12、いや席につけよ

 商店街のアーケードを抜けて、暗くて静かな住宅街を10分ちょっとくらい歩いたところにある坂道の上。そこにある藍色の屋根をした家のドアを開ける。


「ただいま」

「ああ、蓮か。おかえり」


 そこには濡れた髪をタオルでガシガシ拭う姉がいた。


「今日の晩御飯、蕎麦だから湯がいて食べちゃいな。じゃ、あたしネームあるから」

「ん、姉さんも頑張って」

「おー」


 ひらひらと後ろ姿で手を振りながら、姉は二階にいく。

 姉の栞は漫画家志望である。

 元々はファッション系の大学に通っていた姉だが、しかし突然「本当にやりたいことに気づいた」と言い出して大学を中退。現在は連載作家のアシスタントをしながら、賞を獲った時についた担当さんと連載を目指して漫画を描く日々を送っている。

 昔、俺を着せ替え人形にしていたあの頃とは大違い……、でもないか。今だって普通に「資料にしたいからこれ着て、今着て」と女性服をポイポイ渡されるし、その上ポーズまで要求されるようになったのだから、より一層タチが悪くなったとも言える。

 まあ、俺も抵抗はゼロだから普通に引き受けるんだけどね。


 玄関で靴を揃えて、洗面所で手を洗いそれから少しの廊下を伝ってリビングに。そこで、ソファに座ってテレビを見ていた母さんが、俺の方を向く。


「おかえり、蓮」

「ただいま」


 昔は俺の女装を一歩引いて見ていた母さんだったが、今では俺にお薦めのコスメを聞いてくるくらいに受け入れてくれている。


「姉さんに蕎麦って聞いたけど」

「そうよー。あと鶏があるからあっためてね」

「あいよー」


 リビングテーブルの上には、乾麺の蕎麦とラップがかけられた鶏肉の香草パン粉焼きがあった。ので、まず鍋に水を入れて火にかける。

 そこでふと、疑問が湧いた。


「なんで蕎麦と香草焼き?」


 あり得ない組み合わせではないけど、それでも少し珍しい組み合わせだとは思う。出来合いのお惣菜というわけでもないし。


「それねー。鶏作ってる時にお蕎麦をいただいたのよ。裏のお屋敷に引っ越して来たから引っ越し蕎麦だって」

「あそこ新しい人来たんだ」


 ウチの裏には、とりわけ大きな日本屋敷がある。しかも新築の。だからここ最近は建設工事の音が凄かったのだが、それが終わったと思ったら今度はお引越しか。


「お昼のうちは賑やかだったわよ」

「へー。それにしても今どき引っ越し蕎麦ってのも珍しいね」

「そうねー。なんでも日本文化が好きって言ってたけど」

「じゃあ海外から来たんだ」


 鍋の水が沸騰したので、蕎麦を投入。それと同じくらいに香草パン粉焼きをレンジで温め始める。


「そうそう、そのお蕎麦を持ってきた子がね、すっごく可愛い金髪の子だったの。ハーフかしら、日本語上手だったし」

「ほーん」

「多分アンタと同い年くらいだったよ」

「へー」


 柔らかさを得た蕎麦が、ぐつぐつの鍋の中で踊る。しばらく踊らせたら、一本掬い取って柔らかさを確かめる。うん、丁度いい塩梅だ。

 茹で上がった蕎麦をザルに移して水で締める。そのあたりで電子レンジの音が鳴り、鶏の温めも完了した。


「そうだ。もしかしたらアンタの学校に転校してくるかもね。同じクラスだったりして」

「いやいや、まさかー」


 蕎麦と鶏の香草パン粉を持ってリビングテーブルに着く。


「もしそうなったとしても俺は、その子の顔も名前も知らないんだし」


 合掌をして、そばつゆを深皿に。そんでもってツルツルと麺を頂く。


「でも名前は聞いたわよ、たしか……」





 ▽▽▽


「アメリカから来ました、転入生のアビゲイル・リンク、デス。アビー、って呼んでください。どうぞよろしくお願いしマス」


 少しだけつっかえたような、だけど流暢な言葉遣いで挨拶をして、ペコリと頭を下げた金髪ツインテールの女の子。その子が名乗ったのは、昨日母さんが言っていた名前とまるっきり同じであった。

 つまるところ、その“まさか”でしたよお母さん。まあ、朝来た段階で教室に机が一個増えてた時点で怪しいなーとは思っていたんだけどさ。それにしたってフラグの回収が早過ぎる。


 まあ、それはともかくとして。


 なるほど。確かに、母さんが言っていたように、アビゲイル・リンクという子は可愛らしい容姿をしている。クラスメイトも「かわいー」とか「お人形さんみたい」とか騒いでるし。しかし、男子に至っては可愛いしか言ってないが、大丈夫だろうか?


「それじゃ自己紹介も終わったし席着いて。アビゲイルの席はあれ、あの陰気くせー前髪長いヤツの斜め後ろが空いてるだろ。あそこな」

「ハイ」


 そう言って担任の律子は俺のことを指差す。

 宇佐美め、それが生徒に対して吐く言葉かよ。それなら夏目の後ろでいいじゃねえか、PTAにチクッてやろうかこのヤロー。

 そんな俺の心の暗雲とは裏腹に、クラスの雰囲気は明るい。机の間を歩いてくるアビゲイルに、近くのやつが「よろしく」と声をかけてそれにアビゲイルも「よろしくデス」と笑顔で返す。それは隣の夏目とも交わされて、クラス全体にすげー和気あいあいのいい空気が出来上がってるよ。

 しかし、俺は特に何も言わない。視線が合ったら会釈程度で済ませばいいやと思っている。


 そんで、案の定アビゲイル・リンクがこちらを見たので軽く首を縦に振る。しかし、向こうからはなんの反応もない。

 というより、ジッと見られている?


「オー……」


 食い入るように見られている⁉︎何故だ、陰気くせー前髪の長いヤツなんて見たって何も面白いことなんてないぞ、ホントに。

 だけど、アビゲイルはさらに距離を詰めてくる。

 そして、またクラス中の注目をあつめながらおもむろに口を開いた。


「あなた、最近どこかでお会いしましたか?」

「え?」


 それは誰しもが予想外の言葉で、一瞬にしてさっきまでの空気が崩れていった。

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