武具店にて

 

 

「このあたりが良いのではないか?」


 ミスハが長剣を持ち上げると、フレデリカの口がへの字に曲がった。


「ええ~、そんなちゃんとした剣じゃもったいないですよ。どうせこいつまともに使いこなせないんですから。こんなのでいいんですよ、こんなので」


「それただの木刀じゃねえか。見た目でビビらせるのが目的だって言ってんだろ」

「あんたがまともな剣ぶら下げたところでどうせ素人にしか見えないんだから、少しでも安い方がいいじゃない」


「それを言い出すとわざわざ買いに来た意味がなくなるんだが」

「あら、やっと気付いたの?」


 あれからフレデリカはフェルドの怒涛の質問攻めをくぐり抜け、ぜひとも護衛を付けさせてくれという訴えも退けるという、実に見事な撤退戦を見せてくれた。


 そうしてようやくフェルドたちと別れ、さてうちの姫君を探しに行こうかという話になったところで、ミスハは自分から戻ってきた。

 ミスハは迷惑をかけたと一言謝ると、すぐに話題を変えて、このまま買い物に出ようと提案してきた。不測の事態に備えて、行動は早いほうがいいというのだ。


 意外な態度に目を白黒はさせたが、提案そのものに不満があろうはずもない。二人はすぐに了承し、とりあえず大きい買い物から始めることになった。


 その手始めがこの武具店だった。


「しかし、どれがいいんだか皆目見当も付かないな」


 武具店の壁は、一面に剣や槍がかけられていた。並んでいるのは安めの既成品とあって、装飾の少ないシンプルなものばかり。しかしそこは客を魅せるものだということなのか、どれも綺麗に磨かれてなかなかの光沢を放っていた。


 もちろん売っている武器は剣と槍だけではない。


 例えば戦斧は鎖を巻いて、頭を地面に向けて並べられている。少しだけ持ってみるとこれが相当重い。とてもじゃないが、旅に持ち歩くのは難しそうだった。

 弓矢はまた別の店で売っているらしいが、こちらはそれこそ素人なのがバレバレになりそうだ。


 やはり剣が一番取り回しが良さそうなのだが、多少値は張るようだ。どうせなら長く使えるものがいいのだが。


「そういえば、紋章器ってのは売ってないのか?」


 カウンターの向こう、慣れた手つきで商品の剣身を磨いていた店主に尋ねる。


「ここにある大体の武器は紋章器みたいなもんだよ。御守り程度の効果だけどな。まともな刻印式が欲しいってんなら注文もできるが……たっかいぜぇ~。一番安いのでも、兄ちゃんが今手に持ってるその剣、そいつが五十本は軽く買えるね。まともに作りたいんならさらに金も時間もかかる。使いこなすにはちゃんとした訓練も必要で——」

「ああ、うん。やめとくわ……」


 クロはあっさりと心を折られて意気消沈。その目はミスハのネックレスとフレデリカの白銀の剣に、自然と誘われていった。

 これでこの剣が五十本ずつか。いやそれは平民に向けたこの店での値段であって、それぞれ皇帝と大貴族の娘が持つものとなれば、一体どれほどの額になるのやら。想像もつかない。


「なに物欲しそうな顔してるのよ」

「い、いやいや。そんな顔、してないし? 俺は安物で十分だし?」


 強がりを言ってみるが、どう見てもバレバレだ。店主にまで生暖かい目で見られている。くそう、貧乏人は辛い。いや、彼女たちにその安物を買ってもらおうとしているわけだから、それ以下か。

 その前に、イェル曰く、クロには紋章痕が存在しないというではないか。彼女の言葉を信じるならば、紋章の力を引き出して戦うという紋章器は、元から使えないんじゃないだろうか。


