参
次の朝。離れは一気に賑やかになった。
「
「鬼彦、冷水を浴びせてしまえ」
鬼彦は「は~い」と答えると、葵日に思いっきり冷水を浴びせた。
「うわああぁぁっ!」
流石の葵日も飛び起きる。
(ああ、昨日といい、今日といい、葵日様が不憫ですわ)
それを見たお雛様は思った。
昨夜、邪気を滅した後に、
その時、タイミング良く起きて来るお雛様に疑問を持った葵日が訊くと、お雛様は当然の様に答えた。
『あんな禍々しい氣の中で眠れるほど、図太くありませんわ』
「そらそうだわなぁ」
ずぶ濡れのまま葵日が呟く。突然の呟きに、一番近くにいた鬼彦が驚く。
「なにがやの!?」
「そりゃ、あんな妙な邪気が傍におんのに寝てられんわなぁ」
「昨夜の話ですわ!」
「わぁ、葵日様の意識が時を超えとる! 戻って来ぃっ!」
まだ覚醒出来ていないことが発覚した葵日に、二人が慌てふためく。その様子に、見かねた相模坊が言う。
「椿、葵日が寝ぼけてて、お雛様と鬼彦が慌ててますよ」
「ほっとけ、お雛様も鬼彦も、そのだぁほのことは忘れろ」
椿は冷たく言い放つ。しかし、そのお雛様と鬼彦からの、ほっとけないよという視線を無碍に出来るほど、椿は冷血漢ではなかった。仕方ないなぁという様に溜め息を吐くと、法螺貝を手にして、それを思いっきり葵日の後頭部に向けて投げ付けた。
「お前凶暴! チョー凶暴! 手加減って言葉知ってるか?」
五鬼の三人、
「これぐらいしなきゃ起きんくせに。大丈夫だよ、お前の石頭ならこれぐらい何でもないだろ?」
「何でもあるわっ!! 瘤出来てんだぞ、たん瘤!」
今度は、喚いている葵日を完全に無視して朝食を続けると、鬼次と鬼助が椿の朝食を物欲しそうにしていることに気付いた。
「欲しいのか、二人とも?」
椿がそう言うと、二人の顔が背景に「ぱあっ」とでも擬音を入れたくなるほど明るくなった。椿に無視された為に椿に恨みの籠った視線を向けていた葵日は、その様子を見て、自分の頭と肩から覗く小さな顔の熱の籠った瞳に気が付いた。
「鬼虎、鬼彦、お前らも欲しかったりするのか?」
思いっきり首を縦に振っている感触が、頭と肩からした。葵日は溜め息を吐くと、「どうぞどうぞ」と二人に食べるのを許可した。続いて椿も許したので、四人は嬉しそうにお膳の上の料理を食べ始めた。
「相模坊は良いのか?」
床の間の柱にもたれ掛かっている相模坊に、椿が問う。しかし相模坊は、さらりと髪を揺らしながら首を横に振ると、言った。
「いや、私は遠慮しますよ。
それと、気付いていない様なので言いますけど、すでに
鬼一のことを忘れていた二人がお雛様の方を見ると、お雛様と鬼一が談笑しながら朝食を摘まむ微笑ましい姿が目に入った。
「相模坊も五鬼も食べなくて良いからと思っていたが、昼からは君たちの分も用意してもらえるようお願いしておこう」
椿は溜め息を吐きながら言うと、傍らに置いてある二つ折りにした一筆箋を見つめた。中には、話しがしたい、と達筆な字で書かれている。
「おはようございます」
膳を持って玄関に向かった二人を待っていたのは、予想に違わず当主だった。
「おはようございます、ご当主。
お話しとは、結界のことでしょうか?」
椿は本題を切り出しながら当主の傍まで行く。葵日は玄関に膳を置くと、二人のいる垣根とは飛び石数個挟んだ玄関の外壁にもたれ掛かって、話しをするのは椿の役目だと傍観を決め込む。
「昨夜、私の結界が壊れた様だったので、様子を伺いに来たのだが……」
当主はちらりと足元を見た。そこには椿の書いた道切りの為の霊符が埋めてある、しかし当主は心得た様にそれのことに触れなかった。
「一応、邪気除けは施しました」
それでも、その視線に気付いた椿が言う。
「妙な邪気に襲われまして、勝手ながら我らに手を貸してくれる天狗と鬼を呼ばせて頂きました。結界は、その際に壊れてしまいまして」
椿が簡単に説明する。
「天狗…ですか?」
「ええ、名前くらいは聞いたことがあるかもしれませんね。白峰山相模坊という天狗です」
「相模坊ですか!? あの八天狗に数えられている?」
当主は出て来た名前があまりに有名なものだったので、驚いた。
