母と娘

 

 

 店を出ると、路地裏を抜けた大通りに、白籠のような馬車が停めてあるのが見えた。近くにはフレデリカと光大公エレアノーラの母子が並んでいて、何やら言葉を交わしている。


 手前には建物の影から顔を出して二人の様子を覗く、フレデリカの姉アレサの姿があった。


「絶対バレてると思うぞ、それ」

 クロが背後から話しかけると、アレサは「うひゃ!」と身体を跳ね上げた。


「だ、誰⁉ 誰誰ッ⁉ ……え、ちょっと、ほんとに誰?」

「さっき店の中で顔合わせたと思うんだけど」

「? ……? …………そうだっけ……」

 腕組みして首を捻るアレサに「まあいいけどね」と返し、クロも横に並んで建物の影から顔を出す。


 うつむき加減のフレデリカに、こんこんとエレアノーラが言葉を続けている。フレデリカは時折「はい」か「いいえ」を弱々しく口にしているだけで、これは完全にお説教の様相だ。


「おー、こわこわ。見てるだけで泣きそうになるよぉ~。母様怖いよぉ~」


 隣のアレサは両腕を抱えて、わざとらしくぶるぶる震えている。


「ずいぶんと厳しいみたいだな。あんたらの家」

「え? いやあ、全然そんなことないよ。そりゃみんな最低限はちゃんとしてるけど、公爵家の中だとかなり緩い方じゃないかなあ」

「……あれ。そうなの?」

「だって、わたしが育った家だよ?」


 すさまじい説得力の一言だった。

 成る程確かに。すっかり腑に落ちたところで、「いやいや、そこは否定するとこっしょ!」とアレサが軽く肩をはたいてくる。ううむ、やはりお堅くはないようだ。


「だとすると、あいつは一体何をやらかしたんだ? 厳しくもないご家庭にしては、相当絞られてるみたいだけど」

「う~ん、何だろうなあ。わっかんないな~……なーんて、実は大方の想像は付くけどね——って言うか、ちょっと君ぃ。うちの妹をあいつ呼ばわりとか、いやに仲良さげじゃん。なになに、フレデリカと君ってどーゆー関係?」


 急にこちらに詰め寄って、下世話丸出しの顔で追求してくる。でかい胸がふにと腕に当たっているのはわざとだろうか。


「そこんとこは、今はどうでも良くないっすかね」

「いんやぁ、良くないんじゃないっすかね~。うちの妹を誑かして堕落させた魔性の男だってんなら、優しい優しいアレサお姉ちゃんとしては、タダで済ますわけにゃあいかねえんでござんすよ」

「それだけはないから安心していいぞ、優しいお姉ちゃん」

「ええ~、やだやだそんなのつまんな~い」


「そこの二人。静かに」


 ぐだぐだとじゃれ合いのような会話をする二人に、遠くからエレアノーラのお叱りが飛んできた。

 向こうの声が聞こえるのだから、こちらの声も聞こえるのは道理だ。二人してへこへこと謝ったのを確認してから、エレアノーラは閑話休題、再びフレデリカへと振り返った。


「——では、どうしても答えるつもりはないのですね。帝都にいるはずのあなたが、ここトランメニルにいる理由は」


 フレデリカは決して母と目を合わせず俯いたまま、「……はい」とだけ答えた。


「そうですか。ならば格別の事情があるということでしょう。私もこれ以上追求はしません」


 角度的にこちらからエレアノーラの表情は見えないが、彼女の言葉には一切の抑揚がこもっていなかった。その事実が意味するところはクロには読み切れなかったが——良いものでないのは明らかだ。


 エレアノーラがすっと手を上げると、御者が馬車の扉を開いて主人が乗り込む準備を整える。


「アレサ、私はもう行きます。後のことは頼みましたよ」

「あいあい母様、お任せあれ~。陛下のお薬が準備出来次第、ただちに合流しまっす」


 アレサの軽い調子は誰問わず、この偉大な母も例外ではないらしい。今も凍り付いたままの生真面目過ぎるフレデリカと同じ血を引いているとは到底思えないが、この二人、混ぜて二つに分ければ丁度良い按配になったのではないだろうか。


「はいは一度でよろしい」

 一応のお小言を述べてから、エレアノーラは馬車の踏み段に足をかける。


 そこで少し、動きを止めた。そして振り向きもしないまま、独り言のようにフレデリカへと言葉をかける。


「あなたが重大な任ゆえに事情を話せないのなら、何も言うことはありません。しかし——」

 一瞬だけ、ちらりとフレデリカの表情を確認し、

「——しかしもし、あなたがただ自らの今を恥じ、己の有様を隠そうとしているのなら。すぐにでも辞めなさいと忠告しておきます。それは周囲の人々に、何よりあなた自身に対しても、あまりに無礼な行いですからね」


