鉱山深部、大広間の乱戦

 

 

 そこはまるで天然の洞窟のようだった。一つのホールのような広さと高さ。天井までは二階、いや三階建てくらいはありそうだ。見上げた天井も高いが、すぐ先の足元にも吹き抜けになったような空間が広がっている。今はちょうど二階あたりの位置にいるらしい。


 バジェルたちは下の広間に集まって、山賊から何か話を聞かされているようだった。

 石を段々に削っただけの粗雑な階段の横で、クロはミスハと身を潜めながら様子を窺う。


「……っつーわけで、もはやこの採掘場に価値はねえわけだ! だから俺たちはぁ、ここをぉ……撤退! ……することにした!」


 バジェルたちの中で、ざわつく声が波紋のように広がる。


「で、では……皆様の全員がここから……出て行かれると?」

「そう言ったじゃあねぇか。獣の知能では理解できなかったかよ」

「と、ということは、私たちも……?」


 先ほど山賊に蹴り飛ばされていた老人が、恐る恐る尋ねる。

 話をしていた男は質問に大笑いで答えた。この男が笑うと合わせてその周りの山賊たちも笑い出す。見た目に派手な格好をして、細やかな細工がされた斧も背負っている。こいつが山賊達の首領というところだろうか。


 笑いの渦に囲まれながら、バジェルたちは怯えるように身を寄せ合っている。

 先ほど足を引きずっていた少女も含めて、まだ小さい子どもも何人かいるようだ。だが彼らの顔に感情はない。恐怖に慣れすぎてしまったのだろう。表情は凍りついて、親や大人たちに抱かれても、目線は遠くに揺れる篝火から離れない。


「そのとおーりだ、諸君! これまでよく働いてくれたなあ。君たちをこの辛ーい労働から解き放ってあげよう」


 まずは驚きと困惑、それから小さく喜びの声が広がり始める。


 だがその喜びが広がりきる前に、山賊の首領が言葉を続けた。


「たーだーし! 君たちの行き先はこちらから指定させてもらう! なーに、君たちの仲間がよく知っているところだ。何も恐れることはない」


 首領は背負った斧に手をかけて、鼻息と共に高く掲げる。


「そ、それは……一体どこです……?」

「ハハハッ! なぁに言ってんだ、半獣どもが行く先なんて一つしかないだろぉ?」


 にやっと笑い、

「……地獄だよ!」

 言葉の衝撃に目を見開いたままの老人へ、何の躊躇いもなく首領が斧を振り上げる。


 同時にクロが飛び出した。


 演説の最中に、すでに階段を降りていた。そして姿勢を低く、異形の右足からの強力な踏み込みで一気に近付く。完全に隙も突いていた。


 首領は咄嗟に刃を斜めに、斧の軌道を変える。老人が思わず縮めた頭の上で、獣の耳を半分斬り取りながら鋼の刃が唸りを上げた。

 その対応も織り込み済みだ。見張りから手に入れた剣の背で受け、勢いを流しながら——


 が、威力だけが予測を上回った。


 クロの身体が、吹いたゴミ屑のように飛んだ。


 広間の中央から壁まで、放物線すら描かない。全身を剥き出しの岩壁に激しく叩きつけられ、石と煤が散らばる地面を跳ねて転がる。

 刺さるような痛みが全身に走り、石に叩きつけられた頭や腕に、生温いものが広がるのを感じた。脇腹にも麻痺したような痛みがある。アバラくらいは何本か逝ったかもしれない。