「ええ。何故相模坊が
「五鬼というと、その前鬼と後鬼の子どもという?」
「では、実際に前鬼と後鬼は夫婦だったと?」
「それは、よく解からないというのが本音ですね。夫婦だった、後鬼は女だったとかそういうことは特に伝わっていません。五鬼にしても、知能が幼児レベルということもあるのでしょうが、自分たちが兄弟で、前鬼後鬼とも血が繋がっていることしか知らないらしいです」
「その程度なんですか?」
当主が呆れた様に言う。それに椿は顔色一つ変えずに答える。
「ええ、初代後鬼が女であろうと、前鬼と夫婦であったのであろうと、さして現在は関係ありませんからね。
それよりも、あの妙な邪気について、何も解からないのですか?」
昔のことより今のことと言う様に話題を変える椿に、当主も異論は唱えず、問いに答える。
「ええ、お恥ずかしながら。あれは生まれた時より色々なモノに狙われてきたからな、今回の邪気がどれなのかも、実は我々には解かっていない」
「色々って!」
「今回の
予想外の言葉に、蚊帳の外を決め込んでいた葵日も声を上げる。
「ええ、あの子にはとにかく強い力があります。それは、自他ともに認めていること、そしておそらくそれ故に、生後間もなくより、いや母の胎内にいるころより色々なモノが、あの子を得んと狙って来た」
「だから妹と離し、今回儀式をさせることにした、ですか?」
椿はそれを知っていることに、当主は驚き目を見開くが、流石と言うべきか、すぐに平生に戻ると、溜め息を吐きながら言う。
「あの子から聴いたのですか?」
「はい。でも知っているのはそれだけで、詳しいことは全く知りませんが」
お雛様がお咎めを受けない様に、弁解する。
「その通りです。あの子は明後日、その身に神を降ろすのです」
「なっ!?」
「神!?」
その言葉は、二人の予想の範疇を越えていた。
「何の改善にもならないかもしれません。もしかしたら、奴らを変に刺激することにしかならないかもしれない。あの子の魂が神に負けてしまうことも考えられる……。
それでも一石を投じたくなる私は、愚かなのでしょうか?」
彼の、その身から溢れ出す威厳が少し減った気がした。おそらく常々迷っていたのだろう。
「そんなの、やってみねぇと解かんないぜ」
椿と当主が、葵日の方に目を向ける。
「先のことは、誰にも解かんねぇんだよ。占いにしても、道筋を読むだけで、実際そうなるとは限らない。今とった行動が、未来で吉になるか凶になるか、なってからしか解からん。でもそれを恐がって何もしないなら、好転はありえない。
やってみるしかねぇんだよ、やってその先、お雛さんが危なくなる様なら、その時また助けてやれば良い、そうじゃないか?」
「楽天家だな、お前は」
葵日の前向きな発言に、少々呆れながら椿が言う。葵日は茶化されたと感じ、少し赤面しながら反論した、言っていて自分でも少し恥ずかしかったらしい。
「なっ、茶化すなよ! 良い事言ってんだからさ」
「良い事って、自分で言うか、普通?」
「五月蠅ぇっ」
二人のやりとりを見ていた当主は、くすくすと笑い出し、最終的に大きな声を立てて笑っていた。
「ご当主?」
椿の怪訝そうな言葉に、ようやく笑いを収めながら、当主が言った。
「いや、失敬。お二人を見ていると、色んなことが、取るに足らないことに思えてきますね」
それを聴いた椿の心境は、複雑な様だ。
「それは、誉められていると取れば良いのか……?」
「誉められてるってことで、良いんじゃねぇ?」
気楽に言う葵日と、悩む椿の対比が面白いのか、再び当主はくすくす笑い出した。
「うわっ、微笑ましい」
部屋に戻った二人が見たのは、見た目は赤ん坊である五鬼と遊ぶお雛様の姿だった、その姿は実に微笑ましい。
「戻りましたか、二人とも」
戻った二人に気付いた相模坊が声をかける。
「ああ。悪かったな相模坊、任せちまって」
「いや、そんなことは気にしないでください。
それにしても、実に難儀な子ですね」
相模坊がちらりとお雛様を見ながら言う。
「力が強いって、考え物だったんだな」
「身を守る術が無い場合は、狙われる原因になるだけだからな」
