戦いの終わり、旅の始まり

 

 

 仰向けに倒れ込んだルベンを異形の足で踏みつけにすると、クロは黒煙をぶはあと吐き出した。


「あーあ。一人殺すのに随分と苦労するもんだ。おまけにもう一人は逃がすしなあ……」


 逃れようともがくルベンを押さえこみながら、黒く捻れた刺のような足先を、さらに腹部へと食い込ませる。赤黒い血が脈を打つたびに湧いて、生温くどろりとした感触が伝わってくる。

 せめてもの抵抗か、ルベンがゼピュロスを一振り。その刃は異形の足を切断しきれず、表面に少しばかり食い込んだだけで止まった。


「お? 何だこれ、けっこう頑丈だな」


 自分の足ながら少しばかり驚く。そういえば、生えてきたこの足は何なのだろう。これはこれで意外に便利そうではあるが。


 そんな軽口をよそに、ルベンは憎悪に満ちた顔でこちらを睨んでいた。


「一体、何だ……何なんだ貴様は! あの女、一体何を味方に引き入れた……ッ!」


 ルベンは喉の奥から絞りだすようにして、かすれた声で叫ぶ。飛ばす唾には血の色が混じっていた。


「お前も……何を考えている……! あの女に付いて、何の得がある……? 金か? いくらで雇われた! こちらはその倍……いや、何倍だろうと出してやる! 今からでも遅くはない……ッ! あんなものを——蛮人の器、穢れた紋章を宿す女を、皇帝にしようなど……それがどれほどの過ちか、お前とてわからないはずがな——」


 ルベンがまくし立てる最中に、足先の刺が心臓に達した。

 声が血のあぶくの弾ける音に変わり、目が飛び出し始めたかのように限界まで見開かれる。

 クロに手を伸ばすが届くはずもなく、掴むことすらできずにもがいて震える。それから身体全体が一度だけ、大きく機械的に跳ねると、全身が不意に脱力した。


「よし。死んだかな」


 ひょいと足を外すと、せき止められていた血がその隙間へと殺到した。破れた心臓はみるみる赤く覆い隠されて、血溜まりだけがそこに残った。

 前回は夜だったのでまじまじと見る機会もなかったが、こうして見ると人の死体というのは中々にグロテスクだ。赤と白のコントラスト。印象は不意に調理前の肉と重なるのに、人の身体という形が再びその認識を拒絶する。


 そうして見ていくうちに、ルベンの手にあるゼピュロスが放つ、わずかな輝きに目が止まった。固く握られた手から力ずくで剣を奪い取る。それから、まじまじと眺めた。

 各部に施された装飾は細やかで、刃は限りなく鋭い。相当な業物だ。これが摩訶不思議な術まで扱えるというのだから、使い手は自信過剰にもなろうというものだ。


 クロも試しに何度か振ってみる。確かに風切音は鋭いが、風も何も出てこない。


「……はて、壊れたかな。見た目には傷とか付いてないみたいだけど」


 そうしてまた一段と目を凝らしてみると、傷がないどころではない。その剣先から柄まで、継ぎ目や彫りの歪み、刃の研ぎ跡一つ見当たらない。元からこの形に存在していたかのようだ。

 しかし機能しないからには、何か問題があるはず。嘗めるように剣を眺めているうち、その剣身からは次第に輝きが失われていき——不意に消えた。


 それと同時に、クロにも異変が起きる。


 両手から肩の近くまで広がっていた黒い染みが、溶け出したように消えていく。息苦しさから出た咳は黒煙を伴い、しかし数回咳き込むうちに煙は消え失せた。


「ッ……ゲホッ! あー、くそ……一体何だ? ————って、熱ッつ!」


 思わず声を上げて、持っていたゼピュロスを取り落とす。急激に感じた熱さと裏腹に、手のひらは火傷どころか赤くもなっていない。しかしピリピリとした痛みはまだ残っていた。


「……意味がわからん」


 死体。地面に刺さる剣。何事もなかったかのように色を戻した肌。痛みの引いてきた手のひら。すっかり気分の落ち着いた身体。

 最後に目を移したのは異形の足だった。これだけは代わり映えもせずに残っている。……なぜだろう? と言っても、これが腕のシミのように消えたら命の危機も有り得るのだから、助かるには助かるのだが。


