第十六話「スタンピード」


 グローリアの街と、ガレイル王国との間にある森の中。 そこに、王国の鎧を身に纏った兵士たちの姿があった。 彼らは一様に匂い袋を腰に下げ、扇状に散開して森の中を歩み進める。


「おい、本当にこんなんでグローリアの街を攻め落とせるのかよ…」


 一人の兵士が愚痴を溢すが、すぐに上官と思わしき兵士から「無駄口を叩くな。 これは上からの命令だ」と、叱責を受ける。

 そして、彼らの行動が引き起こした事態に、グローリアの街が翻弄され、混乱に陥るまで、それ程時間はかからなかった。


 ◆


 グローリアの街をぐるりと囲う防壁。 これは隣国、ガレイル王国との戦争に備えて作られた、街を護るための物である。 有事の際に備えて作られたこの塞の街は、英雄の名の下に鉄壁を誇っていた。

 その日はいつもと変わらない、晴れた日の事だった。

 防壁と門の管理を任された守備隊長のロッツェは、詰所の執務室で事務仕事に追われていた。


「まったく、帝都の他の貴族達は何をやっているんだか… 他の貴族の足を引っ張る事しか考えれないのか… お陰でこっちまで仕事が増える」


 愚痴を溢しながらも手を止めず、書類を片付けていく。 しかし、それに終わりを告げたのは、慌てて入室してきた部下による一言だった。


「ロッツェ隊長! 大変です!」

「ノックもせず、そんなに慌ててどうした?」

「報告します。 東の森より、大量の魔物が街に迫っているとの報告を受けました。 数名の冒険者から報告なので、間違いないかと思います。 急ぎ対策を!」

「なにっ ソレは本当か!」


 報告を受け、ロッツェはすぐさま行動に移る。


「急ぎ入門を待つ民を、防壁内に非難させ門を閉鎖しろ! 身元の選別は後だ! 防壁内で隔離対応し、すぐさま冒険者組合に応援を要請しろ!」


 報告に来た兵士は「ハッ!」と短く応え、執務室を退室する。

 ロッツェはすぐさま鎧に身を包み、執務室を出る。

 そして、守備隊の副隊長を任せているランエルを見つけ、すぐさま状況を説明し、カイサル様に報告に向かう様に指示を飛ばした。

 時は正午を回り、日が傾き始めていた。


 ◆


 グローリア邸の庭先にて、今日もアイエル様とイリナ先生が、お茶をしながら勉学に取り組んでいる。

 俺も相変わらず執事として側に控え、サポートに徹している。

 イリナ先生から借りた魔術の教材はだいたい読破したので、特級魔術以外はある程度マスターした。

 勿論その事をイリナ先生に言うと、また拗ねられても困るので言わないが、無詠唱魔術をマスターしてから、イリナ先生の俺に対する対応はかなり良好なモノになった。

 先生も、俺に恩を感じてくれたのか、今では気軽に話しかけてくれる。

 そうして何も変わらない日常の午後、一人の兵士がお屋敷に現れた事で、事態が一変した。


 馬を飛ばして来たのだろう。 慌てているのか、門の前で馬から飛び降りると、門番に用件を叫んだ。


「至急の用件で来た。 カイサル様に取り次ぎ願いたい!」


 グローリア家の門番を務めているのは、双子の兄弟兵士で、カイサル様の元部下だ。 その事もあり、その兵士とも面識があった様だ。


「ランエル様、どうされたのです? そんなに慌てて」

「レダにゼレか… 時間が無い。 東の森で魔物のスタンピードが発生した。 その件で至急カイサル様にも詰所まで来て貰いたいと伝えてくれ」


 その報告を受け、慌てて弟のゼレが屋敷の中へ駆け入る。

 少しして、慌てた様子でカイサル様が姿を現した。


「魔物のスタンピードが発生したとは本当か!」


 慌しくカイサル様が門まで来た事で、俺達も様子が気になり、イリナ先生と頷き合い、アイエル様を連れて門の前に居るカイサル様の元へと向かった。


「はい。 多数の冒険者の証言から間違いないとの事です。 今、隊長が防壁の外に居る民達を、防壁内に避難させ、隔離処置を取っております。 また、別の者が冒険者組合へ、協力の要請に向かっております」