先程の当主の話を思い出しながら、二人が言う。相模坊はそんな二人を見ながら、言った。
「それにしても、二人とも昨夜は戦闘が終わるまで、お雛様が起きたことに気付かなかったんですよね?」
その言葉に、二人の肩が解かりやすく跳ねた。相模坊が目を細める。
「何かを守ることの基礎は、その守るものを常に気に掛けることですよ、起きたことにも気付かない様じゃいけません。まだ未熟と言えど、それでは非道過ぎます」
相模坊の厳しい指摘に対して、返せる言葉を二人は持ち合わせていなかった。
「そんな状況なら、私たちを呼んだ判断は正しいと言わざるを得ませんね。二人だけでは到底守り通すことは出来ないでしょう」
手厳しい言葉が、二人に刺さる。
「でもまあ、自分たちの未熟さは、貴方たちが一番解かっているのでしょうから、あまりねちっこく言うのも可哀想ですし、これくらいにしておきますけどね」
「充分非道ぇよ、この腹黒」
思わず葵日が呟くと、それをしっかり耳に入れた相模坊が、後ろに黒いオーラの見える笑みで「何か言いましたか?」と葵日に訊く。当然のごとく葵日は首を思いっ切り横に振り、椿は懸命にも発言しなかった。
そんな空気をものともせず、小さな影が葵日に飛び掛かった。
「葵日様!」
「鬼虎!」
「葵日様も一緒に遊ぼ」
葵日は天の助けとばかりに、その誘いに乗る。
「よし、遊ぶか!」
葵日は鬼虎を肩に乗せたままお雛様たちの方へ行き、上から覗き込みながら訊く。
「何してるんだ?」
「ずいずいずっころばしですわ」
お雛様が見上げながら答える。
「じゃあ、この後は鬼ごっこだな!」
葵日の発言に、その場にいる全員の頭の上には疑問符が浮かんだ。
「何でですか?」
お雛様が訊くと、その質問こそ解からないとでも言う様な顔で葵日が答える。
「だって、ずいずいずっころばしで鬼決めてんだろう?」
「お前の中では、ずいずいずっころばしは鬼ごっこの前にしかやらない遊びなのかよ」
椿がツッコミを入れるも、葵日は何故ツッコまれているのか、本気で解からないといった様子だ。それを見た椿と相模坊は思わずため息を漏らす。
「お前は少し、外遊び以外の遊びも覚えるべきだったな」
その椿の呟きは、葵日に届くことなく霧散した。
「じ…じゃあ、お煎餅焼けたかなでもいたしませんか?」
その場の空気を変えようと、お雛様が提案するが、皆が何それという顔をする。
「あら、ご存知ありませんか?」
お雛様の言葉に、首を横に振る葵日と五鬼にお雛様が説明を始める。その様子を見て、相模坊が感慨深げに言う。
「葵日はあの中に混じっても、全く違和感がありませんね」
「むしろお雛様のが年上に見えるのは、問題だろう」
椿の言う通り、十五歳にしては背の大きい葵日よりも、四歳にしては体の小さいお雛様の方が、雰囲気の関係か、年上に見えて来るのだから、葵日はどれだけ子どもっぽいか解かるというものだ。
「まあ、それが葵日の良いところなのではないですか?」
「う…ん、長所と短所紙一重ってとこだな」
「長所になることも認めるのですね」
相模坊が意外そうに言うと、椿は苦笑しながら答える。
「まあな。お役目上仕方ないとはいえ、さすがに良いとこの一つもない奴と一緒になんか、いたくにからな」
「ふふふ、なんだかんだ言っても、仲良いですもんね、二人は」
「別に仲良くなんかねぇよ。ただ、息は合ってくれないと面倒だけどな」
照れているのか、真っ赤にした顔を逸らしながら椿が言う。それを見た相模坊は、また可笑しそうに小さく笑う。
「右だぁつ!」
葵日の大きな声が聞こえ、椿と相模坊は葵日たちの方を見る。どうやらお煎餅焼けたかなを止めて、小さな物を片手に隠し、どっちの手に隠したかを当てっこしている様だ。
「え? 左やない?」
「左だよ」
五鬼たちは口を揃えて、葵日とは反対の方を指した。意見が出揃ってお雛様は手を開くと、薄桃色の金平糖がコロンと左手から出て来た。
「やったー!」
「葵日様だけ間違いや」
「葵日様、どーたいしりょく良いはずやのに、何で間違えとるん?」
鬼彦が問いながら葵日を見上げると、葵日は眉根を寄せて難しい顔をしていた。
「そうか。お雛様から見ての左右で答えるのか……」
