の真似でもするように唸っている。
「そういやユーリィもアレサも、皇姫が殺されたって話に驚いてなかったけど、とっくに知ってたのか?」
リーフが悔恨に藻掻き苦しむ姿を横に置いて、クロがそれとなく尋ねる。
「……? ええ、もちろん。そもそも今回の私たちの旅路は、光大公様とアレサ様が皇姫ミスハ様の葬送式典に出席されるためのものですから。このトランメニルには中継地点として泊まっていただけなんです。もう数日前から国中に布告されていたはずですけど、クロさんたちはご存じなかったんですか?」
「まーね」
流通の滞った集落に泊まった後は、野宿野宿に徹夜を一つ。不運と苦労を無闇に積み重ねて、クロたち一行はこの話を知る機会を逸してきたというわけだ。
そして現状は、おそらくかなり危険な状況に陥っている。
街道に逗留しているという例の騎士団。ミスハはなにがしかの役目を抱えているという話をしていたが、もしかすれば『皇姫殺しの犯人討伐』がその役目ではなかろうか。
だとすればここからは、帝国正規の騎士団を相手にする羽目になる。もちろん相手が神承器の使い手なら望むところだが……
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっと考え事をね。……それにしても、その式典ってどんな内容なんだろうな。謎の男に暗殺されたんだろ? 死体とか、ちゃんとあるわけ?」
「あるみたいですよ。近衛騎士長が冷たくなった皇姫様を連れて帰ったと聞きました」
「近衛騎士長っていうと、確かラドミア……なるほど、そう使うわけか」
クロは納得と嫌味を半々に、ぼそりと呟いた。
ミスハは皇姫と呼ばれながら、もう長いこと帝都から閉め出されている存在だ。今の顔など知っている者は、帝都にはほとんどいない。ならば最も近しいところにいた近衛騎士長のラドミアが、「この死体が皇姫ミスハです」と言えば、『そういうこと』になってしまうというわけだ。
もちろん本物ではないのだから、中には怪しむ者もいるだろう。しかし今のゼグニア帝国は、皇姫ミスハに死んでいてもらいたい人間で溢れている。おいそれと疑義を口にはできない。
それ以上にクロたちにとって深刻な問題は、これから生身の本物を連れて行ったとしても、認められるかは怪しいということだ。ミスハは母親である第一皇妃エルヴィアの紋章も、父親『ということになっている』皇帝ウィグムンドの紋章も、その身体に宿してはいないのだから。
「どうしたもんかな……」
国中に布告されているとなれば、フレデリカやイェルも街中で近いうち耳にするだろう。果たして現状を乗り越えるうまい手立てを考えてくれるだろうか。あるいはもはや死んだものとして、名を変え静かに生きることをミスハに薦めるか?
「…………とにかく、まずは明日か」
こういう時は、今できることからやっていくしかない。このままミスハが衰弱死してしまえば、元も子もないのだ。最優先は霊樹の蜜葉。クロはまずこれだけを考えることにした。
「……? ええ、そうですね。明日です」
クロの独り言に首を傾げながら、ユーリィがとりあえずの相槌を打った。
「東の山に虹が架かったので、明日霧が出るのはまず間違いないみたいですよ。せっかくですし、今から一度下見でもしましょうか」
「そりゃやっといた方がいいだろうけど、霊樹に近付くのって許可がいるんだろ?」
長老の家に招かれているアレサが、ちょうど今頃許可を取り付けているはずだ。もしかしたら衛兵にもすでに話が通っているかもしれないが……さすがにちょっと早すぎるか。
「下見と言っても、歩いていくわけじゃないですよ。空から全体を見て回るんです」
「……? ああ。そういやこいつがいたな。折角だし、さっそく食った分を働いてもらうか。……でも、二人乗りってできるの?」
クロは飛竜を見ながら尋ねる。当の飛竜は食事を終えて、翼の先にあるかぎ爪で気持ちよさげに喉を掻いているところだった。
「あ! わたし! わたしが数に入ってないです! わたしも飛竜さんに乗りたいのですよ!」
リーフが大声で口を挟んだ。
「お前は俺らの用事に関係ないだろう」
「あはは、大丈夫ですよ。普段は荷物も載せてるんですから、三人くらい朝飯前です」
「逆に今は昼飯後だから、腹に詰め込んだ食い物の分だけ危険という可能性は」
「ゼロではないでしょうけど……。不安ならクロさんは残ってもいいですよ」
「いや。もちろん俺も乗るけどな」
下見どうこうよりも、飛竜に乗って空を飛んでみたいという興味が先に立った。
神承器との戦闘でも空を走ることはあったが、あれは「飛んでいる」という気がしない。そのまま突っ立っているような感覚なのだ。正直言って、何も面白くない。
「はいはい! わたしも! わたしも乗るのですよ!」
リーフは勢いよく飛竜に向かって走り出すと、ぶろろと震えるげっぷに飛ばされかけていた。
「調子いい奴だな、まったく」
「でもかわいいものじゃないですか。無邪気で」
「つっても胸のサイズを見る限りそれなりの——いや、待てよ。考えてみれば、あいつエルフなんだよな……?」
クロは一つ神妙な顔つきになり、リーフの正面に回り込んだ。
そして真正面から顔を見て、腕組みをして問うた。
「……お前、今年でいくつになる?」
「ふぇ? 年齢ですか? えーと、神承器貰ってからひーふーみーだから……百と三歳ですけど、それがどうかしたのですか?」
ふわふわした調子で答えたリーフに、クロとユーリィは顔を見合わせて呆れていた。
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