どうか救いの手を
青年はオズ・イツトリと名乗った。バジェルという種族の獣人で、ここゼグニア帝国からピネス山脈を越えて北にある国、ガノスから来たのだという。
多種族の連合国家であるガノスは現在、ゼグニア帝国という共通の敵を失ったことで、国を七つに分けた内戦状態に突入している。
そしてガノスを分けて争う七国の中でも、バジェルが属していたノールは最も小さい国家だった。
様々な種族の獣人を主体とするノールの戦士たちは、文字通りに獅子奮迅の活躍を見せて、これまで隣国の侵略を退けてきた。
しかしどれほど強靭な肉体を持つ戦士が集まっていても、圧倒的な国力の差を埋めきるには足りず。ついにノールは滅びの時を迎えることになる。
滅びたとは言っても、基本的には同国内の勢力争いだ。領土や財産こそ奪われたものの、ノール国民のその後は本人たちの自由意志に委ねられた。ほとんどは農奴として戦勝国に忠誠を誓い、土地に残ることを許された。屈強な戦士たちの一部には軍へ取り込まれた者もいた。
バジェルはその中で、他国へ落ち延びるという道を選んだ者たちだった。
決して、望んで選んだわけではない。種族として武勇や技能に優れているわけでもなく、以前の生活でも既に貧しかった彼らには、それ以外に選択肢が残されていなかったのだ。
多くのバジェルは残る五つの国へと散っていったが、オズたちの一団はピネス山脈を越えて南のゼグニアへと向かった。目指したのは実り豊かな土地オルムス。その領主ウェスタ家と一団の首長に親交があり、是非力になるとの手紙が届いたのが決め手になった。
だがそこで彼らに待っていたのは、予想だにしない出来事だった。
厳しい山越えを終えて、麓の沢で休憩をとっている最中。突如として武装した集団に襲われたのだ。
武装集団は山賊を名乗りながら、強力な紋章器をいくつも持ち合わせた、軍隊かのようだった。戦乱から逃げ延びてきたオズたちに、そんな猛者たちと渡り合えるはずもない。彼らは運び出してきた僅かな財産を根こそぎ奪われた上に、どこか深い山中にある鉱山へと連れて行かれた。
そして彼らは山賊たちの厳しい監視の下で囚われたまま、昼夜を問わない労働をさせられることになる。
日も当たらない鉱山の労働は老若男女の別なく強制され、動きが遅いというだけで皮膚が裂けるまで鞭で打たれた。食事は一日に一度、芋や豆のスープとパンが一切れだけ。病人は人一人寝るのも難しい小さな部屋に押し込まれ、怪我人も休むことは許されなかった。最初の一ヶ月で半数近くが死んだ。
それから山賊たちも少しは学んだのだろう。病人と大きな怪我をした者だけは、外の小屋で隔離するようになった。だが、労働の苛酷さは変わらなかった。
ペースこそわずかに遅くなったものの、一人、また一人と仲間は倒れていく。
そんな中で、バジェルたちは病や怪我の度に入念な調査を重ね、隔離小屋の警備について調べあげた。抜け出せるとしたらここしかないというのが、それまでの失敗と犠牲でわかっていた。
そしてついに今、病み上がりのオズが小屋を抜け出すことに成功したのだ。
◇
「残された仲間たちが、今頃どのような目にあっているのか……想像するだけでも身の毛がよだちます。僕はみんなを一刻も早く助け出さなければいけない。どうか、力を貸してください!」
オズが話を終えると、食堂はしばし静まりかえった。
にわかには信じがたい話だったが、オズの言葉は真に迫るものがある。とても嘘をついているとは思えなかった。
「この話を聞いて、少しでも早く先生に伝えないとって……先生、私からもお願いします。どうかオズさんたちを助けてあげて! ウェスタの騎士たちなら、きっとやり遂げてくれる筈です!」
オズの横に座るナタリアが、また一つ身を乗り出して訴える。
黙り込んでこれまでの話を聞いていたフェルドは、椅子の背にもたれながら天井を仰ぎ見た。眉間を揉みながら、しばらく目を閉じる。
そして再び開いたその双眸には、冷たいものが宿っていた。
「事情はよくわかりました。多くのご友人や家族を失い、今もその鉱山に仲間を残している貴方の心情、察するに余りある」
オズとナタリアの表情が一瞬明るくなる。が——
「しかし残念ながら、私には貴方のお仲間たちを助け出すことは——できません。お力になれず申し訳ない」
「そんな!」
机を叩くようにして立ち上がったのはナタリアだった。その声は悲鳴にも似た色が混じっていた。
