帝都への道程

 

 

「次に向かう街を変えようと思っておる」

 朝食の最中、珍しくぼんやりとした表情のミスハが切り出した。


「わんうぇあわぃうぃぁぃ」


 クロはライ麦のパンを口一杯に頬張りながら、謎の固有言語を発する。それでも言葉を続けようと試みると、黙らっしゃいとばかりパンが喉へと入り込んだ。息の根に栓をしたパンくずを、慌てて山羊のミルクで押し流す。

 するとミスハが一旦話を止めて、心配そうに赤い瞳で覗き込みながら背中を擦ってくれた。おお、人の優しさが骨身に沁みる。


「予定ではハルディッサでしたよね、ブルーノ伯爵の所領だっていう」


 フレデリカはそんなクロの醜態を無視して、話を先に進めた。


 この宿には食堂がないため、三人は客室で朝食をとっているところだった。もちろん小さなクロの部屋ではなく、女性三人組が泊まった広い部屋の方だ。

 食堂がないと言っても朝食自体は宿から供されたもので、質素なものだがパンの量だけやたらに多い。そしてその大半はクロの前に置かれていた。

 出かけるまではまだしばらくあるため、食事をするミスハもフレデリカも旅支度は済ませず、動きやすそうな服装をしている。そのせいかは知らないが、食べ物以外にも部屋にはどことなく良い香りが漂っているような気がした。


 イェルの姿がないのだが、こちらはもはや恒例といったところで、クロは気にも留めていなかった。

 何度か咳き込んで喉のむず痒さを取り除いてから、クロも再び会話に参加する。


「そうそう、ハルディッサな。安全そうなところだって言ってたのに、何かあったのか?」


 目指す帝都の、北西に位置する街、ハルディッサ。領主のブルーノ伯爵は亜人の文化にも精通する穏健派として名を知られ、水大公の手は回っていないだろうという話だった。


「それが少しまずいことになってな……。どうもハルディッサへ繋がるナバリオス街道に、騎士団が逗留しておるらしいのだ」


「ブルーノ伯の騎士団、というわけではないんですか?」フレデリカが一つ確認と尋ねる。

「……違うようだ。伯爵側も撤退の要求をしたようだが、撥ねつけられたらしい。彼らが主張するには、ゼグニア帝国皇帝陛下の勅命によるもの、ということなのだが……」


「へー」

 クロは萎びたチーズを口に運びながら適当に相槌を打つ。


「ちょっとクロ、あんた意味分かってないでしょ。皇帝陛下は病に臥せられて長いんだから、つまりは今の摂政、水大公閣下の命令ってことよ」

「あ、成る程。じゃあやばいな。俺らを狙った騎士団かもしれないわけだ」


 実に呑気な言い草に、フレデリカが「まったくもう」と溜息を吐いた。


「もちろん、何かちゃんとした名目を背負って行動しておるのだとは……思うがな。正規の騎士団を皇姫暗殺のために表立って動かすというのは、摂政という立場があっても、さすがに無理がある……」


 ミスハは相変わらずぼんやりとした顔で、ミルクを一口啜った。これまでそんな印象はなかったが、意外と朝に弱いのだろうか。


「……とは、いえ! だ」


 自覚もあったのかミスハは自分の両頬を叩き、無理矢理に調子を戻す。


「当然そんな連中を、気にしないわけにもいかん。まだイェルに裏付けを取ってもらっておる段階だが、疑う余地もほとんどない。実際この集落にすら、すでに街道封鎖の影響が出ておるくらいだからな」


 ミスハは言いながら、かなり乾いて固くなっている朝食のチーズを、とんとんと叩いた。ひょいと持ち上げるとクロの顔に近づけてくるので、ぱくりと食いつく。

 クロも朝食を受け取りに行った際、この宿の常連らしい旅商人がいつものベークドエッグが無いとぼやいていたのを思い出した。


 つまりは、届くはずの食糧が来ていないのだ。やたらに多く振る舞われたライ麦パンは、宿にとって精一杯の埋め合わせといったところか。


「話は大体分かりましたが……代わりにどこへ向かうかは決まっているんですか?」

「有力な候補はある」


 ミスハは朝食を少しどけると、のそのそとテーブルに地図を広げる。


「……そこでフレデリカに確認したいことがあってな」


 自分を指差しながら「え、わたしですか?」フレデリカは困惑の表情を浮かべた。

 相手が違うだろうと、クロも少しばかり思った。


 この手の場面は、いつもならイェルの出番だ。フレデリカもこの手の事情に疎いとまでは言わないが、如何せんイェルの情報網は広すぎる。各地のおいしいパンの店から、領主が手を付けたメイドの数まで、聞けば何でも答えてくれる謎の知識量だ。

