第五十六話「フニフニ」

 ◆


 食堂に着くと、前日に僕達が日の出前には旅立つ事を伝えて居た為か、慌しく食事の準備が進められていた。 普段であればこの時間は使用人もまだ眠って居る頃だろう。 わざわざ僕達の為に早起きして仕事に励んでくれてるのだ。 感謝の言葉しかない。


「みなさん、おはようございます」


 僕が挨拶すると、皆の指揮を取っていた執事のグレイスさんが笑顔で迎えてくれた。


「これはこれは、アイエルお嬢様にロゼ様、それにセシラお嬢様。 もうお目覚めになられたのですね。 今食事の準備を致して降ります。 今暫くお待ち願えないでしょうか」

「はい。 わざわざ僕達の為に朝早くから食事の準備をして頂き、有難うございます」

「お気に為さらず。 旦那様より事情はお伺いしております。 それに奥方を治して頂いた恩人でもあるのです、我々にできる事は精一杯させて頂きます」

「ありがとう御座います。 それでなんですが、ミルクを少し分けて頂けないでしょうか?」


 僕はそう言ってアイエル様の抱える”白いの”に目線を移す。

 つられて目線を”白いの”に移したグレイスさんは、事情を聞く事も無く、ただ「畏まりました」と言って厨房の奥へと姿を消す。 どう思われたかは定かではないが、あえてそこに触れない一歩引いた姿勢に、執事としての年季の違いを感じる。 そしてグレイスさんは、少しして皿に入ったミルクを持ってきてくれた。


「お待たせしました」

「有難う御座います」


 僕はグレイスさんからミルクを受け取ると、アイエル様とセシラ様を引き連れて食卓へと移動する。

 そして床に皿を置くとアイエル様に白いのを降ろす様に言う。


「アイエル様、降ろしてあげて下さい。 ミルクを飲ませてあげましょう」


 僕がそう言うと、アイエル様はそっと器の前に”白いの”を降ろす。 ”白いの”はミルクの匂いを確かめると、ペロペロとミルクを飲み始めた。


「よかった、飲んでくれましたね」


 僕の言葉にアイエル様も嬉しそうに「うん」と頷く。


「アイエル様、この子の名前どうしましょうか?

 このままでは何て呼べばいいのか迷いますし、早く名前は付けてあげた方が良いと思うのです」


 僕のその提案に、アイエル様はミルクを必死に飲む”白いの”に目を移し、「うーん」と考える。


「えっとね、名前名前……」


 そう呟きながらあーでもないこーでもないと一通り一考した後、何かにひらめいたのか名前を口にする。


「そだ! クロにする!」


 思いっきり真っ白いのにクロとはこれ如何に… どう言う思考回路をすればそんな名前が浮かぶのかが気になるが、アイエル様がご満悦でそう名付けたので、水を差すのも気が引ける。 早速”白いの”をクロと呼んで楽しそうに笑顔を溢すアイエル様。


「クロ~ ミルク美味しい?」


 必死にミルクを飲むクロは、ミルクを飲みながら器用に「フガフガ」と返事を返す。 飲むか返事をするかどっちかにして欲しい。

 そうこうしている内に、グレイスさんが使用人のメイド達を引き連れ、軽い朝食をトレイに乗せて運んできた。


「お待たせ致しました。 大したものはご用意できませんでしたが、どうぞお召し上がりください」


 グレイスさんがそう言うと、メイド達は食卓に皿と料理を並べて行く。


「ありがとう御座います」

「妾等もご飯なのじゃ」

「うん」


 僕達はそれぞれ椅子に座り、必死にミルクを飲むクロを横目に、自分達も早い朝食を頂くのだった。


 ◆


 朝食を取り終える頃、グレイスさんがノブレス様と車椅子に座ったイザベラ様を連れて食堂へと姿を現した。 僕達を見送りする為だろう。 僕達はこれからすぐに帝都に向けて飛び立たないといけない。