「嘘でしょ先生! 今ここに助けを求めている人がいるのに……そんなのウェスタの人間がすることじゃありません! 先生らしくもない! 一体どうしちゃったんですか⁉」
「もちろん私だって、彼らを助けたいという気持ちに変わりはないさ。しかし」
厳しく諭すような口調で言う。
「しかしだよ、ナタリア。私は今、オルムスの領主だ。領民の命と安全を守るという責務があるんだ。私情で動くことはできない」
「どうしてですか! これまでだってウェスタ侯爵家は分け隔てなく、困った人に手を差し伸べてきました! かつての戦乱期に、よそから受け入れてオルムスの人間になった人だってたくさんいます! もしお父さんたちなら——」
こぼしかけた言葉に、ナタリアはとっさに自分の口を押さえる。
だがフェルドはショックを受けたような素振りはまるで見せなかった。
「……今ならば君のお父上——前領主ルーファス様も私と同じ判断を下しただろうさ。君は現在のゼグニアがどういう状況にあるのかを知らないから、そう易々と騎士を動かすなんて話が出来るんだ」
断じたフェルドに、ナタリアは当惑の表情を浮かべる。
「陛下の後継者問題のことですか」
繋いだのはミスハだった。
「その通り。やはり旅の方にも噂は届いていましたか」
「……あの、すみません。僕はまだこの国の事情には疎いのですが……一体どういうことなのですか?」
会話に割って入ったオズに、ミスハは簡単にゼグニアの現状を説明した。皇帝の命がもう長くはないこと、諸侯が次代皇帝を巡っての内戦を画策していること、そのために情勢が緊張状態に入りつつあることなどだ。
「……何てことだ。まさかこちらも、ガノスと似たような状況になっていたとは……」
落胆を露わにするオズに、フェルドが追い打ちをかける。
「多くの諸侯が互いの動きを見張り、神経を尖らせているというのが今のゼグニアの現実です。そんな折に独断で騎士団を動かせばどうなるかなんて、火を見るより明らかでしょう。他国から落ちのびた獣人たちを助けるためなんて話、信じてくれるとも思えない」
フェルドの語る為政者の理にも、ナタリアは食い下がる。
「だったら信じてもらえるまで、納得してくれるまで話せばいいじゃないですか! 騎士団が動かせないなら、優れた武芸者を雇えばいい。神承器ウェスタがあれば、先生が戦うことだってできるはずです。まだやれることはたくさんあるのに、どうしてすぐに諦めてしまうんですか!」
クロにはどちらかといえば、ナタリアの意見に分があるように思えた。
確かに、情勢は危険な方向に向かいつつあるのは間違いない。
しかしフレデリカの話では、軍事増強を始めているのはミスハを暗殺することを前提として行動しているごく一部。それも密かにだ。
まだ緊迫した情勢だと気付いていない領主だって多くいる。ここで少し問題を起こした地方領主を躍起になって潰すことは、彼らの利になるのか。むしろ平時を装って、知らぬ相手を出し抜こうと考える方が自然じゃないか。
それに加えて、神承器ウェスタの存在。
使っているだけで自らに傷も付かなくなる武器は、それだけであらゆる武力への完全な対抗策だ。それこそフェルドが一人でふらっと出て行って、一人ずつ山賊を倒していくだけで事は済む。何も難しいことは無いように思えるのだが。
「やれやれ。やはりこれでは納得してくれないか」
乗り出したナタリアの肩を押し戻しながら、フェルドが深く嘆息する。
「君が苦手な政治の話を使えば、上手く誤魔化せるかと思ったんだけれど。……無理だったね。私はいささか君を見くびっていたみたいだよ、ナタリア。そうだよ、今のは言い訳だ。表向きの建前ってやつさ。本当の理由は違う」
「じゃ、じゃあ、どうして……?」
「では逆に聞こうか、ナタリア。君はどうして、彼が真実を話しているだなんて、信じているんだい?」
ナタリアの瞳が驚愕に見開かれた。
横にいたオズも声を荒げる。
「——なッ⁉ 僕は嘘なんてついていません! どうしてそんな——」
「君は少し黙っていてくれないか!」
オズの叫びを更に大きな怒鳴り声で黙らせると、フェルドは絶句したままのナタリアに躊躇なく言葉を続ける。
「彼は間違いなく他国の人間だ。しかも獣人だよ? これだけでも疑うに足る事実じゃないか。だが、今回はそれだけじゃない。これだけは君に言いたくなかったのが——もう言わせてもらおう。私は彼のような風貌に見覚えがあるんだよ。滅多に獣人など見かけないこの地域で、それもちょうど二ヶ月前のことだ。……どういう意味か、君ならわかるね?」
