おはようという挨拶をしていたが、お雛様が目を醒ましたのは夜中で、明日に備えてそのまま寝ることになった。

 そして翌朝。

「おはようございます」

 まだ早朝と言える時間に、当主が部屋に入って来て皆を起こす。

「どうなさったんですか、ご当主?」

 寝起きの良い椿つばきが訊くと、当主はにっこり笑って、

「お勤めご苦労様でした。これより、姫には儀式の用意に入ってもらいます」

 それは、護衛が終了したという合図だった。

後鬼ごき殿?」

 呆然としている椿に、当主が心配した様に声をかける。

「失礼致しました。あまりに突然だったので……」

 お雛様の方を見れば、初日に案内をしてくれた赤の女性と黒の女性に起こされ、すでに引き締まった表情をしていた。

「あ、少しお別れの時間を頂けますか?」

「それは勿論」

 当主が得害で答えるので、椿の顔も緩んだ。しかし、その顔も葵日あおひのほうに向けた途端、眉間に皺が深く刻まれた。

「あ~お~ひ~っ! 起きろこの寝坊助がっ!!」




 あの後、鬼彦おにひこの冷水と相模坊さがみぼうの錫杖を喰らった葵日は、見た目こそボロボロだが寝ぼけてはいなかった。

「皆さんと過ごしたこの数日間、楽しかったですわ」

 少し淋しそうに微笑みながらお雛様が言う。

「こっちこそ、楽しかったぜ」

「あぁ」

 全員が淋しそうに、しかし穏やかに笑んでいた。

「わたくしの名前、絶対に名乗れないわけではありませんの。ただ、今回は悪しきモノに知られてはいけないということで、名乗れませんでした」

 言霊の国にあって、名前というモノの持つ意味は深い。名前が知られることが、その人の命取りになる場合だってあるのだ。しかしそんな理由を、皆既に察していた。

「解かってるよ、仕方なかったんだろ? 気にしてねぇよ、俺たちは」

「だから!」

 慰める葵日に、お雛様は言い募る。

「だから、今度逢う時までに強くなります! 名前を言い触らしても、平気なくらい強くなりますわ。

 ……なので今度逢った時は、名前で呼んでくださいますか?」

 顔を真っ赤にしてお願いするお雛様に微笑んで、葵日が言う。

「当たり前じゃん」

 椿がお雛様の頭を撫でながら、言う。

「今度逢う時の、約束ですよ」

 それを聴いたお雛様は、満面の笑みを浮かべて頷いた。

「はいっ!」




 帰り道。相模坊と五鬼いつつおにも帰り、葵日と椿は行きと同じく葵日の祖父の車の後部座席で揺られていた。

 ボーっと外を見ていた椿が何かを見付け、突然「あっ」と声を上げた。それにつられて同じ方を見た葵日も、同じく「あっ」と声を上げた。

 一瞬だった。一瞬だったが、二人の目にはしっかりとその光景が飛び込んできた。それは、山から見下ろすあの白い狐面の子どもと、その後ろからちょこんと顔を覗かせている女の子だった。蘇芳色とでも言うべきか、濃い赤の長い髪を二つに結んだ彼女の顔は、瞳の色が左に青で右に緑と、逆であることを覗いて、お雛様と瓜二つだった。

「あの狐面の友達って、お雛さんの妹だったんだ」

「みたいだな」

 その一瞬の光景は、二人にとってかなり強烈だった。

「一緒に暮らせる様になると良いな、お雛さんと妹ちゃん」

「なるだろう」

 葵日の呟きに、椿は言う。

「なれるさ、お雛様は頑張るって言ってただろう?」

「……そうだな」

 二人の胸に、何だか清々しいものが残った気がした。




「それでは行こうか、東風こち葉音はのん

「はい」

 当主に促され、葉音はピッと顔を上げた。


 ねぇ、まだ見ぬわたくしの妹。

 貴方はわたくしとは正反対の子だと、聞いていますわ。

 ならあのお二人、葵日様と椿様の様になれるかしら?

 正反対でも、いつも喧嘩してても、それでも誰よりもお互いに解かり合えて、信頼し合える。

 ねぇ、あのお二人の様になりましょう。

 わたくし頑張りますから、貴方を迎えに行ける様に、頑張りますから。

 だから、あのお二人の様に、なりましょう。

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闇の光―お雛様の章― 橘月鈴呉 @tachibanaduki

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