第14話 賢者の秘策

 ケテルの町の南西に存在する隣町、ビナー。

 その中心地に位置する場所に、これからミラが通おうとしている学校は存在した。

 黒檀色の煉瓦を組み上げられ建てられた、巨大な礼拝堂のような外観を備えた建物。

 校長の名を取りツェルティク・アカデミア、と名付けられたその学校は、実に世界各地から集った竜人ドラゴノアや人間の少年少女たちが様々なことを学ぶために通っている。

 因みに、皆はこの施設のことを『学校』と呼んでいるが、性質としては『学園』の方に近い。下は三歳から上は二十二歳まで、幅広い年齢の生徒が在籍しているのがこの学校の特徴と言える。

 その建物の一角──『校長室』の札が掛けられた立派な扉をくぐった先にある広々とした書斎のような一室に、ミラとファズの二人は訪れていた。

 高級そうなソファに並んで腰掛けて、目の前のテーブルに一目で値打ち物と分かるティーカップに注がれた紅茶を出され、正面で口元に微笑を浮かべながら手元の書類に目を落としている男の様子をじっと見つめている。

 漆黒の髪に、漆黒の瞳、鉛色の肌……身に纏っている装束も黒一色という、何処までもモノトーン一貫の男だ。鼻が低く、顎のラインはやや丸みを帯びており、中肉中背という体格から受ける印象も手伝って『可もなく不可もない』雰囲気を全身から滲ませている、そんな人物である。

 彼こそが、この学校を預かる校長。イ・リソラス・ツェルティク・ビナーの名で知られる竜人ドラゴノアである。

「ミラ・ユッタ君……成程ね、君が例の『素質なき愛姫』さんか。前々から興味はあったんだよ、あの次期王候補殿が見初めた人間ヒュムナスの女性とは一体どういう人なんだろうってね」

「ひ、姫ってそんな……流石に大袈裟だと思います、私はごく普通の平民ですから……」

「いや? なかなか的を射た呼称だと思うけどね、少なくとも僕は」

 書類を持ち上げていた手を下ろし、リソラスはふふっと笑ってミラの全身を上から下まで撫でるように見つめた。

竜人ドラゴノアにとって必要不可欠な『素質』を全く備えていない、言わば不用品以外の何でもない『ただの』人間であるにも拘らず、幸運にも次期王最有力候補のル・セト君に見初められ、そればかりか彼の兄弟たちからも愛玩人形アンティークのように愛でられたお嬢さん。まるで昔の御伽噺にあった、王子様に見初められて一夜にして奴隷から王族に成り上がったお姫様のようだよね。違うかい?」

「…………」

 物腰は柔らかく終始にこやかではあるが、何処か毒を含んだ物言いをして両の目を細めるリソラスに、ミラは顔を合わせることができずに俯いてしまう。

 愛玩人形。不用品。その一言に、胸の中心がちくりと小さな針で刺されたかのような痛みを感じた。

 そんな彼女の背を優しく叩きながら、ファズが眉間の皺を若干深くしてリソラスに言う。

「……セトが誰を番に選ぼうと、それはセトの自由だろう。生まれてきた命に不要な存在なんかない。違うか?」

「僕は単に事実を言っただけなんだけれどね。更に付け加えるなら、今のは僕が言った言葉じゃないよ。世間のお嬢様方の意見さ。……僕は、それが誰であろうと来る者は拒まない。全員を等しく愛して、懐に迎え入れるよ。その心持ちがなければ、とてもこんなに大きな学び舎の長なんて役職、務まりはしないよ」

「あらあら~、折角の可愛いお顔が台無しになってしまったわ。大丈夫かしら? ごめんなさいねぇ、この人、悪気はないんだけれどちょーっと言葉が悪い人なのよ。あまり気にしないで?」

 静かに入口の扉が開き、その向こうからフルーツ盛りだくさんのケーキを載せたトレーを持った女性が姿を現した。

 鮮やかな黄の長い巻き毛を腰辺りでゆったりと結った、何処かおっとりとした雰囲気を漂わせた人物だ。金糸雀色のきめ細やかな肌に、長い睫毛。まるでオーロベルディのような不思議な輝きを抱いた瞳。もしも女神が実在していたとしたら、きっとこんな姿をしているのだろう──そう思わせるほどの美貌を持った女性である。

