小さな異変

 

 

 鉱山は深い森を抜けた先、アルバデール山の中腹にあった。

 山道の入り口には一応の偽装こそされていたが、どうしても鉱石を載せた荷車が通る広さは確保しなければならない。月夜の中でも簡単に見付けることが出来た。


「しっかし、こんなのでよくバレなかったな。誰か通ったりしないもんなのか?」

「アルバデール山は北部ドワーフ同盟と領土を分け合っておるからな。誤って国境を越えてしまう可能性も考えれば、あまり近づきたくはなかろう。地理的にも国の端にあって、あえて通る理由もない」

「ふうん、山賊も色々と考えてはいるわけか」


 ミスハの話には納得しつつも、やはり詰めが甘いというのがクロの正直な印象だった。

 ここに来るまでにもフェイクの道が何本かあったのだが、そちらには殆ど使われた形跡がなかった。正しい道に置かれた見張りも数える程度。馬を降りて少し奥まった獣道を進めば、拍子抜けするほど簡単に鉱山入り口前の小屋まで辿り着けてしまった。


 今は二人、灯りのついた小屋を遠巻きに見ながら、森の茂みに身を潜めている。


 坑道の奥からは、硬いものを叩くような甲高い音がいくつも響いていた。間違いなくバジェルたちが鉱石掘りをしている音だろう。

 今すぐにでも止めてやりたいところだが、彼らの命が残っている証左でもある。とりあえず一つ胸を撫で下ろすに留めて、二人は作戦を練っていた。


「って言ってもなあ……山賊たちに見付からないで全員逃がすなんて方法、ほんとにあるのか?」

「さてな。少なくとも私には思いつかん」

「ええ……?」


 ミスハの口から出てきたあまりにも投げやりな言葉に、呆れた声を出す。


「もちろんこの世の何処かにはあるだろう。睡眠や催眠魔法、空間を操る魔法というのも聞くのでな。しかし残念ながら、私はそんなもの使えんのだ」

「じゃあ山賊どもと正面切ってやり合うしかないのか」

「それも難しいだろうな。オズの話では紋章器の使い手が複数いるというではないか。おぬしも……」


 もちろん首を振った。やる気が出ないのもあるが、今はまるで戦える気がしない。アブリスで兵士たちと遭遇した時と同じだ。


「と、いうわけだ。救出は諦めたほうが無難だろう」

「じゃあお前、何のために来たんだよ。まさか本気で、殺されるためだけに来たとか言わないよな」

「それこそ、まさかだ」


 ミスハは笑うように言うと、少しずつ小屋へ向かって動き出した。森に立ち並ぶ、樹皮が荒々しい野生の大木。その裏に姿を隠しつつ慎重に近づいていく。

 小屋の前には見張りが一人立っているが、こちらには気付く様子がない。やはりまるで素人だ。裏手にあたる位置の茂みまで来たところで、ミスハが動きを止めた。


「やはり扉は一つだけか……」


 どう見ても急拵えのボロ小屋だ。わざわざ裏口まで付いているわけはない。とはいえ、見張りが一人しかいないなら、囮でも用意すれば何とか侵入くらいできそうではある。


「入ってどうするんだ?」

「奴らが誰と繋がっておるのか、その証拠を探すのだ。ただの山賊がこれだけの規模で動けるわけがないからな。必ず大きな後ろ盾がある」


 成る程、証拠探しが目的だったか。ならば昨日の今日、どころか今日の今夜にやって来たのも理解できる。


 彼らはオズを逃がしてしまったのだ。当然そのことに気付いているからには、証拠の隠滅にも走る可能性が高い。証拠品を持ち出すタイミングは、それこそクロたち一行の今後の予定でもないが、早いに越したことはない、だ。

 こちらはそこを更に先んじなくてはならない。


「だったら、あの小屋には寄る必要ないんじゃないか? あそこオズが寝込んでたって言ってた場所だろ。そんな所に証拠を残しとくわけないって」

「むぅ……確かに。しかし……」


 口を濁しながら、ミスハは坑道の出入口に目を向ける。先ほどより少し大人しくなってはいるが、まだ中からは採掘音が響いていた。

 もちろん出入口には、見張りの山賊が陣取っている。左右に二人、しっかりと脇を固めていた。


「あそこに入るのはもっと厳しいか」

「いや、クロの意見ももっともだ。やはり気絶させてでも中に入るしかあるまい。果たして、うまく気付かれずにやれるか……」


 気絶させる? 殺してしまった方が楽なんじゃないの?