 そう断じると、エレアノーラは馬車に乗り込んだ。


 扉が閉まり、丸窓から見えるエレアノーラの横顔は前を向いたまま。フレデリカも下を向いたまま。馬車は土煙をあげながら動き出した。


 ◇


「あーあ、言われちゃったね~」


 馬車が去ってから近寄ると、アレサはよしよしとフレデリカの金髪を撫でる。

 フレデリカはその手を表情変えずに捻って持ち上げ、後ろ手に回して関節を締め上げた。実に手慣れた動きだった。


「あががががばばばばばがばがば!」

「…………とりあえず。薬草店に戻りましょう、クロ。蜜葉の話が途中だったでしょ」


 早口言葉で発せられる姉の奇声は聞かないフリで、フレデリカはクロに話しかける。


「大丈夫か?」

「明日中に手に入るなら、きっと平気よ。ここは滋養に良い食材や薬も豊富だから、薬自体がなくてもある程度は良くなるはずだしね」

「お前、意味分かってて言ってんだろ」

「————ッ!」


 締め上げられた腕がさらに捻られて、アレサが絞められた鶏のような断末魔の悲鳴を上げる。


「とりあえず、離してやろうな」


 フレデリカの手首を掴んでアレサから引き剥がすと、ぶんと腕を払われる。

 そしてそのまま、フレデリカは早足で店の中に戻っていった。


「……キレてんなあ、あいつ」

「ちっちゃい頃はぷわぷわして可愛くって、あんな怒りんぼじゃなかったのになぁ。お姉ちゃん悲しいわぁ……およよ」

「長年あんたの妹やってたのが、怒りんぼになった原因の半分くらいは占めてそうだけどな」


 なんですと、そらびっくりだ。——とばかりわざとらしい顔芸をしてから、アレサはまたけらけら笑った。


 やれやれ、こちらのお嬢様も面倒くさそうだ。

 そんなことを思っているところにまた一人、少女がやってきた。


「アレサ様、光大公様のお話はそろそろ済みました? 私もオーマさんに明日のことをいくつか確認したいのですが——と、ええと……こちらの方は?」


 橙の髪をして、イェルのものにも似た紋様付きの魔導服を着た少女だった。年の頃は、ミスハとフレデリカの中間くらいか。これまで見てきた美女軍団には届かないが、なかなか可愛らしい顔をしている。


「こいつはフレデリカのボーイフレンドよ。将来の我が義弟といったところね」

 アレサが胸を張って答えた。


「あんたまだ言ってんのか」

「大丈夫ですよ、本気になんてしませんから。先ほどフレデリカ様といるのをお見かけしたので、お連れの方だとは思いますが」


 様付けで呼んでいるアレサ相手にずいぶんな言い草だが、言われた方は気にする様子もない。慣れっこの掛け合い、ということだろうか。

 クロもとりあえずそんなところだと答えて、その掛け合いに加わってみた。


「やっぱりそうでしたか。わたしはユーリィ、ユーリィ・ヴィオレッタ・クパーラと申します。アレサ様に師事して薬師見習いをしています。以後お見知りおきを」

「あ、そういえばわたし、君の名前知らないや。あなたのお名前なんてーの?」


 顔を合わせないつもりだった相手だが、今更名乗らないのも不自然か。素直に答えることにする。

「名前はクロだよ。一応な」


 簡単な自己紹介ながら、聞いたアレサは「んんー?」と首を直角に近づけるべく捻っていった。


「クロ……だけ? 変わった名前だけど、偽名じゃないよね? 一応ってのもよく分かんないし、神名はどうしたの?」

「アレサ様、人それぞれ事情というものがあるんですから……」


「ああ、いや……。隠すほどのことでもないんだけど、俺、ほとんど記憶が無くってさ。この名前が本名かどうかも分かんないんだ」

「ほっほう!」

 するとアレサが、鼻息荒く話に食い付いた。


「記憶喪失って久しぶりに見たわ、珍し~! 名前も思い出せないんだ? 好きなもの嫌いなものとかは? 話してる言語も変わってるよね、どこの地方の言葉だろ。あ、そうだ。催眠系の魔法は試した? あれって本当に効果あるのかな」


 矢継ぎ早の質問が始まって困惑するクロとの間に、慌ててユーリィが割って入る。


「ちょ、ちょっとちょっと、クロさんがびっくりしてるじゃないですか。第一、フレデリカ様と一緒にいたなら一通りのことは試してるはずでしょう」

「そうかなぁ、わたしゃそうは思わないな~。あの子の恰好見たっしょ? 完全に騎士だよ騎士。医者じゃないんだから、記憶喪失の治療なんてしないでしょ~」

「……本人がそれでいいと思っているのだとしたら、怠慢ですよね」


 アレサがひゅぅ、と口笛を鳴らした。


「相変わらずトゲがあるにゃ~、ユーリィってばっ!」


 言いながらぺちぺちと、アレサはユーリィのおでこを叩いた。


 それから、「何が何だか分からない」と顔に出ていたらしいクロに、おちゃらけた調子でニパッと笑いかけた。


「気にしな~い、気にしない。こっちの話だよん」


 アレサは二人の肩に手を乗せて、さあさあ薬草店に戻りましょうぜと促す。

 クロとしても去って行ったフレデリカのことを思い出し、店の者にまで当たり散らしていないかと少しばかりの不安を覚えた。あとは採集の話だけだから、大丈夫だとは思うが——


 と、そこで一つ思い出す。


「そうだ、霊樹の蜜葉」

「……? はい、何でしょう?」


 橙髪の魔導少女、ユーリィがクロの独り言に反応した。


 それもそのはず、何しろ薬草店の店主は、蜜葉の採集をフレデリカのお姉様——アレサのお弟子さんに、頼んじゃったと言っていた。

 それは誰かと言えば、答えは簡単。このユーリィという少女が、採集を頼まれた張本人というわけだ。


「えーと、この場合どうなるんだ? 行くのがこの子で、必要な分は貰うとしても、とりあえず……うん。それじゃ、これからよろしく」


 クロが握手を求めて右手を差し出すと、ユーリィはこれ以上なく不可解そうな顔で、それに応じた。

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