長き一夜の終着点

 

 

「あー、ねみい……疲れた……」


 昼下がりの街道で馬に揺られながら、クロは半開きの目でぼやいた。

 うたた寝には絶好ののどかな日和。左右にいくつか荷を掛けて、ゆったりとした二人乗りの馬の歩みも、出来のいい揺りかごのようにクロを眠りの世界へと誘ってくる。


「仕方ないでしょ。フェルドの奴があの鉱山に来る前に、水大公の配下に会ったっていうんだもの。食糧を持って来れただけ良かったと思わないと」

「うむ。この程度でへばっていては、旅は出来んぞクロ」


 フレデリカとミスハの溌剌とした声が、横と前からぽんぽん飛んでくる。


「うるせー、お前らが良いとこのお嬢様の癖して無駄に体力あり過ぎなんだよ。……そしてまたイェルはどっか行ってるし。あいつも何なんだよ。ていうかお前ら何なんだよ」


 眠い頭を止めないように、理不尽な文句をうだうだ喚いてみる。

 するとミスハとフレデリカは目を見合わせてから、代表してミスハが口を開いた。


「それはこっちの台詞だ」


 ごもっとも。と、今にも睡魔に負けそうな意識が答えた。


「……とはいえ、私もさすがに今回は少し疲れておるな」


 ミスハの意見にフレデリカも同意する。


「戦った後も、誰かさんのせいでバジェルの皆を探してさんざん走り回りましたしね」


 そして思い出したように嫌味を言ってきた。

 何があったかと言えば、一行がロムロまで戻ってもバジェルたちの姿が見当たらなかったのだ。フェルドの伏兵にでも襲われたかと大いに焦ったが、何のことはない。彼らが道を間違えただけのことだった。


 バジェルたちも迷っているのは承知していたようだが、何しろクロが突然飛び出していったのを見た後だ。追っ手が迫っているものと思い込んで、とにかく距離を取るべく必死になるのも無理はない。

 そんなわけで、道案内も説明もなしにその場をほっぽり出してきたクロが、槍玉に上がってなじられるのは至極当然の報いである。


「そう言ってやるな。幸いバジェルたちも無事だったのだし、クロが大急ぎで来てくれたおかげで私たちも助かったのだから」

「むぅ……ミスハ様がそう言うなら…………いや。そんなことじゃ、またつけ上がりますよこいつは。もっとビシッと言ってやって下さい。ビシッと!」


「いやいや、つけ上がるとか無いから。つーか、俺をどうしたいんだお前は」

「それはほら。…………ペット、みたいな?」

「……つけ上がってんのはどっちだって話なんだけど?」


 クロとフレデリカが、もはや恒例となりつつある口喧嘩を始める。

 ミスハは馬上で後ろに座るクロに背をもたれかけながら、押し殺すようにしてくすくす笑っていた。


 そうして和気藹々と話すうちに、後方から蹄の音が聞こえてきた。敵の追っ手——ではもちろんない。比較的軽い荷物の馬に乗っているのは、紋様の施された魔導服。イェルだ。

 近付くにつれて器用に手綱を抑え、ちょうど追いついたタイミングでこちらの馬にペースを合わせてくる。


「お前も本当に何でもできるよな。しかもこっちは本当にまだ元気そうだし」

「……何の話?」


 無表情は崩さないものの、イェルは頭の上に疑問符を浮かべた。


「こちらの話だ、気にするでない。それで、うまく話はまとまったのか?」


 イェルはこくりと頷いた。


「問題なし。帝都へは報告の早馬。裁判の立会人はたぶん光大公の使いが来ることになると思う。裁判が終わるまでの諸事は、先代領主の時に勤めていた執務官に戻ってもらうことになった」


「ナタリアは?」フレデリカが口を挟む。

「そっちも問題ない」


 いや、問題ないってことは無いだろう。と、クロは心の中で突っ込んだ。

 長きに渡って一つ屋根の下で過ごし、婚約までした相手が、バジェルたちを拉致して強制労働をさせていた張本人。それだけでも衝撃だろうに、家族を殺した仇だとまで知ってしまったのだ。

