晩餐にご相伴

 

 

 迎えの馬車が待っていたのは、昼間に魔物が暴れた南の広場だった。

 本来なら宿まで来るのだろうが、フレデリカは場所を教えていなかった。少し調べればわかることでも情報は渡さないに越したことはないという判断だ。


 昼間と同じベストの上に、もう一枚紳士風の黒いコートを纏ったフェルドは、こちらを見つけると喜びの表情を露わにした。


 馬車は二つ。フェルドはすぐさまフレデリカを先頭の馬車へと案内する。

 クロは後ろの馬車へ向かおうとしたのだが、フレデリカに引っ張られて同じ馬車に連れて行かれた。


 フェルドは手慣れた様子で残りの二人を後ろの馬車に案内すると、自身はフレデリカと同じ先頭に乗り込む。そして馬車が走り出した。


 先頭の馬車の座席は奥から、フレデリカ、クロ、フェルド。


 クロを盾にして、フレデリカは距離を取りたがっているのだが、フェルドの方はフレデリカと話をしたくて仕方がないらしい。

 屋敷に向かう車内は、身を乗り出し、壁になり、距離を取り、席が詰まり、一旦戻して、また詰まる。静かな攻防が延々と繰り広げられていた。緩衝地帯にされたクロにとってみれば、居心地の悪いどころではない状況だ。


 そんな最悪の時を過ごすうちに、馬車の揺れが少なくなった。ウェスタ家の庭園に入ったとフェルドが説明する。


 フェルドが説くところによれば、慈愛を是とし、領民の生活を第一に考える。それがウェスタ家に受け継がれてきた教えなのだそうだ。

 だからこそ大貴族の令嬢を呼ぶには質素な屋敷だ。とフェルドは言うわけだが……。

 クロにはそれが何のことやら理解出来なかった。


 手入れの行き届いた花々が咲き乱れる庭園に、巨大な彫像がこれまた巨大な扉の左右を固める玄関。

 屋敷に入れば、廊下に敷き詰められた模様細やかな明るい絨毯がお目見えし、壁には金装飾の燭台が等間隔に並ぶ。そして廊下の先にある背の高い扉を開くと、下手な家一つ分の広さをした食堂に辿り着いた。


 クロからすれば、まさに殿上人の世界。侯爵家の名にふさわしい屋敷としか思えなかった。


「やべえ……ついていけねえ……」


 ついに言葉にしたのは、食事を待つ座席に付いてしばらくのことだった。


「大丈夫。クロにはマナーなんて誰も期待してないから。いつも通りに手づかみでガツガツいっちゃって」


 隣席のイェルが冗談ともつかない冗談を返す。


「俺でもナイフとフォークくらいは使えるっつの。まあ、箸の方が慣れてるけどさ」

「お、珍しい。箸なんてゼグニアじゃ存在すら知らない人も多いのに」

「そうなのか? だとすると、やっぱり俺って遠くから来たのかね……。それよりお前こそどうなんだよ。お嬢様のあいつらはともかく、お前は一般人だろ」

「実は私もお嬢様だから」

「マジか⁉」

「というのはさすがに嘘だけど、最低限の作法くらいは知ってる」


 必要性が感じられない嘘をついたイェルは、姿勢を正していかにも楽しみだという顔で食事を待っていた。

 いや正確には、表情がわからないので楽しみそうな顔はしていない。しかし早く食事にありつきたいという欲求だけは、時折垂れかけては飲み込んでいるよだれから察することができた。


 長円形のテーブルには、長円の先に館の主人であるフェルド侯爵。そして公爵から見て右手に今宵一番の貴賓であるフレデリカが座り、更に右へミスハ、イェルと並んで、一番遠くにクロが腰掛けている。

 もう一つ、フェルドの左手側にも食事の用意がされているが、これは恐らくナタリアの席だろう。


「ナタリアはまだ施療院ですか?」


 フレデリカの問いにフェルドが頷いた。


「ええ。時間までに間に合わせるように言っておいたのですが……こちらから招待しておいて遅れるなんて、本当に面目次第もありません。……誰か! ナタリアの様子を見てきてくれないか!」


 手を叩いて使用人を呼びつけるフェルドを、フレデリカが慌てて止める。


「いやいや! いいんです、いいんです。彼のお世話を優先してもらったほうが、こっちも安心できますから」

「そう言って頂けるとありがたいです。さすがは代々皇帝家の専属医を輩出してきたヘリオス家のご令嬢。何よりも患者の心配をなさるお心が、魂に染み付いているというわけですね」


