第32話 8冊目の物理学書
「おおおおおおぉぉぉおぉおおおっっっ!!!」
これ以上ないタイミングで、岩平とリーゼルの左右同時挟撃が炸裂する。その凄まじい衝撃は周囲のアスファルトをバキバキに砕き、辺りには土煙が舞った。
「ぐっ……、コイツ……!?」
だが、感触が変だった。それもそのはずで、土煙の晴れた先では女が、二人の拳と槍斧を片手ずつの素手で受け止めていたのである。それどころか、女はこちらを見もせずに、無傷の涼しい顔で立っていた。割れたのは、足元のアスファルトだけである。
―俺の極磁拳でも、ビクともしていないだと……っ!?
―この感覚……、まさか磁力が受け流されたのか!?
「もうちょい、気張りなさいよ少年少女。貴方たち若者に、少しは期待していたのに……。このワタクシをあまり幻滅させないでよね……」
その時、女の周囲の気流が変わる。それは、目に見えるほどの膨大なネゲントロピー量の圧だった。
「まずい! 距離を取れがんぺーっ!!」
言われる前から岩平は腕の鎖を磁力で弛緩させて鎖ごと置いていき、相手の手から右手を離脱させていた。そのタイミングを見計らって、リーゼルは岩平を抱えながら斜め前方の松の木の上へと跳ぶ。その直後、道路一帯に爆発が起きて破片は坂下まで飛び散った。
「無事かがんぺーっ!?」
「あ、ああ、助かった……」
松の木の上で、リーゼルは岩平の安否を確認する。またお姫様抱っこだったが、もう岩平にはそれをツッこむ余裕さえ無かった。今はそれよりも、岩平とリーゼルは、さっき見えた女の物理演算(シミュレート)の正体に驚いていた。
「真理論争に、こんな化け物がまだいたなんて……。実力だけなら、父さんに勝るとも劣らない……。あんな物理演算(シミュレート)、アリなの……っ!?」
女の周囲にはたくさんの数学記号とともに、数個の小型ミサイルが生成されて浮かんでいた。大きさからいって対戦車ミサイルといったところだろうか。さっきからの爆発はこのミサイルによって引き起こされたものらしい。
「ミサイルの物理演算(シミュレート)だと……? なんだあの量はっ……!? しかも、あの女のふざけた格好は何なんだ……? こんな女の物理学者なんて聞いた事も無いっ!」
「やだなぁ~。ふざけた格好じゃなくて、魔法少女だよ、魔法少女! せっかく日本に呼び出されるっていうから、現地で流行っているという服で来たのに……」
リーゼルの言葉で多少傷付いたらしき女が、わざとらしく泣き真似をする。美少女ながら、癪に障るブリっ娘もいいところだ。
わざとらしい笑顔でフォノンと名乗る少女は、顔を上げてミサイルの一つを点火させる。それからはあっという間だった。そのミサイルがあり得ない初速で発射されたのである。通常、ミサイルには多少なりとも発火からの加速時間がある筈。だが、女のミサイルにはそれがほとんど無い。短距離なのに、始めから弾丸並みのスピードで飛来してくるのである。一瞬の判断で、リーゼルは岩平を抱えたまま松の木から飛び降りた。
「なっ、なんだぁ!? あの初速!? あれがミサイルかよ!?」
どうにか下のアスファルトに着地して、松の木の爆散から逃れたリーゼルたちだったが、すぐにミサイルの第二撃が前方から迫る。
「くっ、下がってろ! がんぺー!」
なりふり構わずリーゼルは岩平を横の繁みの方へと投げ入れ、自身はその後すぐに槍斧を振り降ろしてミサイルを地面へと叩き落とす。
当然ながら、ミサイルはその場で爆発し、リーゼルは爆炎へと包まれた。
「リーゼルッ!?」
「よせ、岩平! 今は出るな、格好の的じゃぞ!」
繁みから飛び出そうとする岩平を抑えたのは辺理爺さんだった。爺さんには、岩平がフォノンへと突っ込む前に二冊の物理学書を預けて退避するように言ってあったのだが、いつの間にか、こんな所に回り込んで隠れていたらしい。
「で、でもリーゼルがっ……!」
リーゼルが爆破されてしまったと思った岩平は、気が気でない。それでも、煙が明けた先を見れば、そこにはリーゼルがまだ立っていた。どうやら爆発の威力を逸らして回避したらしく、リーゼルの足元の地面が双曲線状に抉れている。