 だが、まだ立ち上がることも出来る。脊椎をやられていないのは幸運だった。

 斧の一撃を受け止めた剣がくの字に曲がり、遠くに転がっていた。恐らくこれでも威力は殺された方なのだ。


「おおん? 逃げ出したっつー半獣かと思いきや、普通の人間じゃあねえか。なーんでこんなとこにいんだあ? 迷子かいお坊っちゃん」

「……大当たり。どこに行く予定だったんだか、ぜーんぶすっきりさっぱり忘れちゃってんだよ、俺。目的地知ってたら案内してくれない?」


 荒い息を整えながら、クロは軽口を吐く。


「残念だが、俺に案内できるのはこいつらと同じとこだけだぜ」

「そりゃ丁度いい。早いとこ、埃っぽいこの洞穴の出口に案内してくれよ」

「……だーめだ、意味分かってねえな。テメーもこいつらと同類の大馬鹿か。おい野郎ども、やっちまえ」


 顎で指示すると、取り囲んでいた部下たちが武器を構えた。

 剣や斧、取り回しのきく得物ばかり。さすがに山賊といったところか。対してこちらは剣も失って、武器はもうこの右足だけ。とにかく逃げ回るしか手はない。


 だが、この圧倒的な不利は悪いばかりでもないようだ。何人かは後ろでただニヤついてるだけで、参加するつもりがないらしい。完全にこちらを舐めている。

 彼らの腰や背にある武器は、明らかに他とは造りが違う。恐らくは紋章器というやつだ。彼らが出てきていたらひとたまりもなかった。


 そして戦闘が始まった。


「さあて、俺は半獣ちゃんたちを殺るとしようかねぇ。さあ~あ、さあさあさあ、誰から行こうか? 君かな、お前かな、そこのお嬢ちゃんからかな? それとも——お?」


 その時、ぼうっと首領の胸に紫の光が灯った。


 遠くから声がする。


「呪われし魂より這い出る蛇よ。其は悠久を生きる怪物にして、星彩に群れ集う哀れなる殉教者。天を喰らい、地を呑み干し、自らの真なる姿をその眼に映せ——」

「<星滅サーペンス>」


 階上から光の筋が、無数に広間へと降り注いだ。

 首領の胸と同じ紫色の光の曲線。空間を覆うように広がったその全てが、胸に灯った最初の一点を目掛けて集っていく。


「まぁだネズミがいやがったかよッ!」


 地面に叩き付けた首領の斧が、赤く光った。


 首領の踏み抜いた地面が砕ける。同時に大きく前に跳んでいた。驚異的な瞬発力。標的を見失った紫の光が互いにぶつかって弾ける。


「ハッハァ! 俺様に魔法当てようなんざ——」


 だが弾けた光はまた無数の線となって広がると、再び胸の一点を追従する。


「ちィッ! こういう仕掛けか!」


 躱す。さらに。またもう一度。だが光は標的を追うのをやめる気配すらない。どころか次第に、その速度は鋭さを増していく。


「だっ——たっ——らよォォォオ!」


 斧を壁に叩きつけながら、首領は階段を駆け上がっていく。

 狙いをミスハ本人に定めたか。まずい! クロも首領を追って山賊たちの囲みから飛び出し、猛スピードで階段を駆け上がる。間に合うか⁉


「と思いきやあ!」


 だが階段を登り切った直後、首領がクロに振り返った。同時に斧のてっぺんで、突き刺すような腹への一撃。


 斬れない。飛びもしない。重い一撃。内臓がいくつか爆ぜるような感覚。そしてそこに集うようにして、追ってきた光が襲いかかる。

 盾にされたクロの身体に、数十の光の筋が突き刺さった。


「クロ⁉」


 叫ぶ声が聞こえた。バカか、不用意すぎる!