 一つの参考に——というだけならまだしも、こうも改まって聞くような話が、今更フレデリカにあるというのは想像しづらい。


 疑問符を浮かべた二つの顔を前に、ミスハは地図の上に白い指を滑らせる。そして一つの街のところで止めた。


「この、トランメニルを目指そうと考えておる」


 街の名前を聞いた途端、フレデリカが固まった。


「トラン……何? そんなとこ、今まで話に出たことあったっけ」クロが尋ねる。

「いや、無いはずだ。ここからは北東方向に位置する都市で、南東にある帝都へ向かうにはかなり大回りになってしまうからな」


 ミスハは現在地と、トランメニル、それから目指す帝都を地図上で順番になぞっていく。確かに進む道としては、大きく弧を描く形になっていた。


「他の道もあるように見えるけど、これ全部塞がれてるのか?」

「そんなことは無い。……とは、思うのだが……」


 曖昧な返答だが、ほとんど否定を意味しているのが分かった。


「ここがダメ、あそこもダメと頻繁に道を変えていると、無闇に時間もかかるし、ともすればどこかに誘導されている可能性も出てくる気がしてな。どうしたものかとイェルと相談する中で、ならばいっそのこと、遠回りでも確実な道を行くのはどうかという話になった。

 で、このトランメニルはフェリウスという地方に属しておるのだが——」


 ミスハは固まったままのフレデリカを、横目にちらりと見てから続ける。


「フェリウスの領主はエレアノーラ・ヴィンセント・ヘリオス公爵。巷間で言われるところの三大公の一人、光大公その人だ」


 光大公という名前を聞いて、ようやく色々と合点がいった。


「あー、つまりフレデリカの……」

「母君が治める土地であり、故郷となる地方の街でもある」


 どおりでさっきから、フレデリカの反応がおかしいわけだ。ロムロで話題になった時も態度に出ていたが、フレデリカはどうも実家との関係があまりよろしくないらしい。おそらく単純に、行きたくないのだろう。


「大公同士は不可侵というのが、彼らの間にある不文律なのだ。加えて、公爵位以上の領主には、領内の帝国騎士団に対する指揮権が与えられておる。光大公の封土まで入ってしまえば、水大公の臣下が好きに動くのは相当難しくなるわけだ。悪くない選択だと思わんか」

「でも、光大公がこっちの味方ってわけでもないんだろ。逆に危険ってことはないのか」


 クロの疑問に、ミスハはもちろんとばかり頷いた。そして再びフレデリカに視線を向ける。


「そこで土地勘のあるフレデリカに相談しようと思ったのだ。——フレデリカはトランメニルを訪れたことはあるか?」


「え⁉ あ、はいそうです! あれ、何ですっけ?」


 名指しされてようやく、フレデリカにかかっていた石化の呪いが解けた。

 しかしまだ頭と唇までは柔らかくなっていないらしい。生返事はしどろもどろに舌足らずで、意味のある言葉とは言い難い。


「もうこいつ駄目なんじゃないか」

「い、いちいち、うっさいのよあんたは! ちょっと黙ってて!」


 クロの余計な一言に反応して、フレデリカはようやく意思を持って動き出した。

 まずは手始めに、残っていたライ麦パンを躊躇なくクロの口に突っ込んでいく。

 クロが噛み始めたところでさらにもう一陣。続けてとどめのもう一押し。げに素晴らしき怒濤の兵法を見せつけて、これは完全に窒息死を狙っている。未必の故意による殺人事件が現在進行形で発生している。


「——あ! そ、そうそう、トランメニルに行ったことあるかって話でしたよね! 確かにありますよ。うちの家とは関わりが深い土地ですし」

「もがめっごもごご?」


 クロは完全に解読不能となった独自言語で対話を試みたが、フレデリカには見事に無視された。


「ただ、行ったことあるのは十歳くらいの頃ですから、それなりに変わってるとは思いますけどね」


 言い訳の前置きを用意したところで、フレデリカはトランメニルについて簡単に説明を始めた。


 トランメニルは周囲を深い山林に囲まれた、街というより村と呼んだ方が似合うような小都市だ。人の往来も少なく、本来ならば誰の印象にも残らないような片田舎の一つという扱いだろう。