「どうせ使わないんなら、今度仕留めた奴の神承器でも差しとくかなァ」


 ふとしたクロの思いつきに、ミスハとフレデリカの表情が凍りつく。

 しかし何も知らない店主の方は、冗談だと判断したらしい。大いに笑い飛ばしてくれた。


「ハッハッハ、神承器か。そりゃいいねえ……そんなもの俺たち平民にゃ夢のまた夢——」


 言いかけて、店主はだいぶ後退した生え際を撫でる。


「ああでも、そういう話なら、言っちゃ悪いけどフェルド先生はツイてたよなあ。おかげでナタリアちゃんとの婚約もスイスイーっと決まっちまってさあ。全く。羨ましい限りだよ」

「うん? 何の話?」

「あんたも聞いてたでしょ、ウェスタ家が襲撃されて——って」


 そこでクロは思い出したように一つ手を叩く。


「そうそう、それ誰かに聞こうと思ってたんだ。ウェスタ家は皆殺しにされたって聞いてたのに、当のウェスタ家の領主が普通にいるって、全然意味が分かんねえんだけど。一体何がどうなってんだ?」


 言い放ってしばらく、店の中に奇妙な静寂が生まれた。

 一言で言うならば、「痛々しい」というような空気がそこにあった。


「おいおい兄ちゃん、本気で言ってんのかい。たしかに最近はでかい戦争もないから、知らなくても無理はねえかもしんねえけどよお」

「もういい加減、呆れるのにも飽きてきたわ」


 わかりきったいつもの反応、というところだが、こちらも言い分は同じだ。この反応には飽き飽きだ。いい加減そういう生物なのだと理解してもらいたい。


「だから記憶喪失なんだって言ってるだろ。そう言わずに教えてくれよ」

「嫌よ、面倒くさい」


 ち、これだからフレデリカは役に立たない。


 イェル——はいないから、ここはミスハに……と、顔を向けるが、説明をくれるどころか何の反応もなかった。いくつかの剣を眺めたまま、こちらの話に参加する気配すらない。


「おい、どうした?」

「…………ん? ああ、クロか。どうかしたか? すまんが聞いておらなんだ」


 言いながらミスハは、覗き込んだクロの顔からすっと視線を外した。わざと無視しているのではないようだが、やはり広場での出来事がまだ尾を引いているのだろうか。

 それも当然だ。あんな今にも泣き出しそうな顔をしていたというのに、自分から戻ってきて、謝って、まるで何もなかったかのように。とても幼い少女がする行動ではない。無理をしてるに決まっている。


「まあ簡単に言うとだな、兄ちゃん。どんな血筋でも、絶えるってことはねえんだわ。そうなった時は神承器が次の主を選んじまうもんでな」


 見かねたのか店主が説明してくれた。しかしクロは、はてと首を傾げる。


「そんな難しい話じゃあねえさ」


 すると店主はその態度を不満というでもなく、続きを調子良く語り出した。どうやら、ずいぶんと話好きだったらしい。


「たとえば、この剣が神承器だとするだろ。んで、この神承器を使える紋章を受け継いだ生き残りは、もう俺だけだとする。その状態でもし俺が死んじまった場合、神承器の使い手がいなくなっちまうよな? 神承器としては困るよな?」

「いや、まあ、武器が困るかは知らないけど……紋章痕は親から子にしか伝わらないわけだから、使い手は確かに永久にいなくなるな」


「だからそうなった場合、神承器は近場にいた奴に新しく自分の紋章を与えるのさ。今この剣が次を探すんだったら、近くにいるあんたらのうちの誰かだな」


 なるほど、話が大体読めてきた。フェルドとウェスタ家の関係も含めてだ。


「つまり、フェルドはあの襲撃の生き残りってことか」


「ご名答! ウェスタ家の人たちは神承器を使う前にみんな殺されちまったんだが、不幸中の幸い、半獣どもの誰かじゃなく、たまたま同行していたフェルド先生にウェスタの紋章が宿ったらしい。

 あとはさっそく先生が神承器ウェスタを振るって、連中を追い払ったってわけさ」


 彼の本来の姓も紋章痕も、ウェスタではなかった。妙な表現だが、彼は後天的なウェスタ家の血筋とでもいうべき存在なわけだ。


「ついでに言うと、帝国からの封土は神承器とその紋章に対して与えられるの。だからフェルドさんがウェスタの紋章と神承器を持っているのなら、当然このオルムスの所領も受け継ぐことになる。

