7話 商店街
見覚えのあるアーケード街を覗くと、店はほとんど閉まっていた。
道路の全面に屋根があり、共同日覆いとか、全天候型アーケードとか言われている商店街だ。
普段は買い物客や散歩をしている人たちがぶらぶらしているが、ここでは、普通の人間なんてひとりもいない。
代わりにあの”人影”たちがぐったりと歩いていた。
奴らは相変わらず俺に見向きもしなかった。近くで見ると本当に影のようだ。俺にぶつかった時といい、本当に幽霊のようなものかもしれない。
でもわざわざ自分からもう一度試す気にはなれなかった。こちらを見ていないようなので、せめてぶつからないように隅のほうを歩いた。
家にたどり着くまでがこんなに長いとは思わなかった。
少しずつ家に近づいているようで、離れている気もする。 またあいつに出会わないとも限らないが、進む他なかった。ここをまっすぐ行けば、少なくとも家の方角にはたどり着く。
途中で愛奈と合流できれば、それが一番いい気もするけれど……。
少なくとも横道のあるところを通る時は、慎重にならざるをえなかった。
横道からさっきのあの巨大な化け物の影がやってこないとも限らないし、そこだけは足早に横切らねばならない。
アーチのある中央の通りからは外れるけれど、小さな店や昔からあるような古い家がある。道によっては小さな公園なんかも近くにあるはずだ。
知っている場所なのに、これほど緊張感があるのははじめてだ。現実を舞台にしたゲームをしている時って、こういう感覚なのかも。
そうして何度目かの横道で、耳を澄ましていた時だ。
――何か聞こえる?
ボソボソと何かつぶやくような声だ。
――声? なにか……。
もしかして、他に誰かいるのか?
化野は八人と言っていたから、愛奈以外の誰かがいるってことも考えられる。愛奈以外を連れて行く気は正直ないけど、脱出できることを伝えられたら、きっと俺はヒーローだ。
虚しい誇りを胸に、あたりを探りながら慎重に足を踏み出す。
横道を進むにつれて、だんだんと声ははっきりとしていく。けれど、姿だけが無い。
――え……、どこだ?
思わずキョロキョロとあたりを見回すが、誰もいない。
足下で動くものがあって見下ろすと、ドキリとした。
「うわっ!」
足下で蹲っていた少年を見つけると、思わずのけぞった。
少年だとわかったのは、制服のおかげだった。
あの影たちとも違う。
ちゃんと人間の姿だ。
建物の間の僅かな隙間に隠れるようにして、膝を抱えている。
俺はほっとしたのと、ほんの少しの期待に胸を膨らませた。
こんな異世界(というにはあまりにも似ているけど)で、自分と同じような人間に出会えたことは希望にも等しい。
「おい! 大丈夫か?」
俺は興奮を抑えながら尋ねた。
同じ学生服ってことは、たぶん同じ中学生か。見た限りそんなに身長も高そうじゃないし、高校生ってことはないだろう。
だけど、彼は半笑いの表情をしていた。
目はうつろで、俺のことにまったく気付いていないようで、ぼんやりと体育座りをしたままあらぬところを見て、口を動かしている。
俺の期待はするするとしぼんでいき、代わりに違うものがこみあげてみる。
「……本当に大丈夫か?」
ぶつぶつと何か言っているのを聞き取ってみる。
「…………みーはーひろいーな……おーきーいなー」
――……う、歌ってる?
「つーきいーはー……のぼるーしー……ひは……しーずー……むー」
同じ旋律といってしまえばそれまでだが、同じ歌詞を繰り返しているようだ。
幼稚園か小学校の頃に一度は聞いたことのある童謡。
「お、おい……」
狼狽しながらも肩に手をかけようとした時、少年は唐突にびくりと全身を震わせた。
「きひいいいいいい!!」
目を剥いて甲高い悲鳴をあげたかと思うと、少年は近くにあったゴミ箱の裏へと逃げ込んだ。自分の膝を強く堅く抱きしめながら、がくがくと震えている。まるで何かにおびえているようだ。
俺は今度こそどう声をかけたものか、頭が働かなかった。
ごくりと喉を鳴らす。
首の後ろを撫で、なんとか自分を落ち着かせる。あたりを見回してから、そろそろと近くに転がっていた荷物を拾い上げた。
彼のものだろうか。
もう一度彼の姿を確認してから、中を見てみることにした。
音を立てながらチャックを開ける。壊れていなくて良かった。恐る恐る中に手を入れてみると、予想外に荷物が多かった。スマホやペンケースといったごく普通のものに加えて、救急セットやお菓子類、それらが雑多に入れられている。まるで、いつ災害にあってもいいような荷物だ。とはいえ子供が考えたような代物で、本当に必要な物のほとんどは入っていないという有様だった。
生徒手帳も入っていた。コウキという名前だけは読めたが、名前が今なんの役に立つのだろう。顔写真もまったく違う人物に見えてしまう。
それに混じって、一冊の本が出てきた。
緊急時用の何かかと思ったが、異世界という文字に目が吸い寄せられた。
「”異世界でチートするための現代知識”……?」
何のことだ、とぱらぱらとめくってみる。
中身はいろいろな現代知識について書かれた本で、農業から医学から、政治経済の仕組みに至るまで多岐にわたっている。それらの知識をどう使えば異世界で通用するか、というのが趣旨の本らしい。本気なのかネタ本の一種なのかわからないが、とにかく資料本の一つであることに違いはない。
どうしてこんな本が、と思いかけて、ハッと気付いた。
――異世界……。トラックに轢かれる……。
化野は、噂を信じた奴がわざとトラックに轢かれるのはまずい、というようなことを言った。それは事故にあうというだけじゃなくて、物語が増えることにより、異世界トラックが怪異として強固になるのだと。
轢かれると異世界に行ってしまうトラックの都市伝説。
それを、ファンタジーのような世界に行けると誤解していたとしたら。
誤解どころか、本気で受け取った奴がいたとしたら……。
「まさか……」
がくがくと震えている少年を、目を見開いて見つめてしまう。
自分からトラックにぶつかりに行ったのか。
……異世界に行こうとして?