「クロ! 無事か⁉」


 小首を傾げていると背後から声が聞こえた。毛並みのいい象牙色の馬を駆る少女と、その後ろからも二頭と二人、馬に乗った見覚えのある顔がいた。


「ミスハと、イェルと——金髪のお前は名前なんだっけ?」

「ちょっ⁉ フレデリカよ、フレデリカ! ついさっき、ミスハ様への伝言と一緒に名乗ったばかりでしょうが!」

「ああ。そこから聞いてなかった」


 しれっと言い切ったクロに、フレデリカが不平を続けて述べる。イェルは相変わらずの無表情で「どうどう」となだめ、ミスハは苦笑いを浮かべるだけで助け舟は出さない。


「ところで何しに来たんだ。こいつに用事か? もう殺しちゃったけど」


 クロはルベンの死体をちょいちょいと指し示す。


「ん……まあ、それもある」


 ミスハは慣れた動きで馬から降り立つと、死体ではなくクロのそばへ。そして、クロが取り落とし地面に刺さったままのゼピュロスを引き抜いた。


 思わず危ないと手を出しそうになるが、ミスハは特に痛みを感じる様子もなく剣を眺めていた。

 それからルベンの死体をしばらく見つめ、またゼピュロスへと視線を戻す。


「これを昨晩持ってきておればな……ゼピュロスの家には、他に誰がおるのだ?」


 クロは首を傾げて、何のこっちゃとフレデリカに目で尋ねる。が、すっと視線を逸らされた。……ちっ、役に立たない奴だ。


 質問にはイェルが答えた。


「クリウスの氏族だと、実質的な家長で彼らの祖母にあたるのが一人、生まれて間もない年の離れた妹が一人。おそらく神承器はこの子が相続する」

「他には?」

「ベルネブラ修道院に数人。あとは外戚と……平民にもゼピュロスの紋章を持つ人はそれなりにいる。でも、彼らの祖母は貴族主義で頭が固い人物だから、平民に神承器を使わせることは考えにくい」

「……であれば、またこの場に置いておくことになるか。やれやれ、なんとも噛み合わないものだな」


 ミスハは腰を下ろして、ルベンの腰から鞘を外そうとする。すると、そこにフレデリカが馬を降りてさっと近寄り、一緒に作業を始めた。


「どういうこと?」


 作業する二人を遠巻きに見ながら、イェルに尋ねる。


「また襲われないようにするって話」

「でもあいつも前の奴も、大したことなかったぞ」

「あれが大したことないって言えるのは、この中じゃクロだけだから……というか、たぶん姫様が心配してるのは、私たちのことじゃない」

「どういうこと?」


 一字一句同じ問いに今度は答えず、イェルはミスハのほうへ寄っていった。

 イェルが「そろそろ」と声をかけると、ミスハは鞘に納めたゼピュロスを死体の上に置いて立ち上がる。その横ではフレデリカが片膝をついて、何か祈りの言葉のようなものを口の中で呟いていた。


「クロ。私たちはそろそろ行くが——」


 ミスハは一瞬言い淀んでから、続ける。


「……どうだろう。おぬしも一緒に来るつもりはないか? 命の保証はできんが、旅の食事と宿くらいは用意する。もちろん、嫌だと言うなら無理強いするつもりはない、のだが……」


 言いながらもミスハは足元に視線をやって、こちらと目を合わせようとしない。


「なんか、気が乗らないって顔してんな」

「そっ、そんなことはない! ない……と、思うが……」


 勢いがあったのは最初だけで、言葉が口をつくたびにまたミスハの顔はうつむいていく。

 そんな様子を見かねたのか、イェルが話を繋いだ。


「これは私の提案。姫様本人はあまり気が進まないらしい」

「わたしもまだ反対なんだけどね。イェルは口が上手いから」フレデリカが口を挟む。

「そこは理論派と言ってほしいところ」

「弁の巧拙はともあれ、神承器使いへの対抗策が必要なのは間違いないのだ。イェルの意見は真っ当だ」

「それはわかってるんですけど……でもやっぱり、これはこれで危険じゃないかって……」


 もごもごと声を小さくしながらも、フレデリカはちらちらとクロの右足に目をやった。

 そこでクロも大体の理由を察した。確かに自分でも、できればこんな奇妙な足が生えるような怪生物と四六時中近くにいるのは御免被りたい。

 ましてや容赦なくルベンを殺すところを見てしまったわけで、その牙が自分たちに降りかからないと考えるのも楽観が過ぎるというものだ。


「……はあ。まあお前らの都合はわかったけどさ。結局俺は付いてっていいの? 駄目なの?」


 三人の視線がクロへと集中した。

 そして一瞬、全員が沈黙する。


「いいよ」


 そこから最初に口を開いたのはイェルだった。


「じゃあ行くか」


 クロも応じた。


「ちょ⁉ 勝手に答えないでよ! というかあんたも、さっきイェルと話した時は断ったんでしょ! なんで素直に引き受けちゃうのよ!」

「気が変わったんだよ」

「そ、そんな適当な……」


 あまりにも端的かつぞんざいな前言撤回に、フレデリカが絶句する。

 その横でイェルは至極当然とでも言いたげな顔をしていた。


「存分に囮にしてくれていいから、狩りは忘れずやるように」

「へーへー。せいぜい愉しませてもらいますよ」


 どうやらイェルはクロの心変わりの理由に気付いているらしい。というより、初めからこうなると睨んでいたのだろう。


 この三人についていけば、またバルテザやルベンのような連中に会える。そして襲ってきた相手から防衛するという大義名分を持って、殺すことができる。こんな都合のいい空間が他にあるだろうか。