「そこにいやがったかよ! 間抜けな魔法使いがァ!」


 首領は斧にぶら下がったままのクロを、大振りに投げ飛ばしてミスハに叩きつけた。抱きとめる、というよりもただぶつかり合って崩れるように、二人は重なって倒れ込む。


 斧を回して仁王立ちした首領が、左右の鼻孔からぶふぅと大きく鼻息を吹き出した。


「俺ぁ魔法使いって連中が、半獣どもの次に嫌ぇなんだ。いっつも遠くからちまちまちまちま、てめぇらタマ付いてんのかよ、ああ⁉」


 首領が怒声を上げた後、階下からは山賊たちの笑いや指笛が聞こえた。

 調子を良くして口角は上がっているが、目はまだ血走っていた。そのまま怒りをぶつけるようにして地面を踏み抜きながら、斧を背負った首領が近づいてくる。


「……おい、ミスハ……何やってんだ、早く次を、何とか……」


 口の中に広がる血の味と共に、何とか言葉を絞り出す。

 だが当のミスハは、まるで聞こえていないようにクロの身体に空いた穿孔に震える指をやっていく。血の気の引いた顔をしていた。


「違うだろバカ……俺じゃない。あいつを……」


 やはり聞こえていないのか。震える手でクロの傷口を抑えながら、ミスハは涙声に小さく何かを言っている。

 ああ、クソ。ミスハが駄目ならこっちがやるしかない。やるしかないのに、身体が冷えていくのを感じる? まさか、これじゃあ本当に死——


 ——いや、違う!


「……てはまつろい、総ては永劫。なれば有限の時も束の間の無限と変わる——」


 薄まった意識に響いてくる、平坦で感情のこもらない声。間違いない。


「<凍止スティール>」


 詠唱と共に坑道から現れたのは、イェルとフレデリカの二人だった。


「ちッ、まあたおまけが出てきやがったよ。まったく、外の奴らは何してやが…………っる⁉」


 上半身を揺らしながら、突然首領がその場に倒れ込んだ。倒れた後もまた、両足はピタッと揃えて、腰から上だけをバタつかせる。


「て、テメエらか⁉ この糞ガキ共が、俺の体に何しやがったァ!」


 オットセイのように喚く姿を無視して、イェルとフレデリカはミスハの前に立った。


「無事で何より」

「うん、本当に。心配しましたよ、ミスハ様」


 フレデリカはミスハの肩を支えて立ち上がらせると、顔を見ながら言う。


「…………すまん」


 言われたミスハも、涙を拭いてそれに応じた。


「ちょ、ちょっと待って⁉ 今回はマジで俺が無事じゃねえんだけど! お前らマジでふざけん……って、あれ?」


 おかしい。身体の痛みが無くなっている?

 服の穴をまさぐっても、その先に傷跡すら残っていない。


「あれ…………治った?」

「な・お・し・た・の! 私が! 魔法で! あんな傷、勝手に治るわけないでしょ」


 いや、前は治ったぞ。


 ——とも言いがたいか。右足はあれから変になったまま戻っていない。


「そっか、とにかくサンキュー」


 フレデリカは顔を背けて、「フン」と小さくひとつ鼻を鳴らした。そして抜身の剣を構えて歩み出す。口をポカンと開けたままこちらを見上げる山賊たちに、声を張り上げた。


「さあ、もうあなた達のボスは戦えないわよ! 他の奴らも死にたくなければ、武器を捨てて投降しなさい!」


 フレデリカの言葉に一瞬山賊たちも戸惑うが、

「て……テメエ! 何調子のいいことを言ってやがる! 俺はまだ負けちゃいねえぞ!」

 首領の吠える声に応じて口汚い言葉を叫び始めた。手下の声に混じって、首領も斧を何度も叩きつけては更に吠えている。だが相変わらず足は姿勢正しく伸びたまま、這いずり回っているような姿だ。


