29、ゆでだこのよう
『じゃあやっちゃうね。どういう感じにする?』
「お、お任せでお願いします」
ほほう、お任せとな。となればああしてこうして色々と……、と思ったのだがいかんせんピンは2本しかないし湯ノ原さんの前髪は中々にボリューミー。どうこうしようもないのでここは大人しく、
『それじゃ失礼して』
眉が見えるくらいにササっと前髪をピンで留め上げようと、湯ノ原さんの髪に触れたのだが。
おお……。見た感じ真っ黒で重たい印象の湯ノ原さんのくせっ毛は、しかしその印象とは裏腹で触れるとふわふわしていて柔らかく、しかも纏まりやすくいじりやすい。
くっ、ここにもっと色々な道具があれば色々なアレンジが出来たのに……。
「あ、あのぉ……?」
「っ!」
あまりの良い髪についついアレンジ夢想して手が止まってしまっていたことに、湯ノ原さんに声をかけられてようやく気づいた。“なんでもないよ”と誤魔化すようなマイムを決めて、それからまたヘアアレンジに戻る。今度はキッチリ集中してやらねば。
ここまでいい素材を見つけたとなれば、使える道具が限られているとはいえ、ただ顔を見せるために髪を留めるのではつまらない。今のコーデに合わせてのアレンジとなると、やっぱ少しマニッシュな感じにするかな。
方針を固めて早速、湯ノ原さんの左側の前髪を軽く手にとり耳の後ろに流していく。そしてそれをもみあげの上くらいの位置でピンを使い留める。すると湯ノ原さんの顔が少し見えたのだが、どういうわけか注射を打たれる前の子供のように目も唇もギュッと閉じていた。そんな身構えるようなことじゃないんだけどなぁ。
そして残った右側は真ん中に集めてもう一つのピンでまとめてやる。最後にちょいちょいと全体を整えれば完成だ。
……。できたよー、って言いたいけど湯ノ原さんは未だ目をつむったまま。仕方がないので肩をぽんぽんと叩けば、
「お、終わりましたか?」
『ばっちりだよー』
やっとこさ、恐る恐るに目を開いた湯ノ原さん。だけど、自分の髪の全容なんて見えるはずもなく。さっきまでとは違う髪型に触ろうとするけども、でもセットした髪型を崩すかもしれないと思ってか直前で触手が止まる。
「こちらよろしければどうぞぉ」
そんなタイミングで店員さんが鏡を持ってくる。帽子とか被った時に見る、商品棚の上に乗っているようなアレだ。ホント食い気味だな、この人。
それで湯ノ原さんは、店員さんの持つ鏡を覗き込んで、
「わぁ、こんな風になってたんですね」
驚いたみたいで、何度も何度も顔を右左に向けては確認をしている。
「アバンギャルド……ですね」
『そうかな?普通のアシンメトリーだよ?』
「アシ……。えと、ぷよぷよですか?」
『なんでぷよぷよ?』
「え?」
『え?』
なんだろう。言ってることはよくわからないけど、お互いの頭の上にハテナが浮かんでいるのはわかる。
「お客様、噛み合ってませんね」
「ウチの子もあれで天然だからねー」
「そのようですねー」
なんでアンタたちが仲良くなってるんだよ。
「それよりも、よ。小牧ちゃん、ちゃんとかわいいキレイな顔してるじゃないの。何で隠すのもったいない」
「うぇ⁉︎け、決してそんなことないでっ……」
『かわいいよね』
「ですね」
「うひぇっ⁉︎」
湯ノ原さんは両手をぶんぶん振って「そんなことないです」と重ねるが、しか実際顔立ちはとても良いと思う。たしかに、派手さやキラキラしているといった際立った印象はあまり感じることはない。けど、決して無個性というわけではなくて、その顔を見れば大半の人が湯ノ原さんを可愛いに分類するだろう。つまりどう言えばいいのだろう?控えめそうな美人とか、そんな感じだろうか。
そして、そんな特性は「メイク次第でどんなスタイルにでも変身できる」という可能性を秘めているわけで可愛い系もクール系も自由自在。磨けば磨いた分輝く逸材。つまりメイク妄想が捗るね。頭の中で色々なシミュレートをしてみた結果、
『やっぱり湯ノ原さんはかわいいよ』
「ぬぇっ⁉︎」
『湯ノ原さんはきっと、私なんかよりもっとずっとかわいくなれる。それだけのポテンシャルは元々持ってたんだよ』
あ、現状は俺の方がかわいい度は上なので、正直に言えばそこはしょうがない。企業努力が違うから仕方ないね。
「あ、あの……」
『正直、師匠なんて今日だけのつもりだったけど、いまはもっとやってみたいと思ってる。だって湯ノ原さんこのままじゃもったいないくらい元々かわいいもん』
「その……」
『だから「そんなことない」なんて言わないでほしいな。大丈夫、湯ノ原さんはかわいいしもっとかわいくなれるから!』
少しでもオシャレに対して前向きに考えて欲しくて、思ったままをぶつけたつもりだったのだが、
「……っ⁉︎」
お顔が真っ赤である。そういや俺はかわいいって言われるの好物だけど、どうやら湯ノ原さんは耐性がないみたいで。ぷるぷると震えながら口をぱくぱくさせて、まさに当惑といった様子だ。
どうにか宥めようとペンを走らせようとすると、
「お、お会計!。あ、先に着替えて……」
「そのままでもやりますよぉ?」
「お、お願いします!」
ピューッとレジに駆けて行ってしまった。あの店員さんと一緒に。
「やっぱアンタ天然よ」
『…かもね』
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