5話 異世界トラック

 結局のところ、俺には他にすがるものは無かった。

 俺の決意が固いと知るや、化野は大きくため息をついたあと、「後悔するなよ」とだけ言った。

 誰が後悔などするものか。


 すぐにでも向かいたかったのだが、その前にいくつかの物を持ってくるよう指定された。


 まずは現世とつながるための神社のお守り。

 特にこのあたりだと、日羽神宮のような大きな神社のものがいいと言われた。

 これは正月の時に買い換えているお守りがあるからそれでいいだろう。


 それから愛奈の持ち物。

 特にクシや髪飾りなんかの、髪に関係するものをそれぞれ一つずつでいいから持ってくることだった。

 髪飾りは持ち主との結びつきが強いものらしい。髪の毛は、爪と同じく大人になってからでも伸びてくる。ゆえに魔力や妖力の源としてみなされてきた。実際にその考えがなくても、そのとおり髪に魔力は宿るらしい。

 微妙な顔をすると、まじないだの占いだのするときには髪の毛だの爪だの入れるだろう、と説明された。わからないでもないのが悔しい。

 部屋を探した結果、愛奈の使っていたクシと、帽子を持ってくることになった。


 荷物を持って玄関まで降りると、不意に後ろから足音が聞こえた。


「出かけるの?」


 茜さんがどこへ行くのかと言わんばかりの口調で言った。


「はい。ちょっと学校に忘れ物を。本屋へも寄るので、帰るのは少し遅れます」


 すらすらと嘘がついて出たのに、自分でも驚いた。

 ほんの少しの罪悪感と、あれこれ聞かれたくなかったという本音が入り交じる。


「そう……気をつけてね」

「はい」

「警察から電話があったら、知らせるから」

「……わかりました」


 この人からもいずれ記憶は失われるのだろう。

 であるなら、やっぱり俺が動くしかない。愛奈のことを本当に理解してやれるのは、俺しかいないのだから。


 俺は化野に指定された時間に、あの交差点に赴いた。

 化野は既に塀ブロックに背を預けて立っていた。持ってきたものを見せると、上等だ、とうなずいた。


「探し出せなかったら、とっとと諦めることだ」

「諦めるつもりなんて、ありませんよ」


 なにしろ都市伝説の時点で、最初から不可思議なことばかり起こっているのだ。


「それから、これも持っていけ」

「……これは?」


 化野が差し出してきた小さな袋を受け取る。

 お守りなら持ってきたはずだけど、と首をかしげる。


「そいつの中身ぁ、最後の手段だ。無駄遣いするな」

「はあ……わかりました」


 そう言うからにはそうなんだろう。手で触った感触では、袋の中には何か堅い小さなものが三つか四つほど入っているようだった。


「……使えないことを祈るがね」

「えっ?」

「いや、こっちの話だ。それよりわかってるな」

「はい、わかってます。二十四時間経ったら、あなたがトラックを何とかする……それまでに愛奈が見つかって……見つかっても、見つからなくても……最初の地点に戻ること。それから、ええと……」

「食糧は自分で用意したものを食え。必ずだ。同じだと思っても決して口にするな」

「……はあ、ええ。はい」


 向こうの食糧がどんなものかわからないから、ということらしいが、まあ一理ある。一日くらい食べなくても、と思うが、何があるかはわからない。


 化野は近くのコンクリートの塀に背を預け、腕組みをした。

 思えばここが都市伝説の舞台なのだろう。

 彼はじっと交差点を見張るように目線を動かした。まだ例の赤ナンバーの気配は無いらしく、リラックスしたものだ。

 無言になるのもどうにも落ち着かなくて、思わず尋ねた。


「……あの……化野さんはどうして異世界トラックのことを?」


 彼も大事な人を飛ばされたりしたのだろうか。


「ふん。俺は違うぞ。むしろ、異世界トラックの運転手のほうに用がある」

「運転手のほうに?」

「そうだ、おそらく怪異の元凶と言っていい。早いところ潰さねェと、怪異としてもやっかいになる」

「やっかい……? どういう意味ですか?」

「都市伝説っつうのは、犠牲者が増えれば噂だけが残る。だがそうやって噂が増え、物語が増え、語られる回数が増えれば、怪異ってのはより強固な存在になるんだ」


 化野はふうっとため息をつく。


「お前、異世界ナントカ……みたいな小説を知ってるか?」

「異世界ナントカ……ってなんですか」

「ほら、なんか流行ってるんだろう。異世界でナントカしたとか、生まれ変わったとか……そういう……長いタイトルのやつだ」


 ああ、と思い出す。

 多分、異世界転移や異世界転生モノのことを言っているのだ。確かに最近はアニメとか小説でもそういうものが多い。

 主人公は早い段階で死んだり召喚されたりして別の世界に行き、チート能力とも言われる強大な力を振るう。

 別の世界はゲームのような世界といえばいいか、有名RPGで出てくるような世界が多い。剣や魔法が使えるだけじゃなくて、自分のステータスやスキルを確認できるのも、RPG的だ。