 思っていても、口には出さない。どうやらミスハは極力殺人という選択はしたくないらしい。というのは、最近クロにも分かってきていた。


 しかし正直これは——難しそうだ。


 虎穴に入らずんば虎児を得ずとはよく言ったものだが、だからといって目覚めた虎が待ち構える巣穴に飛び込むのは、勇気も無謀も通り越して捨身の境地に近い。

 やはり小屋の中に期待するくらいが関の山か。


 そう思った時、坑道の中から山賊が数人出てくるのが見えた。顔が隠れるほど積み上げた荷物を、両手で抱えるようにして運び出している。

 どう見ても普段からのゴミを捨てに来たという風ではない。厳重に蓋をした木箱や布袋、巻紙、いくつか武器なども積まれている。あの中に証拠品の何がしかが含まれているとすれば、願ってもない状況だ。


「ひょっとしてこれ、ツイてるんじゃないか?」


 だが、ミスハの表情は固かった。


「運がいいかといえば、怪しいぞ。単にあれらを運び出すというだけであれば良いのだが……」


 山賊たちに続いて、鉱石が山のように積まれた荷車を引くバジェルたちが、続々と坑道の暗闇から現れた。

 誰も皆オズと同じような丸っこい耳を生やして、痩せ細った身体をしている。着ているものも、昼に見た彼と同様にボロ雑巾だ。

 鉱石の荷車を外に置くと、またバジェルたちは弱々しく坑道に戻っていく。動きの遅い老人が、山賊に尻を蹴り飛ばされていた。

 バジェル最後の一人は、小さな桶で鉱石を運んできた、ミスハよりも更に幼い少女だった。桶を下ろすと片方の足を引きずって坑道の中へと歩いていく。


「そういやこんな夜中までやってるのか。よく今まで生きてるな」

「さすがに交代はさせておるだろうがな……ん? 山賊たちも入っていくぞ」


 荷物の運び出しを終えたのだろう。見張りの二人だけを残して、山賊たちは手に手に武器を持ったまま、坑道へ入っていった。


 鉱石が積み上げられた荷車が十余り。それに山賊たちが運んできた木箱や袋の山。かなりの量の荷物がずらりと出入口の前に並んだ。これを運んでいこうというのは、中々に骨が折れそうだ。

 もちろんバジェルたちを使えば何とかなるだろうが、オズを逃がした直後だ。彼らを外に出すつもりもないだろう。かといって山賊たちが運ぶなら、殆ど全員がかりでの仕事になる。


「何か……おかしくないか?」


「やはりクロもそう思うか」


 気付けば坑道の中から響いていた採掘音が止まっていた。薄ら寒いものすら感じるほどに、静けさが辺りを包んでいる。


「あいつら、逃げる気だな」

「よもやそれだけでは済まんだろう」

「やっぱり? だったらもう、やるしかないよな」

「分かっておる!」


 言葉と同時に、ミスハは茂みから飛び出した。目指すは見張りの二人、一気に距離を縮める。


「<闇月イクリプス>!」


 黒球に見張りの一方が弾き飛ばされた。坑道の入り口を門のように固めていた木柱に、頭をしたたか打ち付けて動かなくなる。


「なっ……何だテメ——」

「<貫魔クーゲル>!」さらに躊躇なく魔法の名を口にして、魔弾を撃ち放つ。


 構えた手から直線に放たれた魔弾は、正確にもう一人の肩を射抜いた。腰から引き抜こうとしていた剣がこぼれ、足元の石と弾けて金属音を坑道の内側へ反響させる。

 安全のために、魔弾をもう一発。足の動きを止めた。


 ミスハは呼吸を整えながら、手の構えはそのまま。脅しをかけつつ問い質す。


「答えよ。おぬしら、バジェルたちをどうするつもりだ」

「……何だ、ガキじゃねえか。へへ……俺らに歯向かったらどうなるか分かって……」


 もう一方の足も撃ち抜く。見張りの男はすっ転んだようにその場に倒れた。激痛に叫ぶ男の声が、坑道の中にいくつもこだまする。


「質問に答えよ」


 冷たい声でもう一度問いただす。

 だが男が上げるのは、呻き声ばかり。息を荒くしながら、脂汗をだらだらと流している。


「へへ、へへへ……俺らのボスが、誰だか分かってねえみてえだな……」

「貴様——ッ!」

「もうやめとけ。奥に行くぞ」


 クロは落ちている剣を拾い上げて、ミスハの腕を引っ張った。ミスハは歯噛みしながらもそれに従う。


 そして二人、暗い坑道の奥に進んでいく。

 坑道の中に据えられた篝火は、燃え尽きているものも多くあった。やはりこの鉱山の役割が終わりつつあるということだろう。


「もう後には退けんぞ」

「分かってるよ。いいから早く行こう。手遅れになる前に何とかしないと俺たちまで無駄死だ」


 坑道の奥が俄にざわついている。採掘音などではない、人の声だ。その声を頼りに、出来るだけ足音を殺しながらも歩く速さを上げていく。

 そして何度目かの角を曲がった時、不意に目の前が開けた。

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