 イザベラ様は僕達に再度お礼を言う。


「アイエル、ロゼくん。 それにセシラ様。 本当に私の為に色々と有難う。

 ちゃんと試験がんばるのよ。 アイエル…」

「うん。 私とロゼなら大丈夫。 だってイリナ先生にお墨付き貰えたもの」

「あらあら、大した自信ね」


 そう言って微笑む。


「ロゼ。 アイエルの事頼んだぞ。

 それからセシラ様、私からも再度お礼を言わせてくれ。 感謝している。 何か困った事があればいつでも頼ってきてくれ」

「うむ、気にするでない。 それに妾が外に出る切欠にもなったのじゃ。 妾の方も色々と感謝しておる。 美味しい食事もご馳走になったしの」


 その言葉にノブレス様も微笑みを浮かべる。


「それからコレはささやかながら選別だ」


 そう言うとノブレス様は、イザベラ様がさっきから持っていた、白を基調とした帽子を受け取り、セシラ様に被せてあげる。


「これで少しでもセシラ様の正体がバレる事を防げるだろう。 帝都にも亜人は居るが圧倒的に数が少ない上に偏見を持つ者も居る。 アリシアが使っていた物で悪いが、きっと役に立つだろう」

「うむ、感謝するのじゃ」


 セシラ様は受け取った帽子が気に入ったのか、僕に見せびらかす。


「どうじゃ、似合うかえ?」

「ええ、とてもお似合いですよ。

 ノブレス様、イザベラ様も、わざわざセシラ様の為にありがとう御座います」


 そう言って僕は頭を下げる。


「何、気にするな」

「では時間もありませんし、直ぐにでも出発しましょうか」

「うむ、そうじゃな。 では元の姿にもどって一気に帝都に向かうのじゃ」


 セシラ様のその言葉に、僕は待ったをかける。

 ここからは竜化したセシラ様はあまりにも目立ちすぎる。 帝都に近づけば近づくほど人口が増え、街も広がっている。 身を隠す森もなにも無いのだ。

 ここからは浮遊魔術で一気に距離を稼ぐ他ない。


「待って下さいセシラ様。 ここからは竜化は禁止です」

「何故じゃ?」

「ここからは人口密集地帯になります。 セシラ様の巨体では目立ちすぎます。 浮遊魔術で一気に飛んで行きましょう」

「待つのじゃ。 妾は浮遊魔術なぞ使えぬぞ」


 その言葉に、僕は思考が停止する。 セシラ様は飛べるものとばかり思い込んでいた。


「セシラ様。 羽だけ生やして飛んだりとか…」

「できぬぞ」

「…………」


 こうなっては仕方ない。 僕がセシラ様を負ぶって飛ぶ他無さそうだ。


「わかりました。 では僕がセシラ様を負ぶって飛びます。 アイエル様はクロと一緒にお願いできますか?」


 アイエル様にそうお願いすると、アイエル様はクロの肉球をフニフニしながら「うん、分かった!」と楽しそうに答える。 クロの肉球が気に入った様だ。 さっきからフニフニが止まらないアイエル様。

 僕もその肉球をフニフニしてみたい衝動に駆られるが、そんな余裕は今は無い。 刻一刻と試験の時間が迫っているのだ。 僕は気を取り直す。


「では早速出発しましょう。 ノブレス様、イザベラ様、グレイスさん。 色々とお世話になりました」

「ああ、気をつけて行くのだぞ」


 そして僕達はすぐさま屋敷の庭へと移動し、そこから一路帝都へと向けて飛び立った。

 セシラ様は僕の背中で浮遊魔術を堪能している。 アイエル様は空を飛びながら只管クロの肉球をフニフニしている。 少しクロが迷惑そうな顔をしているが、今は急いでいるので諦めてもらおう。

 落ち着いたら僕も堪能させて貰うとして、今は試験が最優先だ。

 僕達は人気のない早朝の空を帝都に向けて飛翔するのだった。

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