第31話 「フォノンちゃん登場!!」の巻。

「やれやれ、これにて一件落着ってやつですかな……」


 フェルミとの決着がつき、安堵の息を吐く岩平。目の前には、さっきから正門前でイチャイチャしてる及川とフェルミのカップルがいて、岩平たちなどどこ吹く風で自分たちの世界を作っている。それはそれで微笑ましい光景ではあったが、一人だけ少し納得していない様子の人がいた。


「って、それはそれとして……。何が一件落着よ!? プレゼントは嬉しかったけど、アタシにだけ黙って、死んだフリ作戦をするなんてどういう了見なのよ! 死ぬほど心配したんだからねっ!」


 リーゼルは涙目の赤面した顔で、槍斧の柄部分を振り回し、岩平をポカスカと殴ってくる。


「あだッ、いだだだッ!? 柄の部分で殴るな、柄で! しょうがないだろ! 敵を騙すには、まず味方からだって言うんだし……」


 やっぱりリーゼルは自分だけ作戦を知らされていなかった事を怒っていた。しかし、それだけではないようで、リーゼルは肩を震わしながら向かいのカップルたちを指さす。


「しかも、何よアレ!? あっちはなんかハッピーエンドみたいになってるし! そもそも、物理学者(フィジシャン)と演算者(オペレーター)の恋ってアリなの!? ねぇっ!?」


「……それは、ただ君の『リア充死ね』的な感情なのでは……?」


 思った事をそのまま言ってしまった岩平は、またリーゼルに殴られてしまう。そうして、岩平はしばらく大人げないリーゼルをなだめすかす羽目になるのであった。


 しかし、そのじゃれ合いも、突如近くで起きた謎の爆発音で中断されてしまう。


「え……?」


 その爆発音は、あまりにも突然で、予想だにしない人物のいきなりな登場を意味していた――――――。




 ※※※




 「ねぇ、エンリコ……聞いてくれる? わたし、あなたにずっと言えなかった事があって……」


 ひとしきり抱擁を交わした後、ようやく泣き止んだ及川は、ついにちゃんとした告白をしようと、心に決める。それには、及川が昨日ついた『嘘』に関する真実も含まれていた。


「なんだい? 波美くん……」


「それは……」


 しかし、及川が告白しようとしたその瞬間だった。及川は偶然にも、フェルミの後方上空から迫り来る謎の影を目撃して、絶句してしまう。


「あ……、あ……」


 言葉が出るよりも先に身体が動いていた。及川はフェルミを横へと突き飛ばして、彼を庇うように前へと出る。




「危ない! エンリコっ!」


「波美くん!?」


 その瞬間、及川の方から爆発が起こる。フェルミは爆風で吹き飛ばされて転がり、辺りには爆煙が立ちこめた。


「何だぁ、何が起こった!?」


「みんな伏せろ! 敵襲だ!」


 岩平やリーゼルや爺さんの怒号や悲鳴が飛び交う中、フェルミは狼狽しながら立ち上がって、煙の中の及川を探す。


「波美くん! 波美くん、返事をしてくれぇっ! 頼む……、頼む、どうか……」


 フェルミの最悪の想像は、現実のものとなってしまっていた。煙が明けてきた中、アスファルトのひび割れた道端の上に、血だるまで転がっていたのは及川だった。よく見ると右脚は無くなっており、地面にはおびだたしい血が溢れだしている。


「あ、足が……。血が止まらん、死んでしまうっ……!」


 動転しながらフェルミは及川へと駆け寄り、すがりつくように呼びかける。


「あ……、エンリコ……」


 かろうじて及川の目は開き、意識はまだあるようだったが、及川の右頬と右半身には非道い火傷が拡がっていた。服はボロボロになり、このままでは間違いなく失血死してしまうだろう。


「もう喋るな、波美くん! すぐに私が止血して……っ」


「ねぇ、聞いて? エンリコ……」


 どうやら鼓膜が破れてしまっているらしい。及川はフェルミの呼びかけには答えず、うわ言を一方的に呟きだす。


「……あなたが熱力学書で、妻のローラさんを呼び出そうとした時、あの時わたし、実は力を込めてなかったの……。手を抜いて、物理演算(シミュレート)なんて失敗しちゃえばいいと思ってしまった……。奥さんなんて呼んで欲しくなかった……! わたしだけを見ていて欲しかった……っ! どうしても、あなたの一番になりたかったの……。ごめんなさい。わたしは何一つ、あなたの夢を叶えてあげれなかった……。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 そこまで聞いて、フェルミはようやく彼女の本当の感情に気付く。何故今まで自分は全く気付いてやれなかったのだ。そう自覚したフェルミに、後悔や自責の念が押し寄せた。


