8話 生き残りたち

「はあっ……はあっ……」


 アーケードを走り抜け、目元を拭う。


 捨ててきてしまった。

 見捨ててしまった。


 アーケードの出入り口で立ち止まり、肩で息をする。

 罪悪感はいまや疲労と恐怖に覆われ、心から追いやられつつあった。ほんの少しの後ろめたさを完全に追い出すべく、大きく息をした。

 だからだろうか。

 近寄ってくる人影に気が付かなかったのは。


「ちょっとあなた」

「ひっ!?」

「しっ! 静かに」


 思わず振り返った俺の目に飛び込んできたのは、スーツ姿の若い女性だった。

 カバンを抱きかかえたまま後ずさる。


「な、なんですか。なんなんですか」

「大きな声をあげないで。あいつに気付かれるでしょ」


 声は小さく潜められていた。

 その言葉に、ハッとして口を噤む。


「あいつって、あの……化け物みたいな影……ですか?」


 女性はちょっと驚いたようだったが、力強くうなずいた。


「よかった。あいつからちゃんと逃げられたみたいで」

「……え、ええ」


 説明することもできず、ひとまずうなずいておいた。

 女性はよく見ると、スーツも所々破けて、だいぶ汚れている。


「あの化け物のこと、なにか知ってるんですか?」

「ごめんなさい、私にもわからないの。でもとにかくこっちは危ない。安全なところに案内するわ」

「お、俺は」

「さっ、早く!」


 女性が俺の手を引っ張るので、どうにもできなかった。

 とにかく女性の言う安全な場所というところに行けば、愛奈がいる可能性もある。ひとまずは女性についていくことにした。


「あの……、安全な場所があるんですよね? それならどうしてあなたは外に?」

「もう一人、あなたと同じくらいの男の子がいたけど……、ここに来たこと自体がかなりショックだったみたいでね、飛び出して行っちゃって……。探していたところだったの」


 どきりとする。


「一応名前だけはわかったから、私たちはコウキ君って呼んでたわ。知らない?」

「し……知りません」


 俺は青ざめていた。

 真意を悟られないように、俺はそっと目線を外した。

 

「……そう。無事ならいいんだけど……」


 女性はそう言うと、俺の顔を見てから突然取り繕うようににこりと笑った。


「大丈夫よ! あなたと出会えたのはラッキーだったわ」


 どうやらバレなかったらしい。

 俺は安堵と後ろめたさを同時に感じていた。


 それから連れて行かれた場所は、コンビニらしき建物だった。道はあまり通ったことがないところだったが、そういえばこのあたりにコンビニがあったなと思い出す。もしかすると同じところかもしれない。車や人がまったくいないので、いつもと違うように見える。

