28、微速前進

 さて。湯ノ原さんが押しの強い店員さんによって試着室に押し込められて、かれこれ15分が経った。まあ、女性の身支度というのは時間がかかるのがざらなので、大人しく待っていればいいものなのだが。しかし、


「……」

『』


 この沈黙、全く持っての音沙汰なし。聞こえるのはショッピングモール特有、最近のヒットチャートのインストゥルーメンタルと、店の周りを行き交う買い物客の話し声がザワワ。

 いやまあ、いくら待たされてるからって、流石に女の子が着替えてるかどうかの所に聞き耳立てるわけにもいかないからね。そんなことしたら一発アウトだからね。

 だからこうして大人しく待っているのだけど。



 あれー?おっかしいなー。渡したのはなんてこたないシャツとパーカーとジョガーパンツだから、着替えるのにそう時間はかからないだろうし。なんなら着てもう一回着替えてだって出来そうなくらいだ。

 渡した服が気に入らなかったのだろうか、とか聞きたいけれどホワイトボードに書いた文字じゃカーテンの向こうには届かないし。


 どうしたものかなー、と思っていたら、


「お客様〜、いかがなされましたか〜?何か問題でも〜?」


 試着室に押し込めた手前ずっと側にいた店員が、誰よりも先に痺れを切らして試着室に向かって声をかける。

 湯ノ原さんと今日出会ったばかりの付き添いと、一緒に待つ店員さん。正直言って気まずい時間なのは俺だけでしょうか?この店員さん、声は間延びしてるのに妙に圧が強めなんだよなぁ。


「も、問題というか、ええとぉ……」


 やっとこさ試着室から聞こえてきた声は声で、困惑の色が強いし。そして、カーテンが少し揺れて、


「その、着てはみたんですけど」

『けど?』

「自分からカーテンを開けて出て行くのがなんだか恥ずかしいというか……。ジャジャーン感が私には荷が重いというか……」


 湯ノ原さんがは隙間から顔だけを出して、オロオロと助けを求めるようにこちらを見てくるのだが、


『流石にコッチから開けるのはマナー違反だから』

「ですよね……」


 試着室のカーテンを外から開けるなんて、コントの世界くらいなものだ。

 とはいえ、このまま何もしないでいると湯ノ原さんが出てくるのにまた時間がかかってしまいそうだし、


『大丈夫だから、出ておいでよ』


 と、促してみる。


「ほ、本当に……?」


 湯ノ原さんは こちらのようすをうかがっている。


『ホントホント』

「ぜ、絶対ですか?」

「おかしくても笑いません?」

『笑わないよ、自分で選んだやつだし』

「そ、うですよね……」

『……、多分?』(目逸らし)

「し、師匠〜」


 おっと、あんまりにも反応がいいものだからついつい。

 それでも、湯ノ原さんはかの小型犬のようなうるうるした目でこちらを見てくるばかりで、カーテンを握る力が緩まる気配がまるでない。そんな湯ノ原さんの様子に、


「アンタ一体なに渡したのよ?」


 姉が侮蔑の目を向けてくる。それに俺は間髪入れず、


『普通の!普通のズボンとシャツだから!』


 まったくもっての冤罪だ。アンタだって俺が服を選んだところも渡したところも、しっかり見ていただろうに。

 というか、さっきまで「ちょっとエッチな〜」とかなんとか言ってたのはアンタだからな。

 そんな感じでやいのやいの繰り広げていると、


「私が出ていかないせいで師匠にあらぬ疑いがっ……⁉︎出ます、今出ていきますから!」


 なにやら意を決したらしい湯ノ原さん。それでも「うぅ……」と一瞬、小さく唸って躊躇いを見せたが、すぐ次の瞬間には、


「えぃ!」


 シャッ


 勢いよくカーテンレールの音が鳴り、湯ノ原さんの全身が現れる。その格好は上からキッチリとファスナーの閉まった紺色の薄手のパーカー、それに隠れて見えないが白いシャツ、そしてベージュのジョガーパンツと、俺が渡した通り。ほぼ予想通り。自分で選んで渡したんだから当然か。

 ただそれでも、一つ言うことがあるとしたら、


『パーカーの前開けよっか』

「あ、ハイ!」


 言われて即座にファスナーを下ろす湯ノ原さん。すると紺色の間から白地出てきて、。うむ、やはり眩しい色があった方があったほうが明るい印象になるな。


 ……と思ったのだが、湯ノ原さんの前髪が長いため、明るい印象に影が差してしまう。まあ、これ自体は俺(平常時)も人のこと言えないし、ってかそもそも知り合って数十分の間柄の女の子に「髪を切ろうか」だなんて言えないし……。いやしかし、これを諦めてしまうのはせっかく見つけた原石を磨かないことような、とても惜しいことのような気がしてならない。


 ああ、別に切る必要もないか。


『これあげる』


 そうして、俺はうどんを食べていた時に使ったヘアピンを手渡す。


「え?え?」

『よければ使ってほしいな』

「いえ……、その……」


 手に持ったヘアピンと俺の顔を交互に見やりながら、困った様子の湯ノ原さん。そりゃあ、訳を推し量ることは出来ないけど、何かしらの理由があってこそわざわざ前髪を伸ばしているのだろうし。それは俺も同じなわけで。


『イヤなら無理しないでいいから』


 強要はしたくない。ただ、選択肢として持っておいてほしい。ヘアアレンジもファッションに大事な要素の一つだから。

 とまあ、いろいろ理由づけてみたとて、結局のところは個人的な興味の一点にしかないのだけど。だって、どうせ変身するなら大変身を見てみたいじゃん。しかもそれが自分の手でできるというなら尚更に欲が出るもので。


『でも、付けたところ見てみたいな〜、なんて』


 まあ、笑ってねだってみることしか出来ないのだけど。と思いきや、


「はい!やってみます!」


 予想外に即答だった。


『いいんだ?』


 ちょっと意外だったので思わず質問で返してしまったが、しかし湯ノ原さんは真っ直ぐにこちらを見つめて、


「変わりたいって言ったのは自分ですから、出来ることはやっていきたいです。出来ないことも……、これから頑張りたいです」

『そっか』


 どうやら杞憂でしかなかったみたいだ。そんなふ風におっきな決意を抱えた湯ノ原さんが眩しく見えたのも束の間、


「あ、でも。こういうのしたことないので、その……、教えてくれませんか……?」


 まあ少しずつ、ね。

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