 彼女は纏ったフリルたっぷりのドレスを優雅に翻しながら三人の傍へと近付いて来ると、ミラの目の前に、持ってきたケーキを置いた。

「これ、私の手作りだから貴女のお口に合うか分からないけれど……宜しければどうぞ?」

「……あ、ありがとうございます……気を遣わせてしまってすみません」

「いいえ、お料理するのは私の趣味なの。私が作ったお料理を、美味しいって言いながら笑顔で食べてもらえることが何よりも嬉しいのよ。だから遠慮しないでいいのよ」

「いただきます……」

 綺麗に磨かれた金のフォークを渡されて、ミラはそれでケーキの端の方を掬い取り、口に運んだ。

 生クリームの甘味と苺の酸味が絶妙に絡み合った、上品な味わい。鼻の奥へと抜けていく苺の香り。

 それが、彼女の胸の内を蝕んでいたもやもやを綺麗に洗い流していく。

 ミラは目を潤ませて、うっとりと呟いていた。

「……美味しい……」

「うふふ、気に入ってもらえたのなら嬉しいわ。おかわりはまだまだたくさんあるから、遠慮しないで好きなだけ食べてちょうだいね」

「ありがとうございます……!」

「アリステア。僕たちの分はないのかい?」

 夢中でケーキを頬張るミラを微笑ましげに見つめながら、リソラスが問いかける。

 彼女──アリステアは折っていた腰を伸ばしながら彼の方へと視線をずらすと、微笑みを返した。

「すぐにお持ちしますわ。……でもリソラス、貴方の分はありませんわよ。貴方にはお紅茶ひとつで十分。こんな可愛いお年頃の女の子の心を傷付けたんですもの、紳士でしたらその非はしっかりと認めて反省なさって下さいね?」

「あはは、これは手厳しいね」

 アリステアはにこりと微笑むと、トレーを携え退室していった。

 扉がそっと閉まり、それに伴いリソラスの背筋も伸びる。

「……で、話の腰を折ってしまったね。ミラ・ユッタ君の編入の件についてだけれど、うちとしては特に拒む理由はないよ。身元も君が保護者代理人としてしっかりと保証しているし、何の問題もない。学費も納めて頂いたし、このまま編入の手続きを取らせて頂くよ」

「ああ。宜しく頼む」

「配属する教室だけど……十五歳なら、中等部への編入となる。彼女は薬学に長けているようだし、読み書き計算など基本的な教養は身に付けているようだから、学力的にも特に問題はないと思う。ここまではいいかな?」

「それで問題ない。……ああ、忘れるところだった。これを貴方に渡してくれと頼まれてたんだ」

 リソラスの言葉に相槌を打ったファズが、唐突に思い出したように傍らに置いていた鞄から何かを取り出して、彼へと差し出した。

 それは、真っ白な封書だった。蜜蝋で厳重に封をされ、王冠を被った男の横顔を象った印が捺されたものだ。表にはかっちりとした綺麗な字で『イ・リソラス・ツェルティク・ビナー校長殿へ』と記されている。

「うちのシュイから、貴方宛にしたためられたものだ。何が書かれているのかは聞かされていないから分からんが、とても重要なことを記してあるから忘れずに渡してほしいと言われている」

「へぇ、あのル・シュイ君がね。……一体何だろうね、今此処で開封して良いのかな?」

「構わない。できればすぐに中身に目を通して頂きたいとも言っていた」

「そう? それなら、失礼するよ」

 リソラスは差し出された封書を受け取り、封を切って中身を取り出した。

 真っ白で皺ひとつない羊皮紙の便箋。二つに折り畳まれているそれを静かに開いて、中身に目を通し始める。

 ──黙読すること、三分。アリステアがファズの分のケーキを運んできたと同時に内容を全て読み終えたらしい彼は、成程ねと呟いて面を上げ、口を開いた。

「ル・シュイ君からの手紙の内容だけど。ミラ・ユッタ君の編入先の教室に関することが書かれていたよ」

「教室?」

「うん」

 ぴら、とシュイ直筆の文章が記されている紙面をファズたちの方へと見えるように広げて、彼は続ける。

「ミラ・ユッタ君の編入先の教室を、高等部二組に指定してほしい、だそうだよ」

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