 コンビニの前には金髪の男が立っていた。

 女性の姿を見ると、こちらに近づいてきた。


「おい、そいつは? ……人間か」

「は、はい」


 人間というだけで警戒が解けたのか、金髪はこわばった声が解けた。

 普通なら避けるべきタイプに見えたが、こんな状況だ。大人の男が一人いるというだけでほんの少し心強い。


「途中で出会って連れてきたのよ」

「あの小僧は?」

「……ダメ。いなかった」

「しゃあねえな。アンタが言い出したことだ」


 金髪は肩を竦めると、コンビニの中に入って行く。


「……なんですか?」

「あの子が飛び出して行ったあと、私が探しに行くって言ったのよ。見つからなかったら諦めるって約束して……」


 一瞬、くらりとめまいがした。

 心臓が高鳴る。


「まあいいや、入れよ。建物内に隠れてりゃ安全だ」


 俺たちは金髪に促されるように中へと入る。

 コンビニの中は意外に整然としていた。ゾンビ映画での商店のように、物が無理矢理持ち去られているというようなことはない。

 立てこもっているというより、まるで住んでいるようだ。


「見た通り、食料には困ってねえしな」


 金髪の男はぶらぶらとコンビニの中へと視線を向ける。


「コンビニの中でタダで食えるってのも妙なもんだが」


 夕食の時間ではあるはずだが、さっきのこともあってどうにも食欲がわかなかった。


「……いつからここにいるんですか?」

「知るかよ。ここじゃずっと空の色も変わんねえ。夕方のままだ。ただ、一日くらい経つとまた物が補充されてんだ。不思議だろ? それから……」

「あ、あの!」


 俺はそんなことを聞きたいわけじゃなかった。

 金髪は振り返って俺を見る。


「……あの、女の子を知りませんか。愛奈が。妹がここにいるはずなんです! 何か知りませんか!?」

「女の子ぉ?」


 またかよ、というように、金髪は女性をチラッと見る。


「ごめんなさいね、私が出会ったのはあなただけだわ」

「俺は……妹を探しに来たんです。今年、中学一年生になったばかりで……」

「見てねえなあ。中一ってことは、制服か?」

「いえ、そのときは私服だったかと」


 俺が答えると、金髪は眉を寄せた。


「おい、ちょっと待てよ。探しに来たって、まさか向こうの世界からじゃないよな?」

「……えっと……、はい、そうです。現実の元の世界から……」


 その瞬間、奥の方でガタンと音がした。

 俺を含めた全員がそちらを見ると、ボロボロのスーツを着た禿げ親父が立っていた。

 一瞬言葉を無くしていると、禿げ親父はずんずんと近づいてきて、金髪を押しのけた。


「おいきみ!」

「は」


 俺が何か答える前に、肩を掴まれる。 


「今の話は本当か? ここから出る方法を知ってるのか? え? いったいどこだ。どこから来た! 出口は!」


 言葉は次第に切羽詰まったものになり、ついに禿げ親父は俺の胸ぐらを掴んできた。

 ぷんと鼻につく口臭と勢いに、思わず顔を背ける。


「やめろよ、オッサン!」


 金髪が呆れ顔で禿げ親父の肩を掴む。そのまま引き剥がそうとするが、禿げ親父は無視した。

 掴まれた胸ぐらがひどく苦しい。それなのに、俺の口からは情けなくも小さな呻きが出るだけだった。


「どうやってここから出る!?」

「やめろっつってんだろ!」


 金髪がとうとう禿げ親父を突き飛ばすと、ようやく剥がれた。たたらを踏んだ俺は、そのまま女性に抱き留められた。


「ごめんなさいね」


 女性が小さく謝る。

 禿げ親父はというと、口の端から泡を飛ばしながら目を剥いていた。


「何をするんだ! 俺は帰らないといけないんだ、お前なんかに――」

「うっせえよクソが! 知ってるからアンタは引っ込んでろ!」


 金髪が禿げ親父を蹴り飛ばし、唾を吐きかけたあとに俺を見た。


「それで?」


 俺はもうこの場から去りたかったが、このまま見逃してももらえなさそうだった。


「……ト、トラックに」


 ぽつぽつと話し出す。

 トラックに撥ねられたこと。

 それは異世界トラックという都市伝説であること。それで事故にあうと、異世界に行ってしまうということ。

 二十四時間後に同じ場所で落ち合うと約束していること。


 馬鹿馬鹿しい話だが、おそらく納得するところがあったのだろう。

 何しろ三人とも無傷ではないからだ。服がボロボロなのはここでのサバイバル生活のせいもあるのかもしれない。けれど、それ以上にトラックに撥ねられたという記憶があるのだろう。


