バジェルたちの下山
「抜けたァ!」
夜空にまたたく星の光を目にした途端、クロは思わず叫んだ。
へたり込むようにして少女を下ろし、その場に寝転がる。木々の匂いと月の光が、この僅かな時間でも妙に懐かしい。
「あ、ありがとうございました。皆さんのおかげで……」
バジェルの一人が声をかけてきた。
「ああ、いや俺は別に感謝される筋合いはない——ていうか、まだ終わりじゃないからな。……とりあえずそこに倒れてる奴は……縛ってあるな。イェルたちかな……。じゃあそこの荷車、中身捨ててこの子たち乗せよう」
ミスハに肩と両足を撃たれ、イェルに動きを固められ、フレデリカに縛られたと思しき哀れな見張り。その横でバジェルたちが素早く作業を進めていく。
昼夜を問わず働かされてもう限界に近い疲労のはずだが、その動きには繊細さと力強さを感じさせる。皆、これで助かるという希望に溢れているのだ。
老人と子供を荷車に乗せると、男衆がもう一度自らを奮い立たせるようにして鬨の声を上げた。これならロムロまで持ちそうだ。
「よし、早速出発しよう。えーと……こっちだったかな」
まずはフェイクに迷い込まないようにしながら山を降りて、街道へ出る。そこからはミスハと馬を走らせた記憶を辿って……
その前に、一つ思い出す。
「……しまった。ここまでの山道には見張りがまだいるのか」
イェルとフレデリカが処理しておいてくれればいいが、向こうも急いでいたはずだ。下手な交戦は避けてここまで来た可能性もある。
「まずいな、どうしようか。俺もまともに戦えないし……」
「大丈夫ですよ、行きましょう。そうなったら、俺たちがやっつけてやりますから」
そう言ったバジェルの男たちは、手に手に武器を携えていた。どこからそんなものを、と思ったが話は簡単だ。山賊が持ち出していた荷物から拝借したのだ。
ニッと笑いかける男たちの顔を見て、こちらも思わず笑いをこぼしてしまう。ゴールを目前にして止められていたバジェルたちの旅が、もう一度動き始めている。今度こそ目的地に辿り着くことができそうだ。
山を降りるまで、クロはもう何もする必要はなかった。武装したバジェルたちを見て、残っていた見張りはどれも逃げ出してしまった。
◇
山を下り、森を抜けて、大所帯で月明かりが照らす夜の街道を進んでいく。
その途中で、荷車の上から先ほど助けた少女が話しかけてきた。
「おにいちゃん。おねえちゃんたち、だいじょうぶかな?」
「あー、大丈夫だろたぶん。首領も動けなくなってたし、他を相手にしても何とかなりそうな感じだったからな」
「首領……というのは?」
少女の横にいた老人が話に入ってくる。首領の男と話していた人物だ。あの時に斧で切断された獣耳はきつく縛って止血されているが、布には血がかなり広がっていた。
「そりゃもちろん、あのでかい斧持った……もしかして違うのか?」
「あの男は現場指揮官のようなもので、もう一つ上の人間がおるようでしたぞ。あまり姿を見せることはありませんでしたが」
だとすると、その人物が帰ってきたらミスハたちが危険な可能性もあるか? もちろん指揮系統のトップというだけでは、さらに強いとも限らないが——
「そいつ、実力はありそうだった? あるいは仲間をたくさん連れてきたりしそうだったとか」
「ふぅむ……どうでしょうな。私が見かけた限りでは、部下を引き連れてということはありませんでしたが。実力に関しては、あいにく私たちはそういったものに疎いものですから……」
「あのきれいな服着てる人の話してるの?」
「ああそうだよ、ユーシェ。その人がすごく喧嘩が強かったら、儂らを助けてくれたお姉さんたちが危ないかもしれないねって話を、今しているところなんだ」
「ふ~ん」
ユーシェと呼ばれた少女の言葉に、少し引っかかるものを感じた。
山賊の首領が綺麗な服とは。宝石をばらまいたような代物か、あるいは普通に洒落た服ならば——ミスハの言っていた後ろ盾か。
「強いかはわかんないけどね、剣はかっこよかったよ。真っ赤でね、すごーくほそくて、キラキラしたのがたくさんついてるの」
「赤くて、細くて……キラキラした剣?」
つい最近、そんなものを見た覚えがあるような……。そう、それこそ本当につい最近、この長い夜が始まる頃。さらに戻って真っ昼間にも。
「……ああ。そういうこと、か」
小さく笑みを浮かべた。
「何か思い当たる節があったのですかな? でしたら、残ったみなさんはどう——」
老人がぎょっと目を剥いた。
クロの笑みが歪み始めていた。
口を隠すようにして、何でもない、大丈夫だとアピールだけはする。それでも待ってましたの話を聞いてしまったのだ。我慢しようにも止まらない。
こっちでもいい。向こうでもいい。バジェルを逃がさないために、証拠を隠滅するために、とにかく今夜中に来てその剣を振るってくれれば。そしてこちらを殺す気で襲ってきてくれれば——
今度こそ、誰にも文句を言わせずに殺せるじゃないか。
「お兄ちゃん……?」
心配するユーシェの頭を撫でながら、クロは五感と直感をただひたすらに研ぎ澄ませる。
来い。来い。来い。来い。来い!
そして、街道の分かれ道が見えてきた時。
クロは全身が歓喜に吼える声を聞いた。
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