 その様子を見下したような視線で見ながら、イェルがもう一度呪文を唱える。今度は振り回していた腕が凍りつき、バンザイの格好のまま止まった。


「その魔法、無理して動かそうとすると一生動かなくなるから気をつけて」

「なん——ッ⁉」


 伝えるのが遅すぎる助言を首領に残すと、今度はイェルがフレデリカの前に出る。殺気立った山賊たちの声が一段と大きくなった。

 クロの前では見物を決め込んでいた連中も、ようやくその得物に紋章器の輝きを宿し始めている。


「何人かいる紋章器持ちは全部私がやる。残りは任せた」


 言うとイェルはひょいと飛んだ。そのままふわりと階下に降り立つ——

 ——と同時に、氷の柱が広間のそこら中に降り注ぎ始めた。


 しかもその数が、大きさが——ちょっと尋常ではない。


 大人が手を広げたくらいの直径をした六角柱が、雨か霰のごとく間断なし。氷柱は地面を叩き潰すと共に砕けて宙に消え、またすぐに次が襲ってくる。数え切れない氷柱の嵐。

 驚異的な質量の猛威に、山賊たちが次々と潰されていく。


 運良く第一波の犠牲にならなかった者も、第二、第三、第四波、止まる気配のない魔法の雨から必死で逃げ惑う。


「ええ……なんだよ、あれ……」

「まだまだこんなものではないぞ、イェルは。もしも相手に神の加護さえなければ、神承器使いにも勝てるだろう」


 露払いが終わったのか、柱の雨が止んだ。イェルは自身の周辺に漂わせた氷の刃で、紋章器使い四人を同時に戦い始めていた。本来なら一方的な筈の人数差だが、むしろイェルの方が手数で上回っている。本当に驚異的な実力だ。


 だがさすがに、意識が全ての相手に向かっているわけではないらしい。


「いかん!」


 氷柱が討ち漏らした山賊の一人が、バジェルの子供を人質に取ろうと掴みかかる。その手をミスハの魔弾が撃ち抜いた。


「私も行きます! ミスハ様はここから援護お願いしますね!」


 フレデリカも白銀の刃を輝かせて駆け出した。かなり減ったとはいえ、まだ十人近くの敵が残っている。

 フレデリカはとにかく階段の近くから斬りかかり、道を切り拓く。


 先ほどまで首領の一人舞台だった坑道の大広間は、一気に無秩序な戦場と化した。


「……えっと、俺はどうしよう?」

「クロはバジェルたちを外へ——右だフレデリカ!——連れ出してくれ! 聞こえるかバジェルたち! おぬしらも早く!」


 ミスハの声にバジェルたちも動き出した。彼らを追う山賊は、フレデリカが横から食い止める。

 反対側の階段からも山賊が駆け上がってくる。なかなかの多勢に無勢、簡単に逃がしてはくれそうにない。そちらにはミスハが立ち塞がった。構えた手に魔法の光が宿っていく。


「こっちだ、こっち! 足の遅い奴はまだ元気な奴が背負って!」


 急かす声を上げながら身を乗り出し、クロは雑然とした広間を見渡す。バジェルたちが集まっていた場所にはもう誰もいない。この階はミスハ、近くの階段はフレデリカが食い止めている。クロの視線は広間中を走り抜けていく。


 そこで一人、耳の生えた子供の姿が遠くに映った。


 反対側の階段の途中だ。割って入ったフレデリカと山賊の戦闘で階段に近づけず、大回りを余儀なくされたらしい。

 動きの悪い片足を引きずっている、まだ幼い少女だ。山賊が背後に迫っている!


 吹き抜けに飛び降りながら、右足で壁を蹴る。地面に降りるところでまた踏み込み、前へと更に急加速。そのまま前方に宙返りして、また右足で踵から蹴り下ろす。


「あゴ——ッ⁉」


 山賊の叫んだ声に、バジェルの少女が振り返る。丸い耳が限界まで立っていた。クロ、ではなくその後ろを見ている。


 とっさに前転したクロのすぐ後ろを、斧の刃が鋭く切り裂いた。


「——ッぶねぇ! よし、大人しくしてろよ!」


 そのまま少女を拾い上げると、お姫様抱っこをして階段を駆け上がる。同時にミスハが道を空けるように山賊を吹き飛ばす。

 互いに頷きながら、そのまますれ違った。


 あとは一気に坑道を走り抜けた。金属音や壁の砕ける音、叫び声が遠ざかっていく。

 来る時には灯っていた篝火もいくつか燃え尽きていたが、極限状態の記憶力というのは恐ろしい。クロは迷うことなく出口まで一気に辿り着いた。

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