出発の前に
空もすっかり色を変えた黄昏時。三人が晩餐へ向かう準備を整えて宿から出ると、ちょうどイェルが情報収集から戻ってきたところだった。
クロが道端にしゃがんで真新しい靴紐を締めている横で、ミスハとフレデリカがこれから出かけることになっている晩餐について簡単な説明をする。
イェルは招待に応じたこと自体は問題にしなかった。しかし、そもそも立場が割れたのが不味いことなのだとも指摘した。フレデリカの今の所属を知られていれば、芋づる式にミスハの正体まで気付かれる可能性もある。実はかなり危ない橋だったわけだ。
「そういや、イェルは最初からフレデリカがヘリオス家のお嬢様だって知ってたのか?」
「知ってた。でもそれ以前に、この年齢で皇姫の近衛騎士になる人物の家柄がよくないわけはない。知らなくても想像はつく」
言われてみればその通りだ。今更になって自分の想像力のなさを思い知る。
二人の無駄話が終わったところを見計らって、ミスハが本題に入った。
「それで街の様子はどうだったのだ? 怪しい動きは見られたか」
「いくつかあった。どうやら新領主が色々と画策してる。税の引き上げや検問が厳しくなったのも新領主の指示」
「新領主って、フェルドが? だとするとこの招待ってやばいんじゃないの」
しかし、イェルは首を振った。
「姫様の正体に気付かれれば少し危険だけど、それでも今ならまだ大丈夫。今なら。そのあたりは晩餐が終わったら詳しく話す」
「何だよ、長くなりそうな話なのか?」
クロの問いに、イェルは両手で腹をおさえる。そこから小さく、腹の虫が鳴く音が聞こえた。
「お腹が減ったから、食べてからじゃないと話をする気にならない」
「…………そっか」
一言。
そしてまた、しばしの静寂。
「……もしかして、ご馳走を食べたいがために適当言ってるとかじゃないよな?」
「…………………………まさか」
「無言が長いんだよ!」
「もち大丈夫」
「今度は早いんだよ!」
そこでイェル以外、三人揃ってため息をついた。まだ付き合って長くはないが、こいつはこういう奴なのだ。
「……ま、まあとにかく行きましょっか。イェルが大丈夫だって言うなら、美味しいディナーを楽しみにいくだけだし」
「まあ俺としては戦いになっても望むところだけど——っと、よし出来た」
ようやく靴紐を締め終えて、クロは立ち上がった。
新しいブーツは、歪な形の足が丸ごとすっぽり入るように大きく深めのものを選んでおいた。その分スカスカになっているところには、中古市で仕入れた使い古しの布を詰め込んで隙間を埋めてある。
うまくいくか少し不安だったが、中々上手く履けたようだ。
「何だよ。今回は大人しくしてるって。そんなに心配そうな顔するなよ」
どこか不安そうにこちらを窺っている、ミスハの肩を叩く。
「とにかく、姫様の正体だけはバレないように気を付けて。その場合だけは状況が変わってくる」
イェルの念押しにへいへいと応じて、
「んじゃあ、行きますか」
新品のブーツでの第一歩を、クロは右足から大地に踏み出し——大股で、とてつもない大股で、宙へと高く跳んでいく。
空中で一回転して、また右足から見事な着地。ちょっとした曲芸だった。
「クロも正体がバレないように」
「はい……すいません……」
ごもっともな指摘に深々と一礼して、クロは忍び足でそろそろと歩き始める。これはこれで、どこから見ても怪しい姿だった。
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