「つまり、同じ時間に行けばそいつがなんとかしてくれるってことか?」

「え、ええ、多分――」


 金髪は半信半疑のようだったが、そもそもこの状況が非日常で非常識だ。

 これ以上何があってもおかしくないのだろう。


「……それに賭けるしかねぇか。俺は行くぞ」

「……。でも、大丈夫かしら。あの化け物がいるのに……」

「お、おい待て。何勝手にいこうとしてるんだ」


 横から禿げ親父が声をあげる。


「あ? 知らねえよ、自分の身くらい自分で守れよ。どんだけここにいると思ってんだ?」


 確かに、今はそれどころじゃない。

 そもそも愛奈を探さないといけないのに、他の人たちに構っている暇はないのだ。


「んで、案内してくれんのか」

「ち、地図は書けます」

「紙とペンは」

「……ありません」


 金髪は舌打ちをしたが、ちらりと棚のほうを見ると、ぶらぶらと歩いていった。コンビニの棚の間を金髪が移動し、やがてノートとペンを持ってきた。

 商品を使うのは気が引けたが、この際仕方が無い。

 鞄を下ろし、レジのカウンターで地図を書くことにした。


「このあたりのことって……?」

「この街に住んでっからな、わかるが……」

「私もなんとか……」

「じゃあ、商店街は?」


 だが地図が必要ということは、ここからどう行けばいいのかがわからないということだろう。とにかく地図だけ書いてしまわないと。震える手で、ゆっくりとノートの切れ端に地図を書く。


「時間は……二十四時間後って言いましたけど、俺が来てからしばらく経ってるので、正確には……」


 あのときの時間を書く。

 地図が二枚できあがったところで、後ろでガサガサという音がするのに気付いた。

 ふと後ろを見ると、禿げ親父が俺の鞄をあさっているのが見えた。ペンが落ちるのも構わぬまま、慌ててそれを止める。


「ちょ、ちょっと!」


 何をしてるんだ!


「やめろ!」


 俺が禿げ親父を引き剥がそうとすると、禿げ親父はそのまま手で振り払った。中から愛奈のクシや帽子を出しては床に投げ捨てる。


「何してるの!?」

「おい、オッサン!」


 女性と金髪もさすがに声を発した。


「やめろって!」


 服を引っ張って止めさせようとするも、禿げ親父は逆に俺を肘で突き飛ばした。あっ、という間に、俺は床に尻餅をつきながら、レジカウンターに背中を打ち付けた。

 背中に痛みが走る。

 否応なく目の前の出来事が現実だと理解させてくれる。


「くそっ、くそっ……なんだこれは?」


 禿げ親父はしきりに何か呟きながら鞄の中身をあさっている。それ以上触ってほしくなかったが、すぐには動けない。


「なんだこれは……クソッ、どいつもこいつも……」


 禿げ親父は悪態をつきながら俺を振り返った。


「役立つものなんて無いじゃないか、このクソガキがっ!」


 俺の顔に、鞄が勢いよく投げつけられた。

 柔らかいとはいえ痛いものは痛い。


「落ち着いてください! あなたがそんな風でいいと思ってるんですか! 八つ当たりはやめて!」

「……くそっ、くそっ! くそっ!!」


 禿げ親父は苛々したように近くの棚を蹴り上げた。中の商品が蹴りつけられて壊れていく。その顔は憤怒に歪んでいた。

 さすがに金髪も嫌悪感を隠しきれなかったのか、舌打ちをしてから俺を見た。


 それからハッとして、散らばる愛奈の持ち物へと目をやる。それを鞄の中へと突っ込むと、立ち上がって鞄を肩からかけた。

 もはや一秒だってここにいたくなかった。やることはやったのだ。


「ごめんなさいね。彼にも理由があって――」

「……いえ、ありがとうございました。俺、行かないといけないので」

「え? 待って! 外は危ないわ!」


 女性が俺の手を掴もうとする。

 俺はその手を避けた。


「でも、俺は妹を探さないと」

「それが危険だって言ってるのよ!」


 女性が助けを求めるように金髪を見たが、彼はため息をついただけだった。もうこれ以上はゴメンだ、という意志が明確に感じ取れる。


「もういい。この時間にここに行けばいいんだろ。勝手にしろ、俺も勝手にする」

「そんな! あなたもなんとか……」


 女性と金髪が言い争っているうちに、俺はコンビニのドアを抜けて外に出た。

 あんなやつらほっといて、愛奈を探さないと。

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