 たまにあるのよ。子がいなかった領主から、養子が紋章や神承器と合わせて受け継ぐ——とかね」


 店主の話を補足したのはフレデリカだった。面倒な奴だが、意地悪があまり尾を引かないのはいいところではある。


 これで今までの状況が理解出来た。確かにこれはフェルドにとって、「言っちゃ悪いけど、ツイてた」としか形容できない出来事だ。

 本来なら手に入るはずもない神承器と領主の座が、不幸な事件によって突然転がり込んできたのだから。


 そこでふと意地の悪い疑問が浮かぶ。


「じゃあ、もしも盗賊なんかが領主一家を皆殺しにして紋章を奪ったら、正々堂々領地をぶんどれるってことになるのかな。今回で言えば、獣人に渡ってたらそいつが領主?」

「それはもちろんダメよ。法でも厳しく定められてて、例外なく死罪になる。そして執行に合わせて、あらためてちゃんとした人間に神承器と紋章を受け継がせる——だったかな、確か」


 さすがにそんな穴は放置しておかないか。でないと領主は殺してなんぼのヒャッハー世紀末状態になってしまうのだから当たり前ではあるが。


「とにかくそんなわけで、ウェスタ家はフェルド先生が継ぐことになったのさ。でも周囲との折り合いとか、これまでの付き合いとか、色々とあるだろ? そこで、先代の娘さんであるナタリアちゃんと結婚することになり、ようやく全てが丸く収まったってわけだ」


 話の主導権を奪われかけた店主が、また気になる話を乗せて再び主役に躍り出る。


「ナタリアって、先代領主の娘だったのか?」

「紋章はお袋さんからだがね。だから家系的にはウェスタ家じゃなくて、お袋さんの家であるステュクス家に入ってるわけだな」

「あー、そういう感じ……」


 そういえば、イェルも両親のどちらかから受け継ぐ、と言っていた気がする。少し言い方が悪いが、ナタリアは外れを引いたわけだ。


「あの娘は視察の時、ちょうど熱を出して屋敷で寝込んでたのさ。幸運といえば幸運だったんだろうが、色々と気に病んだ時期もあったみたいだな」

「そうだったんだ。じゃあやっぱり、悪いこと聞いちゃったな……」


 フレデリカが暗い顔をする。

 たしかに当事者に家族が死んだ話をさせるなんて、外道の所業だ。でも知らなかったんだから仕方ないじゃないか。だからそんなにこっちを睨まないでくれフレデリカ。というか俺のせいばっかじゃないだろ今回は。


 しかしこれでは、ナタリアに世話を任せたがらなかった施療院の医師の気持ちもよく分かる。家族を殺した相手——張本人ではないとしても、その同族の世話をするというのは気分のいいものではないはずだ。

 そこを受け入れるナタリアは豪気と言おうか、肝が据わっていると言おうか。ともかく意志の強さは誇れるものを持っている。


「まあ、今は元気になったんならいいことさな。あとは半獣どもをとっちめて、全員首吊りにでもしてやれば万々歳なんだが——おっとそうだ、忘れるところだった。いい加減決まったかい、どれにするか」

「え? ああ、そうだな……まあどうせ使わないし……」


 クロはフレデリカが目を付けた木刀——だとさすがに本末転倒なので、店の隅にあるガラクタ置き場のような木箱の中から、剣を一本取り出す。


「おいおい、そんなんでいいのか? 木の枝だって切れるか怪しい代物だぜ」

「腰に差しとくだけだろうし、別にいいよ」

「しかしなあ……ほら、あんたらだって例の半獣どもに襲われるかもしれねえだろ? こんな綺麗な嬢ちゃんたちに守られてばっかってのも、男としてどうかと思うぜ。それに最近……」