「分かった。 魔物の数は分かるか?」

「そこまではまだ、把握しきれて居ないのが現状です」


 そこにイリナ先生が話しに割って入る。


「あの、カイサル様。 私も何かお手伝いした方がいいですか?」

「ああ、イリナくんか、そうして貰えると助かる。 ロゼ、アイエルを連れて屋敷の中へ戻ってなさい」


 カイサル様はそう説明すると、屋敷を出て行こうとする。

 俺は慌てて自分も何かできないかを確認する。


「あの!カイサルさま。 ぼくにも何かお手伝いできないでしょうか?」

「何を言っている、ロゼはまだ子供だ。 何もできる訳…

 いや、ロゼならできるのか…」


 カイサル様は途中まで言って、これまでの俺の事で思う所があったのだろう、一考してから決断した。


「分かったロゼ、お前も来い。 良い経験になるだろう」


 その言葉を聞いた副隊長のランエル、そしてレダとゼレはカイサル様の言葉に正気を疑った。


「カイサル様、正気ですか? こんな子供を同行させるなど」

「かまわん。 お前は先に戻っていろ。 私は仕度を済ませたら直ぐに向かう」


 カイサル様に命令され、ランエルは渋々頷き、馬に跨って詰所まで戻っていった。


「あの、カイサル様、その子を本当に連れて行かれるつもりですか?」


 双子の兄のレダがカイサル様に確認する。


「ああ… お前達には訳を話しておいた方が良いかもしれんな… ロゼはこう見えても我々の想像の斜め上を行く。 もしかすると、今回のスタンピードの切り札になりえるやもしれん。 そう私が判断したからだ」

「どう言う事ですか?」


 それに応えたのはイリナ先生だった。


「それはロゼくんが、私よりも優秀な魔術師だからよ」


 その言葉に二人の門番は目を点にした。


「まぁ、そう言う反応になるわよね…」


 イリナ先生はそう言って苦笑する。


「イリナくんの言う通りだ、二人とも。

 ロゼの実力は私が保証する。 先日訓練場の壁と屋敷の屋根を吹き飛ばしたのがロゼだ。 そう言えば納得してくれるか?」


 対外的には魔道具の暴走と言う事にしているが、グローリア家で門番をする以上、いずれ俺の存在は隠せなくなる。 この機会に説明しようと思ったのだろう。


「まさか、あれは魔道具が暴走したと…」

「対外的にはそう言う事になっているが、実際はロゼの仕業だ。

 三歳のロゼがそれほどの攻撃魔術を使える事が、外に漏れたらどう言う事になるか、お前達も想像できるだろう? この事は他言無用で頼む」

「「わ… 分かりました」」


 納得したのかどうかは不明だが、二人は頷いた。


「では、お前達はしっかり屋敷を護ってくれ」


 そう言うとカイサル様は、アイエル様を抱きかかえ、屋敷の中へと引き返す。

 俺とイリナ先生も後に続いた。


 ◆


 アイエル様をアリシア様の元までお連れしてから、俺はカイサル様とイリナ先生と一緒に、対外的には初めてとなるお屋敷の外へと出た。

 馬車に揺られ、流れ行く街の景色を見る。

 皆スタンピードの情報をどこかで仕入れたのか、慌しく人々が行きかっている。

 少しして、防壁の詰所に到着した。

 俺とイリナ先生はカイサル様の後を追って、詰所に設置された臨時司令室に入る。 兵士達の視線がカイサル様に集まり、そして場違いな俺へと視線が集中した。


「皆、待たせてすまない。 現状報告を頼む」


 カイサル様が部下にそう言う。

 しかし、部下も部外者が居る状況で現状報告とはいかないのだろう、カイサル様に確認する。


「あの、カイサル様、そちらのお子様は…」

「気にするな、ただの見学だ。 それよりも皆に紹介しよう、宮廷魔導師の娘さんで、今我が家で家庭教師をして貰っているイリナくんだ。 この危機に手を貸してくれる事になった。 皆そのつもりで頼む」