 イェルの計算通りというのは少し癪だが、それで逃すにはあまりに勿体ない機会だ。おいしく頂くことにする。


「それじゃあよろしく、クロ」

「まあ……仕方ないか。ちゃんとミスハ様のこと、守ってよね」


 イェルとフレデリカの言葉に、クロも頷いて応じた。

 これで正式に仲間入り……かと思いきや、ミスハだけはまだ複雑そうな顔をしていた。


「……本当に、良いのか?」


 少し上目遣いに、赤い瞳を覗かせる。

 その眉間にクロは指をとんと置いた。赤い瞳がぱちくりと開く。


「お前、ちょっと自意識過剰だな。俺はお前のことなんていちいち気にしてないんだよ。付いていくほうが、俺に都合がいいから付いてくだけだ。それがお前にとっても助かることだってんなら、深く考えずラッキーくらいに思っとけ」


 うりうりと眉間をこねるうち、ミスハの表情から固さが抜けて、つられて頬も緩み始めた。ミスハは拒むような言葉をいくつか出すが、笑い混じりの口調では説得力がない。

 そこで指を放すと、ミスハは少し驚いたような顔をする。

 それからもう一度、今度は指でこねくり回して生まれたものではない、小さく、しかし自然な微笑みを浮かべた。


「わかったか?」

「………………ん」


 こくりと頷いたミスハの頬は、少しだけ朱色に染まっていた。


「何やってるんですか、ミスハ様。あとクロも、うちの皇姫様に変なことしないで」


 気付けば乗馬してすぐにでも出発できそうなフレデリカが、不愉快そうに二人を見下ろしていた。

 ミスハの顔が更に赤くなり、さっと表情を隠すようにうつむく。


「そういや三頭しか馬が見当たらないけど、俺の乗る馬はどこにいるんだ」

「何言ってるの。あんたはさっきみたいに自分で走ればいいじゃない」


 そんな無茶な。

 言い捨てたフレデリカの横にイェルも馬を付ける。


「その前に、クロは馬に乗ったことある?」


 視線を天に向けて、しばらく無くした記憶の中を探る。馬、馬、馬——

 そして首を横に振った。


「やっぱりあんたは徒歩ね」

「いやいやいやいや、勘弁してくれよ。さすがにそれは無茶だって」


 そこにイェルがいつもの無表情で答える。


「いや、やってみないとわからない。君に眠る可能性はきっと無限大」

「可能性だけで馬と人を並走させるなよ! ——ていうかマジで用意してないの? 決定なのこれ⁉」

「用意は本当にしてない。頑張って」

「お前、俺を引き込む前提で動いてたんじゃないのかよ。なんでそこだけ放置なんだよ!」


 言い合っているうちに、ミスハも馬上の鞍に腰掛けてクロの背後に現れた。


「二人とも、冗談はその辺でな。クロは私の後ろに二人乗りしてもらうことになっておる。このレイチェルが一番馬体が大きいし、私が一番小柄だからな」

「ついでに背後から襲われた時は盾にもなる」


 イェルがいらない一文を付け足してくれる。


「ん……まあ、とにかくそういうことだ。そろそろ行かねば、兵士たちが追ってくるやもしれんぞ。乗り方はわかるか?」

「やったことないけど、見た覚えはあるんだよな。たしかこうして——」


 ミスハが足を外した左側の鐙に、左足をかける。それから「よっ」と勢いをつけ、異形の右足で地面を蹴って飛び上がり——


 はるか空高く一回転。

 レイチェルの背を軽々越えて、遠く彼方の地面に大の字で叩きつけられた。


 全員が呆気にとられた空気の中、やはり呆れたような声で、フレデリカが言った。


「やっぱりあんた、自分で走ったほうがいいんじゃないの」


 ◇


 そのあと何度か試したものの、クロの身体はその都度面白いように空を舞った。

 危うく本当に自力で走る羽目になりかけたが、地面を蹴る足を左右逆にしたところ、一発で成功して事なきを得た。しばらくはこの暴れまわる右足を制御する練習が必要になるかもしれない。


「では、行くとしよう」


 ミスハの言葉を合図にして、三頭の馬が走り出した。


 クロとしてはまだいくつか聞きたいこともあるのだが、それは状況がもう少し落ち着いてからだ。まずはアブリスから距離を取り、野営地を見つけなくてはならない。


 宵闇の暗い群青色が、天上に広がっていた。赤く染まった太陽はだいぶ沈み込んで、遠い地平線に溶けたように伸びている。夜の空気を運ぶように風が走り、草の揺れる音があたりを包んだ。

 今にも、夜のとばりが下りようとしていた。

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