「へぇー、面白いじゃない。音響波で爆風を逸らしたのか……。どうやらその槍斧、ただの鈍器って訳でもなさそうね……」
息遣いの荒いリーゼルをよそに、余裕顔で分析するフォノン。
「さっきのミサイルの物理演算(シミュレート)……、あり得ない初速……。まさかお前……、『空気抵抗』を操作したのか……?」
先ほどの攻撃のおかげで、リーゼルにはフォノンの物理演算(シミュレート)
の正体が分かってきていた。ミサイルにとって空気抵抗の問題は重大だ。飛翔速度が早くなればなるほど、風は強くなって空気抵抗は増す。だが、ここでもしも、ミサイルの前方の空気を真空状態に出来るのならば、そんな制限の一切が無くなる。まさに、地上にいながら宇宙空間にいるようなものだ。音の壁も熱の壁の存在せず、どこまでも加速する事が出来る。
「ご名答! ご褒美に教えてあげる❤ フォノンの物理学書の正体を――――」
隠す気もさらさら無いフォノンは、あっさりと事実を認めてしまう。それどころか彼女は懐から自らの物理学書を取り出し、謎だった分野(カテゴリ)の正体でさえ明かしてしまうのだった。
「見えるかしら? この通りワタクシは、8冊目の物理学書―――――――、『流体力学(フリュード)』のフォノンよ。どうか、気軽にフォノンちゃんって呼んでね❤」
「なっ……馬鹿な!? 8冊目の物理学書だって!? それに、フォノンなんて名の物理学者だって聞いた事が無い!」
その藍色の本を見てしまったリーゼルは衝撃で動けなくなる。何故なら、リーゼルは『神』の言ってた説明で、そんな本は見た事が無かったからだ。今回の真理論争に流体力学(フリュード)は参加していない。8冊目の物理学書だなんてルール違反もいいところだ。
「存在しないのは、貴方の方じゃない? リーゼル・アインシュタインちゃん❤ 歴史から消された、可哀そうな娘――――」
「な、何故アタシの名を!?」
リーゼルは、フォノンが自分の名を知ってる事にひどく驚く。
「本当はもうしばらくは、観察しているつもりだったケド、貴方が日和ってつまんなくなってきたから出てきたの。楽しい楽しい日常を謳歌しちゃってまぁ……、そんな、非合理的なもの、反吐が出ると思わない―――――――?」
フォノンは引きつった笑顔でそう言って、羽箒を魔法の杖のように一振りして数式を多重展開させる。それは、今まで見た事が無いほどの膨大な連立方程式―――――つまりは、行列計算式(マトリックス)だった。光る数式は次第にランチャーのようなものを形作る。
「うなれ、『ナビエ・ストークス方程式』―――、数値行列計算式(マトリックス)、多重展開――――――」
ここで、リーゼルは背筋が凍るような事実に気付いてしまう。よく考えれば、さっきフォノンが自分で自分の本を持ってる事自体がおかしい。演算者(オペレーター)が本を持っていないのに、物理学者(フィジシャン)
が物理演算(シミュレート)を使える訳がない。もしも、考えられる可能性があるとしたら、ある一つの真実しかありえなかった。
それは、フォノンが『暗算(マインド)』で物理演算(シミュレート)をしているという事実である―――――――――――。
「『日常』という白昼夢は楽しかった? お嬢ちゃん――――」
行列計算式(マトリックス)からおびだたしい数のミサイルが生成される。そこには、ヘルファイアやジャベリンといったありとあらゆる種類の対戦車ミサイルが浮かんでいた。
圧倒的なまでの戦力差を見せつけられたリーゼルは、ただただ唖然とそれらを見つめている事しか出来なかった。
「リーゼル! リーゼルっ!」
大量のミサイルを見た岩平は、衝動的にリーゼルの方へと駆け出そうとするが、それを辺理爺さんが必死で抑える。
「よせ岩平! お主まで死んでしまうぞ!」
やがて、ミサイルは一斉に放たれ、凄まじい爆炎と爆風が辺り一帯を包んだ。岩平はそれをただ傍観して、何も出来ずに叫ぶ事しか出来ない。
「リーゼルゥゥゥウウウウウゥゥッッッ!!!!!」
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