 ―彼女は自分にずっと、演算者(オペレーター)や友人以上の感情を抱いていたのだと―――――。


 自分が生前の妻を呼び出そうとした事は、彼女にとっては何よりも残酷な仕打ちそのものなのだと―――――――。


「哀れな女ね。及川波美――――」


 その時、フェルミの背後で女の声が響く。その声は、耳の奥をざわつかせるような、美しくも妖しげな声だった。


「獲得した本による物理学者(フィジシャン)の再物理演算(シミュレート)は、主催者の『神』によって禁止されている。だから、いくらネゲントロピー力を込めようが込めまいが、最初から失敗する事は決まっていたのよ。それをその女は、どのみち失敗してたのに罪悪感だけ感じて死ぬ事になるなんて、ホンっト憐れよねーっ❤」


「……貴様がやったのか……?」


 振り返ったフェルミは、眼を見開いてその女を見る。その女は、大きな羽箒の上に立ち乗りして宙に浮かんでいた。見た目の歳は女子大生くらいだろうか。その艶やかなピンク色の髪は、後ろで大きなモップのように束ねられ、その身はフリフリのロリータファッションで包まれていた。その姿はまるで、アニメに出てくる魔法少女と見紛う程の可愛らしい出で立ちであった。空を飛んでる事から、物理学者(フィジシャン)である事は確実に分かるが、こんな美少女の物理学者(フィジシャン)など聞いた事がない。


「まぁ、男の方も無知なうえに、女の気持ちもわかってやれないアホ男だけどね。とんだ救いようのない間抜けだわ」


 その女はフェルミの問いに答えるどころか、値踏みするような目で皮肉たっぷりに彼を煽る。


「貴様が、やったのかぁぁああああぁあっっっ!!!!」


 案の定、逆上したフェルミは自身の残された計算資源(リソース)のほとんどを使い、自分の腕が折れるのも構わずに二本の演算子を出現させた。


「中性子(ニュートロン)、バーストぉおおおおおっっ!!!!」


 二対の演算子から放たれた特大の中性子束は、青い電離光を発しながら女へと突き進む。


 しかし、その中性子(ニュートロン)バーストが届く事は無かった。何故ならば、また空中で謎の大爆発が起きて、中性子(ニュートロン)バーストごとフェルミを吹き飛ばしたからである。


「ぐっ、がぁああああああっ!?」


 無様に地へと転がるフェルミは、力のほとんどを消費してしまって起き上がる事すらできない。


 何だ……!? この爆発は!?


 何だコイツの能力はっ!?


「んー……、やっぱフェルミ相手じゃイマイチ張り合いが無いな……」


 煙の中からは無傷の女が現れ、倒れている及川の方へコツコツとヒールの音を響かせて歩いてゆく。立ち上がる事の出来ないフェルミになど、目もくれない。


「ま、戦わないとかほざきだす、日和見ヤローじゃ当然か。だからワタクシが消しに来てあげたんだけどね❤」


「や、やめろ……、よせ、どうかそれだけは……」


 そうして女は及川へと手をかざす。その術式は、女が背になっている為に見えないが、またあの爆発が来るのは確実だった。


「やめてくれぇぇぇええええええええっっっ!!!!」


 爆破されようとしていた直前、及川はフェルミの方へと唇を動かす。その声は遠くて聞こえなかったが、フェルミには唇の動きで、彼女が何を言ってるかが分かった。


『ずっと、好きでした―――――――』


 爆炎が及川の周囲を包んで、あっという間に身体を飲みこむ。辺りには煤とも血とも分からないものが爆散して、及川の肉体は完全に消滅してしまう。


「あああああぁぁっぁぁぁぁあああぁぁっっっっ!!!!!」


 フェルミが苦悶に顔を歪めて、声ににならない叫び声を上げるが、いくら叫んでも及川にはもう二度と届かない。


「安心しなよ色男。夢見がち女は、ワタクシが爆破焼却で肉片の一つも残さずに消し飛ばしてあげたからさ♪」


そう悪びれもなく言ってのけた女は、今度はフェルミを始末しようと、ゆっくりとフェルミの方へ向かって来る。


「おっと、そうだった。忘れてた……」


 しかし、女は途中で何かを思い出し、その場で立ち止まる。それは、すぐそこまで迫り来る攻撃へと対処する為だった――。


「次は貴方たちだったわね――――」


 その瞬間にはもう、我慢のならなくなった岩平とリーゼルが飛び出して、女の真後ろで拳と槍斧を振り上げていた。

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