「俺も一冊読んだがさっぱりわからなかった。でも売れてるってことは、俺にはわからん魅力や面白さがあるんだろう。いずれにしろ、そういうのが流行るくらいには、自分は抑えつけられて正当な評価をされていないと感じる奴が多いってことだろう」


 その感想もどうなんだ。


「だが、それはあくまで物語。創作だ。主人公に自分を重ねて感情移入して、体験を空想し、つかの間のストレス解消をする。まったく健全なただの趣味さ」


 健全な趣味と言われると、なんだか微妙な気分になる。

 でも不健全な趣味かというときっと違う。


「でも、それと何か関係が?」

「異世界トラックは、ガワだけ見りゃあ流行りの小説と似ている。さすがに真に受けて自ら轢かれるような馬鹿はいないと信じたいが、人気の本の設定とカブッてるとなりゃ、口に登る回数は目に見えて増える。たったそれだけでも怪異は力を増すんだ。やっかいな奴らだ!」


 化野は声をあげたが、目は笑っていなかった。


「じゃあ……異世界って?」


 よく見る小説や漫画の表紙を思い出す。

 ファンタジー風の衣装に身を包み、剣を持った青年に、美少女が数人まとわりついているものだ。


「はっ」


 だけれども、化野は軽く笑っただけだった。


「楽しそうな異世界ならいいな?」


 俺はその言葉に、心臓を掴まれた気になった。


「でも、化野さんはどうして? 化野さんがやる必要は無いじゃないですか」

「そういうわけにもいかねえんだよ。おっさんにもおっさんで色々とあるんだ」

「それって……」


 すべて尋ねる前に、化野はハッとしたように構えた。

 緊張感が走る。


「来たぞっ! 赤ナンバーだ」


 俺は慌てて袋を荷物に押し込み、荷物を抱きしめた。


「気張れよ、小僧!」

「はいっ……!」


 そうは言うものの、怖いものは怖い。

 みずからトラックの目の前に出て行くなんて、とうてい無理なことだ。もしかして騙されているんじゃないか、とも思う。

 ちらりとトラックを見る。


 そこには――。


「……!」


 恐れるでも驚くでもない。

 一瞬見えたその顔は、目と口のあるはずの部分が、真っ黒に塗りつぶされていた。それは、今すぐにでも轢き殺してやろうとばかりに、奇妙に歪んだ笑顔だった。


 その瞬間、俺の覚悟は決まった。


 何かにぶつかった感触があり、その途端、空中に体が投げ出された。トラックはブレーキすら踏むことなく、俺の体を跳ね飛ばしたのだ。

 視界はぐるりと回った。普段は目にすることのない位置からの景色に、脳がついていかない。恐ろしさの奔流が内側からあふれ出るようだった。小さな荷物を懸命に抱きかかえたのは、荷物を守るためだけではないだろう。無意識がそうさせたのだ。ひっくり返った視界の中で、ぎゅっと目を閉じた。


 次の瞬間には体が地面に叩きつけられ、衝撃が全身に走った。

 受け身なんて取る暇すらなかったが、自然と体を守るように動いたのは無意識のたまものだろう。

 何度か転がって止まった時には、ようやく痛みを認識することができた。


「う……」


 痛い。

 あまりの痛みにしばらく呻くことしかできなかった。


「ぐ、く……」


 堪えながら、恐る恐る目を開ける。

 成功したのか?

 それともあの男にだまされただけだったのか。

 いずれにしろすぐにわかることだ。


「ここは……」


 最初に目に飛び込んできたのは、アスファルトの地面だった。

 なんとか起き上がり、自分がどこにいるのか確認しようとする。


 膝をつきながら立ち上がろうとしたところで、ぎょっとした。


 そこは、先ほどトラックに轢かれた場所と同じだった。

 見覚えのある交差点。見覚えのある看板。見覚えのある建物。

 歩行者用の標識もあるし、信号機だってある。

 けれど違う。

 あまりに静かで、あんなにいた車が一台も走っていない。それどころか、人っ子一人存在しなかった。


 そして、世界は真っ赤に染まっていた。

 夕暮れ時の灯りが街を包み込んでいる。

 そして、真っ黒な影のような人影だけが、とぼとぼとゆっくりと向こう側を歩いていた。明らかに異質なものだった。


 小説のような異世界――いわゆるゲームやマンガの中みたいな、中世のような世界で、魔物がいて、剣を振り回したり、魔法を使ったり――そんなものとはまったく違った。そんなものはただの空想に過ぎない、現実にはここが異界なのだと言わんばかりに目の前に存在してみせる。


「……愛奈」


 はっと気付いて叫ぶ。


「愛奈! どこにいるんだ! 愛奈!」


 声は虚しく響くだけだった。

 こんな場所に――愛奈は閉じ込められているのか。


「……くそっ」


 ひとまず鞄を抱きかかえ、痛む体を引きずりながら、影たちから逃げるように駆けだした。

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