 店主はそこで少し言い淀む。


「最近、どうかしたのか?」

「ああいや……ここんとこ、ちっとばかしきな臭い噂を聞くもんでな。皇帝陛下がお隠れになったあと、大公家同士の戦争が始まるんだーとか」


 三人の視線が一気に店主へと向いた。


「な、何だい兄ちゃん。嬢ちゃんたちも。急にそんな真剣な顔して」

「店主。その話は誰から聞いたのだ? 衛兵か? 行商か? それとも武具屋仲間の内か?」


 先ほどまで黙りこくっていたのが嘘のように、ミスハが淀みなく言葉を紡ぐ。その口調はまるで詰問するかのように厳しい。


「ええ? い、いや、誰ってこたねえよ。皇帝陛下はもう臥せってから長いし、この街も税が上がったり、知らねえ連中が出入りしてたりで雲行きが怪しいからな。まあちょっとした冗談みたいに広がってんだよ」

「そうか、やはり……」


 呟くとミスハは少し考えこむ。


「何だい何だい、その口ぶりじゃあ、あんたら結構詳しいとこまで知ってそうじゃねえか。せっかくなら俺にもちょいと教えてくれよ。ここだけの話にするからさ」


 この手の「ここだけの話」は、「ここだけの話」という台詞とセットでどこまでも広がっていくのがお決まりだ。はいそうですかと教えるわけにはいかない。


「私たちも伝え聞いただけの口なのだ。大公閣下たちのお心など知る由もない。ただ、戦争があるというなら、こちらも身の振り方を考えなくてはならんのでな」


 ミスハはぎりぎり嘘だけはついていない表現で煙に巻く。


「ああ。確かに嬢ちゃんたちみたいな紋章器使いにとって、戦争は稼ぎ時だろうよ」

「武器屋もだろ」

「へへ、まあな。本当に起きるなら、久々にでかい稼ぎになりそうだ」


 クロの合いの手に、店主はにかっと笑った。金欲にまみれた、なかなかにいい笑顔だ。


「そういや、噂といえばもう一つあったな。戦争の話じゃあねえけど」


 店主の言葉に、今度は初めから三人揃って耳を貸す。すると話し好きの店主は至極当然調子に乗って、舌も滑らかに語り出した。


「だいぶ前から言われてた噂なんだけどな。その時はエルフの皇妃様を貶めるための大嘘だろうと思ってたんだが……謀反だ内戦だってことになったら、こりゃもしかして本当だったんじゃねえかと」


 話の途中で、フレデリカの顔だけがさっと青くなった。


「もうすぐ始まるって話の戦争は、つまるところ皇帝陛下の後継者争いらしいんだけどよ。普通ならそんなもん、前に産まれた皇姫様で決まりだろ? 他にもう候補なんていねえんだから、揉める要素がどこにあるのか不思議じゃねえか。——ところがだ。その噂によると、実はその皇姫様ってのが——」


「そ、そうだクロ!」

 フレデリカが叫んだ。


「ほらあんた、ブーツ買わなくちゃいけないでしょ、ブーツ。あんたの足に合うのなんてあんまりないんだから、早く行って合わせてみないと! 無駄話してかなり時間使っちゃったし、ここは一旦切り上げましょ!」