「分かりました」


 俺の事はさらりと流され、イリナ先生が紹介される。

 家庭教師と紹介された事で、俺の存在は一生徒として認識されたのだろう。 それ以上俺に対する質問は無かった。 まずは、現状報告を兵士がする。


「それでは現状を報告します。

 偵察に出した兵の話によると、索敵魔術に反応があった魔物の数は凡そ五百以上。 下位種から討伐級の力ある魔物まで多数確認されています」

「どれくらいで街まで到達する?」

「今のままの速度であれば、凡そ一時間ほどかと…」

「冒険者ギルドの方はどうなっている?」

「協力要請は受諾されました。 今街の冒険者を招集しているところです」


 報告を受け、カイサル様は考えを巡らす。


「今、この領にいる魔術師の数は分かるか?」

「現状把握しているだけで、五十名も居ないかと…」


 俺は会議が続く中、状況を確認するためにこっそりと索敵魔術を発動させる。

 そして見えてきたのは、東の森から迫り来る魔物の群れの反応だった。 その数五百と言っていたが、俺の索敵には千二百体以上は居る感じだ。おそらく偵察に向かった魔術師の、索敵範囲の限界以上に魔物が押し寄せているのだろう。 俺はその事実を、ここの皆に伝える事を考えるが、ここで俺が話に割って入るのは良くない。 俺はイリナ先生の袖を引っ張り、イリナ先生にまず状況を説明する事にする。


「イリナ先生… 少しいいですか?」


 小声で声を掛けられ、イリナ先生も小声で返す。


「どうしたの? ロゼくん」

「驚かないで聞いてください。 ぼくが今索敵魔術で状況を確認したら、魔物の数は五百ではなく凡そ千二百体くらいはいます。 ぼくの口からその事実を告げても不審に思われかねないので、ここは先生から伝えて貰えませんか?」

「千二百体ってそれは本当なの?」

「はい。 間違い在りません。 あと、これはぼくの予測でしかないのですが、その魔物の後方に三百人くらいの人の反応もありました。

 おそらく魔物は、その人たちに誘導されているのではないかと思います」

「ロゼくんはいったい何キロ先まで索敵を行ったの?」

「んー マナの拡散する方向を絞って、およそ五十キロくらい先でしょうか…」

「本当に君は常識知らずね… 分かったわ、ここは私が皆に報告するわ」


 そう小声でやり取りすると、イリナ先生は皆に進言する。


「皆、すこし良いかしら」

「どうかしたか、イリナくん」


 カイサル様が続きを促す。


「今、索敵魔術で状況を確認して見たんだけど、魔物の数は五百では無いわ、千二百は居る」


 そう言いながら、カイサル様の視線を俺に誘導するイリナ先生。

 それを察したのか、カイサル様は確認する。


「それは本当か?」


 俺とイリナ先生が頷いた事で、事態が緊迫した。

 そして、イリナ先生はさっきの俺の説明を付け加える。


「それから、その魔物の後方に、三百人ほどの人の反応がありました。 おそらく魔物は、その者達によって誘導されている可能性があります」


 イリナ先生から齎された情報に、一同の顔色が変わった。


「まずいな… その話が本当ならば、王国が絡んでいる可能性が高い。 沈黙を守って居たが、ついに動きだしたと見るべきか…」

「どうしますか? カイサル様。 帝都に早馬を走らせて、援軍を要請しますか?」


 兵士の一人がそう確認を取る。


「いや、相手は三百人。 おそらく今回は、様子見と言った所だろう… 魔物の群れで疲弊して、その人数で攻め落とせそうならば攻めてくるかもしれないが、恐らくは森の中から様子を伺うに留めるだろう」

「相手の目的は、魔物を使った進軍テストとコチラの戦力偵察。 それで我々への被害が出れば御の字と言った所でしょうか… そうなると、あまりコチラの情報を晒したくはありませんね…」


