静かな時間

 

 

 長い買い物の付き添いを終えて、クロは籠一杯の荷物を宿小屋まで運び込んだ。


 宿小屋の外には宿泊客が共有で使う、使い込まれたかまどがある。さっそくフレデリカとイェルの二人が、ミスハのための滋養薬を作り始めた。

 まずは細かく砕いた麦にヤマウズラの肉と卵、いくつかの香草、玉葱や人参などの野菜を混ぜて、どろどろになるまでとことん煮詰めたスープを用意する。そこに薬草店で購入した爆弾球根の乾燥粉末と火竜血を混ぜて飲ませれば、少なからず体力回復が見込めるだろうというのが、医者としてのアレサの弁だった。


 フレデリカが調理と調合、イェルが魔法で大火力の担当。ということで、暇をもてあましているクロは、一人ミスハの看病を任されていた。


 ベッドの上のミスハは眠ってこそいるが、うなされるように苦しげで、かなりの衰弱が見て取れた。今作っている滋養薬で、少なくとも明日まではもってくれるといいのだが。


「やっぱり呼んできた方が良かったんじゃねえのかなあ……あの姉ちゃん」


 旅の仲間に病人がいると助言こそ仰いだが、クロたちはミスハをアレサに診せたりはしなかった。顔や病状を確認すれば、皇姫であることに気付かれる恐れがあったからだ。

 向こうもフレデリカがいるなら大丈夫と言ってはいたが、フレデリカにとって医療は本職ではない。見過ごしている問題がないとは言い切れないだろう。万全を期すなら診せるべきだった。


 ともあれ、今更とやかく考えても仕方がない。クロはミスハの額の汗を拭いて、めくれかけている毛布をかけ直した。


「さて、どうしたもんかな……」


 手持ち無沙汰にミスハの手をとって、軽く握ってみる。特に効果があるわけでもないが、少しは気分が安らぐかもしれない。

 その後は、しばらくミスハの寝顔を見ながら、ぼんやりと思索にふけった。初めにミスハの具合のこと。そこから先は自分の現状を思い返した。


 ここのところ、実に色んなことがあったものだ。


 森の中での目覚め。最初の敵に出会い、続けて二人がかりの相手との戦い。ミスハたちに誘われて旅を始めてからは、裏切ってみたり、やっぱり助けてみたり。そして未だくすぶる焦燥にも似た飢餓感。魔物たちの長たる無銘のマガツという存在。


 もしもミスハを無事帝都に送り届けたとして、あるいはここでミスハが永久の眠りに付いたとして、自分はその先にどこへ向かうのだろう?

 失われた記憶は、本当に甦らせていいものなのか? あるいはクロにとっての「過去」というものは、本当に存在するのだろうか。もしかすればあの時、あの場所が、クロにとっては世に生を受けた瞬間だったのではないか。


 とめどなく思考を巡らせるうちに時は過ぎ、ぐう、と腹が何かを察したように鳴った。


 胃袋の予言は正確だった。数刻も経たないうちに、フレデリカが扉を足で開けながら、完成したスープを鍋ごと部屋に持ち込んできた。


「お待たせしましたー……って、あらら、まだお休み中でしたか」

「……んん」


 寝言——かと思いきや、ミスハは薄く目を開いてフレデリカを見ている。


「なんだ、起きてたのか。途中からか?」


 ミスハの背の下に腕を差し込んで、クロは抱えるように上半身を持ち上げてやる。

 ベッドの上に座るような格好になったところで、フレデリカがスープをコップに入れて渡す。すると「ん……」と小さく反応して、ミスハはスープを少しずつ飲み始めた。


「どうです、飲み込めますか? 熱くはないですか?」


 ミスハはこくりと頷き、少しずつ嚥下しては、はうはうと温かそうな息を吐く。


「ま、明日までの辛抱……といっても、すぐに回復するわけないから、しばらくの辛抱か。なんとか頑張れよ」


 クロは軽くミスハの頭を撫でながら、絡まった銀髪を梳いてやる。ミスハは目を閉じてクロのその手の感触を味わっているようで、何だか小動物でも可愛がっている気分になった。


「クロも任せっきりで悪かったわね。もうすっかりお昼だし、食事してきていいわよ」

「食事って、このスープ?」

「じゃなくて。銀貨渡しとくから適当に店で食べてきて。旅商人がよく訪れるから、トランメニルは食堂って意外と数あるのよ」


「へえー、じゃあ久しぶりにまともな食い物にありつけるわけだ」

「そ。ただし、食べ過ぎない程度にね」


 へいへい、と返事ならぬ返事をして、クロは宿小屋を出た。


 ◇


 高い青空の下、植物豊富な街の景色を眺めつつクロは街をぶらつく。


「さて、何を食おうかな」


 当然肉! と言いたいところだが、ここのところの干し肉三昧で若干食べ飽きている。それでも欲しいには欲しいのだが、どうせなら炊き立ての白米——いや、贅沢は言うまい。だがせめて、ふわふわのパンくらいは主食にしたいところだ。


 どこの料理屋の匂いが魅力的かな、と鼻をくんくん犬のごとくに嗅ぎ回る。そんな最中に背後から声がかかった。


「おっ! やほ~。クロくんじゃーん」


 振り向くとそこにはショートカットの金髪美人。フレデリカの姉であるアレサの姿があった。


「どしたん一人で? フレデリカとの痴話喧嘩に負けて追い出された?」

「そのネタ、会うたびに言うつもりじゃないだろうな。……とはいえ、追い出されたってのは間違いでもないか。どこで昼飯にしようかと悩み中」

「ほほう」

 アレサはシャキンと決めた指を自分の顎に当て、にやりと笑う。


「だったらお姉さんとお茶しようか。美味しいサンドイッチを奢ってやろう」

「焼きたてのパンに甘辛いソースのロースト肉が?」

「がっつり挟まって、チーズにお野菜たっぷり重ねてあるぜぃ」

「よし。乗った」


 そんなわけで、昼はアレサとご一緒に、お食事デートと相成った。

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