その呟きに全員が驚いた。確かにお雛様の真正面に座っている葵日にとっての右は、お雛様にとっては左だった。だが、あまりの不甲斐なさに、椿は法螺貝を取り出し、椿の後頭部ど真ん中に思いっ切り投げ付けた。
「いってぇっ! 何すんだよ椿」
「お前があまりにだぁほだったから、何もせずにはいられなかったんだよっ!」
葵日が反論するも、椿に怒鳴られ思わずたじろいてしまう。
「何故五鬼でも解かるようなことが、お前には解からないんだ!」
「なんだよ、どっちに入ってるかは当たったじゃねぇか」
「そっちを間違ってくれた方がマシだろう、だぁほ!」
ほとんど一方的なものであるが、二人の喧嘩を止めるべきか、お雛様と五鬼が迷っていると、それを感じ取った相模坊が「放っておいて良いですよ、というか放っておきましょう」と言って、六人を二人から遠ざけた。
夜、お雛様と五鬼が寝付いた後も、また何かが襲って来るかもしれないと警戒して、葵日と椿と相模坊は起きていた。
「にしても、鬼一は随分とお雛さんに懐いたよな」
寝ているお雛様の頭を撫でながら、葵日が呟く。普段相模坊にべったりの鬼一がここに来てからは、妙にお雛様にべったりだったのだ。
「鬼一は木行を司っているからな、惹かれるんだろうな」
葵日の呟きに、椿が答える。
「木行だから?」
葵日が疑問形でそう呟くのを聞いて、椿だけでなく相模坊も目を見開く。
「よもやお雛様の力に気付いてないとか、言わないよな?」
椿が恐る恐る訊くと、合点がいった様で「そういうことか」と言った。
「確かにお雛さん、木行の氣が強いもんな。あの目の色は伊達じゃないってか」
椿と相模坊は、安堵の溜め息を吐く。
「きちんと目の色の意味にも、気付いてましたか」
「お前ら、何気に失礼だな。俺だって、木行の色と副色くらい知ってるぜ」
少しムスッとしながら、葵日が言う。
五行に振り分けられている色は、実は全て二色である。しかし、そのほとんどが色味は同じで、微妙な濃さなどの違いしかない、唯一木行を除いては。木行の色は主に蒼とされているが、緑も木行の色なのだ。つまり、お雛様の目の色と一致する。彼女のオッドアイには、そういう意味が込められていたのだ。推測でしかないが、おそらく彼女の両親の目は普通に黒か、それに近い色味だろう。異様に強い木行の氣、それがお雛様の持つ力だった。
「にしてもさ、確かにかなり強いが、たかだか木行の氣だぜ? 何でこんなに狙われなきゃなんねぇんだろうな」
それは決して葵日だけの疑問ではなかった。
「……あくまで想像にすぎませんが」
しばらくの沈黙の後、相模坊はそう切り出した。
「木行は生気を司るとされています。故に、お雛様を手に入れると寿命が延びるとか、そういった類の噂でも流れているんじゃないでしょうか?」
「異形の中で、か?」
「おそらく」
何の根拠も無い話だが、可能性は高い仮説だった。
「そんな勘違いで狙われてるのか、この子は……」
葵日はそう言いながら、五鬼に囲まれて寝ているお雛様を見下ろす。その寝顔は無防備であどけなく、とても可愛らしかった。
「勘違いとは限らないぞ」
椿が不穏当なことを言い出す。
「それだけ強い木行の氣を持っているんだ。実際寿命を延ばすくらいするかもしれない」
「椿?」
そんなことを言い出す椿の真意が、葵日には見えなかった。
「だが、それが嘘か真かなんて関係無い。おれたちは理由はどうあれ、お雛様を狙う奴らから守れば良い、それだけの話だ」
「椿……、そうだよな!」
決意を新たにする二人を微笑ましそうに眺めながら、相模坊は余計な一言を発する。
「なんだか言うことが葵日染みてきましたね、椿」
それを聞いて、当然椿の機嫌は急降下した。
「止めろ、こんなだぁほと一緒にするな。
葵日も寄るな、これ以上だぁほを伝染すな」
「伝染してねぇよ! ってか、小学生並みの失礼さだな、お前」
「んだと!?」
またも喧嘩に発展しそうになった刹那、眠っている者も含めて、そこにいた全員がそれを感じ、一様に緊張した。
「おいでなすったな」
「チッ、おれの道切りをあっさり破りやがった。まだ修行が必要だな」
それぞれ呟きながら、得物を取り、葵日と椿が立ち上がる。