「う、嘘だろ?」
あまりにバカバカしすぎて、言葉が出てこない。
慌てて鞄の中を探り、相手のスマホを取り出した。もうほとんど電池も無いが、その中で何か無いか探る。
インストールされたゲームアプリにも、転生だの異世界だのいう字が躍る。ネットにはつながらないが、履歴にはそれらしい名前が並んでいた。たぶん、ウェブ小説のサイトだろう。
――嘘だろ、マジかよ?
本当に、本気にしたのか。
いや、確かに異世界には来てるけど。それは単に、怪異に新たな噂を与えただけ。そのせいで異世界トラックの存在は、より強くなっている。
何か言葉を口にしようとしても、ぱくぱくと動くだけだった。
――それじゃ……それじゃあ……。
こんな――こんな奴が――わざわざ自分から異世界に行こうなんて馬鹿な勘違いをしなければ――。
愛奈はトラックに轢かれることもなかったんじゃないか。
ふつふつと怒りが沸いてきた。
こんなどうしようもないくだらない本を手に、本気でファンタジーの世界に行けるなんて思っていたのか。そして自分だけは、うまくやれると思い込んでいたのか。
このままめちゃくちゃになるまで殴り倒してやりたかった。
ぐっと手に力がこもり、にらみつける。
だけど、彼はふるふると震えたままだった。
変な罪悪感が湧いた。
小説の主人公たちは異世界に転移だか転生だかして、活躍することが多い。
けれども彼は現実の異界に耐えきれず、壊れてしまったのだろう。せめて覚えている歌を歌って気を紛らわせないといけないくらいに。
もっと言うなら、自分たちくらいの年齢だったらもっとたくさん知っている曲があるはずだ。
それなのに……。
指先からフッと力が抜けた。
なんだか怒りを通り越して哀れな気持ちが沸いてきたのだ。
けれども、そんな感情が沸き起こったことに、すぐに自分で驚いた。
目の前の奴がとんでもないことをしたのはわかっているけど、かわいそうだなんて思っちゃいけない。
哀れさを必死に押し殺し、ざまあみろ、と嘲る。お前がそれだけ来たかった異世界がここだ。お前のせいで、愛奈はこんなところに来ることになってしまったんだ。だからお前も悪いんだ。
そこまで考えてもどうしても殴る気になれず、結局は鞄の中身を元通りにして、近くに放っておくしかなかった。
「ぐぎぇえええええええ……!」
そのとき、急にあの声が聞こえた。
思わず、ヒッと小さく声をあげた。
地獄の底から這い上がってくるようなあの声だ。
慌ててあたりを見回すと、ずるっ……ずるっ……という例の音が聞こえてきた。だんだんと音は大きくなってきて、振動がし始める。
――ち、近づいてきてる!
急いで離れようとしたが、近くで震えている少年をそのままにすることになる。
心臓に冷たいものが落ちた。
奴に見つかったらどうなるのだろう?
「お……おい、しっかりしろよ! あいつが来るぞ!」
声を潜めながら、少年の肩を揺する。
あの不気味な声はどんどん近寄ってきて、ずるずるという音が聞こえる。片足を引きずっているのだ。少年の肩を揺する手は知らず、震えていた。
俺は死にたくない。
「おい……おいってば!」
そしてとうとう、奴が姿を現した。
人影の中でも大きく、異形の姿を持ったそれは、ずるずると片足を引きずるようにやってきた。
俺は慌てて奴の視界から逃れるべく、アーケードのほうへと滑り込んだ。
ドクドクと心臓の音が妙に耳につく。
――た、頼むから。
心の中で祈る。
――頼むから、そのまま隠れててくれ。見つかったりしないでくれ!
やがて横道に、ぬっとあいつの姿が現れた。
同じ奴だ。
高鳴る心臓の音を抑えてじっと見ていると、影は触手のような腕をぬるりと少年に巻き付けた。頭とおぼしき場所がぐにゃりと少年に近づいたかと思うと、ぐんと伸びた。大口を開けたのだ。クラゲや、もしくはもっと原初的な生物が微生物をぷわっと捕らえるように広がり、ぱくんと少年の頭に食らいついた。
「ち、違う……」
誰も聞いていないのに、しどろもどろになっていいわけを口走っていた。
――俺は悪くない。悪いのは勘違いしたあいつだ! 死んだのも当然なんだ!
耳をふさぎながら、音が聞こえないところまで走る。
我知らず流れる涙がどうしてなのか、理由は考えないことにした。
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