少女たちの水浴び

 

 

 大岩が転がる清流の川岸を、注意深く、しかし足早に歩いてしばらく。たしかにイェルの言葉通り、ミスハは見つかりにくい位置にいた。その理由も一目見てすぐにわかった。


 転がる岩に隠れた川の隅。そこには一糸纏わぬ姿で水浴びをするミスハの幼い身体、白く透き通るような肌があった。


 濡れた銀髪から滴り落ちた水滴が、まだほとんど膨らみもない胸を滑り落ち、わずかに浮いたあばらの形を辿って、内股を螺旋に回り込みながら水面へと消えていく。

 くるりと背を向ければ、うなじから肩まで艶やかな銀髪がぴたと張り付いている。そこからさらに下へと目を移していくと、肩から腰、小さな尻へと続く、緩やかな曲線が見て取れた。


 水面の輝きに照らされながら、時に両手で水を掬い上げ、時に髪を持ち上げて空を仰ぎ見る。それは祈りの姿にも似て、ある種の神秘を感じさせる空気を宿していた。


 そんな光景を前にしながら、クロの視線はといえばミスハの背中にだけ注がれていた。


 幼い背にある、黒い翼を広げたような模様。

 周辺には純白の肌を蝕むようにして、青黒く変色した、まだらで凹凸のある痣らしきものが広がっていた。


 これがイェルの言っていた、紋章痕というやつだろうか。


 確かに中央の黒い翼はそれらしい。しかし周りの痣は翼の模様とは色合いも性質もだいぶ違うように見えた。黒い翼も天使よりは死神の羽、荘厳さや神聖さよりも恐怖や魔性ばかりが感じられる造形をしていた。

 これが皇帝の血筋が受け継ぐ紋章痕というのは意外にも思えるし、長きに渡る戦争を続けてきたという、大帝国の頂点には相応しいと言えなくもない。


 そんなことを逡巡するうちに、ミスハが振り向いてこちらに顔を向けた。


「あ」

「え」


 二人の目が合い、ミスハの赤い瞳が大きく開かれた。


「……え、ええっ? えあ……な、なななななな……」


 言葉にならない声を出しながら、ミスハの顔がみるみる赤くなっていく。


 だけではない。気が動転したのか、半身の態勢から背を向けるどころか、思い切りこちらを向いてしまった。もちろん、何一つ隠すこともなく。


 首からかけたペンダントは、何を隠せる役にも立たず。上から下まで生まれたままの姿が、真正面からクロの目に飛び込んでくる。小さな桃色やら綺麗な丘やら、見えてはいけないもののオンパレードだ。


 相手は十一歳の子供とはいえ、さすがに色々まずい。クロがさっと目を逸らすと、ミスハも自分の状態に気付いたらしい。慌てて大事なところを隠しながら、バシャンと大きな音を立てて首まで川の水面に沈んだ。


「……まったく、何やってんだか」

「な、なな……何をやってるかわかっておらんのは、おぬしの方であろう! 旅に同行してさっそく水浴びの覗きなど、愚劣極まりないぞ! まさか、こ、こんな……こんなにいやらしい男だったとは……み、見損なったぞクロ!」

「アホか。わざわざそんなことするわけないだろ」

「そんなこととは何だ、そんなこととは! わっ、私だって最近少しは——」


 言いかけて、ミスハは顔を叩きつけるように水中に沈める。もはや何を口走っているのかもわからなくなっているらしい。


「あーもう。はいはい、俺が悪かったよ。お説教は後でな。……というか、声もうちょっと小さくしてくれ。怪しい馬が走ってきてるから、見つかるとまずいんだよ」

「え……? あ、ああ! そういうことか。わかった、すぐに準備する」


 ようやく状況を理解すると、ミスハの怒りはすぐにおさまった。


 少しは冷静さも取り戻したのか、ミスハは水中に首から下を沈めたままで、器用に岸まで川底を歩き始める。

 向かう先は、くるりと回り込んだ大岩の下にある、小さな隙間。先回りして少し覗いてみると、そこには二人分の衣服が畳んであった。


「……なあ。こういうのって普通、一人は見張りに立つもんじゃないのか」


 クロはいそいそと服を着始めたミスハに、背を向けながら尋ねる。その心には何となく不穏なものを感じていた。


「確かに本来はそうなのだが……周囲にも私たち以外、人の気配はなかったし、すぐに済ませて、念の為に二人とも紋章器を持っておけば大丈夫だろうと」

「その判断が間違いかはわからんが、俺いま猛烈に嫌な予感するんだ」

「というと? ——よし、終わったぞ」


 クロにだって、はっきりとしたものがあるわけではない。しかし、もしもこの予感が現実になるとすれば——


「つまりだな——」


 説明しようと向き直った瞬間、ミスハの肩越しの水面に人影が見えた。


「ミスハ様どこですかー、そろそろ戻りましょ——」


 細い白磁の手足。肩にかかってへそまで伸びるのは、塗れて光る艶やかな金の髪。腰だけはくびれてそこから上下に膨らんだ、ミスハとは対照的に見事な女性の曲線美。

 何より目を引く豊満な乳房には、太陽とクチバシを象った紋章が、柔らかい曲線に合わせて大いに形を変えていた。


 なるほどあれがフレデリカの紋章痕。道理でこちらも今まで見当たらなかったわけだ。房の中心で水滴を垂らしている突起にこそギリギリ被さっていないが、これが見えるような服を着ていたら完全に痴女ではないか。


 ——などという思考は、完全に現実逃避の産物である。


 フレデリカは川の水に浸かりながらも、陸に上がった魚のように口をぱくぱくと。言葉にならない言葉を発しつつ、自らの紋章器、白刃の剣に手をかける。


「…………待て、落ち着け。話を聞けフレデリカ。俺はただお前らを呼びに来ただけだ。見ようとして見たわけじゃない——じゃなくて……そう。そもそも見てない。本当は見てないから大丈夫だ安心しろ。言ってなかったが実は俺はこの距離でもお前の乳がそんなにでかいかどうかすらわからない超近眼であるからしてちっともさっぱりお前の裸なんて見てないし見えるはずもな——あ、ダメだ終わったミスハちょっと助け」


 男女の悲鳴がこだまのように重なり反響する。

 白刃が宙を舞い、鉄と血に染まった暴虐の嵐が吹き荒れた。

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