オズだけがその意味を計り兼ねていたが、その場にいた残り全員が、フェルドの言わんとするところを理解していた。
フェルドはオズが、あるいは彼と同族のバジェルたちが、ナタリアの家族を襲撃して命を奪った張本人だと言っているのだ。
さらに言えば、ナタリアの家族を襲撃した仲間であるオズが、ウェスタ家を更に陥れるために嘘をついてフェルドや騎士団をおびき寄せようとしている。そんなところまで考えているのだろう。
「そんな……まさかそんなこと……」
「つらいだろうが、事実だ。——たとえ仇と同じ獣人だとしても、その言葉を信じ、不幸を悲しみ、助けたいと願う。その優しさは私にとっても誇らしい君の美点だ。だがこと今回に関しては……すまないが、考え直してもらわなくてはいけない」
「ナタリアさん、今の話はどういう——」
肩に触れようとしたオズの手を振り払うように、ナタリアは部屋を飛び出していく。その瞳には涙があふれていた。あまりにも多くの衝撃を受けすぎて、ついにこらえきれなくなったのだろう。
行き場をなくした手を差し出したままのオズは、最初に見た時よりも弱々しい姿に映った。
だがそれでも拳をぐっと握り直し、オズはフェルドに強い眼差しを向けた。
「結局……フェルド侯爵は僕らを助けるために力を貸してくれることはない。そういうことですか?」
「そこまでは言っていない。君の話だけ、私の一存だけでの派兵はしないと言っているだけだ。これまでの言葉が嘘ではないという証拠を持ってくるのなら、私も山賊狩りのためにゼグニア帝国騎士団へ派兵を求める、
オズは犬歯をむき出しに、今にも食ってかかりそうな勢いで声を荒げる。
「それでは何もしないのと同じでしょう! 他国人である僕の名前で出した嘆願なんて、聞いてくれるわけがない!」
「ならば、他に力のある人物を頼るといい。そうだなこのあたりだと……そうだ、光大公閣下なんかはどうだ。大公の三女であるこのレディ・フレデリカと連名ということであれば、君への協力を願う親書を用意してあげるよ。お目通りもかなうはずだ」
急に話を振られたフレデリカが狼狽する。
「えっ⁉ わ、わたし⁉ いやでも、ここからウィスピリアって結構距離ありますよ? それにあの人、あんまり城にいることないし……」
「ですがこのまま動かないよりはましでしょう。——うん、それがいい。そうしましょう。親書は明朝までに私がしたためておきます。フレデリカさんはそれに署名をしていただくだけで結構ですので。
……ではオズ君、そういうわけですから明日またこちらに受け取りに——ああ、君は病人でしたね。こちらから届けさせますよ」
「……いえ、大丈夫です。ナタリアさんと僕らの間には何かあったようですし、これ以上面倒もかけられません。僕から明日こちらに伺います」
フェルドはにっこりと笑った。クロにはそれが作り物かどうかの判別が付かなかった。どちらの意味合いもあるように見えた。
「それは何より。私も君の話が本当であれば、力になりたくないわけではないのですよ。今は事情がそれを許さないだけ。……わかってもらえますよね」
「…………はい。ご助力……感謝いたします。侯爵」
そう言って頭を下げたオズの顔は、悔しさに歪んでいた。
目の前にぶらさがっている仲間を助けるチャンスを、みすみす逃すことになったのだから当然だ。かといって、ここでフェルドに食ってかかり光大公への紹介の話を反故にするわけにもいかない。
オズはよろけながら立ち上がり、また一つ深々と礼をした。
「それでは僕はこれで……失礼します。こんな時間にお邪魔して、申し訳ありませんでした。皆さんも、会食の場に割り込んで話をさせてもらって、すみませんでした」
打ちのめされたようなオズは、弱々しい足取りで食堂を後にする。
「あ、ちょっとオズさん! 一人じゃまだ心配だからわたしたちが送っていきますよ! ……いいですよね? フェルド侯爵」
フレデリカの申し入れを、フェルドは素直に受け入れた。
「それではお開きにしましょうか。最後は色々ありましたが、食事を楽しんでいただけたなら幸いです。馬車を表に待たせてありますから、どうぞ乗って行って下さい」
一行とオズを見送るフェルドは、この場にただ一人だけ、勝者のように誇らしげな顔をしていた。
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