「はあ? 別にちょっとくらい——」

「いいからいいから、早く行きましょう。ブーツのお金は出してあげるから」

「え、まさか文無しの俺に払わせるつもりだったのかよ。ってかまだ剣も買ってないし、おいこら、耳を本気で引っ張るな……ってか痛い、痛い痛い痛痛たたたた——ッ!」


 クロを引きずりながら、フレデリカは店の外へと歩き出す。


「じゃあそういう事なので、すみませんお邪魔しました! 行きましょう、え~と……クラウディアも!」


 そしてぽかんと口を開けた店主を残し、クロたちは武具店を後にした。


 ◇


「フレデリカ」


 通りをしばし歩いたところでミスハが口を開いた。

 言われたフレデリカは親に叱られる子供のようにしゅんと縮こまっている。やはりさっきのあれは、何かやらかしたのか。


「あ、あの……すみませんでした、ミスハ様。バレバレですよね、あれじゃあ」

「……いや、こちらこそすまん。気を遣わせてしまったな」


 そう言ってミスハは笑顔を

 思い掛けない心遣いの言葉にフレデリカは一段と畏まり、いよいよミスハの顔を見ることができなくなっていた。


「ほれ、面を上げんか。往来でそんな態度をしては怪しまれるぞ。私たちは今のところ、ロムロを訪れた単なる旅人の、クラウディアとフレデリカでしかないのだ」


「あのぅ……それなんですが……」

「うん?」


 そう。彼女はすでにこの街において「ただのフレデリカ」ではない。「光大公家三女、フレデリカ・ヴィンセント・ヘリオス」なのだ。


 ミスハの素性がバレるかもしれないという心配はしていたが、こちらで目を付けられるのは予想外だった。しかも領主にはずいぶんと気に入られて、今夜の晩餐を共にする予約まで済んでいる。

 目立ってはまずいという状況下でこれはいただけない。もはやダンゴムシになるまで縮みに縮み上がったフレデリカの話を、ミスハは黙って聞いていた。


 それからミスハは、ちらりとクロの顔を見る。


「クロはどうするつもりなのだ?」

「え、俺? 俺は普通に飯だけ食って帰れるんなら行きたいなと。ミスハの方には気付いてる感じでもなかったし」

「……ん、いや、そういうことを聞いたのではないのだが」


 一瞬戸惑ったようなミスハの顔に、クロは首を傾げる。


「ともかく、話はわかった。招待には応じることにしよう。多少の危険はありそうだが、ここで焦った行動に出る方がよほど怪しまれる。良い方向に転がることを期待して、今はまず出来ることをしようではないか」

「じゃあまず、さっさと俺の靴を買いに行こう」


 クロは普段より強く主張して、麻袋で包んだだけの自分の右足を指し示す。


「さっきから通行人にめっちゃ見られてんだよ、これ。目立ってる。これ絶対目立ってる」


 真っ黒な溶岩が細く溶け固まったような中身を見られていたら、こんな程度の注目では済むはずがない。だからといって、ゴミ袋に突っ込んで抜けなくなったような右足はあまりにも不格好だ。

 二人もあらためてクロの全身を見直すと、揃って小さく吹き出した。


「ま、まあ、個性的な格好ではあるからな」

「注目が逸れてありがたいから、いっそこのままで行くのもいいかもしれませんね」


 軽口のつもりだろうが、こちらには死活問題だ。クロが必死の形相でブーツの機能性と都市部におけるステルス性の高さを切々と説く間にも、通行人の注目はますます集まっていく。

 こうなれば話題が話題を呼ぶものだ。最初は見ないふりをしていた者も、指まで差してあの足は何なのか連れ合いと笑い混じりに話を始めてしまう。


「……ちょっとクロとは離れて歩きましょうか、クラウディア」

「うむ、そうしようフレデリカ。クロは三歩後ろから付いてくるように」

「いやいや、どこの古女房だよ、俺は」


 仲良く歩き出した二人の後ろを、クロはどうにか人目から右足を隠そうという無駄な努力をしながら追いかけた。


 ◇


 クロはその後、粘り強い交渉の末に店を回る順番だけは要求を通すことに成功した。

 しかし速やかな購入を済ませたところで、悪夢のような事件が起きる。喜び勇んで勢いよく履いたブーツのつま先を、異形の足の先端が見事に突き破ってしまったのだ。

 さすがにまた新品を買い直すわけにもいかない。クロが新たな船出を共にするはずだった相棒は、進水即ドック入りの憂き目を見ることになってしまった。


 だが交渉契約には無情にも、交換条件としてブーツを購入した後は荷物持ちとして買い物に付き合うと定められていた。相手が契約の完全な履行を果たした以上、こちらにミスが出たからと応じないのでは道理が通らない。

 結局、クロは目立つ足で散々街中を歩き回る羽目になった。


 そしてクロの右足に修理の終わったブーツがはめられたのは、日も暮れ果てた逢魔が時。フェルドたちとの晩餐に出かける直前のことだった。

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