 実際、真実を伝えた直後のナタリアは、かなりのショックを受けている様子だった。その場にへたり込み、しばらく立ち上がれなかったくらいだ。


 少し落ち着いてから、オズやその妹——クロが助けたあのユーシェという少女は、彼の妹だったらしい。ユーシェが足を悪くしたのも、彼が焦っていた大きな理由のようだ——が介抱していたが、二人がうまくやったということだろうか。


「だが、これからまだ神承器の継承をするのだぞ? それは即ち、フェルドの受ける罰と、その罪をはっきり認識せざるを得ないということだ。簡単に受け入れられるものでは無かろうに」

「今更お前がそれ言うか?」


 クロが呆れた声を出す。

 彼女が紋章を受け継がなければ、フェルドを殺しかけた後のすったもんだは何だったのかということになる。命まで賭けたミスハにとってなら尚更だ。


「私は私の為すべきを成しただけだ。そこから先は当事者が決めることだろう。それに、紋章が私たちに渡らなかっただけでも十分ではあるのだ。細かな事の顛末を、露見させずに済むからな」

「まあ、お前がいいんならいいんだけどさ……」


 当のミスハに言われてしまったら、これ以上追求するのも野暮というものだ。

 だがクロとしてもそうなったらなったで、無駄な恥だけかいたことになる。出来れば素直に継承してもらいたいところだ。


「でも、ナタリアもあれで芯の強い娘だと思いますから、裁判が終わる頃にはきっと受け入れる覚悟をしてくれると思いますよ」

「うむ、そうだな。私も本心では心配はいらんと思っておる」


 そう言うと、二人は目を合わせて微笑み合う。

 クロもそんな様子にどこか安心して、肩の力を抜いた。


 ロムロでの一泊二日、何かと忙しなかったが、ようやく全てが丸く収まったというわけだ。


 大きく伸びをして、太陽の光をもう一度浴びる。程よい疲労感と満足感が身体を満たしていくのが分かった。

 そこで、イェルが口を開いた。


「いや、ナタリアは継承しないけど」


 明るい日差しの下で暖まりつつあった空気が、一瞬で凍り付いた。

 三人揃って目をぱちくりと、イェルの無表情を見つめる。


「…………うん?」

「ウェスタの紋章は、オズが継承することになった。あと、オズとナタリアが結婚する」


 凍り付いた空気は一段と冷え込み、脳は一層理解を拒んだ。


 ——そして、言葉が一気に噴出する。


「いやいやいやいや! 何で⁉ 何でそうなったんだ⁉ どういう話がどこに彷徨ってあいつらそんな結論に着地してんの⁉」

「いや待て、確かにそれなら、綺麗に収まっておるといえば、収まってはおる……のか?」

「どこがだよ! 勢いだけで何にも考えてないだろ間違いなく! 会って次の日だぞ⁉ 元婚約者が捕まってからだと、半日も経ってないぞ⁉」

「あ! ま、まさかあの二人って……昨夜、私たちに会った後、施療院で……」

「ああ、思っても言わないでおったのに! あの二人はきっと……何だ、その……これから一歩ずつ、清い……交際をしてだな……」

「俺たちが戦ってる間にあいつらが何ヤってようが、そこはどうでもいいんだよ!」


 阿鼻叫喚のてんやわんやと化した様子を、イェルが嫌になるほど冷静に眺めている。

 そこでクロがはっと気付く。


「つーか、ロムロの連中って獣人嫌ってなかったか? その獣人と領主の娘が結婚して、しかもこれから領主ですなんて、そうそう丸く収められるわけ——」

「街のみんなを集めて結婚発表したけど、拍手喝采万歳三唱有頂天外の大盛り上がりだった」

「何故に⁉」


「ま、まあ、獣人が先代を害したというのは、フェルドの偽りであったわけだからな……」

「いや、それにしたってだな! それにしたって調子良すぎというか! 考え無しというか! ……何だ……まあ、うん…………何か、だんだんどうでもよくなってきたな」


 一言あるとすれば、そんな連中相手では、そりゃあフェルドの野郎も好き勝手やれるよ。ということくらいだ。そして、それも含めて、朗らかなるロムロ住民の美徳と言えなくもない。


 かくして急激に冷え込み、一瞬で沸騰した空気は、生温い煮崩れ具合に着地した。


「それじゃあとりあえず……ご結婚、おめでとうということで」


 フレデリカの言葉に、全員が頷いた。もう誰も、否定する気力もなかった。

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