「え⁉ いや別にこのくらい普通……」

「普通! いえいえ、とんでもない。そもそも医の心は仁の心と言いましてね……」


 フェルドが持ち上げから繋いで、聞きかじりの持論を語るコンボを決めようとしたところで、奥の扉が開け放たれた。そして料理が次々と運ばれてくる。


 馬車から続く攻勢に憔悴していたフレデリカも、ここで一気に顔色を取り戻した。

 シェフが大いに腕をふるった極上の料理の数々はフェルドのおべっかを蹴り飛ばし、皆の五感を次々に蕩けさせながら、テーブルの話題を見事にさらっていく。


 女性陣三人は三者三様それぞれの反応を見せながら、運ばれてくる料理の一つ一つを褒め称えた。この地方特有の調理法や収穫される野菜、特に葡萄酒についての話には大輪の花が咲き、テーブルは大いに盛り上がった。


 食事も後半に差し掛かり、痺れるような香辛料と香草をふんだんに載せた鴨肉のローストを食べているところで、イェルが唐突に話しかけてきた。


「クロは食べる時あまり喋らない人?」


 どこか要領を得ない質問だった。


「そういえばクロ君は、あまり会話に参加していないね。もしかすると口に合わなかったかな。あるいは苦手なものでも?」


 フェルドがイェルの言葉が意味するところを理解して、突っ込んだ質問を続けてくる。こういう鋭さをどうしてフレデリカとの会話では発揮できないのだろう。


「いや、味はいいんじゃないすか。嫌いでもないし」

「それなら良いんだけれど、淡々と食べているようだったからね。ああ。もしかすると、食べ慣れているのかもしれないが」


 冗談で言ったのだろうが、それもある。はっきりと記憶に残っているわけではないが、味わいに様々な深みのある料理も、よく食べていたような気がする。


 だがそれ以上に気にかかるところがあった。

 舌で味わう満足感と、食欲が満たされる感覚が一致していないのだ。


 もちろんうまいとは感じるし、実際に腹も膨れる。なのに何かが足りない。食事を終えた気がしない。

 記憶を失くし、目覚めてからしばらく経ったが、実はこの感覚はずっと続いている。


 いや。正確には、心から満たされた瞬間が一度だけあった。その「何か」だけ満たされた時ならば、二度。


 ——神承器の使い手を、この手で殺した時だ。


 などと本当に言ってしまうわけにはいかないので、適当な言い訳を考える。


「ほら、若い男ってのは、味より量のほうが大事なんだよ。この鴨もたぶん俺にとっては量が少ないんだな。昼間に仕留めてたあの魔物とか、丸焼きで出されれば満足したりして」


 フェルドは朗らかに笑い声を上げた。


「おいおい、魔物なんて食べたら腹を壊すよ。それも丸ごとなんて食べたりしたら、胃袋の中身が全部出るどころか、内臓まで全部ひっくり返って身体の裏表が入れ替わってしまう」

「そう? わりと食えそうに見えたけどな。魔物だ何だって言っても、見た目は単なる変なトカゲなんだし」


 フェルドはまた笑った。先ほどからクロにだけ態度が違うのは、知らないうちにフレデリカが何か吹き込んだのだろうか。


「ハハハッ、確かに。いくら魔物が動く死体と言っても、見た目は新鮮そうだしね。次の機会にでも、度胸試しとか言って誰かに食べさせてみようか。——あ、冗談だよ?」


 自分で言ってもう一度笑う。ぐいと葡萄酒をあおり、ご満悦な表情だ。


「動く死体?」

「ああ。意外と知らない人もいるんだが、魔物というのはどれも生物の死骸が変質したものなんだ。なんでも、現世の生物や生きとし生けるものとは別の存在、という話だそうだ」


 なんと、と驚いたのはもちろんクロ一人だ。

 これも常識の範疇の話だったのだろう。肉食女性のお三方は気にも留めず、相変わらず鴨肉に舌鼓を打っている。


「現世と別の存在ってのがよくわかんないんだけど、死体が動いてるってだけじゃないのか?」

「違うんだよ、それが。単なるネクロマンシーとは大きな違いがあるんだ。何だと思う?」


 それがわかってたら聞いていない。クロは大人しく首を振る。


「僕らのような神承器使いに、傷を付けることが出来るんだ。紋章器も大自然も従わせる絶対の法則が、彼らには通じない。神たる存在に逆らう邪なる怪物。この世ならざる存在であることの証明だ」


 ほどよくアルコールが回ってきたのか、饒舌なフェルドはさらに続ける。


「それなのにこの国では、魔物との戦いには神承器使いである帝国諸侯が赴くと定められている。ふざけた話さ。どうせ死の危険を負うのなら、今では紋章器使いがいるというのにね。時代遅れの古びた法だ」

「神承器にその命を護られている領主たちの増長を防ぐため、と皇帝陛下は仰っていたそうですが」


 そこでミスハが口を挟んだ。


 しかしフェルドは葡萄酒の器を前にぐいと傾けて、試すような表情をする。


「その話はもちろん知っていますよ、レディ・クラウディア。しかし本心はどうでしょうね? 平和と引き換えに強権を振るう力を失った陛下が、帝国の積み重ねてきた法を変えるのは簡単ではありませんから」