「相模坊、鬼次、鬼助、鬼虎、鬼彦、行くぞ」
葵日に呼ばれたメンバーは、葵日とともに庭へ飛び出す。残った鬼一に椿が言う。
「鬼一は残って、お雛様を傍で守ってくれるか?」
一瞬ポカンとした顔になった鬼一だが、すぐに顔を引き締めて力強く頷きながら言う。
「任せといてくださいっ!」
そう言う鬼一に軽く微笑んで、椿も庭へ飛び出す。
庭では葵日たちが、白い邪気に囲まれていた。
「何か、昨日までのよりも色が濃くねぇか?」
葵日の言う通り、邪気の白い色が昨夜よりも濃くなっている様に見えた。
「気を付けてください。色の濃さと強さが比例するとは限りませんが、可能性はありますから」
「そんなの解かってるよ!」
そう言いながら、葵日が斧を振り下ろす。しかし、
「なっ、何だ?」
斧を伝って葵日の手に、これまでは感じなかった手応えを感じた。しかもそれだけではなく、葵日が驚いて力が弱まった隙を突いた様に、葵日を弾き飛ばした。
「うわっ!」
飛ばされた葵日を、しっかり相模坊が受け止める。
「……反撃しやがった」
「こちらの力量に合わせて、進化している感じだな」
初日はただやられるだけだった、昨日は炎に対しての対策がしてあった、そして今日は向こうからも攻撃された。段々と邪気が手強くなっていることに、椿は気付いた。
「奴さんも莫迦じゃないってか? 面白ぇっ!」
「あ、おい葵日!」
椿の制止も耳に入らないといった様子で、葵日が邪気に飛び掛かる。当然の様に、その肩に鬼虎が飛び乗る。
「あのだぁほ、考え無しに突っ込みやがって」
椿は毒づくが、だからと言って何か考えがあるわけではない。
「貴方も腹を括りますか、椿?」
「仕方ないな」
椿は溜め息を吐くと、「鬼次っ」と呼んだ。それに応えて鬼次が椿の肩に乗ったのを見て、相模坊も「手伝いましょう」と言いながら団扇を構えて椿の横に並ぶ。
「ナウマクサンマンダ・バサラナ・タラタアボキヤセンダマカロシャナ。ソワタヤウン・タラマヤ・タラマヤ・ウンタラタ・カンマンっ!」
椿の咒で噴出した
その炎をどうにかしようと思ったのか、黒く変色した邪気が、椿の死角から椿と焔に向かっていく。しかし、それに気付いた鬼助が地面に手を着くと、土の壁が黒い邪気の前に出現した。土は水を堰き止めて剋す。黒い邪気にはどうしようも無かった。
ならばとばかりに、太刀の切っ先の様な形をとった白い邪気が椿の背後から飛んで来る。しかし、今度は相模坊の錫杖がそれを拒む。
椿本人は、別の真言を唱え出す。
「オンクリカラヤナガラジャメイギャセンチエイソワカ」
その
「はあぁぁっ!」
反撃されると解かっていれば、邪気の攻撃など葵日にとっては何でもないものだった。
「大分減って来たな」
椿の背中に、自分のそれを着けながら葵日が話しかける。
「最初の迦楼羅焔も鬼次のお陰でまだ威力があるし、もう少しってとこだろう」
椿も答える。
白い邪気はその姿が半分以下に縮み、最早葵日たちが押していることは、誰の目にも明らかだった。葵日たちは更なる攻撃の為に、互いの背中を再び離す。
「うりゃ」
邪気の一部を断ち切った葵日に、別方向から邪気が伸びて来る。それに気付いた鬼虎が「葵日様っ」とそれを知らせると当時に、葵日の斧がその邪気を受け止める。
「お前らも、往生際が悪いなぁ」
そう言うと、少し引き寄せてから邪気を弾き飛ばし、体勢の崩れた所に斧を叩きつける。その直後、休む閑は与えんとばかりに四方から切っ先が伸びて来る。しかし葵日とてただ者ではない。目にも止まらぬ速さで、それぞれを受け止めては、砕いて行った。
葵日と邪気が十数合やり合った頃だろうか、突然邪気が葵日たちから離れ、逃走して行った。
「逃げた」
呟く葵日の傍まで来た椿が、「追う必要は無いだろう」と言う。そこで二人は、自分たちが離れから出ていたことに気が付いた。
「何時の間に」
「……おれ、何か嫌な予感がする」
「私もです」
椿の呟きに、相模坊が同意する。
そして、急いで戻った離れには、お雛様はおらず、苦しそうに呼吸する鬼一が倒れていた。
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