 ところが、現実のトランメニルはそんな街ではない。


 トランメニル周辺の深山や渓谷には、霊樹と呼ばれる巨大な紋章樹を中心として、希少な動植物が数多く生息している。そしてこれらの動植物が単に珍しいというだけでなく、様々な薬や道具の原料となるものが多いのだ。

 貴重な薬の産出地となれば、おのずと医術に携わる人間との関わりは深くなる。もちろん宮廷薬師や高名な医師を多数輩出している光大公家も、その例に漏れてはいない。

 光大公家の庇護の元、薬術の聖地として名高い山奥の秘境。それがトランメニルという街だった。


「ふぇうぇーわいひたとこわんだなー」


 だんだん大量のパンを咀嚼するのに慣れてきたクロが、口をもがもが動かしながら言う。一応褒めているのだが、二人がそのことに気付いたかは怪しいところだ。


「病気の療養に来る人とか、遠くから買い付けに来る商人もいますから、見かけない顔が食糧を買い込んだりしても怪しまれないとは思いますよ。街の近くで野営できそうな場所もあったはずです」


「——っぷは。野営って、何で?」

 ようやく口の中のものを胃袋に押し込んで、クロが尋ねる。


「そりゃあ、わたしが街に入るわけにはいかないでしょ。街のみんなに面が割れてるもの」

「ああ、成る程」

「私も出向かない方が無難だろうな。補給はイェルとクロに任せることになる。他に何か問題はあるだろうか?」


 フレデリカは一つ腕組みをして唸ってみる。


「うーん……後は……そうですね。警備にちょっと騎士がいるはずですけど、霊樹様に近付かなければいいだけだし……、たまに光大公家うちの人間が出入りするのも、街に入らなければ鉢合わせる心配はないし……」


「まあ、いざとなったら、光大公家のお嬢様に何とかしてもらえばいいんだしな」

「うぐ……ッ、そ、それはできれば避けたいんだけど……」


「しかしそうなったとしても、どこに追っ手がおるか分からん状況より余程よかろう。光大公エレアノーラは比較的穏健派だと聞くからな……。最悪の事態になったとしても……おぬしらが殺されることは……考えにくい」


 こちらはともかく、お前個人はどうなんだ。と、聞くべきところではあるが、他よりマシなのは変わるまい。出てくる言葉を飲み込んで、クロはあい分かったと頷いた。


「じゃあ、決まりか?」

「……んむ。次は、トランメニルを目指すことにしよう……」


 結論づけたところで、またしてもミスハはぼんやりと、どこか小さく船を漕いでいるように見えた。

 クロがちょっと肩に手をかけようとすると、大丈夫と制する。


「……少し、疲れただけだ。すまんが……しばらく休ませてもらおう。イェルが戻ったら、起こしてくれるか……」


 ミスハはふらふら席を外すと、そのままベッドに倒れ込む。

 話も終わったので構わないが、とクロはテーブルを見やる。そこには地図にテーブルの主役を奪われた朝食たちが、今か今かと口に運ばれる時を待っていた。


「なあ、お前の分の朝食が余ってるけど、食っていいか?」


 ミスハはくすんだ銀髪をかき乱すようにベッドへその幼い身体を投げ出したまま、すでに寝息を立て始めていた。これは相当疲れが溜まっていたようだ。

 お疲れのミスハを起こさないように、残った二人は少し小声で話す。


「ちょっと、あんたどれだけ食べるのよ。話してる最中もずっと口に詰め込んでたでしょ」

「自分のやったこと棚に上げて、よく言うよなお前。でも腹減ってるんだから仕方ないだろ。まあ、イェルには食べ物が足りないせいじゃないとは言われたんだけどさ」

「……なにそれ?」


 その時、部屋の扉が気前よくバアンと音を立てて開かれた。

 無表情の魔導服。イェルがそこに立っていた。


「——ど、どうしたいきなり? 何か、急ぎの用事でもできたのか?」

「状況が変わった。逗留していた騎士団の一部が、北東方面に向かう動きがある。このままだと光大公の領地まで入り込むかもしれない」


 突然の報にクロとフレデリカは目を見合わせる。


「えーと……つまり?」

「トランメニル行きは……無しだということだな」


 ベッドで身体を持ち上げながら、虚ろな瞳のミスハが呟いた。

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