「諸侯にとっては利になる話です。反発を避けるのが目的とは思えません」

「全ての貴族が私と同意見ではないですから、そちらとの衝突を避けた可能性もあるでしょう? あるいはこの法が残っていれば——ふふ、これはもしもの話ですが、この法が残っているならば、魔物をけしかけるだけで政敵を排除することも、場合によって可能ではあるわけですしね」


「まさか! そんなこと——」

「出来ないと思われますか? ……そうですね。あれは神話にあるような怪物の眷属ですから、難しいんでしょうね。でも、将来どうなるかなんて——わからないじゃないですか。紋章器だって生まれてまだ数十年。今この瞬間に、魔物を操る新技術が誕生していないと、誰が言い切れるんです。そう思いませんか?」


 手を広げて、フェルドは笑顔を作った。これまでの愛想のいい作り笑いとは違う、欲望の滲みだしたような笑みだった。

 気付けば穏やかだった食事の席には、張り詰めた緊張感と静寂が満ちていた。


「……失礼、だいぶ酔いが回ったのか喋りすぎてしまったようです。地元の葡萄酒が美味しすぎるのも考えものですね。忘れて下さい。——ああほら、デザートが来ましたよ。頂きましょう」


 気付けばフェルドはいつもの作り笑いに戻っていた。一行にもさあさあと促して、まるで先ほどの会話など無かったような態度だ。


 こうなるともはや話を蒸し返すことも出来ない。居心地の悪さから少し味は落ちるだろうが、用意された洋梨とすもものコンポートを、一行は静かに食べ始める。


「そういえば、結局ナタリアは間に合わなかったのな」


 クロの呟きにフェルドはわかりやすく申し訳なさそうな顔をする。そこにフレデリカが先手を打って、構わないですよとアピールをこなす。


「しかしさすがに少し遅すぎる気もします。施療院で何かあったのかもしれませんから、私たちが帰りに寄っていきましょう」


 ミスハが言うと、

「ええ、そうね。一応挨拶もしておきたいし」

 フレデリカもその意見に同調した。


「重ね重ね申し訳ない。私も迎えに行きたいところなのですが、この後に用事が入っていまして」

「あ! そうだったんですかぁ。なら、こちらも早めにおいとましましょうか」


 渡りに船とばかり、フレデリカの声色が明るくなった。

 食事は美味しく頂いたことだし、これ以上は付き合う義理もない。ようやく解放される。やったあ! くらいは考えている。間違いない。


「先生ー! 先生はどこにいらっしゃいますか!」


 その時ちょうど、屋敷にいくつも反響して声が響いた。


「噂をすればってやつだな」


 クロが軽口を叩くのを尻目に、フェルドは眉間に皺を寄せていた。


「客人のことは知っているはずなのに……まったく!」

「どこですか先生! 大事なお話が——あ!」


 大きな食堂のこれまた大きな扉が、さらに大きな音を立てながら開かれる。もちろんその先には、栗毛のポニーテールが揺れるナタリアの姿があった。今更になってようやく一行を招いていたことに思い至ったらしい。かあっとナタリアの顔が赤くなる。


 それだけならば微笑ましいだけの光景だが、開かれた扉の先にいたのはナタリアだけではなかった。


 古びた帽子を被った男。街の外で行き倒れていたあの獣人の青年も、ナタリアの肩を借りながら、そこに立っていた。

 初めて見たときよりは多少ましになっているが、それでもまだ顔色はよろしくない。肩を借りて部屋に入ってくる歩き方にも、力が戻っている様子はなかった。


「彼、出歩いても大丈夫なのかい?」

「お医者様にも反対はされたんですけど……どうしてもって押し切ったんです」


「火急の用件ってやつか」


 ナタリアは真剣な顔でクロの合いの手に頷いた。


「いいだろう。どんな用事だい? ナタリア」


 フェルドに促され、話し始めようとしたナタリアを横からの手が制する。


「——僕から話します」


 獣人の青年の声は、見た目よりもかなり若く聞こえた。いや、おそらく、実際にそのくらい若いのだろう。痩せて汚れ、弱り切った身体が外見的な年齢の印象を引き上げているのだ。


 青年は被っていた帽子を取って胸に置き、深々と頭を下げた。頭に獣の丸い耳が二つあるのがはっきりと見えた。


「オルムスの領主ウェスタ様に、どうか僕の仲間たちを、助けて頂きたいのです。仲間は今、ある鉱山で強制的に働かされています。僕はそこから、助けを求めるために逃げ出して来たんです」


 一同に衝撃が走るのがわかった。


「……順を追って、詳しく説明してくれるかな?」


 青年は深く頷いてから、ナタリアが用意した椅子に倒れ込むように腰掛ける。青年はナタリアとフェルド、それから一行にも感謝の言葉を述べて、自分たちに起きた出来事を語り始めた。

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