32、最後のがやりたかった

 今日も今日とて、月曜日お昼前の1ーEは数学の授業。いつも通りであれば、刻々と昼休みの時間が近づくとともに、軽い空腹で若干の気だるい頭が苦手な教科の終わりを今か今かと期待するのだが。しかし今日、今、現在、少々憂鬱な気分というか、不安というか、焦燥というか。大袈裟にいえばそんな感情で、数学の授業がイマイチ入ってこないのだ。


 要するに落ち着かない。


 昨日、夏目に呼び出しをくらってからずっとソワソワが止まらないのである。夏目は十中八九、というか120%俺の女装に気づいてはいないだろう。ならば慌てふためき怖気付くことも、過度な警戒心を抱く必要もないのだが。それでも、夏目と二人という状況に浮き足立ってしまうのは、今までの経験則からなんだろうなぁ。夏目には悪いけど、夏目と二人っきりの状況でロクなことがなかった、というかロクなことにならなかったと言うべきか。

 女装コス写真押さえられたに始まり、距離を取ろうとし矢先に友達認定マルをもらったり。それこそ、昨日の夏目が語った“俺が絶対に”聞いてはいけない御礼とかもそう。バレてはいけない、間が悪い逃げられない、あんなの聞かされたら引くに引けない、さらにバレてはいけない理由を積載、とここまで役が揃ってしまっているのだ。そりゃあ平静でいろって言う方が土台むりな話だろう。

 とは言え、それが嫌なことなのかと聞かれれば答えは否で。俺だって夏目とアニメやゲームの話をすること自体は楽しいし、夏目の熱量高めなトークは聞いていても見ていても愉快だし。あと、ロクでもないこととの大半は自爆で自業自得なので、夏目のせいばかりには出来ないわけで。


 なので結局、数学の授業が終わり次第、指定された階段までお弁当引っ提げて向かうのだが。先に到着していたらしい夏目が、後から来た俺の着席を待つことも出来ない様子で、


「昨日さ昨日さ!駅前のモールでカレンさん、この前写真見せたイベントで見かけたレイヤーさんに会っちゃったんだよ!スゴくない⁉︎スッゴイ偶然じゃない⁉︎しかも栞さんも一緒でさ、友達だって言うじゃない?いやー世間って狭いのねー。あ、そうだ。一橋くん、カレンさんと知り合いなんだって、栞さんに聞いたよ?写真見せた時に知ってる人だって言ってくれればよかったのに、わたし一人で盛り上がって舞い上がっちゃったじゃんかぁ」

「お、おう……」


 すっごい詰め寄りまくし立ててくるじゃんかぁ。つか近い、圧がすごい。


「なんか栞さんも抑えてたけどすっごい笑ってたし、恥ずかしかったんだからね!」


 ああ、それは別件で笑ってたんだよ。とは言えないので「まあまあ」と、ギラギラした目を向けてくる夏目を宥めて一息つかせる。そして、


「あの人は姉の友達であって、俺と仲がいいわけじゃないから、取り立てて言う必要性を感じなかったんだよ」


 大嘘である。正確には『言う必要がなかったから言わなかった』のではなく、『積極的に言及を避けた』だ。あの時はいつ、何がキッカケで正体がバレるかわからないと警戒レベルを高めに設定していた。だから、夏目の中の俺と広橋カレンの関連性を少しでも多く削いでおく必要があると考えて言わないでいたわけだ。まあ、予期せぬ自体でいらん設定が付いてしまったわけだが。


「う〜、……それはそう、なんだろうけどさぁ」

「そんなにイヤだった?」

「別にイヤとかじゃなくて、なんかこうさぁ……」


 ふむ。どうやら、夏目の言いたいことは感情的なもののようで、言語化するのが容易でないらしく、先ほどまでの饒舌ぶりとうってかわってどうにも歯切れが悪い。願わくば、このまま有耶無耶になればいいなぁ、と思った矢先だ。


「例えるなら……、劇伴曲で知ったバンドの良さを古参のファンに語るような、そんな気分なの!」

「……?俺は別にファンとかじゃ、」

「あの時の私が恥ずかしいんだよぉ……!」


 わっ、と両手で顔を隠す夏目。

 正直なところ言ってることはよく分からないが、言わんとすることはなんとなくわかる気がする。とは言え、特に励ませる要素もないし、そこまで深刻でもないので、


「自業自得だ、諦めろ」

「……トドメだぁ」


 いいえブーメランです。もう投げすぎてキャッチできるようになったがな。ダメージゼロだもんよ。余裕も余裕でお弁当食べ始めてますもんね。


「他人事だと思ってぇ」

「じっさい他人事だし。過ぎたことはもう仕方ないじゃん。人生そんなことの積み重ねだぞ、多分」

「……一橋くんも大変なんだね」

「色々なことが、あった……」

「そう、なんだね」


 ま、その色々なことの一つが、まさに現在進行形で隣り合わせなんです。なんて、夏目には言えやしないけど。その夏目も気を遣ってくれてか、踏み込んで聞いてくることはなく、それからちょっとの時間、お互い無言のまま昼ごはんを食べる。そして、俺がお茶を飲んでいる時に、夏目が不意に、


「一橋くんの言う通りカレンさんのお胸、詰め物だったね」

「……!ゴホッ、ゥン」

「え⁉︎大丈夫?」


 今度はこっちがなんか色々恥ずかしくなる番だった。

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