 皆が一様に思考する。

 だが、千二百もの魔物を、そう簡単に討伐できるはずもない。 少なからずコチラの被害は、甚大なモノになるだろう…  答えの出ない難題に、皆が沈黙する。

 そんな空気をぶち壊すべく、俺は視線でカイサル様に訴えかける。

 (特級魔術試していい?)と…

 まぁ、伝わる訳ないんだけど…

 しかし、カイサル様は俺と目が合った。 目が合って俺が何かを言いたそうにしているのを感じ取ったのか、皆に告げる。


「このままここで悩んでいても仕方ない。 皆最善を尽くして迎撃体制を整えろ。 門を閉じ、そこに魔術師は防壁強化魔術をかけて、なんとしても魔物の街への侵入を防げ! 城壁の上からありったけの弓と魔術で応戦するんだ! それから早馬を出して、近隣の街にこの緊急事態を知らせろ!」


 カイサル様がそう指示を飛ばすと、皆気持ちを引き締め「「「「はっ!」」」」と敬礼して、慌しく臨時司令室を出て行く。

 そして、人が捌けた司令室で、カイサル様とイリナ先生、俺だけが残った。


「して、ロゼ。 何か言いたそうにしていたがどうした?」

「カイサルさま、あの、許してもらえるならこの機会に、特級魔術を試してみたいです。 それで魔物の群れの数を減らせればと思ったのですが…」


 俺の言葉に、カイサル様はため息をついて答える。


「ロゼ、流石にそれはリスクが大きい。 魔術を失敗するリスクもあるが、それよりもお前の存在が明るみに出る可能性が高い」


 しかし、俺には考えがあった。 要は、俺が魔術を使ったとバレなければいい。

 俺はその方法を二人に話して聞かせる。


「カイサルさま、それについては、ぼくに考えがあります。 イリナ先生はどちらにせよ、防壁の上から魔術で魔物の掃討に参加しますよね?」

「ええ、そうなるわね…」

「じゃあ、ぼくが放つ特級魔術を、先生が撃った事にしちゃえばいいんです」

「「はぁあ?」」


 カイサル様とイリナ先生の声が揃った。


「いくらなんでもソレは無理だろう! 防壁の上には他の兵士もいる。 ロゼが魔術を放てばいくら何でも気付かれる」


 しかし、イリナ先生は俺がやろうとしている事を察したのか、俺に確認してくる。


「ロゼくん、もしかしてマナ操作の練習でやった方法で試すつもり?」


 カイサル様は何を言っているのか分からなかった見たいだが、俺はそれを肯定して説明する。


「その通りです。 あくまでも特級魔術を放つのは先生です。 ぼくは、先生のマナを操作して特級魔術を撃ちます」


 答えを言われて困惑したのは、イリナ先生だけじゃなかった。 カイサル様も、何を言っているのか理解が追いついていなかった。


「ロゼ、それはどう言う事だ?」

「ぼくは、他人のマナに干渉して魔術を発動する事ができるんです。 それを利用すれば、僕が魔術を使ったとは誰も思わないはずです」


 俺にそう説明され、「そんな事ができるのか…」とイリナ先生に確認する。


「確かに、ロゼくんなら可能かもしれないけど… それって私が皆の注目を集める事になるわよね?」

「街の皆を救う為だと思って、引き受けてくれませんか?」


 俺はあざとく上目遣いでお願いしてみる。 食らえ! 子供の純粋な眼差し!

 まぁ冗談は置いておいて、それしか今のグローリアの皆が救われる道はない。 旨く防壁で防ぎ切れればいいが、防壁が突破されれば被害は免れない。

 イリナ先生は悩みに悩んで了承した。


「分かったわ… 状況が状況だものね…」

「ありがとうございます。 イリナ先生!」


 俺はお礼を言う。 カイサル様は「本当にいいのか?」と確認した。


「ええ、今回は仕方ないわ。 ここで魔術が使えないカイサル様が、いきなり特級魔術を使うのは不自然すぎるもの… 私も何れは特級魔術にチャレンジしてみたいと思ってたし、経験を積めると思えば納得できるわ」

「そうか… 迷惑をかけてすまんな…」


 カイサル様はそう言って感謝の意を表した。


 さぁ、これからが勝負の時だ。

 カイサル様を先頭に、俺とイリナ先生は臨時司令室を後にした。

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